夫の転勤と息子の受験と住宅ローン

 人生には「光明面」と「暗黒面」とがあると言われています。
 どちらのチャンネルに心を合わせるかによって、私たちの人生は大きく変わってきます。

 仏教に、「心外無別法(しんげむべっぽう)」という言葉がありますが、これは、一切の存在や現象は、心より起こったものであり、心の外に別な法はないという意味です。

 人生の「光明面」に心のチャンネルを合わせていれば、同波長の嬉しいこと、楽しいこと、悦ばしいことが現れてきます。

 一方、「暗黒面」ばかり注目して、取り越し苦労、持ち越し苦労を重ねていれば、心配なことが次から次へとスパイラル状に現れることでしょう。

 あなたは、どちらの生き方がお好きでしょうか。

 二度とくり返すことのない、掛け替えのない人生です。

 せっかくこの世に生まれて来たのですから、嬉しく、楽しく、幸福に過ごしたいのは、誰しもが願うところではないでしょうか。

 天国や極楽は、自分の人生と離れたどこか遠くにあるのではありません。

 また、今ここに無いような天国や極楽なども、空言戯言(そらごとたわごと)に過ぎません。

 今ここに浄土を開く道、それが生長の家の感謝の生活であり、日時計主義の生活です。


 以下に、ご主人の転勤と息子さんの受験と経済問題とが重なり、苦しんでいるのでアドバイスを頂きたいという、主婦の方からのメールと、私からの返信を紹介させていただきます。


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質 問「度重なる困難に苦しんでいます」(メール 4月17日付)

以前、母の死の際に相談させていただきました。その節はありがとうございました。

お陰様で母の死から1年間、何とか、妻、母親として自分の家庭を営んでいく事が出来ました。

ただ、まだまだ心が弱く、気持ちが過去へ過去へと向いてしまいます。

その上、今、悩んでいるのは夫の転勤が中3の息子の受験と重なる事と、住まいの事です。

夫は9月に転勤が決まっており、現在住んでいる北海道から関東に異動となります。

夫は年度末まで単身赴任をすると言っていますので(息子の希望も同じ)、私たちは北海道に残り、息子の受験は北海道にいながらにして試験だけ関東に受けに行くという大変な状況となりました。

実は2年前に夫の会社が倒産しました。現在は再建中です。リストラはされませんでした。

しかし、待遇が大幅に変わってしまい、賃金カットをはじめ住宅手当等もなくなりました。
その為、関東に戻ったら高額な家賃が加わり、また、子供たちもこれから教育資金が掛かることになります。

倒産前には、この様な事態を想像していなかったため、貯金もこれからしようと思っていた矢先に、このような事になってしまい、過去、裕福だった時に“なぜ貯金ができなかったのか?”

家計を預かっていたのは私なので、もし、今までに貯金をしていたら家族に何の心配もさせずにすんだのに、こんないい加減な家計管理をしてきた結果、先が見えない状況にしてしまい夫や子供達に大変申し訳なく、情けなく思ってばかりいます。

夫は高い家賃を払い続けるより、ローンを組んで家を買ったほうが良いと考えています。

夫婦で家計を見直しながら十分話し合いました。結果、支払いは可能でした。

でも私は住宅ローンを組むこと、今後も会社が存続するのかどうか? 等への不安に加え、「なぜ、お金のある時に貯金しておかなかったのか?」と毎日そればかり考え、自責の念に囚われています。

母の死、夫の会社の倒産、息子の他県での受験、住宅ローンと次から次に問題が起きて自分では消化できなくなっています。今、私に与えられている環境をどう受け入れたらよいかわかりません。

どうかアドバイスよろしくお願いいたします。

(主婦 48歳)

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回 答

 ご主人の転勤が中3の息子さんの受験と重なること、そしてローンを組んで家を購入するか否か、ということのご相談ですね。

 メールを繰り返し拝見させていただきましたが、すべてが善いことづくめで、有り難いことばかり、あなた様はどれほど多くの幸に恵まれていることでしょう。
 先ず、その喜ばしい事実を、正しく見つめることから始めてみましょう。

 もし、息子さんが北海道の高校に入学した後に、ご主人の異動と転勤が言い渡されたのなら、ちょっとは心配になるかもしれませんが、転勤の時期と入学とが、ぴったりと重なっていて本当に良かったですね!

 また、ローンを組んで家を買うことについても、ご夫婦で仲良く充分に話し合った上で、「支払いは可能」との結論に達したとのこと。

 ご家族にとってこんなに希望に満ちた嬉しいことは、大いに悦ぶことにしましょう!

 さらに関東の地で、また新たな出発されるとのこと、ご家族にとっての新生活が待っているのですから、心機一転して大いに張り切ってください!

 しかも、ご主人は会社が2年前に倒産したにもかかわらず、リストラもされず、お給料を頂きながら会社の再建に向けて仕事に励んでいた矢先、内地の関東への栄転が決まったのですから、どんなにやり甲斐を感じていらっしゃることでしょう。

 奥様であるあなた様は、そのご主人の悦びを吾が喜びとして、大いにご家族をもり立ててあげてください。

 このように人生の光明面のみを見て、感謝して生きるのが生長の家の生活です。

 ご存じのように、東日本大震災では、家族を失い、仕事を失い、大切な持ち家を失い、ローンを抱えながら何もかも失い、失望のどん底のような境遇におかれた人たちが、希望を失わずに明日に向けて黙々と、しかも家族と地域社会の再建のために明るく頑張っている方がたくさんいます。

 彼らに比べたら、どれほど私たちは恵まれていることでしょう。

 ですからあなた様は、先ず、今、既に与えられていることに振り向き、そして大いに感謝することからはじめてみましょう。

 貯金が無いなどということは、大した問題ではありません。
 また働いて稼いでしっかり貯金すればいいのです。

 生長の家の生き方に、一番ふさわしくないのは、今与えられていることに感謝することを忘れ、未だ来ていないことに対して取り越し苦労をしたり、過去のことを、いつまでもくよくよ思い出しては持ち越し苦労をすることです。

 三界は唯心の所現、現象世界は「心の影」の世界ですから、暗い不安なことを心に思い描けば、不安な状態が人生に現れるのが「心の法則」です。

 また、嬉しいこと、楽しいこと、感謝すべきこと、喜ばしいことに着目し、人生の光明面を見て感謝して日々を送っていれば、いつの間にか天国的な状態が、あなた様の人生に実現してくるのです。

 この後者を生きるのが、人生を光明化する生長の家の生活法です。

 生長の家の教えの基本を学び、安らかな幸福生活を実現する一助として、全国各地で開催している「白鳩誌友会」や「母親教室」に参加することをお勧めします。

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家出をくり返す小学生のこと

 小学生の長男が家出をくり返し、「どうしたらいいか分かりません」というシングルマザーの方からの相談を預かりました。

 幼い子供にとって、両親の離婚は、大切な心の拠り所の半分を失うことになります。

 親たちの姿を見て、小さな心で支えきれない“心の重荷”を背負い、さらに大好きだった片親と別れて生活しければならない悲しみは、それは経済的な貧しさによる生活苦とは比べものにならないほど、子供にとって大きな負担となることでしょう。

 家庭は、両親だけで成り立っているのではありません。
 幼い子供たちの幸せは、両親と寄り添って暮らすこと、ただそれだけが本心からの“願い”なのです。

 その幼子の“願い”の内にこそ、天国浄土が宿るのかもしれません。


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【質 問】

今年35歳になるシングルマザーです。小学校5年生男の子、小学校4年生女の子、小学校2年生女の子の母親です。

23歳でできちゃった結婚をし、旦那の浮気が原因で33歳で離婚。
その後地元に戻り、仕事をしながら子育てしております。

最近長男の様子がおかしいというか、どう接すればいいのかわかりません。

今年の一月に、学校から戻りその後家出をしました。

「探さないでください、嫌なら探してください」という書置きを残してました。

前日は特に叱る事もなく普通に過ごしていたので心当たりがありませんでした。
警察、担任の先生に連絡し、捜査願いを出して警察にいたところ、午後11時ごろ自ら家に帰宅、家の電話で連絡してきました。

その後、「叱られるのが嫌でママに迷惑を掛けると思って出て行った」と言っていました。
色々話をして、これからは二度としないと約束しました。

それから2週間後、今度は学校にも行かずそのまま家出。理由は学校でいじめられて行きたくなかった、とのことです。担任の先生も色々話をして、解決の方向に行っていると思っていました。

そして昨日、また家出しました。

理由は私の父親に叱られるからという理由でした。
毎日私が帰る19時過ぎまで一人で留守番してます。宿題もせず、部屋の片付けもしないで暖房を付けホットカーペットも付け、TVを見ているので、うちの父親に「毎日実家に来い」と言われておりました。

その日は、私が実家に行った時にはまだ来ていなくて、家に帰ったら誰もいませんでした。

3度目ともなると探すのも疲れて、そのうち戻ってくるだろうと思い待っていました。
11時ごろ戻ってきました。

何も言わずそのまま就寝。

私は子供を虐待してたと思います。叱るのと怒るのは違う、よく母親に言われておりました。言う事を聞かないときは叩いてました。小さなことでよく怒ってました。

一度目の家出の後、怒らないように努力しました。
100%怒らないわけではありません。悪い事をしたら怒る。ただ前のようにいらいらして怒ったりはしないようにしていました。

それでも2度目の家出。

さらに3度目。

理由を聞いても支離滅裂な言い訳しか出ません。
まともに話ができません。

話していると貝のように口を閉ざし何も言いません。

長男をこのように育てたのは自分です。
もう長男に何を言えば良いのか、子供の気持ちがわかりません。

元旦那に所に行きたいのでしょうか。

うちのことが嫌いなのでしょうか。

子供とどう向き合ったら良いのかわかりません。

手放したほうがいいのでしょうか?

ほんとにどうしたら良いのかわかりません。


【追 伸】

私は信仰は特にないです。

長男はまた先日家出をし、深夜1時頃おまわりさんと一緒に帰宅しました。
その後発覚したのが私の500円貯金・・・2万円抜かれゲームや本を購入しておりました。
・・・ほとほと、どうしたらいいか分かりません・・・

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【回 答】

 近くにご実家があるとはいえ、これから女手一つで三人の子育てをされることは、本当に大変なことと思います。

 ご長男の度重なる家出のこと、お悩みのことでしょう。

 頂いたメールを繰り返し拝見させていただきましたが、その理由について、一緒に考えてみたいと思います。

 小学校五年生といえば、次第に自我が目覚め、これから徐々に、心も身体も大人へと近づきつつあるデリケートな年頃でもありますね。

 さて、お手紙によると、あなた様がご主人と離婚されたのは、ご長男さんが10歳のときに当たりますから、昨年のことでしょうか。

 家出の理由として第一に考えられることは、ご長男にとって最愛の両親が離婚したことで、お父様と別れなければならなくなったことへの不満と、言葉に言い表せないような寂しさが、大きな要因になっているのではないかと思われます。

 また、お父様との離別に加え、小学生の「転校」というのは、ご長男にとって親しい友だちと別れ、心から悩みを相談したり励ましてもらう相手を見いだせないまま、お父様のいない馴染みのない土地に引っ越したことが、支えきれないほど大きな心の負担になっているかもしれません。

 ですから、ご長男にしてみれば、お母様から、家出した理由を訊かれても、「支離滅裂な言い訳」しかできないのは、仕方のないことかもしれません。

 なぜかと言えば、ご長男にとって両親、ことにお父様を慕う気持ちや、育った地域や友だちと別れた言いようのない寂しさは、理屈ではなく、心の奥底にある深い感情に由来しているからです。

 また、親のお金を盗むというのは、精神分析的に見れば、親(この場合はお父様)の「愛情」に飢えていることの裏返しにほかならないのです。

 あなた様へのアドバイスとしては、ご長男は決してお母様のことが嫌いなわけではありません。

 ただ、別れたお父様を強く慕う気持ちを、お母様には悪いと知りつつも、自分でも押さえきれないでいるのではないでしょうか。その気持ちを紛らわすために、ゲームに夢中になってはみたものの、ついに耐えきれなくなって、自分でも理由(わけ)が分からずに「家出」をしてしまうのではないかと思われます。

 この場合の「家出」とは、単純にお父様に会いたい、というだけではなく、「お父さんとお母さんと一緒に暮らしたい」という、失ってしまった大切な家庭生活への、心の底からの深い憧れと、そこに戻りたい願いが、そのような行動を、われ知らずとらせているのかもしれません。

 これは、未だ幼いために行動にこそ表していませんが、四年生と二年生の長女、二女のお嬢様たちも、同じような想いをしていることでしょう。(もしかしたらご主人の側に引き取られているのでしょうか?)

 長い目で見れば、ご主人と復縁されることも、子供たちの幸せを思えば、大切な選択肢の一つとして考えてもいいのではないでしょうか。

 また、これ以上ご長男の問題が拗(こじ)れて取り返しがつかなくなる前に、ぜひご主人に心を割って、今回のことを相談にのっていただくことが大切かと思います。それが、ご長男の問題の根本的な解決につながるのであれば、たとえ復縁できなかったとしても、お父様と繋がり合えることがご長男にとって大きな心の支えになることは間違いないのですから。

 くどいようですが、お子様たちは、お父さんとお母さんと一緒に暮らす幸せな生活を求めておられることは、彼らの奥底にある心情として、ぜひご理解いただければと思います。

 以上、いただいたメールを拝見した上での、私からのアドバイスです。

 さらに詳しく相談されたい場合には、あなた様の県にも「生長の家」の教化部がございますので、連絡をとって講師の方に直接会ってご相談されることをお勧めします。

生長の家香川県教化部
〒761-0104
高松市高松町1557-34
電話087-841-1241

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親子の愛と捨徳について

 ご高齢のお母様が熱心な生長の家の信徒で、クスリを一切飲まないので困っている、という相談のメールを、息子さんからいただきました。

 愛には大きく分けて二種類あるといわれています。
  一つは「執着の愛」、もう一つは「放つ愛」。

 同じ愛でも、似て非なる結果を人生にもたらすこの「愛」について、仏の四無量心の教えは、明確な智慧をもって私たちを導いています。

 以下、質疑の遣り取りを紹介します。


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【質 問】

 突然のメール申し訳ございません。

 母親は生長の家の熱心な信者です。
熱心すぎるゆえ、病院のクスリは一切飲もうとしません。

 本人はかなりの高血圧で病院の診断では、下げないといけないと何度も言われています。
(合併症の心臓肥大も軽度ですがはじまっているとのことです)

 そのたびに家族が説得するたび薬は飲むといって、気づくとこっそり服用をやめております。

 そんないたちごっこを2年続けて来ましたが、ついに開き直り、

「生長の家には病院通いだった若いころ、信仰を始めたとたん病気が無くなったから信じている、クスリも飲まない」

と言い始めました。

 信仰で高血圧が下がるなら文句は誰も言いません。

 下がってないのに信仰にすがっていることに困っています。

 CTでは既に動脈硬化も進んで細くなっています。

 家族としてはどうしたらよろしいですか?

 神に護られているとか、そういう、宗教的な考えは求め居ていません。

 一般常識として血圧180以上ある母の健康を願うのは当然だと思います。

 生長の家の見解をお聞かせください。

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【回 答】

 ご質問の件については、本部講師の久都間がお答えさせていただきます。

  お母様が薬を一切お飲みにならないとのこと、熱心な信仰姿勢に頭が下がる思いがいたします。

 しかしながら、お母様を愛する息子さんとしては、さぞご心配のこととお察し申し上げます。

 医者や薬は、病気を治す働きをするためにこの世に存在していますが、生長の家では魂を悩み苦しみから救うことが本来のお役目であり、病気を治すところではありません。

 また、魂が自縄自縛から解放された結果として、病気が消える場合もございますが、生長の家ではそのようなことは、心が肉体に及ぼす随伴的な影響として認めるのみで、積極的に肯定も否定もいたしません。

 ですから生長の家では、医者や薬を否定するものではありません。

 このメールをお母様にご覧に入れても構いませんので、

「素直に息子さんのご意見に従うようにと、生長の家の本部講師がすすめていた」

と、お伝えいただければ幸甚です。

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【追加質問】

 先日はお返事くださいまして誠にありがとうございます。

 頂戴いたしましたメールには、さまざまなご配慮をくださいまして本当に感謝しています。

 あのお返事なら母の心に届くものと信じておりましたが、結果から申し上げますと良いご報告は出来る状況には至りませんでした。

 いまの私ではどうすれば母の心に届くものかまったくわからない状況となっております。

 誠に恐れ入りますが、何卒ご教授いただければ幸いに存じます。

 先日のお返事をみせた後のやりとりをですが、私としましては、クスリを飲んでもらう事は、血圧が高いことを再確認したうえでの必要な措置とおもっているので、現状の血圧を測って欲しい旨を話しました。

 しかし、母は、「クスリを飲むことは基より、血圧を測ること事態が病気を認めることになる。そんなことはしない。なぜ今健康に動いているのにそんなことをさせるのか?」の返答。


 母にとって生長の家の教えは、病気はない(心の影とでもいうのでしょうか?)病気の存在を認めないということのようです。

 また、『生命の実相』を私に渡して「読め」というので、途中まで読みました(7巻です)。たしかに病気を認めるなという趣旨の文言がありました。きっとそういうことが言いたいのでしょう。

※下記、久都間先生気を悪くされたら申し訳ございません。
私には、あの内容は医療が現代のように発達してない時期に、心の開放・魂の開放・明るい生活に導くためのひとつの表現であって現代医療が発達したいまの時代とはずれたもの、また解釈も当時の生長の家といまの生長の家では違う教えとなっているのでは? とも正直思っています。(私見です)

 先日は、母から、「勉強していないあなたに何がわかる?」と言われました。その延長で7巻を少し読んだのですが。。。

 今では、「死んでも私(母)の人生だからそれでいい。それが寿命」だからと…

 父と私の3人家族ですが、家族がなにを言ってもわずらわしく感じているだけでしょう。

「放っておく愛もおぼえなさい」だとか、何度話しても何も進展しません。

 私や父は高血圧を、脳や心臓などへの合併症の怖さ、高血圧はあまり自覚のない病気として認識しています。

 母にとって病気は、認めてはいけないもの、クスリは愚か、血圧を測ることも病気と認定してしまうから受け入れない。

これが完全に家族同士の主張の平行線を生んでいます。

 死んでもいいと言っている母に生きる楽しさを提供できていない自分が悪いのだろうか?

 いろいろ考えてしまいますが、なにかお互いが納得できる方法はないでしょうか。。。

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【回 答】

 あなた様はとても親孝行な方ですね。

 また、お母様の信仰姿勢も見上げたものだと感心しております。

 さて、仏教の教えの中で、最も重要なものとして、仏の「四無量心」という教えがあります。

「無量」とは、無限という言葉と置き換えることができます。

 それは、仏の慈、悲、喜、捨の教えと言われており、「慈・悲」は人の悲しみを感じ、その人を慈しみ、慰め、苦しみから救い取ろうとする深い愛の心のことです。

 また、「喜」は、苦しみから解放された人や、願いが成就した人の悦ぶ姿を見て、それを吾が事のように、ともに悦ぶ心のことです。

 そして、「捨」は、捨徳といって、相手やものへの執着を絶ち、その人やものを、どこどこまでも自由にしてあげる「放つ心」のことです。

 お母様が、「放っておく愛もおぼえなさい」とおっしゃったことには、とても深い意味があります。

「放っておく」とは、ただ単にほったらかしにしておく、ということではありません。

「捨徳」は、本当に愛していればこそ、相手を自由にしてあげる「愛」のことです。

 これは、相手を決して縛ることなく、その人が生きたいように生きさせ、行きたいところに行かせて、好きなように自由にさせてあげる、つまり相手やものを完全に解き放つ深い愛の心なのです。

 この「捨徳」の教えは、仏教でも最も深い教えの一つであると言われています。

 すべての人間関係の拗(もつ)れ、悩み、苦しみは、相手を自分の尺度で、雁字搦めに縛るところから生じてきます。

 その苦しみから私たちを解放するのが、仏の四無量心の一つである捨徳の教えであり、神の無限の愛の働きなのです。

 そのことをお母様は、あなた様にお伝えしたかったのではないでしょうか。

とても清々しい、素晴らしいお母様ですね。

お母様に、宜しくお伝えください。

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自分を責めている方のために

「自分を責めて責めて死んでしまいたい」という女性の方から相談を預かりました。

自分を責めてしまうのは、“こんな姿は本当の私ではない!”ということを、心の奥底にある本当の自分(実相)が知っているからです。

人間は、なりたい自分へと、自由に変わることができるのです。

ただし、目の前に現れている自分を見ていると、そんなことがとても信じられず、理想の自分とのあまりの落差に、自暴自棄になったり、死にたくなったします。

精神分析で「錯綜(complex)」と言い、仏教で「業(karma)」と呼んでいるところの迷いの観念に、心が雁字搦(がんじがら)めに縛られ、そこから抜け出す道が分からずに藻掻き苦しんでいる、そんな魂の純粋な叫びが、このような悩みの背後から聞こえて来るようです。

この錯綜した観念(業)から、実相(内なる神・仏)を自由に解き放つのが、洋の東西を問わず宗教の大切な役割でもあり、その教えの真価が問われるところでもあります。

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【質 問】

私は30代の女子です。中学のころから生きるのが苦痛に感じ、学校へ行かなくなり、すべてのことが厭世的に映り、暗い人生を送っておりました。

大学へ行こうと努力したり、バイトもしようとしましたがうまくいかず、30歳手前まで家でじっと過ごすしかありませんでした。

数年前から暗い気分のままなんとか生きなければと、昔習っていた日舞の資格を得て、今はカルチャーセンターなどで細々と教えています。

仕事もしなくてはと、郵便局で受付のバイトを半年間がんばりましたが、最後には心身ともにぼろぼろになり、自分の今までのやってこれなかった悔しさと、精神力の弱さに、とても傷ついております。

頭がうまく回らず死にたいと、厭世的な気分はなかなか治りません。

また、年齢的に結婚のことも気になるのですが、仕事をした中でも、男性からダメなやつとみられる始末で、人間関係にとても敏感になっております。

最近、宇治の練成会にいって参りました。
「今できることをがんばりなさい、あなたなら大丈夫だ」と、楠本先生から個人指導を受けました。

しかし、なかなかこの自責感がとれません。

精神科で抗不安薬と睡眠薬をもらっています。自分を責めて責めて死んでしまいたいという不安感に苛まれます。

誰に言ってもダメな人としか受け取ってもらえず、毎日がつらいです。こんなわたしでも未来はあるのでしょうか。

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【回 答】

  宇治の練成会を受けられて、楠本先生から、

「今できることをがんばりないさい、あなたなら大丈夫だ」

と言っていただけたとのこと。

 あなた様の人生にとって、とても大きな節目となりましたね。

 さて、自分を責めてしまうのは、意外なことに聞こえるかもしれませんが、「自分がある」と思っているからです。

 本当は、「自分がある」のではなく、神が今ここに生きている、それが実相なのです。

「自分が生きている」のであれば、いろいろと思い煩ったり、気をもんだり、先のことを心配したりしなければなりませんが、私たちは「自分で生きている」のではなく、円満完全なる大生命に「生かされている!」それが実相(本当のすがた)なのです。

 厭世的な気分がいつまでも消えないのは、神の子の完全円満なる生命を、そのまま悦ぶことを忘れているからです。

 そして現象世界に現れた、ただの心の影にすぎない「自分」が生きていると、勘違いをしているからです。

 神の子は、先ず神の子らしく生きることが、なによりも大切です。

 そのためには、楠本先生のおっしゃった、「今できることをがんばりなさい」というコトバを素直に実行することです。

 そうしたら、円満完全で、「だいじょうぶ」な“あなた”が現れるのです。

 具体的には、日々の生活の中で意識して以下のことに励みなさい。

①周りの人のお役にたつこと。(気が付いた善いことは、積極的になんでも実行すること)

②人に愛を与えること。(神は愛です。あなたの内なる愛を、思い切って表現すること)

③今できることを、一所懸命にさせていただくこと。

 このようなことに、はじめは意識して努めることで、次第にあなたの内にある円満なる大光明が、自然と輝きはじめるのです。

 なぜなら、あなたは、はじめから完全円満なる神の子だからです。

 神の子は、神の子らしく生きること。

 まず、上記のことを始めてみること。そこから天地が開け、大道が開けてきます。

 分からないことがあれば、なんでもご質問ください。

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【礼 状】

 先日は、お返事をいただき、ありがとうございました。

 宇治の練成会を受け、楠本先生からも励ましの言葉を頂き、生長の家の教えを受けたにもかかわらず、苦痛が解けず、悩んでおりました。

 そして、もがき苦しんでおりましたが、その中で自分の人生をしっかり受けとめようと、また決心していたところでありました。

 そこで久都間先生からのお手紙を受け取り、また練成会を受けたことが心に深くよみがえり、より神の子として、どんなことがあろうと現象に捉われず、自分を見つめ、どんな人生も引き受けようと覚悟を新たにいたしました。

 自分が完全円満な神の子であることを自覚するために、人生は一人でありますが、楠本先生、久都間先生、生長の家で祈ってくださる方々が、このように愛念を掛けてくださることが、とても有り難く、心強く思います。

 私は、自分がどんな人生であろうとかまいません。もう「現象は無い」とはっきり分かったのですから、私の心の中に幸せがきっとあるはずです。
 ありがとうございました。

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元ヤンキーと付き合っている娘


【質 問】


 以前も難問をご指導いただきました。よろしくお願いします。

 二女の結婚問題です。長女は大変不思議な有り難すぎるご縁で早々に素晴らしい相手と結婚できました。前世でも深いご縁があったのだろうと思える有り難いご縁をいただきました。

 二女は、コツコツ努力し国家資格も無事通り、いいところに就職させていただきました。

 ただ長女とは違い、どちらかと言うと自分一人で生きて行くタイプのようで、しかも性格が硬すぎる所があり、親の欲目からみると結構美人ですが、26歳の今まできちんとお付き合いした方もいないのです。

 ところが、最近何と30歳にもなり、仕事もなくボクサーを志している元ヤンキーという方とお付き合いしている風なのです。全く驚かされました。

 娘の思いを大切にしてやりたいとは思うものの、またどんな方も神の子で素晴らしいとはいうものの、一緒に暮らすとなるとまた義理の縁を結ぶとなるとちょっと二の足を踏んでします。

 出来ればもっと穏やかな暮らしができる方とご縁があればと願ってしまいます。

 お見合いでも勧めようかと思うほどですが、親としての心持をご指導ください。

 匿名を希望しますが、事例としてお使いいただければ幸甚です。

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 ご質問のメールを拝見しました。

 地方講師であるあなた様は、すでにご存じのことではありますが、「人間は神の子である」という教えが生長の家の根本真理です。

 しかし、この「神の子」なる人間は、「現象」ばかり見ていたのでは、永遠に出合うことはできません。

 なぜなら、「三界唯心所現」の理によって、心に深く描いたものがこの世に現れるのが、現象顕現の法則だからです。

 生長の家で、“「現象」を見るのではなく「実相」を観よ!”と説くのは、実相のみが真・善・美の根源であり、真実在であり、人間の本質(神性・仏性)だからです。

 ですから、この世に地上天国(大調和の世界)を実現するためには、現象を否定して、現象的な「条件」に捉われなくなることが重要なのです。

 あなた様のお手紙を拝見していますと、お嬢様のお付き合いしているという相手の男性に対して、「仕事がない」とか、「元ヤンキー」であるとか、わが娘かわいさのために、相手の方の不完全な「条件」ばかりが見えてしまい、心のカゲにすぎない現象に振り回されて、その背後にある大切なものに“心の眼”が及ばなくなっているように思われます。

 そんな人生の見方、歩み方をしていたのでは、すぐ側にダイヤモンドや黄金の原石が埋まっていたとしても、それを見出すことは、永遠にできないと言わなければなりません。

 なぜなら、それらの原石は、掘り出され磨かれて店頭に売り出されているのはごく僅かであって、たいていは地中にのみ存在しているからです。

 ことに若い男性の場合は、無限の可能性と能力とを内に秘めながらも、周りから認められないために、また、修行中で時宜を得ていないために、世に埋もれている場合がたくさんあるのです。

 お嬢様が、その男性の方とご縁があったのであれば、先ず「条件」という現象に捉われた眼玉を外して、その方と直接お会いして、ご自身の“心の眼”で確かめてみることです。

 また、お嬢様も26歳ともなれば、立派な大人です。いつまでも執着することをせずに、自由に解き放つ時期が来ているのかもしれませんね。

 そもそも、ご相談のお手紙では「お付き合いしている風なのです」とありますが、その方と、まだ一度もちゃんとお話したことも会ったこともないのであれば、気軽に家に招くなり、一席設けるなりして、お嬢様を交えて、ゆっくりお話ししてみることです。

 お母様が相手の「悪条件」ばかりに捉われて、現象に振り回され、無闇に反対していたのでは、若いお嬢様はそのようないいかげんな煮え切らない態度に、やがて反発して心が盲目となり、あらぬ方向に走ってしまうようなことは、世に多く見られるところです。

「親としての心持ちをご指導ください」とのことでしたので、以上、私が気が付いたことをお伝えさせていただきます。

「条件」という損得勘定だけで人間を見るのではなく、純粋に相手の幸せを祈り、相手の神性・仏性を生かし、ともに無限生長の道を歩む信仰生活の中にこそ、ともに永遠に栄える極楽浄土があるのです。

分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

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寿命を変えることは出来るのでしょうか?

【質 問】

 前略。お忙しいところ申し訳ありませんが、教えていただきたい事があります。

 講師の方々は、「どんな死に方でも、人間が死ぬのは寿命です」と言われますが、寿命は人間が現象世界に生まれるとき、この人の寿命は何年と神が一人一人定めていて変えることは出来ないものなのでしょうか。

 また、寿命と運命とは関係があって、運命は変える事ができると教えられましたので、努力によって運命を変えると、寿命も長くなったりするものなのでしょうか?

 回答お願い致します。

     (55歳 白鳩会員歴6年)

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【回 答】

 
1つ目の質問
「寿命は人間が現象世界に生まれるとき、この人の寿命は何年と神が一人ひとり定めていて、変える事が出来ないものなのでしょうか?」

2つ目の質問は
「寿命と運命は関連があって、運命は変えることができると教えられましたので、努力によって運命を変えると、寿命も長くなったりするものでしょうか?」

 この2つは同じ内容なので、合わせてお答えさせていただきます。

 ここで先ず大切なことは、「人間は肉体では無い」「久遠生き通しの生命である」ということが生長の家の説く教えの根本であることを、信仰生活の基本としてあなた様は、充分に理解しておく必要があります。

 その前提に立ってお答えしますと、「人間の寿命を神が一人一人定めている」という考え方は、矛盾していることがご理解いただけることと思います。

 人間は久遠生き通しであって、寿命というものは「現象」であり、「心の影」に過ぎません。したがって、心の影にすぎないものは、短くなることもあれば、長くなることもありますが、長くなったところで、本来無い肉体は必ず(一人の例外もなく)消えていくのですから、そんなことを相手にすることが生長の家の信仰生活ではありません。

 神想観を通して観ずる世界は「実相世界」であると教えられています。「実相」とは、時間・空間を超えた実在の世界のことです。

 一方、「現象」とは、五感によって感覚する心の影に過ぎない世界のことです。「現象」は現れているだけであって、実在ではありません。肉体も現象であり、その寿命も現象です。

 信仰生活とは、「現象」を相手にする生活ではなく、「実相」の完全円満なる世界を観じ、「久遠の実在」なる神の子の生命を悦ぶ生活です。

 その基本的な信仰を続けていれば、三界唯心所現の「心の法則」によって、現象世界にも実相の円満完全なる大調和した世界が反映して、心の影である肉体も健康となり、寿命も天寿を全うし、遅くもなく早くもなく最適な時期にこの世を卒業されることでしょう。

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子供が授からず悩んでいる方へ

 子供が授からなくて悩んでいる、という教師をしている主婦の方から質問をいただきました。

 子供は「子寶(こだから)」と言われているように、神さまからの授かりものです。

 子供を授かるとは、神さまが受胎する、ということです。私たちもそのようにして、ただの一人の例外もなくこの世に生まれてきたのです。

 このことの光栄を悦び、感謝し、祝福することが、人間の神聖性を尊重する感謝の生活です。

 この、祝福に充ちた神・仏の安らかな光りに包まれていることを感じたとき、子宝は密かに天降り、父母や家族をさらなる光明の世界へと誘(いざな)うことでしょう。


 以下に、頂いた質問と、私からの返信を紹介させていただきます。
 

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【質 問】

 29歳の既婚女性です。結婚して三年になりますが、赤ちゃんを授かれず、悩んでいます。

 主人とはとても仲良く、調和して毎日を暮らしています。主人は赤ちゃんをずっと待ち望んでおり、勿論私自身も強く希望しています。父母にも一日も早く可愛い孫の顔を見せてあげたいと思っています。

 なぜ、こんなに毎日思っているのに授からないのか、自分達の何がいけないのか、悲しくなってきます。体は夫婦とも健康体ですが、もちろん赤ちゃんは神様が授けてくださるものだと信じています。

 夫婦とも仕事をしているので、私は主人より少し早く帰り、ほぼすべての家事をしています。くたくたになる毎日で、土日も仕事が入るため、ストレスもかかってはいます。

 それが原因なら、と私が仕事を辞めることも考えていますが、まだ実行には移していません。

 教師をしているので、自分の使命も強く感じているからです。すばらしい仕事だと思っていますし、できたら定年まで続けたいとも思っています。でも、赤ちゃんを授かるためならいつ辞めても良いと思いますし、授かった暁には辞めようとも考えていました。

 いつでも迎えたい気持ちはこんなに強いのに、なぜ授からないのか、本当に寂しく、辛い気持ちで一杯です。

 双方の両親は、気を使って下さって、一度も赤ちゃんはまだか、とは聞きません。ですが、内心は私たち以上に首を長くして待ってくれていると思います。だから、こんな悲しい気持ちを打ち明けることはできません。また、主人にも私が悩みを言えば追い詰めてしまいそうなので、相談もあまりできていません。

 主人は、授かり物だから、焦ることないと言ってくれます。ですが、私たちと同時期に結婚された兄夫婦にはすでに三人目の赤ちゃんができており、そんな状況で私と似たような気持ちにもなっていると思います。

 私も正直なところ、嫌な自分がでてしまい、兄夫婦に三人目ができたことを聞いて、なぜうちには一人も来てくれていないのに、お兄さんの所ばかり! と、ぜんぜん素直に祝福できませんでした。後から結婚した友人夫婦にも何人も赤ちゃんができており、その度に一生懸命気持ちに折り合いを付けて、精一杯のお祝いをしてきました。

 でも、気持ちが今限界に来ています。何故なの? と思わずにはいられません。

 どうすれば、神の子さんを一日も早く授かれますか? 私の何かがいけないのなら、教えて頂きたいです。誰かを傷つけるような願いではなく、ごく自然な望みなのに、祈りが聴かれないのは何故でしょうか? 

 早く私たちの可愛い赤ちゃんを授かって、明るい心を取り戻したいです。アドバイスよろしくお願い致します。

(母が聖使命会員で、母親教室など長年開いていました。生まれたときから『甘露の法雨』を聴かされながら育っています。私自身は活動には参加していませんが、教えについては賛同しています)

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【回 答】

 結婚して三年を経過して、まだ赤ちゃんが授からないとのこと。

 ご心配のことと思いますが、だいじょうぶです。一番いい時期に、必ずお子様を授かりますから、ご安心ください。

 実はわが家も、もう二十年近く前になりますが、結婚7年目にして、半ばあきらめていたころに長女を授かった経験がありますので、あなた様の辛いお気持ちはよく分かります。

 そのとき生まれた長女も、今年は地元の東京の大学に進学しました。

 長女が平成6年に誕生した後に、8年に二女、11年に長男、14年に次男と、リズムに乗ったように3年ごとに次々に子宝に恵まれ、二女は今年高校に、長男は中学に、それぞれ進学します。

 今朝も、「明日(4月1日)は長女の誕生日だな、もう18歳になるのか」などと、通勤の電車の中で授かったときのことを思い出していました。

 出勤してみると、あなた様からのご相談のプリントが、私の机に置いてあり、なにか偶然とは思えないものを感じましたので、これもご縁と思い、回答を担当させていただきます。

 さて、ご相談についてですが、●●●にお住まいでしたら、京都府宇治市にある生長の家宇治別格本山の練成会か、●●教化部で開催している練成会に、お母様に相談して、一度参加してみることをお勧めします。

 その理由としては、私は地元小学校のPTA会長を、3年ほどやっておりますので少しは分かるのですが、学校の先生は、ことにクラスの担任をされていると行事などに追われてなかなかお忙しいことと思います。

 学校のこと、クラスのこと、一人ひとりの生徒のことなどで心身ともに追われ、学校からご家庭に帰っても、心のモードが「仕事モード」のまま、ずっと続いているのかもしれませんね。

 このまま、このリズムで生活していると、あっという間に3年、5年10年と経ってしまいかねません。

 どこかで「心のモード」を、ゆっくりでいいですから、変える必要があるのではないかと思います。

 ここでひとつ、落ち着いて子育てできるような、ゆったりした「家庭生活のモード」に心を切り替える工夫をしてみてはいかがでしょうか。

 その工夫の一つが、生長の家の練成会であり、もう一つが神想観という、日々のお祈り(生長の家の瞑想法)です。

 本来なら、10日間の一般練成会への参加をお勧めしたいところですが、先ずは、2日でも3日でもかまいませんので、練成会に参加してみてください。

 さらに神想観という生長の家の瞑想法を学び、日々の生活の中で感謝の祈りを実修してみてください。

 また、「仕事を辞めることも考えています」とのことですが、このことも含め、神さまからあなた様に授けられたご使命のことを、じっくり祈りながら見つめてみましょう。

 合わせてご仏壇の前で、『甘露の法雨』を読誦して、ご先祖様に、子宝が授かることをお願いするとよろしいでしょう。

 お手紙によると、ご主人とはとても仲が良く、調和しているとのことですので、後はあなた様のご心境が、神さま(宇宙に満ち充ちている大生命。私たちはこれに生かされているのです。これを仏教では、阿弥陀如来とも大日如来とも呼んでいます)と、祈りを通して波長が合うようになりさえすれば、ちょうど電気のスイッチを入れると、ぱっと照明が点灯して部屋が明るくなるように、忽然と赤ちゃんが授かることでしょう。

 ですから、周りの人と比較する必要はありません。

 あなた様のご家庭にとって、最もちょうど良い時期に、赤ちゃんが授かるのですから、ゆったりとした気持ちで、安心して、先ずはお母様から生長の家の信仰生活について学び、今できることから始めてみましょう。

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夫の借金と浮気に悩んで

 ご主人のことで悩んでいるという、30代の主婦の方からのご相談のメールを預かりました。

 自己紹介欄に信仰歴7年とありましたので、教えの基本的なことは学んでいるとの前提で、回答をお送りしました。

 夫婦間に不調和があると、営んでいる事業が順調にいかなくなったり、思ってもいなかったトラブルや出費が相次ぐなど、経済的に不如意な状態が現れる場合が多くあります。
 
 また、ご主人は、心の辛さと寂しさを紛らわすために、他の女性に走るような場合もあります。
 
 夫婦間の問題は、双方の問題のように見えていますが、現象の罪を見て相手の責任を問い、心で責め続けている間は、いったん問題が解決したかのように見えても、また別の問題が現れてきます。
 
 
 三界唯心所現、因果眩まさず。「現象無し!」の基本に立ち返り、一切を放ちて赦し、信仰の大道を歩むことを決意することから、すべてを解決する道が開けてきます。


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【質 問】

 夫の事で 相談します。

 いつからか分かりませんが、浮気を している気がします。

 去年の夏、本人と話をした事も あります。が、 軽くあしらわれてしまいました。

 結婚して13年です。娘も二人居て、娘には、優しいお父さんですが、私にとっては、これまで合わせて1000万円ほどの借金を負わされ、10年掛けて、去年の秋にようやく払い終わったばかりです。

 私も仕事を持っていて、帰りも遅く、夫にとって気に入らない部分は、あるのかもしれません。でも、信じていただけに、この裏切りは許せません。

 私達夫婦には後一人、子どもができたのですが、紹介したような経済的理由と、私の体調不良で産めませんでした。なかなか毎日、供養してあげられず、私に罰を与えたのかも知れませんが・・・・・。

 借金の時も今回も、離婚を考えましたが、娘の気持ちを思うと、夫に、突き詰めて言うことができず、曖昧なままにしています。

 どうすれば良いのか教えてください。ぜひとも助けてください。

(37歳 信仰歴7年 講師)


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【回 答】


 合掌、ありがとうございます。

 さて、ご主人の借金のこと、そして浮気の疑いのこと、頂いた文面を拝見しただけでは、その背景にある事情を充分に汲み取ることができません。しかし、分かる範囲でアドバイスをさせていただきます。

 先ず、あなた様は「講師」とのことですが、生長の家の地方講師ということでしょうか。
 もしそうであれば、先ずみ教えの基本に帰って、解決の方法を紐解いてみることにしましょう。


 夫婦は鏡のようなものです。古歌にも、

「立ち向かう人の姿は鏡なり 己が姿を映してや見ん」

 と詠われていますように、現在のような不如意なお姿にご主人が現れているのは、教えに照らしてみると、あなた様がご主人のことを普段からどのように見ているのか、ということが重要なポイントになることはお分かりいただけることと思います。


 あなた様が「心の眼」で見た通りのものが、ご主人の現在の姿となって現れているのです。それが「三界唯心」、現象は心のカゲということです。

 生長の家は、ご存じのように「人間・神の子」の教えであり、天地一切のものを神と神の現れとして拝み感謝するのが、「唯神実相」の教えの基本的な生き方です。


 もし、あなた様がこの教えの基本をしっかりと感得して生きているのであれば、問題のあるご主人など現れないことでしょう。

 また、たとえ現れていたとしても、神想観を実修し、心を「実相」へと調律することによって、影である現象はどんどん本来の善いもの(真象)へと変わってゆくのです。

 ご主人を責める前に、まず、あなた様ご自身が、神想観を通してご自身が神の子であり、光りであり、自性円満(そのままでえんまんである)なる実相を観て悦ぶことが大切です。


 そして、ご主人のことを心の底から神として拝み、その実相を褒め称えることから、あなた様のご家庭に、地上天国の大調和した状態が現れてくるのです。

 おひとりでこのような心境に達するのが難しければ、関西の●●●にお住まいでしたら、●●●教化部か、宇治別格本山の練成会に1日でも2日でも参加して、信仰を深められることをお勧めします。

 また、練成会に参加した折に、教化部長なり、本部講師に個人指導を申し込んで、すべてを打ち明けた上で、指導を受けられるとよろしいでしょう。

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マルチ商法に夢中の娘の問題

 50代の主婦の方から、親元を離れて東京の大学で学んでいる娘さんが、卒業を前にしてマルチ商法に夢中になっている、とのご相談をいただきました。

 ご両親にしてみれば大変な心配事です。
 しかし、夢中になっている当人にしてみれば、どのような善意の呼び掛けも、自分目の前にある大切で掛け替えのないものを、理不尽にも取り上げようとしている、としか見えないのかもしれません。

 魂の生長とはなんでしょう。

 それは、この世に生まれ、そして人生のその時その場で夢中になって打ち込んでいることと、決して無縁ではないことと思います。

 人生に無駄なことなど、実は一つもありません。それが、端(はた)から見てどのような悪しき経験に見えようとも、彼の魂をより深く、そして逞しく成長させるために必須の課題なのかもしれません。

 人間は、はじめのはじめから神の子です。本当は、罪を犯すことも、病に罹ることも、死ぬことも能わぬ、真清浄真無垢なる無原罪の存在なのがその実相です。

 匿名で、往復の書簡を公開させていただきますので、参考にしてください。

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【質 問】

 大学四年生の娘のことで、ご相談いたします。

 地方から、一人暮らしをして東京の大学に通っております。

 大学三年生のころ、友だちに誘われて会員制のビジネススクールやエステをする会社の会員になったようです。

 それが、調べてみますと、悪徳マルチ商法の会社ではないかと思われましたので、娘にすぐに辞めるよう言いました。ところが、すでに良い会社だと信じ込んでいるので、かえって私たち親に反発するようになり、あまり帰省しなくなってしまいました。(中略)

 この会社は、会員を増やして会社の利益を得ているのですが、その会員を夜遅くまで勧誘するのは、娘たちのような、ただで働いてくれる女子大生なのです。
 会社がお金を支払う正社員など採用するはずもなく、結局、インターンという名の下に何の保証もなく働くことになるようです。それでも娘は、「この会社で頑張る、とても楽しい」と言っています。

 冷静に考えれば、怪しい、いかがわしい会社だ、と分かるはずなのに、夢中になっている娘を、どうすることもできません。

 それでも、これも娘の人生に必要なこととして現れているのであれば、致し方ないと思っていたところ、先日、娘に誘われて入会したという友だちの母親から電話があり、やはり彼女も、夜遅くまで勧誘に明け暮れ、就職も決まっておらず心配しているということで、たいへんに申し訳なく、たまらなくなりました。

 今後、どのようにしたら、よろしいのでしょうか。よろしく、ご指導お願いいたします。

(56歳 主婦 白鳩会員)

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【質問への回答】

 
 お手紙を拝見しました。

 書かれた内容だけでは、お嬢様がどのような会社または団体に加わって活動していらっしゃるのか、詳しい情報がございませんので分かりかねますが、おおよそのところは理解できますので、分かる範囲で答えさせていただきます。

 さて、お嬢様のことですが、お母様さえしっかりした信仰をもち、日々のご先祖供養とともに、お嬢様の円満完全な神の子の実相を拝み続けていれば、何も心配することはありません。

 やがてマインドコントロールから必ず目覚める時が来ますので、ご安心ください。

 ただしお嬢様は、現在の段階では、その活動に一所懸命に励み、夢中になっていらっしゃるご様子なので、実家からは決して批判してはいけません。


 宗教的な、生死を超えた広大な視野に立てば、大切な魂の勉強をしているわけですから、静かに見守り、そして朝晩の神想観の折に、お嬢様やそのお友達の「自性円満」を祈り続けることが大切です。

 合わせて、ご先祖の霊前で日々『甘露の法雨』を読誦することで、霊界からのご守護も加わり、魂の生長も順調に進み、より速やかに善き方向へと導かれることでしょう。

 また、お嬢様は友人をも同じ活動に巻き込み、その方の親御さんから電話を頂くなど、お母様としては心を傷めることも多かろうと思います。


 就職もせず、このような活動に明け暮れていることは、一見無駄な回り道ばかりしているようにも見えますが、彼女たちの魂にとっては、何らかの強い必要を感じてそのような経験を求め、頼まれもしないのに一所懸命に尽力し、人生の中でいつかは経験する必要のある過程を自ら進んで体験しているのかもしれません。

 やがて、このような過程を卒業するときが必ず来ますので、ご両親は大らかな気持ちで、しっかりと娘の実相のみを見つめ、温かな気持ちで見守ってあげてください。


 また、迷惑をお掛けした親御さんから批判が来たときには、心の内では「これで過去の一切の業(ゴウ)が消えた、これですべて善くなる!」と、ただただ感謝して、相手の親御さんやお嬢様のご幸福を祈り、心からお詫びさせていただくとよろしいでしょう。

 以上は、お手紙を拝見した上でのアドバイスです。

 さらに詳しい指導を受けたいのであれば、信頼のできる地元の地方講師に相談するか、練成会などに参加して本部講師に直接、指導を受けることをお勧めします。

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【追加質問】

 合掌 ありがとうございます。

 「マインドコントロールから目覚める時が必ず来るから安心しなさい」

 というお返事に、とても気持が楽になりました。

 ただ、批判することは止めるとしても、応援するから頑張ってとも言えず、具体的にこの会社で働くことに対して、何と言えば良いでしょうか?

 また変なことをと笑われそうですが、娘の生命線が短いことに、漠然とした不安があります。

 どうかご指導よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

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【追加質問への回答】

 合掌、ありがとうございます。

 生長の家に限らず、正しい宗教の教えは「因縁」や「業」を超える道を開くものです。

 お嬢様の生命線のことに不安をいだく暇があるのであれば、もっと真剣に真理の道を学び、神想観を実修し、愛行を行い、三正行に励むことです。

 それが神を信ずる、ということです。

「占い」を漠然と信じるのとは、随分と真剣さが違いますが、人様を助けることによる功徳と「占い」とが比較にならないことは、「聖使命菩薩讃偈」に説かれた通りです。

 ですから、「正しい宗教を真剣に信仰している人には、占いは当たらない」ということは占い師たち自身が語っていることでもあります。

 現れているだけにすぎない現象を信じるのか、それとも神を信じるのか、あなた様の生き方は、あなた様ご自身が決めめなければなりません。

 また、生長の家を真剣に信仰されていれば、お嬢様への適切なアドバイスは、本当は他人に聞く必要などなくなるのです。

 あなた様が神の子であり、神の国はあなた様の内にのみ在るのですから、神想観を通して、心の内なる声なき声に耳を傾ける習慣を、しっかり身に付けることです。

 必ず、最良のアイディアやヒラメキが心の奥底から次から次へと湧き出て来ます。そこまで祈ってこそ、大生命とつながる「信仰」の悦びを味わうことができるのです。

 また、生長の家で礼拝する「実相」とは、あなた様と別のところにある神さまを拝んでいるのではありません。

 あなた様やお嬢様の本当の相(すがた)のことを、「実相」と云うのであり、その「自性円満(そのままで完全円満なこと)」なる実相を自覚すれば、神癒となり、すべてのものが処を得て、実生活に大調和の世界が実現するのです。

 以上がご質問へのアドバイスです。

 上記のことをよく読まれた上で、さらに質問があれば、遠慮なくご連絡ください。
 

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【礼 状】

 合掌 ありがとうございます。

 そうでした。

 占いなどに心を左右されている場合ではありませんでした!

 ただ 娘の完全円満を念じ 神想観を続けます。

 ご丁寧にありがとうございました。

 感謝致します。

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小学校入学式でのPTA会長あいさつ(平成24年4月)

 4月上旬、地元の小学校で入学式が挙行されました。

 会長として挨拶するのは、これで3年目、私も今年で会長を卒業します。
 
 入学式では、ついこの前まで幼稚園や保育園に通っていた子供たち、そして保護者の皆さんを対象にお話しさせていただきます。初めてお子さんを入学させる親御さんも大勢います。

 式では、順番に校長、市の教育委員会の代表、そして最後にPTA会長がスピーチしますので、式典に慣れていない子供たちは、すっかりたいくつして集中力もなくなっています。

 そこで大切なのは、子供たちと保護者の目を見ながら、一人ひとりに語りかけるようにアドリブでお話しすることです。
 それだけの工夫で、新一年生が100人いても、ちゃんと耳を傾けてくれます。

 同じような立場でお話しする方の参考のために、私がスピーチした内容の下書きを公開させていただきます。


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 本校PTAを代表して、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

 本日は、平成24年度「A小学校入学式」が、めでたく挙行されますことを、心からお祝い申し上げます。

 さて、新入生の皆さん、「おはようございます!」

 みなさんは、いよいよ今日からA小学校の1年生です。

 これからみなさんは、優しい先生方のもとで、たくさんのお友達と、このA小で、勉強したり、遊んだり、運動したり、絵を描いたり、歌を唱ったり、今日から楽しい毎日が始まります。

 皆さんのことは、先生方が大切に見守ってくれます。
 分からないことや、こまったこと、どんなことでも先生にお話ししてください。また、楽しいこと、うれしいことも、いっぱい話してください。

 さて、保護者の皆さま、本日はお子様のご入学おめでとうございます。

 東日本大震災から、約一年と一ヵ月が経ちましたが、東北の被災地でも、今日は多くの小学校で入学式が挙行されていることと思います。

 あのような経験を通して、あらためて私たちは、家族の絆の大切さや、地域に住む人たちとの絆、その大切さということが浮き彫りになってきたのではないかと思います。

 昨年、A小PTAでは、卒業生たちのご家庭に呼び掛けて、比較的キレイなランドセルを集めて、ランドセルを失った被災地の子供たちにお届けするという、ボランティア活動をさせていただきました。

 今日から皆さんもPTAの一員ですが、A小PTAでは、主として各支部での子供会などの諸活動や、球技大会や講演会などの専門委員会などの活動、そしてクラスでの活動などを、皆で手分けして行っています。
 また、A小では学校の図書ボラや放課後広場など、各種のボランティア活動も活発に行われています。

 ぜひ皆さんもこのような活動に参加されて、さまざまな人たちと出会い、ともに運営に当たることを通して、絆を深めていっていただければと思います。

 きっと、このA小での6年間が、子供たちのみならず、私たち親にとっても、思い掛けないほど充実した時間となり、沢山の収穫をもたらすことでしょう。

 最後になりましたが、皆さま方のご多幸とご健康、そしてますますのご活躍を祈念して、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。

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小学校卒業式でのPTA会長挨拶(2012年3月22日)

 去る3月22日、地元小学校で卒業式が挙行されました。

 今回は、私が小学校のPTA会長を拝命して三回目の卒業式です。

 わが家では今年、長女が高校を卒業し、次女が中学を卒業し、長男が小学校を卒業しました。

 4月からは、それぞれがまた、上の学校へと入学します。

 私が卒業式の当日にスピーチした「会長あいさつ」の様子を、下書きとその場でひらめいたアドリブでの話なども交えながら再現してみました。

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  卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。

 また、保護者の皆様、お子様たちの門出となる今日の佳き日を、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

 そして本校の先生方、今日まで子供たちをご指導くださり、本当にありがとうございました。心より感謝しております。

 さて、今朝の入場から、卒業生の皆さんの様子をずっと拝見していて、つくづく皆さんはそれぞれの家庭にとって、掛け替えのない大切な宝であり、そして地域の宝であり、ひいては国の宝だなあと、そんなことをしみじみ思いながら、皆さんが卒業証書を受け取る姿を拝見していました。

 皆さんは、将来「こんな仕事をしてみたいなぁ」とか、「こんな人になりたいなぁ」と、憧れている職業や人物などがあるかと思います。まだ、それが見つからない人も、中にはいるかもしれません。先ほど、校長先生が、「夢を追い続けることの大切さ」についてお話しくださいましたが、今日は卒業生の皆さんに、皆さんの夢を実現するために大切な、「読書」について、少しだけお話したいと思います。

 読書というと、退屈に聞こえたり、めんどくさく思う方もいるかもしれませんが、これから皆さんが人生の中で、大きな「夢」を描いて、それを実現していくためには、「読書」は信じられないほど、皆さんにとって大きなチカラとなります。

 なぜかと云えば、皆さんの夢を実現するのは、お金でもなければ、学校の成績の良さで叶えるのでもありません。

「夢」を叶えるために大切なのは、それは、皆さんの「夢を描くチカラ」ではないかと思います。これをビジョンと言い換えてもいいかもしれません。

「夢」を描き、持ち続け、そして人生に具体的に実現してゆく、その“夢のチカラ”を養い、育て、培うのが「読書」です。

 たとえば、ドラえもんに「どこでもドア」というのがありますが、あれと「読書」とは、実はうり二つのようによく似ています。

 ドアを開くだけで、時間や空間を超えて、自分が行きたい世界に自由に行くことができるというのは、あれは本の役割と、本当によく似ているのです。

 本を開くだけで、私たちは三千年前の哲学者にも会うことができますし、世界的な冒険家にも会いに行くことができます。また、今は亡き歴史上のさまざまな人たちとも、彼らの残した言葉を通してコンタクトをとることができます。

 これはテレビやゲームで経験する世界とは、ずいぶん異なる体験です。なぜなら、読書というのは、それを書いた人の心と、ダイレクトに繋がることができるからです。

 ある脳科学者は、「私たちは読んだ本の高さだけ、世界を広く見通すことができる」と語っています。

 皆さんが毎日の生活の中で、5分や10分といった細切れの時間を使って、5ページでも10ページでも本を読んでみてください。おトイレの中や、眠れないとき、布団の中でもかまいません。一週間もあれば充分に一冊を読むことができます。

 すると一カ月で4、5冊、一年で50冊、10年20年経てば千冊以上の本を読むことになるでしょう。

 このような読書の経験を通して、世界の第一級の人たちの智慧や人間性や考え方に触れることができれば、その経験が、皆さんの人生をどれほど彩り豊かにして、発想を柔軟にして、皆さんの夢の実現を、大きく後押ししてくれることでしょう。

 たとえば、なにかに行き詰まり深く落ち込んでしまったとき、あるいは何処にも出口がないような迷路に入ってしまうようなことは、長い人生の中で何度か出くわすものです。まして、落ち込むようなことは日常のように度々あることでしょう。

 そんなときこそ、「どこでもドア」を開いてみてください。「どこでもドア」は、いつでも皆さんがやって来るのを待っていますから。そして本を開いて、そこに書かれた言葉の中を、泳ぎ回ってみてください。

 かならず、心にガツンと響くコトバに、どこかで必ず出合うはずです。そうしたら、その響くところに向かって、ちょうどシャケがふるさとの川を遡るように、一所懸命に、そしてがむしゃらにオールを漕いでみてください。

 やがて、思いも掛けなかったところから道が開け、出口が見つかり、夜明けが訪れることでしょう。そして、知らないうちに大きく成長した自分を、そこに見出すことでしょう。

 皆さんが本という「どこでもドア」を開いて、過去と、現在と、未来とを自由に旅して学びながら、皆さんの「夢」にむかって大きく羽ばたいていかれることを、ここにいらっしゃる保護者の皆さまや、先生方と一緒に、いつまでも見守り、応援していきたいと思います。

 以上をもちまして、本校PTAを代表しての、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。

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不倫関係で悩む方のために

 二十代後半の独身女性の方から、現在お付き合いしているという妻子ある男性との不倫関係について、相談のお手紙をいただきました。

 彼女はすでに生長の家の教えを知っており、罪と信仰との狭間に立って、よほど悩み抜かれた様子が手紙から伝わってきました。

 男女の関係というのは、ことに不倫のように、そこに罪の意識が加わると、たとえどのような聡明で純粋な魂の方でも、心の眼がくもり、内なる声が聞こえなくなってきます。

 悩み苦しむというのは、内なる神性・仏性からの呼び掛けにほかなりません。そこから逃れようとすれはするほど、深い闇の淵に沈んで、やがて光が見えなくなります。

 この方は、“内なる声”に導かれて、その声を確かめるために相談の手紙を寄せられました。

 その「内なる声」を明確に聴き分けて、そして送り主(相談を寄せた方)にお返しするのが、私たち生長の家講師のお役目でもあります。


 本人に承諾をいただき、書簡の遣り取りを実名や地名を伏せた上で公開させていただきます。

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【質 問】 (3月14日付の消印)

 合掌、ありがとうございます。

 この度、ご相談させていただきたいのは不倫問題についてでございます。お恥ずかしい話ですが、私は一年以上前から妻子ある男性とお付き合いをしております。(私は29歳、彼は40歳です) 彼の子供はまだ7歳と3歳と幼く、こんなことをしていてはいけないと、別れようと考えておりました。

 そんな中、彼は以前から奥様と別れようと考えていたようで、私の存在がおそらく後押ししてしまい、半年ほど前、奥様に離婚話を切り出しました。

 それを聞いて、間違った考えかもしれないけれど、“この人が自分の人生を私と生きていくと決めたのであれば”と思い、付き合い続けてしまいました。

 このようにして一年ほど経つのですが、私に迷いがないわけではなく、生長の家の御教えにふれ、夫婦は一つの魂だと何度も教えられてきたのに、このような関係を続けてしまっている事に何度も悩みました。

 やはりこれでは駄目だと思い、何度も別れ話を切り出してみました。しかし、彼は「離婚はもう決めている」と言い、私と別れても、離婚したらまた私と付き合えるように頑張ると言います。

 私は、彼のことは外見ですとか、収入とは関係なく、人間性を愛しておりまして、別れると言われて辛そうな彼の姿や、私と生きていきたいという彼の姿を見ると、信じて付いていきたい気持ちになってしまいます。

 彼は子供のことをとても愛していて、子供との今後の関わり方や、生活費についてきちんと奥様と話し合いを重ねたいと考えているようなので、離婚自体はまだ先の話になると思います。

 私も奥様と子供の事がまず第一と思っておりますので、離婚に時間が掛かっても待つ気持ちがあり、その過程で彼が家族とやり直す気持ちになるのであれば、それは善い事だと思うので、責める気もなく、そのときは身を引く覚悟でおります。

 やはり不倫というのは間違った形だと思いますので、離婚をするまで会えなくても、連絡がとれなくてもかまいません。

 ただ、このような覚悟や“待ちたい”と思うこともいけない事なのかと悩んでおります。

 このような覚悟は、彼と奥様が離婚する姿を前提としているし、また、私がこのような気持ちでいると、彼が安心して、離婚を私が後押ししてしまうのではと悩んでおります。

 夫婦がそのままで居れるのであれば、こわす気はなく、あきらめようと思っていますが、彼が離婚を決意している姿を見ると、待ちたい気持ちが出てしまいます。

 もし実際に離婚するのであれば、彼と一緒になりたいとも考えてしまいます。奥様には、いろいろな考えがあるのでしょうが、彼の話では、離婚する事は承知していて、今後の仕事と子供の事が決まれば離婚するとおっしゃっているとのことなので、離婚することが現実的であるように感じ、あきらめきれずにいます。

 このような気持ちを一切捨てて、彼とは離れるべきなのでしょうか。

 誠に身勝手な話だと承知しつつ、ご相談させていただきました。

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【回 答】 (封書にて)

 お手紙拝見しました。

 このような問題を抱えながらも、信仰を通して根本から解決されようとしているあなた様の判断は、内なる「神の子」の神性に導かれてのことだと思います。

 私も本部講師として、内なる神に導かれつつ、あなた様への回答を書かせていただきます。

 あなた様が手紙で書かれていますように、結婚して家庭を築くということは、男と女の2人だけの都合で成立するものではありません。

 すでに相手の男性の方には、7歳と3歳のお子様がいらっしゃるとのこと。しかも、彼は子供を愛しており、その成長を見届けたいとの思いを持っているのであれば、あなた様は、彼と彼の子供との関係を壊してはならないのです。

 なぜなら、親の勝手な都合で捨てられてしまう子供の身になってみれば、これは決して養育費などの経済的な負担(お金)だけで、簡単に穴埋めすることのできない、一生消えることのない心の深い傷を負うことになるからです。

 あなた様は、相手の男性の方が奥様と離別するのを、「待ちたい」とのお気持ちとのことですが、これは裏返せば、「子供たちから、お父さんを奪う」という結果になるということを、充分に知っておかなければなりません。

「奪うものは奪われる」が、心の法則です。

 たとえ彼の奥様が離別を承諾して、近い将来に離婚が成立したとしても、また、彼があなた様と再婚されたとしても、彼の心の中は、いつも離れて暮らさなければならない二人の子供への心配でいっぱいとなり、ようやく結婚できたのとは裏腹に、感心はもっぱら別れた子供たちのことをはじめ、外へ外へ向けられることでしょう。

「今・ここ」に満足できない現在の彼のような心境の人間は、永遠に「外」にばかり幸せを追い求め続けてしまう傾向があるのです。

 それは、たとえ彼が、あなた様と結婚して一緒になったとしても、次にはまた、別れてしまった子供のこと、そして今度は家庭の「外」にいる新たな女性たちのことへと、彼の関心は向かい続けることでしょう。

 そしてやがて、奥様や子供たちを捨てたように、あなた様をも捨てるときが絶対に来ないという保証は、どこにもないのです。

 繰り返しますが、与えるものは与えられ、奪うものは奪われるのが、この世の定めであり、もしあなた様がこのまま進んで行けば、それが“現実”となって、やがて具象化することにもなりかねません。

 あなた様はお手紙の最後に、

「彼が離婚を決意している姿を見ると、待ちたい気持ちが出てしまいます」

「このような気持ちを一切捨てて、彼とは離れるべきなのでしょうか」

 とのご質問で手紙を結んでおられますが、以上の私からの回答で、あなた様の内には、すでに何か進むべき方向が見えてきたのではないでしょうか。

 私からのアドバイスとしては、

①彼とは、これ以降一切連絡を取らず、二度と会わないこと。

 彼の本当の幸福は、今のご家庭を大切にすることに尽きるのです。なによりも二人の子供たちの幸せために、彼のご家族の幸福と、大調和を祈り続けてください。彼とは断固として連絡を絶ち、二度と会ってはいけません。

②彼と別れることで、あなた様の真の魂の伴侶が必ず現れます。

 彼との付き合いが、あなた様本来の幸福の実現を妨げているのです。不倫関係というのは無明(まよい)に過ぎません。そんな迷いは、金輪際解消しなさい。
 そして神の子本来の、あなた様本来の伸び伸びとした、青天白日の青空のような人生をゆっくり歩んでいれば、必ず魂の伴侶が現れるのです。

③天地一切のものと大調和した形で、あなたは必ず最良の結婚生活を送り、幸せな家庭を築くことができます。

 彼には彼の幸福な家庭生活があり、あなた様にはあなた様の最良の家庭生活があるのです。それが人・事・処三相応の「処を得る」ということです。それぞれが円満な神の子の家であり、それぞれの掛け替えのない、しかも個性的あふれる神の子の家庭を築くことができるのです。ぜひ、その大道を歩んでください。

④以上のことを成就するために、日々ご自宅で神想観と先祖供養に努めること。

⑤これまでの無明(まよい)を、キレイさっぱり洗い流すために、生長の家の活動に参加して愛行をはじめましょう。

 先ず、「人間・神の子」「罪無し」「そのまま円満完全」であることを徹底的に悦びましょう。思い切って、これを機に練成会に参加するのもよいでしょう。
 そして、あなた様の内にある神の子の実相をのびのびと輝かしましょう。そのためには、生長の家で、何らかの活動に参加して、それは白鳩会でも青年会でも練成道場でも構いませんので、生まれ変わった気持ちで愛行に努めることが大切です。

 以上。

 分からないことなどあれば、どんなことでも質問してください。

平成24年3月18日

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【礼 状】 (2012年3月21日付 メールにて)

 合掌、ありがとうございます。

 先日、不倫問題につきましてご相談させていただきました、●●●と申します。
 お忙しいなか、お返事を頂き、本当にありがとうございます。

 拝見させていただいて、
 この1年、不倫を続ける私に内なる神性が語りかけ続けてくれていたことを、先生が強い言葉で現してくださっていると感じました。

本当にありがとうございます。

「奪うものは奪われる」
「子供からお父さんを奪うことになる」

 初めからずっと内から導きがあり、私が間違った方向へ進まないようにとする神性があったからこそ、迷い続けていたのに、私はそれを神性の導きだと信じようとしていなかったように思います。

 彼への思いが断ち切れず、聞こえないフリをしてきたのかもしれません。



 どうすれば良いのかと、悩みが大きくなってきた時期に、谷口雅宣先生の御講話を聞きに●●に行った際、雅宣先生が真理のお話をされている途中、男女の話では無かったのですが、たまたま、

「執着してしまうなら『来世に期待』と心を変えてしまえば良いのです。妻子ある男性を奪ってはならないのです。」

 とおっしゃいまして、私は一瞬、自分に言って下さっている様に感じました。

 けれど、少しするとやはり偶然のような気もしてしまい。。。


 この度、お返事を頂きまして、やはり偶然ではなかったと思いました。

 私は今まで、自分の感情の、どれが神性からの導きで、どれが我の思いなのかの基準を、よく理解していなかったように思います。

 谷口雅春先生が著書で語りかけて下さること、谷口雅宣先生がふとおっしゃってくださったこと、久都間講師がお返事してくださったこと。。。
すべて同じ真理を教えてくださっています。

 そして、まだまだ勉強の足りない私ですが、私がずっと感じていて目を背けていた事も、同じだったように感じます。

 今後、彼とは関係を絶ち、さらに生長の家の御教えにふれ、活動に参加し、精進してまいりたいと思います。

 彼への思いが出てきてしまうときは、先生のお返事を読み返します。

 私は、大変な事をしてしまいました。今後、本当の魂の伴侶であるご夫婦が大調和につつまれ、円満な家庭になりますよう、祈ろうと思います。


 この一年の迷いが晴れ、また、改めて真理というものは例外はないことを学ばせていただけたような気持ちになり、感謝の気持ちでメールを打たせていただきました。
長くなってしまいましたが、本当に感謝しております。

ありがとうございました。


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【返 信】

 合掌、ありがとうございます。

 返信を拝見しました。
 
 よく決意されましたね。

 済んだことは、すでに過去のことであり、一切は終わっているのです。

 過去という現象は、すでに無いのです。

「今」を神の子らしく、「今」を悦び、「今」の生命を明るく嬉々として生きてください。

それが、生長の家の人間・神の子の信仰生活です。

 信仰生活の中には、畏れるものなど何もないのです。

 常に祈りつつ、神とともに歩んでください。

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何回流産したか分からない方の流産児の供養について

「何回流産したか分からない」という女性から、流産児供養についての質問をいただいたという海外の地方講師の方から、ご縁あって私のところに質問が廻ってきました。

極端な貧困に見舞われているような環境では、このようなことも起こりうるのかと、質問を読みながらそんなことを考えていました。

真理の道はいつでも、どこでも、誰にでも開いています。

ただ扉を叩くこと、そしてノックの音を聴いて、応えてあげることが大切なのです。

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【回 答】

 あなた様は地方講師をなさっているとのことなので、 「霊牌供養」のことは、 よくご存じのことと思います。したがって、記載に当たっての具体的な説明は省略させていただきます。

 流産児供養の大切なポイントは、愛と慈しみと感謝であることは、生きている赤ちゃんを育てるときと同じです。

 ですから、ちゃんと名前を付けて、丁重に聖経『甘露の法雨』を読誦して、愛情をこめて供養してあげることによって、流産児たちがより深い悟りへと導かれ、さらに家族を守り導くようになります。

 ご質問いただいたように「何回流産したか分からない」という方の場合は、「分からない」というところに、彼女ご自身の良心(神性・仏性)に対する心理的な誤魔化(ごまか)しや隠蔽(いんぺい)があると考えられます。

 この場合には、しっかりと赤ちゃんのことを思い出して、ちゃんと名前を付けて、招霊して供養することをお勧めください。思い出してあげること、そのことが供養なのですから。

 しかし、人工流産(堕胎)された方を指導する場合には、懺悔ということが重要になってきます。

 懺悔とは、「神の子と知らずして、堕ろしてしまった」ことへの大懺悔です。

 人間は神の子です。久遠生き通しですから、実相においては一度も流産などはしていないのです。また実相においては、堕ろされた子供もいないのです。

 そのことに目覚めることが、生長の家で説くところの大懺悔です。

 しかし、ご本人がその「人間・神の子、自性円満」の心境に達するまでには、まだ時間が掛かることと思いますので、尊い命を堕胎してしまったことへの「懺悔」と、「供養」と、堕胎という悲劇から赤ちゃんを救うための「愛行」(運動)とを実践することをお勧めします。

 つまり、あなたの国における人類光明化運動・国際平和信仰運動に参加して、愛を実践することそのことが、現時点の彼女にとって最良の供養となり、懺悔となり、愛行となることと思います。

 
 わからないことがあれば、なんなりと遠慮なくご質問ください。

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マイナス思考に捉われている方へ

「マイナス思考」という言葉があるようです。

平たくいえば、「持ち越し苦労」「取り越し苦労」ばかりする心の傾向のことを、このような呼び方で表すようです。

「マイナス思考に支配されて、元気がでない」という主婦の方から質問をいただきました。

以下に質問と回答を公開します。

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【質 問】

私は最近マイナス思考ばかりに心を支配されて、自分でもこのままではいけないと思っていますが、まったく元気が出ません。

主人の事は愛していますが、ケンカをしたりもしてしまい、「もし主人がいなくなったら」などと思うと、夜も安心して眠れません。

両親も80歳を過ぎました。私はどうしたら明るく生きることができるのか、先が不安です。

どうしたらマイナス思考をすることなく、明るい日々を過ごせるようになりますか?

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

「マイナス思考」をしてしまうことは、決して悪いことではありません。

 なによりも、あなたが「自分がマイナス思考をしている」ということに、気が付くということが素晴らしいのです。

 気が付くということは、「これは神の子本来の心境ではない」ということに、あなたの本心が目覚めているからです。

 ですから、「マイナス思考をしているな」ということに気が付いたら、それに気が付いている側の実相の自分は「完全円満な神の子」ですから、その実相の自分に対して大いに感謝して悦ぶようにしましょう。

 繰り返しますが、実相の自分は「完全円満」であり、実相の自分は「愛」そのものですから、マイナス思考に気が付いたときは、「完全であり、愛である本当の自分」が目覚めてきている証拠なのです。

 ですから、マイナス思考が出てきたときには、「本当の自分は円満完全だった、愛だった」と、そちらの(実相の)方に振り向き、そこにこそ着目して大いに喜びましょう!

 また、マイナス思考が現れたら、“出たときが消えたとき”ですから、「これで消えた! これで潜在意識がすっかり浄まった!」と、実相の自分が、光りの自分が、現象の消えていくすがたを見送るようにして、心のカゲ(非実在)を掴まないようにしましょう。

 実相の自分のみを見つめて喜び感謝すること、これを続けていれば、ますます光り輝くあなたの実相が顕現して、素晴らしい家庭が実現することでしょう。

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「心、仏、衆生、三無差別の心」について

「真象の有無」について質問をいただきました。

 ここを、うやむやにせず、「実相」と「現象」の違いが明確になるにしたがって、信仰が実生活を活かすものとなり、その人自身を救うとともに、人に対してもその人本来の生き方へと導くことができるようになります。

「現象無し!」の大刀を自在に振るいうるか否かは、ここの理解と、祈りの深さとに懸かっています。

 以下に質問と、回答を公開させていただきます。

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【質 問】

 合掌ありがとうございます。

「真象の有無」についてお聴きしたいです。

『生命の實相』20巻のP133後ろから3行目の、
「一心転じて、佛ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなり」
のところで、佛と現れた心や姿、極楽と現れた状態が真象だと考えましたが、その後で「現象一切無し」と書かれてあり、真象も無いのかと思いましたら、P136の1行目に、
「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」
と書かれていますが、神の心の顕現は真象ではないのですか?? 

  一方では真象が否定され一方では肯定されているように思い、よく分かりません。どの様に解釈したら、宜しいでしょうか??m(__)m

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

「実相と現象」について先ず頭で理論的に理解し、その後の観行(神想観)によって体感体得するためには、ここはとても重要な箇所でもありますので、私の回答を参考に、あらためて本文を熟読していただければと思います。

 さて、まず「一心転じて、佛ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなり」という「心」とは、「心、仏、衆生、三無差別の心」つまり本来無い「現象の心」のことです。

 またP136の1行目にある、「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」と説かれた「神の心の顕現」とは、「実相世界」のことです。

「真象」とは、この実相が、現象世界に展開した相(すがた)です。ですから、実相さながらに調和した真・善・美が現れるのです。しかしながら、どんなに素晴らしい「真象」が現れていようとも、それは現象にすぎないのです。

 現象は、時間の経過とともに必ず消滅します。これを仏教では諸行無常と説き、浄土真宗では「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ」(蓮如上人「白骨の御文」)というコトバで、このことを表現しています。

 あなたが疑問を持たれた、「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」という、ここで説かれた「神の心の顕現」とは、繰り返しますが、実相世界のことです。現象世界に展開した「真象」のことではありません。たとえ「真象」といえども、それは現象に過ぎないのです。

「現象は無い」ということは、「神と神の創り給うた世界のみが実在である」ということです。それが、神想観において観ずる世界です。

 その円満完全なる世界を日々観じて悦んでいれば、「三界唯心」の心の法則によって現象世界に「真象」が現れる、つまり実相世界さながらの大調和した真・善・美が、あなたの実生活にあふれてくる、それが生長の家の信仰生活です。

 以上が「唯神実相」の教えからみた「現象顕現の法則」であり、幸福な生活を実現する秘訣なのです。

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「現象無し」の教えについて

 先月末、家系にまつわる精神疾患という「業」について質問をいただき、その後、数回にわたって応答させていただきました。

「現象無し」の教えと「先祖供養」との関係など、信仰の根本に係わることについて答えましたので、相談された方の名前や背景など一切伏せて、要点のみ公開させていただきます。

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【質 問】

 夫、姑からの有難いご縁、および実家の母、妹等の後押しのお陰で、信仰についてたくさんの勉強をさせていただくようになりました。

 教化部の早朝神想観にも通わせていただき、また家では白鳩誌友会、夫の相愛会の例会のお手伝いと、驚くほどのご縁をいただけるようになりました。

 しかし、今なお課題が山積しています。「すべて有難いこと」という真理はわかりますが、一方でこのまま放っておいてよいのだろうかという疑問があります。

 振り返ってみると、姑、夫、娘と、婚家は精神病の家系だったということです。

(中略)

 私の初孫ですが、利発で元気な子ですが、保育園でも問題で「多動性障害の疑い」といわれています。姑、夫、娘、そして孫と、一体どこまで精神病が付きまとうのでしょう。

 頭のことは即先祖供養と聞きますが、こんなに何代も精神疾患が続くというのは不自然な気がします。何か悲しい思いをしているご先祖様や流産児がおられるのなら、私はいくらでも供養させていただきますが、そのような考えは不要なのでしょうか?

 どう考えればよいのか頭が混乱します。地元では皆うちの家族のことを知っていますので、内緒にしています。訳がわからないのです。

 生長の家は現象を見ないといいますが、「先祖供養」の必要と、「現象はない」ということとの兼ね合いも分かりません。長々と申し訳ありませんが、お時間があればご指導お願いします。

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 お姑様のこと、そして一家にまつわる「業」の問題でご苦労されていること、お手紙から伝わってきました。

 あなた様は地方講師でもありますので、結論から申し上げることにします。

 まず、「先祖供養」と「現象は無い」ということの兼ね合い、についてのご質問ですが、信仰に“兼ね合い”などというものはございません。

「現象は無い」とは、つまり「神のみがある」という信仰です。

 ご先祖も流産児も、姑もご主人もお孫さんも、「実相」はそのままで円満完全な神なのです。

 神の創り給うたままの完全円満なる世界のみ実在であり、他のもの(現象)は非実在であり、心のカゲが現れては消えていく姿なのです。

 この、神の創り給うたままの、円満な光明一元の世界(実相)を観じ悦ぶ行事が、日々実修する神想観(祈り)です。

 したがって、「迷っている霊がいる」「精神病がある」「困った姑が居る」これらの現象を認めて、それを「良くしよう」と、無いものを相手にしていることが迷いなのです。

「現象は無い!」とは、それら一切の不完全な現象は、「現れているだけにすぎない」ということです。

 そして、「在る(実在する)ものは円満完全なる神のみである」「完全健康円満なる神の子人間のみである」と、実在するもののみを相手にする生活が、信仰生活です。

 この円満完全である実相の先祖と、未だ一度たりとも堕ろされたことのない神の子・光りの子として流産児を拝むことが、先祖供養です。

 迷える霊や不完全な姑を「在り」として、それを「良くしよう」とするのでは、そもそもの着眼点が根本から間違っているということは、「三界唯心」の法則からみてもお分かりいただけることでしょう。

 三界唯心所現の教えは、「唯神実相」の世界を徹底的に観じ悦ぶことから、天地が開け、八方塞がりを完全に氷解させる道が開けるのです。

「先祖供養」してから神の子になるのではありません。先祖も、流産児も、姑もご主人もお孫さんも、はじめのはじめから円満完全なる神の子であり光りであることを観じ、悦び感謝することが、生長の家の神想観であり先祖供養です。

「不完全な現象を良くする」のが信仰生活ではありません。

「不完全は無い。現象は無い! 完全円満なるもののみが実在し、天地一切のものが愛し合い抱きあっている」と、実相を観じて拝み感謝するのが本ものの信仰です。

 分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

 また、年末に別の方から「業の流転について」の質問をいただき、回答を私のブログに公開しておりますので、共通の問題でもあるのでご覧になってください。

http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/

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【礼状、追加の質問】 (2012年1月8日)

 合掌、素晴らしいご回答を頂き心より感謝申し上げます。

 全くもって、「神のみ実在、不完全な現象はない」ということでした。先祖供養と現象はない、ということの兼ね合い等ないのでした。

(中略)

 私は長年教師をし、退職後思いもよらず生長の家にご縁をいただきました。教職員組合に入っていまして、民主主義が本当に人間の幸せにつながると信じていました。しかし、生長の家の勉強をさせていただき、本当の意味の自由や平等ということが分かり、本当の命を頂いたと心から感謝しています。

 良いことも悪く見える事も全て私の心を大きく成長させてくださる練習だと思います。
 あと、もう一度だけ具体的にご教示頂ければ幸甚です。

 つまり、私の場合、神想観中、具体的にどのように思えば良いのか。また、思いつくままに四部経を誦げてみたり、霊牌をたくさん書き、先祖供養の真似ごとをしてみたり・・・・。自分のパターンが決まりません。

「神想観等せず、お役なんかも止めて、家のお仏壇で『甘露の法雨』だけ誦げていればよい」という姑の意見はやっぱり違うなと思うのですが、私自身も良い結果を早く得ようと焦っているのかも知れません。

 神想観や先祖供養の時、どんな思いですればよいのかを教えていただけないでしょう
か?

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【返 信】 (1月10日)

 合掌、ありがとうございます。

 神想観や先祖供養のとき、どんな心持ちで実修したらいいかとのご質問ですね。

 これは、特別な工夫などは必要ありません。

 信仰生活では「三正行」ということが重視されているように、真理のコトバが書かれたご本を日々紐解き精読すること。神想観と先祖供養は、朝と晩など時間を決めて毎日実修することです。

 また神想観のような観行は、招神歌を唱えることで、それを指導するために現れた生長の家大神が守護すると(「詳説 神想観」参照)説かれてますが、「神想観は神想観が教える」などとも、私も先達の方々から教えていただきました。

 道元禅師は、禅の心得について、「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら座りなさい)と説かれています。

 神想観も、ただただ日々座ることから、大生命との一体感が深まってまいります。ご先祖供養も同様、日々勤めることでご先祖のみならず流産児も神であり、救われ済みの光りである実相(本当のすがた)が拝めてくるものです。

 また、三正行の一つである「愛行」も、あなたの内なる神性仏性を開花させ、多くの人たちを真理の道へと導く大切ないとなみとなりますので、地方講師として毎月出講し、個人指導などをさせていただくことを通して、これまで以上に、より深い心境へと導かれ、理解もますます深められることでしょう。

以上が、「神想観や先祖供養」についての心得です。

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ご主人の浮気で悩んでいる方へ

 昨年末、ご主人の浮気で苦しんでいる40代の女性から相談のお手紙をいただきました。

 数年前、大病をしたのを切っ掛けにみ教えに触れ、病が癒されて今日をむかえたものの、昨年の秋口からご主人が、理由もなく外泊するようになったそうです。

 宇治の短期練成会に参加されましたが、帰宅後、彼女は、

「頭ではわかっているように思えても、実際、夜いなくなったその瞬間、いままで何を教えてもらったのだろう? というくらい悲しくなります」と悩み、

「親やきょうだい、もちろん子供たちにも、心配させてしまうだけなので言えません。どうか教えてください。悲しくなる私の心をどうにかコントロールしたいです」

と辛い心情を訴えて来られましたので、とりいそぎ以下のような返信を封書にして送りました。

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【回 答】

 人生における辛い時期を迎えていらっしゃることが、お手紙から伝わってきました。

 このような時期に、あなた様が神さまの方に振り向き、信仰一筋に問題の解決を図ろうとされていらっしゃることは、あらゆる問題の根本的な解決に繋がります。

 これはご夫婦の問題だけではなく、お子様たちの将来の問題にも係わってきますので、これから、あなた様が本ものの信仰生活を生きるための手助けとして、アドバイスをさせていただきます。

 宇治の短期練成会に行かれて、楠本先生のご指導を受けられたとのこと。最良の人生の選択をされたと思います。

 あと、あなた様に必要なことは、神さまへの「全托」の信仰です。

 これは、問題だけを神さまに預けるのではなく、あなたの人生そのもの、この世に生まれたこと、あなた様を取り巻く一切を、神さまに全托してしまうのです。

 この祈りは、神想観を通して、あなた様の魂が納得いくまで、毎日の生活の中で時間を決めて徹底的に祈り続け、神さまにすべてを委ねた、と思えるまで日々徹底してください。

 生長の家の教えは、「人間・神の子」の教えです。

 ですから、あなた様が「“自分が”生きている」と思っている間は、さまざまな悩みや寂しさ辛さがつきまとうことでしょう。しかし、私が生きているのではない、神の大生命がここに生きている、仏の四無量心がここに生きている、神の無限の愛がここに生きている、大光明がここに生きている、そのように自分の一切を神さまに置き換えて、神さまにすべてを委ねた生き方ができるようになれば、これまで問題と思えていたことの一切は、最良の形で解決することでしょう。

具体的なアドバイスを挙げますと――

①一定の時間を決めて神想観の実修と聖経を読誦すること。

②ご主人が不在でさびしい時にも、聖経読誦または、神さまに全托する神想観を納得がいくまで実修すること。

③相手の女性は、あなた様が、ご主人に対して行き届かなかったことを教えてくださり、生長の家の御教えへと導いてくださった観世音菩薩です。「人間」として拝むのではなく、あなた方ご夫妻を根底から救い導くために現れた、「神」として、「仏」として、「光り」として徹底的に感謝し、拝むことに徹してください。

④できれば、宇治の一般練成会(10日間)を受講して、あなた様の信仰を確立することをお勧めします。

以上です。分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

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※これ以降はメールでの応答です。

【礼状と追加の質問】 (2012年1月8日付)

暮れの一番忙しい時期に回答を頂きありがとうございました。

先生から手紙が届いたのが 12月26日で、 主人が出掛けた夜の次の日でした。かなり心が乱れていた日でしたので 先生からの回答を ひと文字ひと文字戴くことができました。神様に全托すること。そのためには神想観、聖経読誦。相手の女性に対し感謝し拝むこと。

具体的なアドバイスだったので、わかりやすく私でもできる! と目の前が明るくなったように感じました。でも 神様に全てを委ねた生き方と確信できるまでにはなかなか行き着かず、ただ 先生からいただいた手紙を何度も繰り返し読み、実行しました。(中略)

今回の事があるまでは いろんな浮気事件も私が許したからこそ解決して今の私達夫婦がある! と思っていました。そうではなかった事に気づく事ができました。主人は問題を通して私に大切な事を教えてくださっていました。

  それと どんなに主人の事が大切か、またわからさせてもらう事もできました。

 今日から『 女性の幸福365章』を読んでいます。良夫の浮気は妻の心の影…と教えてくださっています。私は本当の意味で主人を愛していたのだろうか…とにかく 辛いぶん 今は必死なので間違っているかもしれませんが、神想観、聖経読誦で 神様に全托の生活ができますように 頑張ってみます。

 不思議と、ついさっきまで弱気だった私が この手紙を先生に書いているだけでなんだか 勇気が湧いてきたように感じます。ありがとうございました。

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【礼状への返信】 (同日付)

 合掌、ありがとうございます。

 辛いこと、悲しいことがあれば、それを抱えこんだり、我慢してはなりません。
 そのような時こそ、神さまに全托するのです。

 つまり、すべての苦しみ悲しみを、神さまに委ねてしまうのです。
 それが神想観における全托の祈りです。

 また、実相世界には、浮気をしてしまうようなご主人など存在しません。

 一度も浮気などしたことのないご主人(神人)と出会い、そのご主人と“結魂”するのです。
 それが「実相直視」ということです。

 あなたが生きているのではありません。
 神さまが、今ここに生きているのである、それを信じ、祈りの中に悦び生きるのが人間神の子の生活です。

 谷口雅春先生の御作で、次のようなお歌があります。

   ひと筋の道踏み行けば燦然と
      光り満ちわたる吾が世界来ぬ

 あなたも、真理の書を紐解きつつ、この神の道を信じてただひたすら祈り、一筋の道を歩んでください。光り満ちる世界が必ず開けてきますから。

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【礼  状】 (1月9日付)

合掌。ありがとうございます。
本部講師の先生で お忙しい中、私のために時間を割いてアドバイスをいだだきありがとうございます。

先生からのメールを読みながら納得した気持ちで 神想観をすると 気持ちが軽くなり神様はやさしい…神様が私の辛いとこ全てを受け入れてくれありがとうございます…と思うことができました。 しかし朝方、主人が帰ってきた現象をみると言わなくていい事を言ってしまい後から後悔してしまう…そんな繰り返しです。

先生が言われているとおり神様にすっぽりと委ねた生活ができますように また、一筋の道をまっすぐ迷わず進んでいきます。

ありがとうございます。

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【質 問】 (1月30日付)

先生…やっぱり無理です。どうしてもできません。

自分のちからで止めさせようとしてしまいます。蟻地獄のように 深みに入っていくだけで、 何の解決にもなりません。

先生が言われたように 、現象をよくしようというのは大きな間違いです。今日は主人を責めてしまいました。何回、先生にご指導いただいても本当にだめな自分です。

先生…もう一度だけ助けてください…

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【回 答】 (1月31日付)

合掌、ありがとうございます。

最初に私がアドバイスしたように、短期練成会ではなく、人生のすべてを懸けて、また真の信仰を確立するために、宇治別格本山の一般練成会を受けることです。

問題が信仰によって解決するまでは、家には二度と帰らないような覚悟で、宇治本山の門を叩かれることをお勧めします。

本当に行き詰まり、二進も三進もできないようであれば、そのような思い切ったことを通して、道を開くことです。

信仰とは、小手先でやってみても、どうなるものでもありません。命がけで取り組んでこそ、因縁因果を超えることができるのです。

宇治本山に行ったら、榎本一子先生に個人指導をお願いして、すべてを告白してご指導を仰いでください。
彼女なら、あなたを導くことができます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【礼 状】 (2月1日付)

合掌。ありがとうございます。

昨日、ご指導ありがとうございました。

私も考えていました。今月の一般練成。
わが家は会社を経営しています。
去年からいろいろな問題が起こり、経営が大変な時期です。昨日は お金の借り入れの段取りをしていました。そんな中、神想観、甘露の法雨の読誦はありがたく私の心を落ち着かせていただいています。

昨日は、主人が、「自分が地に足がついていない状態であると会社がだめになってしまう。今後は今のような生活を改める方向でいく」と言っていただきました。

私は自分のすべき事を しながら現象に振り回されないよう生活していきます。
そう誓っては自滅し、先生に迷惑かけている繰り返しでしたが、10日の宇治の一般練成の日まで頑張ってみます。

その時の私の気持ちと仕事の状況もありますし、含めて考えてみます。

ありがとうございます。
いつも突然に迷惑をかけ本当に申し訳ありません。

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【回 答】 (2月1日付)

合掌、ありがとうございます。

ご主人が、「自分が地に足がついていない状態であると会社がだめになってしまう。今後は今のような生活を改める方向でいく」と、語られたとのこと。

いよいよ光りが差してきましたね。

とにかく、今の信仰を堅持して、まっすぐに光り(神)の方に向かって突き進んでください。

必ず道が開けてきます。
 
 会社の経営が厳しい状況であれば、無理して練成会に行かず、無条件にご主人を支えてあげてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質 問】 (2月13日付)

合掌、ありがとうございます。

先生… あれから 何もかわらないどころか、私が壊れてしまいそうです。

どうしても神さまに全たくができないでいます。今朝…がまんできなくて 言わなくていい事いいました。

会社も 主人も 私もこのままでは全滅です。

今日 宇治の一般錬成のスケジュール表を印刷してみたのですが、やはり 請けている工事の事、土曜日(18日)には 会社の展示会を予定しています。抜けるわけにはいきません。

でも、日帰りでも1泊でもして、個人指導を受けたい気持ちです。私が今の気持ちや状況を誰かに聞いてもらって落ち着きたいだけなのかもしれません。

中途半端はしないほうがいいでしょうかたびたび申し訳ありません。

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【回 答】 (2月14日付)

日帰りでも一泊でもいいから、宇治本山の練成会に行って、榎本一子先生に個人指導を受けられることをお勧めします。

その際、事前に宇治に電話をして、直接、一子先生に連絡をとっておくとよいでしょう。

本部の久都間講師から勧められたと伝えれば、時間をとってもらえることと思います。

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【返 信】 (2月14日付)

合掌、ありがとうございます。

早速のお答えありがとうございます。

そうさせていただきます。

先生にメールをして…前から何度も アドバイスいただいている事を思い返し、今の 自分を後悔して、神想観 甘露の法雨をあげ…心、落ち着かせています。

また 報告させてください。

ありがとうございます。

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【礼 状】 (2月21日付)

合掌、ありがとうございます。

週末 悲しくてたまらず、とうとう宇治別格本山の 榎本一子先生に連絡をとり 個人指導のお願いをしました。

夫婦の問題で、辛い思いを久都間繁先生にネットを通じてご指導いただいていたのですが、榎本一子先生の個人指導を進めていただき…と伝えましたら、気持ちよく引き受けてくださいました。

「宇治に…て思った時点でもう 解決の方向に向かっていますよ。お辛い気持ち、ご主人を思うお気持ちは 今 確かにご主人に届いています」

というお言葉をいただきました。

不思議な事にそのあと 帰ってきた主人は 清々しい顔をしていました。

「今日が最後でもう会わない」

と、相手にはっきり言ったそうなんです。榎本一子先生にはそのようにお伝えしました。ありがとうございます。

そして私の勝手な相談に 講師の先生を巻き込んで振り回してしまいごめんなさい。何度も何度も、ご指導ありがとうごさいました。

榎本先生も、「もう大丈夫ですよ…」と言ってくださったので、これから現象が、どうなろうと主人の実相を信じてまっすぐ進んでいきます。

相手の女性の幸せを思い、甘露の法雨をあげています。
ありがとうございます。

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【回 答】 (同日付)

合掌、ありがとうございます。

ご主人が、「今日が最後でもう会わない」と、相手にはっきり言ったとのこと。

ここまで、よく精進されましたね。

あなたがご主人の神性・仏性に振り向いてから、ご主人は、相手の女性にいつ別れのコトバを切り出そうかと、ずっと思案されていたことでしょう。

それも、ついに意を決して相手の方に伝えたことは、あなたの拝みと感謝が心の奥底で深く響いていればこそ、このような嬉しい伸展があったのです。

これまでの習慣から、ご主人は、ときには相手の女性に心引かれることがたったとしても、もう後戻りすることはありません。だからあなたも、いよいよ信仰生活に励んでください。

そして、これからは仕事に励むだけではなく、生長の家の誌友会に参加して、神さまへの報恩感謝の一つとして、白鳩会の皆さんとともに愛行に励んでください。

「愛」を行ずることを通して、信仰がより深まり、会社の事業や白鳩会の活動を通して、多くの人たちを幸せへと導けるようになります。

それが家業の繁栄と、夫婦調和の秘訣です。

どうぞ、これからも神の子・仏の子らしく、光の道、悦びの道、真理の道を、まっすぐに歩んでください。

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【礼 状】 (同日付)

合掌、ありがとうございます。

わかりました。

まず、3月17日に教化部で若い白鳩のための合同学習会があります。そこで、体験発表を進められていました。それどころではない気持ちでしたが、しっかりと 4年前を振り返り、大病をし、初めて生長の家にふれ、たくさんの人に物に全てに感謝ができ、病が癒えましたことをもう一度思い返し、たくさんの人にお伝えします。

少しでも愛行ができますように頑張ります。

先生が言われるとおりこれからが肝心ですね。現象に振り回されず、あともどりはしない…と信じて、明るく楽しく一筋の道を踏み行きます。

暖かいアドバイスをありがとうございました。

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業の流転で苦しんでいる方へ

 ブログのコメント欄に、業の流転で苦しんでいらっしゃる方から質問をいただきました。
 純粋で、魂が浄く高い方ほど、このような問題に苦しむものです。私にも身に覚えがありますので、この方のお気持ちはよく分かります。
以下に回答を書きましたので、同様の苦しみに悩んでいらっしゃる方のために公開させていただきます。

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【質 問】

こんばんは。初めまして。夜分遅くに失礼致します。
ご相談したかったのですが、メールで送れなかったので、コメントで投稿させて頂きました。
先生、私は業の流転に大変苦しんでいます。
兄が11年前に失恋を機に自殺し、私も数年後恋愛問題で何度か自殺未遂をしました。
本部講師の先生からは先祖供養と両親への深い意味での感謝(何かしてくれたからありがたいではなく、神の子として礼拝することらしいですが)をしたら、業が消えると、言われました。
行を実行中ですが、とにかく恋愛しなければまず死にたくならないと思っていましたが、恋愛的感情ではなく、大変人生の先輩として、尊敬し、心から愛する方(父や祖父を思う様な感情です)ができてしまいました。
私はその方の身の回りのお世話をさせて頂いていましたが、同様にお世話する子や会いにくる子達にその方が非常に愛する様な態度で接しているのをみると堪らなく辛く激しい嫉妬心にさいなまれます。そして、凄く悲しくなって、自分の存在を消したくて、今すぐ死にたくて堪らなくなります。これは我の愛で本当の愛ではないし、そんな不純な思いのまま接するのは失礼で違うと思いますし、嫉妬してしまう自分が堪らなく嫌で、そんな現場(その方が他の子達を愛す)をみていると苦しくて悲しくてたまりません。
年末年始は仕事が、忙しく辞めれないので、辞めませんが、年始の仕事が終わったら、死ににいこうかと思っています。
心がぐちゃぐちゃです。何で生きてないといけないんですか? 何で実相顕現しないといけないんですか? 神の子なんて分かりません。今の場から離れても、また次に大切な人に出会ったら、また同様に死にたくなるのかと思うと業を断ち切るしかないのは分かってます。深い意味での感謝、覚らなければ分からないですよね。そんなのできません。辛くて辛くて仕方ありません。

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【回 答】

 2日間ほど不在にしておりましたので、先ほどご相談のコメントを拝見しました。
「業の流転」に大変苦しんでいらっしゃるとのこと。辛いことでしょう。

「業の流転」から逃れるためには、「業の流転」から離れなければなりません。
「業の流転」するような境涯に住んでいたのでは、たとえ自殺したとしても、何遍生まれ変わったとしても、逃れられるものではありません。

「業苦」に苦しむのは、大生命(神・仏)とのつながりを見失っているからです。
大生命とつながり、大生命に生かされている神の子本来のすがたに目覚めることによってのみ、「業の流転」から逃れることができるのです。

 人間ははじめから大生命とひとつであり、未だかつて一度も離れたことなどありません。

 神さまから愛され切っていればこそ、今、私たちはここにこうして生かされて存在しているのです。

 しかし、私たちは、「“自分が”生きている」と、思い違いをして、大生命とのつながりを見失っているのです。

 大生命との根底からのつながりを思いだし、それを呼び戻す道はただ一つ、それは祈ることです。

 自分が生きている、のではありません。大生命が、あなたを生きているのです。

 完全円満なる神のいのちが、あなたを生きているのです。

 それは、自覚してから、先祖供養してから、祈ってから、「行」を一所懸命積んでから、生かされるのではありません。
 はじめのはじめから、あなたは神さまの子であり、神とひとつのいのちなのです。
 そのことを知ることが天命を知り、神の子に目覚める神想観なのです。

 ひたすら祈りなさい。心ゆくまで心底から祈り、一切の問題を神に委(ゆだ)ねなさい。朝も、昼も、夜も、神さまはいつでも、どこでも、どんな心境のときでも、どんなに心がぐちゃぐちゃで乱れていても、そんなことにおかまいなく、あなたを「無条件」にただただ生かし、愛し、赦し、掛け替えのないあなたの存在を包容しているのですから。

 分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

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【返信】

こんばんは。 先生、お忙しい中、解答して下さいまして、ありがとうございます。
そうですね。祈ってみます。生きるなら、全力で生きていきたいです。 先生、本当にありがとうございます。先生の御愛念に感謝です。

投稿: 光 | 2011年12月30日 (金) 18時56

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【追加質問】

合掌ありがとうございます。
先生、先日はありがとうございました。先生のお言葉のお蔭で、思い止まることができました。ありがとうございますm(__)mm(__)m
今、祈り中です。 先生、ふと疑問なのですが、どうして実相顕現しないといけないのでしょうか??

投稿: 光 | 2012年1月11日 (水) 14時05分

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【回答】

光さま

「どうして実相顕現しないといけないのでしょうか?」とのご質問ですね。

「しないといけない」ようなものなど、この世にはありません。

 忘れていけないのは、あなたが「実相」そのものである、ということです。

 神とは、光りとは、愛とは、あなたのことなのです。

 それが「人間・神の子」ということです。

 その円満完全なる神なる実相を素直に悦ぶことが、「実相顕現」ということです。

投稿: 久都間 繁 | 2012年1月11日 (水) 15時07分

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【返信】

先生、ご回答をありがとうございます。

そうなのですか。 はい、分かりました。ありがとうございますm(__)mm(__)m

投稿: 光 | 2012年1月11日 (水) 18時35分

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自然エネルギーを求めて(6)――ペレットストーブと循環型の社会

 9月8日のこと、ペレットストーブがわが家にやってきた。外では、まだ蝉時雨が降り注いでいた。

 取付工事には、東京ペレットのOさんと、60歳前後の職人さんと2人で来られ、午前10時ごろから着工、約2時間ほどで設置が完了した。

 わが家に来た製品は、オーストリアのカリマックス社製の「ベリーナ」というストーブだった。

 
 このストーブは、店頭に何年か実演展示していたものを、製品がモデルチェンジしたのを機に、部品を取り寄せて修理し、譲っていただいたものだ。

 

 あれから3カ月ほど過ぎ、木枯らしが吹く寒い晩や、気温が10度以下になる朝には、ストーブに火を焚いて暖をとっている。

 耐熱ガラスの窓の向こうで燃える炎を、子供たちは懐かしそうに覗き込んでいる。

 わが家に来たペレットストーブは、鋳物でできている上に、サーモスタットが付いている。室温が設定した温度に達すると、自動的に運転を停止し、鋳物に蓄熱された「熱」をゆっくり時間をかけて放熱(輻射熱)する。

 したがって石油ストーブやファンヒーターなどのように連続して燃焼することがなく、燃料を無駄に使わなくて済むところがありがたい。

 ペレットストーブを設置した当日、ストーブの試運転をしながら、Oさんと次のような会話を交わした。

O氏 「これは欧州の方から聴いた話ですが、彼らは冬が来たからとて、あわてて石油ストーブやファンヒーターを買うようなことはせず、夏の間に冬支度をすべて済ませるそうです」

ashikabi 「――ってことは、わが家は今年から欧州なみだね」

O氏 「ドイツやオーストリア製のペレットストーブは価格もそれなりに高価ですが、堅牢な作りをしているため家具のように“一生もの”として使い続けることができます」

ashikabi 「へえ~“一生もの”なんて、タンスだけかと思っていたよ!」

 振り返ってみれば、結婚して二十数年を経たが、家族が増え、引っ越しをするたびにわが家ではいったい何台の暖房器具を買い換えて来たことだろう! 電気ストーブと電気ゴタツに始まり、石油ストーブ、石油ファンヒーター、エアコン、そしてホットカーペットにオイルヒーター。

 これまで、家族の生活を支え続け、お世話になったこれら数々のモノたち。その製品が、大切に修理しながら一生使い続けることができる物ばかりならば、よもや季節ごとに大量の暖房器具が店頭に並ぶこともないだろう。

 私たちのライフスタイルが、いつの間にか「大量生産・大量消費」の渦の中で、「一生もの」というコトバを見失い、物に対する大切な感覚を、どこかに置き忘れてきているのかもしれない。

 物に対する大切な感覚、それは「人」と「物」との“心の繋がり”と言い換えてもいい。

 物との“心の繋がり”を失えば、モノに対しても、資源に対しても、同じような扱い、つまり「使い捨てる」ことが気にならなくなるだろう。

 そして、「自然」に対しても、「食物」に対しても、さらに「いきもの」たちや「人」に対しても、私たちはいつの間にか、この“心の繋がり”を見失っているかもしれないのである。

 金光教祖は、

「大根にも机にも御礼を言う心にならなければならぬ」

と説かれたというが、「御礼を言う心」とは、大根や机などの物たちに宿る“こころ”と、さらにそれらのものを生みだしたものと、深く心を通わせることにほかならない。

 12月の始めのこと、飛騨高山にあるオークビレッジ(代表 稲本正)を訪問させていただいた。

 薪ストーブとペレットストーブという“循環型のエネルギー”で暖をとった山の中のギャラリーには、魅力的な木製の椅子、年輪の浮き出た漆塗りの味わい深いテーブル、玩具、手作りの食器類などが展示され、ビレッジの方からは、「テーブルなどの家具は三代使えます」とのご説明をいただいた。
 
 丹誠込めて物を作り、その想いを受けとめながら大切に扱い、長く使わせていただくこと――

 そこには素材となった樹木を育てた人、師匠から受け継いだ技を駆使して作った人、家族の幸せを願い購入した人、子供の健やかな成長を祈り拭(ふ)き続けた人、そんな人々の温かな“こころ”がこめられることだろう。

 つまり、「物」とは、人々の深い“こころ”と、人々や大自然を生みだしたものの“こころ”が託された、“いのちのバトン”なのではないだろうか。

 ――そして、その最たるものが、私たちの躯(からだ)なのかもしれない。

 すべての生きとし生けるものたちが、このバトンを親から担い、それを後世へと伝えている。それが“いのちのバトン”を託された生き物たちの、生物多様性の諸相のようにも思える。

 私たちは人間だけの都合を優先して、この尊い“いのちのバトン”を断ち切るようなことをしてはならない。

 そのためにも、すべてのものに御礼を言い、そこに宿る深い“こころ”を拝むような、環境に負荷を与えない“循環型のライフスタイル”を、エネルギーのみならず家具、道具、建築、食べ物などあらゆる分野にわたって、現代の暮らしにに蘇らせることが必要ではないかと思うのである。

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神の“無条件の愛”について

 北海道の旭川近郊にお住まいの女性の方から、「神の愛について」と「憑霊について」の質問をいただきました。

 キリスト教の素養のある方のようで、贖(あがな)いや苦行を通さなければ、神の赦しを得ることができない、という観念に縛られていることが、手紙の内容から伝わってきました。

 たとえば次のような切実な悩みを訴えています。

「果たして一つひとつの過ちを、いちいち苦行や苦痛を通して改めさせられるのか、どんな小さな過ちも贖わなければならないのか。もしそうであれば、その贖い方、懺悔した後の心の持ち方などを教えてください」

 というものです。

 共通の悩みや疑問をお持ちの方のために、私からの回答を公開させていただきます。

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【回 答】

 頂いたお手紙によると、生長の家の教えを読むと、ほっとされるとのこと。
 それは、あなた様の本質が愛そのものであり、あなた様が円満完全な神の子さんだからです。

 神さまの愛について教えてほしい、とのご質問ですが、一言で云えば、神さまの愛は「無条件の愛」です。

 ですから神の愛には、「何か良い行いをしたから愛する」とか、「贖罪をしたから愛する」といった、「・・・・してから」という“条件”は一切ありません。

 ですから、そのような「贖いをしてから」「苦行をしてから」「懺悔してから」ようやく赦してくれるような条件付きの神は、それは人間の側が勝手に作りだしたものなのです。

 神さまの愛は太陽のように、誰にでも平等に無限に降り注いでいるのです。

 その愛をそのまま受けて、その愛のまっただ中に浴するのが、生長の家の神想観(座禅的な瞑想法)です。

「贖い」や「悔い改め」をするのが小懺悔だとすれば、生長の家は「現象は無い!」との大懺悔によって、現象の一切を否定して、そのまま円満完全なる神の子の実相の大海原へと、人生の航路を漕ぎ出すのです。

 また、お手紙にあるように、憑霊のことがどうしても気になるようでしたら、人間はそのままで円満な神の子であることが書かれた、『甘露の法雨』を読むことをお勧めします。
 

 これは改まって仏壇や神棚で誦げるもよし、また暇な時間がちょっとでもあれば、椅子にでも腰掛けて5分でも10分でも読まれるとよろしいでしょう。

 あなた様が、“神の無条件の愛”に目覚め、神の無条件の愛を悦ぶにしたがって、頼って来ていると思われる霊も、安らかな悟りを開いて救われるのです。

 人間は神の子です。

 憑霊などに惑わされるような存在ではありません。

 あなた様の内にある「神の子の円満完全な実相」を深く観じて、心から喜ぶことが神想観です。

 神想観について詳しく指導を受けたい場合には、あなた様がお住まいの場所に近い生長の家旭川教化部を訪問して、指導をお受けになるとよろしいでしょう。

連絡先は以下の通りです。
〒070-0810
北海道旭川市本町 1-2518-1
電話 0166-51-2352
 

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自然エネルギーを求めて(5)――木質ペレットのこと

 東電の原発事故が発生して以来、私は自然エネルギーについての理解を深める中で、バイオマス燃料に注目するようになった。

 バイオマスの一つである薪を燃料とする「薪ストーブ」については、前回のブログで紹介させていただいたが、薪のほかにも、木質ペレットという燃料を使う「ペレットストーブ」というものがある。

 木質ペレットとは、地域の製材所などから出るおが屑や、丸太から柱を切りだした端材、間伐材などを木粉にして、それを圧縮して固めたものだ。

 木質ペレットは、基本的には次の3種類に分けられているようだ。

・「ホワイトペレット」――木の幹の部分でつくられたもの。
・「バークペレット」――木の皮でつくられたもの。
・「全木ペレット」――幹・皮を含む木全体からつくられたもの。

 いずれも、森から産出される端材や樹皮などの副産物が原材料だ。

 映画『みつばちの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督作品)でも紹介されたように、スエーデンをはじめ欧州各地では、地域社会で共有する暖房や給湯装置の燃料としても木質ペレットが使われ、クリーンな循環型エネルギーとして活用されている。

 上記のペレットの中で、主として家庭用に使われるのがホワイトペレットで、これを利用した暖房器具がペレットストーブなのだ。

 このストーブは、ドイツ、オーストリア、イタリアなどの欧州諸国の製品に加え、アメリカ、カナダなどでも製造され、化石燃料に依存しない暖房装置として広く使われており、国産でもいくつかのメーカーが製品をエントリーしている。

 ペレットストーブの特徴としては、

①薪とちがって煙りが極めて少ないため、住宅地でも使用できること

②場所もとらず、エアコンなみの簡単な工事で安価に設置できること

③燃料代が、灯油のように国際市場の相場に左右されることなく安定していること

④CO2の増減に影響を与えないカーボンニュートラルな暖房であること

⑤薪ストーブと同様に、家の中で“本ものの炎”で暖をとることができること

という魅力的な特徴がある。

 そんなことを調査していた矢先―― なんと市内でペレットを製造し、おまけにストーブまで扱っている会社があることが分かった。

 環境問題に関心を深めるようになってから10年ほど経つが、“灯台もと暗し”とはこのことだった。

 さっそく電話で連絡をとり、5月末の休日に訪問させていただいた。

 それは「東京ペレット」という青梅市にある会社で、私は駐車場に車を止め、事務所の方に歩き始めると、

「ashikabiさぁ~ん!」と声が掛かった。

 なんと声の主は、これまで地域のPTA行事で何度も顔を合わせ、ともに二次会まで飲みに行ったことのあるOさんだった。

 事務所に入り、ぐるりと各種のペレットストーブに囲まれた応接スペースで椅子をすすめられ、私たちはこの日初めて、環境のこと、循環型エネルギーのこと、3.11の震災や原発事故後の日本のエネルギーのことなどを語り合った。

 私は、このペレットストーブの背後にあるもの、それは「森」と、「地域の産業」と、そして「家庭生活」とを結ぶ、画期的な循環型の社会がこのシステムの向こう側にあることが、温かく燃えるストーブの炎の中から次第に象を結び始めるのを感じていた。

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自然エネルギーを求めて(4)――あこがれの薪ストーブ

 目の前にあった夢が潰(つい)えたとき、人はそれに代わる新たな夢を追い始める。

 そして、その夢をいよいよ具体化するとき、私たちは「経済的な価値」を優先するか、それとも「経済以外の価値」を優先するかという問題に逢着する。

 ここで言う「経済以外の価値」とは、「倫理的」価値ということが大きなウエイトを占めるのであるが、ときには「美的」価値が、さらに地縁・血縁というゲマインシャフト的な「ご縁」が決め手となったりする。

 以前から、強いあこがれを抱いていた「自然エネルギー」を燃料とした暖房器具のひとつに、リビングで薪を燃やして暖をとる「薪ストーブ」がある。

「薪を燃やす」というと、森林保全に逆行して環境を悪化させるようなイメージを抱く方もいるかもしれない――

 しかし薪の燃焼によって排出されるCO2は、樹木の成長過程で吸収する量とほぼ等量であり、一方的にCO2と熱とを排出する石油・石炭などの「化石燃料エネルギー」とは対照的な、「循環型エネルギー」(Circulation Type Energy)なのである。

 つまり「薪ストーブ」を利用すれば、CO2の増減に影響を与えないカーボンニュートラルな生活が実現できるのだ。

 かつて私は、実はバーモント・キャスティング社(アメリカ)の薪ストーブで「アンコール エヴァーバーン」という製品の導入を検討した時期があった。

 しかし、薪ストーブの生活を詳しく研究していくうちに、思い掛けない発見が幾つもあったので、感心を寄せている方のためにその一端を紹介しようと思う。

「薪ストーブ」といえば、燃料は薪である。

 調査したところでは、薪ストーブは1束400円~500円ほどの薪を、だいたい1日で3束ほど使うそうだ。

 すると1カ月90束で約4万円ほどになる。
 ということは、一冬の暖房費だけで約20万円ほどの出費を覚悟する必要があるのだ。

 もちろん、自由に薪を採取できる山林があれば、費用は発生しない。

 また、森林組合などを通して原木に近い状態で購入すれば、薪も安価に入手できる。

 しかし山林から直接採取する場合も、森林組合から購入する場合も、薪作りに使うチェーンソーや斧(オノ)などの道具を調達し、薪を割るための体力と、そのための時間を確保しなければならない。

 薪を割る元気があれば問題ないが、時間が思うようにつくれないときや体調がすぐれないときは、ちょっと辛そうである。

 さらに重要なことは、「薪を置くスペース」を確保しなければならないのだ。

 一冬で450束の薪を燃料として使うとなると、わが家の場合は、畑のスペースか自動車のガレージをあきらめるかしなければ、冬を越せそうにないボリュームである。

 しかも、「薪は2年以上乾燥させる」のが理想というから、その倍となる900束(!)ほどの薪を置くスペースが必要となるのだ!

 これでは、わが家は経費(薪代)とスペース(土地)の双方から、畑も自動車も手放さなければ憧れの「薪ストーブ」ライフは実現しないかもしれない。

 さらに薪ストーブは、シーズンはじめに煙突掃除とストーブのメンテを毎年欠かさずしなければならない。

 高い屋根に登るリスクと煤(スス)だらけになるのを覚悟の上で、自分でメンテをすれば材料費だけだが、外注すれば3~4万円ほどかかる。

 つまり、薪ストーブを導入するためには――

①「お金」にゆとりがあるか「山林」を持っていること。

②家の近くに薪を置くための「土地」があること。

③薪を割るための「時間」と「体力」があること。

④「掃除」や「メンテ」が苦にならないこと。

⑤煙突のけむりによってご近所迷惑にならない場所に家があること。

 ざっとみても、これだけの条件を満たす必要があるのだ。

 満たしている条件が、「体力」と「掃除」だけではお話にならないことが、次第にハッキリしてきたのである(^^;

 わが家でこれを導入するためには、「定年後の道楽」としてなら家族も納得することだろう。

 しかし、学齢期の子供を4人も抱えて、自宅のローンの支払いに追われている現在では、夢のような話だったのかもしれない―― (^^;

 しかしながら、上記の条件を満たし、さらに薪ストーブに興味を抱いている方がいらっしゃれば、ぜひチャレンジすることをお勧めしたい。

 薪ストーブと同じく、木質燃料を燃焼させて暖をとり、しかも「森」と「地域の産業」と「家庭」とを結ぶ、循環型で地産地消エネルギーの本命とも思われる「ペレットストーブ」についても、折をみて紹介させていただこうと思う。

【お勧めの書籍】

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宇宙は神さまの創造か?

 30代の主婦の方から「宇宙は神さまの創造か?」ということについてご質問をいただきました。

 質問と回答のメールでの遣り取りを公開させていただきます。

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質 問

 神様をもっと知りたくて、感じたくて、

「そうだ、神様は宇宙を造ったんだ!」

と思いつき、最近、宇宙に関する雑誌を読んでいます。

「神様は、こんなに広くて、すごい法則をおつくりになったんだなぁ」と、少しは神様のことがわかりそうだと思ってうれしい気持ちになったのですが、

「あれっ、宇宙って実相世界じゃないんじゃない?」

という疑問がわいてきました。

 神様は、現象世界はおつくりになっていないんですよね?

 宇宙は、現象世界?

 じゃあ、この星のたくさんきらめく大宇宙は神様の創造ではないのでしょうか?

 教えてください。

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【回 答】

 お手紙を拝見して、あなた様が発見した宇宙への新鮮な驚きが伝わってきました。

 私も星座をながめ、ときおり子供たちと天体望遠鏡で星を観察したりしますので、星々の美しさに魅せられるお気持ちはよく分かります。

 さて、ご質問は、「宇宙って実相世界じゃないんじゃない?」ということへの、新たな驚きから発したものですね。

 これも、すでにあなた様がお気づきになっているように、私たちが肉眼を通して見ている宇宙は、実相世界ではなく、現象宇宙の相(すがた)を、私たちは観察しているのです。

 私たちの五感、六感から入ってくる情報は、すべて「現象」を感受しているにすぎません。

 鎌倉時代の夢窓国師という高僧は、次のようなコトバを残しています。

「月の衆水に影を映すがごとし」

 この場合の「月」とは、「実相」の象徴です。

「衆水」とは、世の中つまり現象世界を水に喩えたものです。

 実相世界は欠けることなく完全円満に大調和して輝いていても、私たちの五感、六感は、現象に映し出された世界しか感受することができないために、ときに歪(ゆが)んで見えたり、欠けて見えたり、全く見えなかったりします。

 ですから、夜空に輝く星々のきらめきも、神さまの創られた実相宇宙の「映し(現象)」ではありますが、「実相(実在)そのもの」ではありません。

 私たちが星の輝きを見て、そこに美しさを感ずるのは、現象世界に映し出された神(の幾分か)を観じているのです。

 神想観の折に、「吾れ今五感の世界を去って、実相の世界に入る」と称えるのは、五感・六感から入ってくる現象を見る肉眼の目を閉じて、さらにその奥にある「実相」(大生命)そのものを、いのちで観じるためなのです。

 実相は、そのままで完全円満であり、時間・空間を生み出すところの大生命であり、私たちはその宇宙大生命と一つのいのちなのです。

 この宇宙大生命のことを、古来から日本の神道では天照大御神と云い、仏教では宇宙を遍く照らす光りであるとの意味をこめて尽十方無碍光如来とも、大日如来とも、阿弥陀如来とも称しています。

 その実相大生命が私たちと「一つのいのち」であることを観ずる行事が「神想観」です。

 生長の家で言う「人間は神の子、仏の子」との意味は、そのような中味があるのです。

 以上が、メールを拝見した上での私からの回答です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【礼 状】(2011年10月9日付)

 質問へ返信をいただき、とてもうれしいです。

「宇宙は実相世界じゃない」というお答えに、やっぱりそうかー、と少し残念でした。

『甘露の法雨』にも、宇宙という言葉が出てきたり、宇宙飛行士なども「神を感じた」いう意味のコメントをしていたので、もしかしたら、という期待がありました。

 私は神様をとても愛しているのですが、つかみどころがないような気がして、少しでも神様を知る糸口みないなものがほしかったのです。

 やっぱり、神想観しかないんですね。少しずつ精進します。

 わが家には小学生以下の子供が6人いて、なかなかパソコンに向かえず、お礼が遅くなりました。

 ありがとうございました。

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 【回答 追伸】

 

 「宇宙が実相世界」なのではなく、実相世界はあなたの内に在るのです。

 それが「存在」、つまり“本当に在るもの”の神秘です。

 その「存在」(実在)こそがあなたであり、神であり、実相世界なのです。

 その「存在」こそが、「実相」なのです。

「存在」していないもののことを、「現象」と云い、「非実在」といい、仏教では「無」と呼んでいます。

 ですから「あなた」こそが、宇宙を生みだしたところの「存在」であり、それが「人間・神の子」ということの荘厳な事実であり、あなたと宇宙とは初めから一つであり、あなたは宇宙が生まれる前から在り続けているのです。

 この「存在」のことを「般若心経」では、不生不滅、不垢不淨、不増不減、と表現しています。

 その「存在」そのものの実相に帰るのが神想観であり、「中心帰一」ということです。

 つまり「中心帰一」とは、非実在なる「現象」に帰一することではなく、真の自分自身(存在)=「神(実相)」に帰ることなのです。

 ですから「神さまを知る糸口」は――

 『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。(『甘露の法雨』人間)

 このコトバに素直に従い、内に心の眼を向けることから開けてきます。

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自然エネルギーを求めて(3)――生活の身近にあった「火」のこと

 わが家での冬場と夏場に使用しているエネルギーのことを、読者にはちょっと煩わしいかもしれないが、少しだけ紹介させていただこうと思う。

 まず冬場の暖房は、以前は電気コタツと石油ストーブを使用していたが、8年前に4人目の子供が生まれてからは、危険を避けるために石油ストーブを廃止し、リビングにホット・カーペット敷いて、その上にコタツのやぐらを載せている。このほか寝室では氷点下に達するような晩のみオイルヒーターを使っている。

 一方、夏場の冷房は、網戸からの通風によるそよ風と団扇(うちわ)と、ときおりの扇風機――そして17年ほど前に買ったエアコンは、来客のときだけ使用。

 こんな具合に「電気」の使用を控える、いわゆる“省エネ”の生活を続けてきた。

 それでも、今年(平成23年)の家族7人分の電気使用量は、真冬の1月で411kWh(9,485円)、真夏の8月で223kWh(5,723円)と、どうしても冬場の寒い時期をしのぐためのエネルギー消費が跳ね上がっていた。

 しかし、このようなささやかな努力とは裏腹に、“省エネ”に努める生活は、家族にしてみれば決して快適なものではなかったかもしれない。春と秋を除いてガマン大会のような生活を遵守しているさまは、実状を知った人から見れば修道院や禅寺のようにも映ったかもしれない(^^;

 今年の3.11以降、原発の矛盾や問題点に気づいて以来、あらためて足下を見直しているうちに、ある肝心なことが見えてきたので、そのことについて紹介させていただこうと思う。

 それは、原発や化石燃料や石油化学製品の消費こそが、「廃熱」と「廃棄(CO2も含む)」という2つの点で、地球環境全体のバランスを崩す「問題の原因」なのであるから、それをできるだけ「買わない」し「使わない」ことはこれまで通りである。

 さらにもう一歩踏み込んで出来ることは、私たちが利用する資源やエネルギーを、原発や化石資源に由来しない循環型の「自然エネルギー」へと転換し、それを積極的に「買い」そして「使う」ようにすれば、その分だけ異常な「廃熱」と「廃棄」が消え、結果的に問題の原因が消え、さらに循環型社会が実現するという、あたりまえのことに気が付いたのである。

「自然エネルギー」とは、非枯渇性のエネルギー、つまり太陽と大地と水がある限り枯れることのないエネルギーのことで、太陽光をはじめ、水力、風力、地熱、波力、バイオマスなど、再生可能エネルギーといわれているものの総称である。

 たとえばバイオマスについてであるが、これは“生物由来の資源”という意味で、平たく言えば薪(まき)などの木質燃料のことである。(バイオエタノールについては別途考察予定)

 私が小学生だった40数年年前は、田舎に住んでいれは薪で竈(かまど)や風呂を焚き、学校でも冬になると薪ストーブの煙突を先生と生徒たちとで教室に組み立て、だるまストーブに薪を燃やして暖をとったものである。

 ストーブや風呂釜の中で燃える、あの埋み火の荘厳な炎の輝きは、薪のはぜる音やにおいとともに、今でも時を超えて蘇ってくるのであるが、よく知られているように薪などの木質燃料から出た灰は、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどを多く含むため、野菜などの生育にとって大切な肥料となり、決してゴミとはならないのだ。

 思えば、家庭生活の中から、薪などのバイオマスによる「火」が消えたのは、人類の歴史からみればほんの最近のことにすぎないのではないだろうか。

 それまで人々は、薪による火で料理をし、火で暖をとり、火で風呂を沸かし、洋の東西を問わず家族で囲炉裏や暖炉、そして火鉢や掘り炬燵やペチカ(^^; などを囲んで親密なる時を過ごしてきたのである。

 現代文明が失った大切なものの一つは、この、かつて家の中にあった「火」を中心にしたいとなみであろう。

 思えば、昭和30年代から40年代にかけて、各家庭には急速に家電製品が普及し、バイオマスによる「火」は、電気釜や電気温水器やガスコンロ、ガス湯沸かし器などによって、その本来の居場所を失っていった。

 この新しい消費文明の潮流に拍車を掛けたのが、「火」に替わって屋内の中心部に登場したテレビという未体験のメディアだった。

 テレビは、波状的なコマーシャリズムによって、知らないうちに人々の心を徹底的に「モノ」や消費へと向かわせた。生活の中から「火」や森や自然との親密な関係を見失った私たちは、人間至上主義・経済至上主義へとひた走りに突き進んで来てしまったのではないだろうか――

 それが、今日における環境問題のひとつの重要な要因となったと、私は考えている。その背後に見え隠れしているのは、何万年も人間生活の身近にあった、森(自然)との繋がりを持った「火」の喪失である。

 これは最近、警察庁が公開しているデータを見て驚いたことであるが、日本における平成21年度の自殺者の総数が、なんと3万2000人に達していたという。それは、東日本大震災による犠牲者の数よりも、さらに1万人以上も上回る人々が、毎年毎年3万人も、尊いいのちを自ら絶っているのである。

 何千年という列島上の人類のいとなみの中で、果たしてこのような悲劇的な文明が、かつて発生したことがあっただろうか。

 身近な森から得た「火」の背後に感じ取っていた、「自然」との豊かな繋がり。これを見失った代償は、自殺者や、うつ病などの心の病の増加のみならず、さまざまな方面に影響を与えていることだろう。

 わが家での自然エネルギー利用の第一歩は、家の中にこの、かつて人間生活の身近にあったパイオマスによる「火」を、もう一度呼び戻すことなのかもしれない――

 そんな想いが、脳裏に燃える懐かしい炎とともに、心を温かく照らしていた。

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インターネットと受験勉強

 中学3年生になるお子さんの勉学について、相談のメールを頂きました。

 その子は、これまで学校の成績もよく、地域のトップ校を目指して受験塾にも通っていたそうです。

 ところが、生来のんびりしたご性格のため、今年の夏ごろから塾から出される宿題等が間に合わなくなり、とうとう塾を休むようになったそうです。

 インターネットやメールにも、かなりの時間を費やしているようなご様子も、相談内容から伝わってきました。

「これからどのように子供に接したら良いのか」との質問をいただきましたので、同様の悩みを抱えていらっしゃる方の参考にもなればと思い、私の回答を公開させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この度は中学3年になるお子様のことで、相談をお寄せくださりありがとうございました。

 わが家にも高3と中3の受験生の長女・次女がおり、さらにその下に小6と小3の男の子がいますので、お子様のことを心配されるあなた様のお気持ちはよく理解できます。

 ことに学生である子供がインターネットや、ケイタイメールなどに費やす時間と、勉強時間とのバランスは、人生経験の少ない子供たちにとっては、親が何らかのルールを設けない限りは自分でコントロールできなくなる場合があるかと思います。

 かといってルールで雁字搦めに縛りすぎても逆効果となりますので、親としては悩ましいところでもあります。

 大切なことは、本人も充分に納得できるようなルールを、親子でよく話し合った上で設けることが必要ではないかと思います。

 参考までにわが家での事例を紹介しますと――

 小学生の2人の男の子については、ゲームは毎日1時間というルールを設け、これを破ったら一週間使用禁止。

 さらに掟(おきて)破りをしたらゲーム機没収(^^;

 このルールは、小学生の子供たちと充分に話し合って、何度も改訂をしながら実施していました。

 ちなみに、現在は「ゲーム機没収中」で、本人たちも事情をよく納得して、今では手持ちぶさたなのでピアノや勉強に励んでいます。

 また、高3と中3の娘のインターネットとケイタイメールの利用については、これまで特別なルールを設けていませんでしたが、受験生である中3の娘の成績がちょっと落ちてきたのを懸念して、

「二学期の成績が◎◎以下に落ちたらケイタイ没収」あるいは「夜の◎◎時以降はケータイ使用禁止」という選択できるプランを夫婦で話し合い、これを娘に提案してみました。

 この背後には、明らかに携帯メールに費やす時間と、勉強時間とのバランスの問題があったからです。

 すると娘からは、

「――じゃあ、二学期の成績が◎◎以上になったら何かご褒美があるのか!」

などと逆提案されてしまいましたが、今ではひとつ踏ん切りがついたように、一所懸命に勉強しています。

 このように、子供たちがインターネットやゲーム機等から解放されて、勉強をしやすくするためのルール作りを、まずは夫婦でよく話し合って、その上で子供たちに提案してみるのもよろしいのではないでしょうか。

 さて、生長の家では「子供は神さまからの預かりもの」であり、「神の子」として拝み育てることが、教育の基本だと教えられています。

「自分の子供だ」と思ったら、なんとか親の思うとおりに育てよう、型どおりに育てようという計らい心が起こり、子供はその“思い”に縛られることを嫌って反抗します。また、逆に反抗しない場合には、自発的な能動性をなくした見た目だけの“良い子”となり、持って生まれた個性を見失ってしまいます。

 しかし、子供は「自分のもの」でも、「親のもの」でも、まして「教師のもの」などではなく、神さまの子供であり、大いなるご使命を持って生まれてきているのですから、その素晴らしい実相を拝み、どこまでも信じて、限りない可能性を伸ばしてあげなければなりません。

 そのためにも、子供たちが勉強しやすくなるようなインターネット等のルールを、子供たちの判断で自発的に決めさせてあげるような提案を、ご両親が知恵を絞って考えてあげることも大切かとと思います。

 あとは、学習塾の方針と、子供の個性との相性なども、よく配慮してあげる必要があるかもしれません。

 たとえばお子様の個性に合った学習塾に替えることで、無理なプレッシャーから解放されて、伸び伸びと楽しく勉強できるようになる場合もあります。

 以上が、頂いたメールを拝見した上でのアドバイスです。

 分からないことなどありましたら、なんなりとご質問ください。

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自然エネルギーを求めて(2)――今できることを足下から

「これだけは実現したい」と切望しても、与えられた条件、資金、時期など、さまざまな阻害要因が重なり、それがたとえどんなに善いことで、どれほど望ましいことであったとしても、「実現」にまで至らないことは、人生では度々経験させられるところである。

 今般、福島で発生した東電原発事故による放射能漏れは、周辺地域のみならず、日本全体に深刻な影響を与えていることが次第に明らかになりつつある。

 そのこと一つとってみても、いかに原発というシステムが、人類の生活に不適合なものであり、「放射能」と「生命」とが相容れないものであるかが分かるのである。

 原子炉から放出されるセシウムの半減期30年。プルトニウムの半減期2万4千年という途方もないものを、いったい誰が責任を持って管理するというのだろう――。

 未来世代のためにも、一刻も早く、原発由来のエネルギーから、太陽光、風力、波力、地熱などの「自然エネルギー」を利用した電力へと、社会的な規模での転換を図りたいものである。そこで一念発起して、わが家で試みた太陽光発電プロジェクトだったが、その顛末は前回のブログをご参照いただきたい。

「時節到来」という言葉があるように、この世には、ものごとが人・事・処を得て自然に成就する「時節」というものがある。しかしそれは、ただ手をこまねいているだけで巡ってくるものではないのかもしれない。

 社会全体を、循環型のシステムへと移行させて行くためには、先ず先駆者となる人々が、未来へのより善きビジョンを描き、それを先ず足下からこつこつと実践することを通して、人々の心の扉を叩き続けることから、すべては始まるのである。

 地域の産業として、自然エネルギーを利用したシステムが社会的な規模で実現するのは、まだまだ時間を要するかもしれないが、個人の生活においては、今できることを一歩でも二歩でも踏み込んで、自然エネルギーを利用した暮らしを実現できるはずである。

――それにしても3.11における原発事故と、それが環境に与えた影響はあまりにも深刻である。

 スーパーに山積みされた野菜、鮮魚売り場の魚を見ても、私たちは放射能が与えた影響を勘案せざるをえず、地産地消という、これまで“安全”とされてきた前提がすっかり崩れてしまった感がある。

 ことに成長期にある子供のいるご家庭では、放射性物質による内部被爆への懸念は、学校給食のことも含め深刻な問題である。

 原発が与えた影響を考えれば考えるほど、環境保全への願いは募るばかりだ。

 このような「願い」から、わが家で3.11以降に取り組んだささやかな試みを、本欄では何回かに分けて紹介させていただこうと考えている。

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自然エネルギーを求めて(1)――羨望の太陽光発電

 福島における東電の原発事故以来、わが家では「自然エネルギー」の導入を真剣に考えるようになった。

 太陽光発電については、だいぶ前に施工業者に調査してもらったことがある。

 そのときは、

「屋根の形状の関係で、パネルを1kW程度しか載せることができませんので、ちょっと無理ですね」

との見立てで、やむなく断念したことがあった。

――あれから7年ほど経っている。

 パネルの形状も多様となり、面積当たりの発電量も、きっと増加しているだろう。せめて2kW程度でも発電できればいいのだが・・・。そう考え、今度はメーカーの相談窓口を通して、経験豊富な施工業者を紹介してもらった。

 数日後、施工会社の社長はじめスタッフらがわが家に来訪。

 同社の社長の話によると、ちょうど青梅市で「地球温暖化対策住宅用機器設置費補助金交付制度(平成23年度)」の募集が始まったところで、締め切りは一週間後。とりあえず申請だけでも出しておきましょう――とのこと。

 思いがけない朗報に、1kWあたり5万円、上限額は15万円とのことで、弾む心を抑えながらとりあえず2kWの補助金を申請することにした!

 同時に、施工チームの方に屋根の形状を徹底的に調査してもらうと、うれしいことに合わせて2.05kWの太陽光パネルの搭載が可能との連絡をいただいた。

 飛び上がるような想いで10年間のローンを組み、国と東京都への補助金申請書に署名し、東電に申請する発電所の名称を夫婦で話し合って決め、翌月に実施する施工の日取りも決定。

 わくわくしながら、家内とともに手帳とカレンダーに施工日をしっかり赤ペンで書き込んだ。

 これでいよいよわが家の屋根にも太陽光発電が乗るぞ! 子供たちをはじめ、ご近所、知り合い、職場の同僚にも、嬉しさのあまり発電所の設立をふれて廻った(^^; 

 そんな、工事まであと一週間とせまった晩のこと、施工会社の担当者から突然の電話が入った。

 受話器をとると、恐縮した声で、

「――屋根が特殊な形なので、パネル編成の関係で最低入力電圧に届かないことが判明しました。ご期待に添えなくて、まことに申しわけございません…」

との、あっけない結末を、申し訳なさそうに話してくれたのである(^^;

 かくして、またもや太陽光発電への道は閉ざされ、補助金の申請もローンもあえなく取り下げとなる幕切れとなった。

 これ以来、電車に載っていても、道を歩いていても、なぜか住宅の屋根ばかり視界に飛び込んでくるのだ。

 ――この家の屋根は2kWくらい。あそこは3kWは乗るぞ。
 おっ! この屋根の広さと陽当たりの良さなら4kW、いや4.5kW載せて数年で元を取れるなあ――

 そんな当て所のない皮算用が、脳裏に浮かんでは、屋根の上に浮かぶ白雲とともに、どこかへ消えていくのだった。

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嫉妬の炎を消すために

 先日、49歳の主婦の方から、ご主人の浮気についてのご相談のメールをいただきました。

 2年ほど前、風俗に行ったご主人を許すことができず、以来この方は夫婦としての関係を拒否し続けてきました。

 つい最近、あることからご主人の浮気が発覚し、ご主人を責め立てたところ、彼は家庭や会社での不調和の苦しみに耐えかねて、風俗出身の女性とホテルで密会していたことを告白、奥様の前で懺悔して生まれ変わることを誓ったそうです。

 しかし彼女は、夫に騙され、裏切られ続けていた悔しさと、肉体的にはとても敵わない親子ほども年の違う相手の女性(23歳)への激しい嫉妬から、いけないとは知りつつも、その後も毎日毎日ご主人を責め続け、自分でもどうしていいのか分からなくなってしまったそうです。

 そして、「どうか助けて下さい。苦しくて苦しくてたまりません」とメールが結ばれていましたので、あらぬ方向へエスカレートしないことを祈りつつ、取りいそぎ次のような返信を送りました。

 情報が限られた上での私からの一般的な回答となりましたが、なにかの参考になるかもしれませんので返信を公開します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 頂いたメールの内容を拝見しました。

 相手の女性に対する嫉妬から、身を焼くような苦しみに苛(さいな)まれているとのこと。

 また、信じていたご主人に裏切られた悲しみも、いかばかりのことかと思います。

 しかし、過ぎ去った「過去」をいつまでも握っていたのでは、そこから永遠に解放されず、いつまでも地獄の苦しみが消えることはありません。

 あなた様にとって何よりも大切なことは、「過去」を心から放ってしまうことです。

 ご主人も、自分の過ちで犯した罪を、いつまでも責め立てられていたのでは、やがて自暴自棄になって、その苦しさに耐えきれず、再び同じ過ちの渦へと巻き込まれないとも限らないのです。

 メールによると、ご主人は「今日からスパッと生まれ変わることを約束」されたとのこと。

 このご主人の精一杯の、潔い懺悔と、尊い決意とを、あなた様は大切に受け入れてあげなければいけません。

 そのためには、ご主人が自暴自棄にならないように、今後は決して、ご主人の「心の傷」に触れないことが大切です。

 また、生長の家の教えを学んでいるあなた様は、すでにご存じのことと思いますが、ご主人も、奥様以外の女性に走らざるをえなかったほどの耐え難い寂しさ、その後の地獄のような葛藤があったことを、理不尽なことに見えるかもしれませんが、よく汲み取ってあげなければなりません。

 しかし、すでに全てのことは過ぎ去り、過去へと永遠に消え去ったのです。

 ですから、済んだことの中に生活するのは、今日限り止めにしましょう!

 あとは神さまに全托することこそが、あなた様を、現在の嫉妬の苦しみから救い、夫婦が調和した本来の姿に帰るための唯一の道なのです。

 そのための具体的なアドバイスを以下に掲げますので、できるところから、実践していただければと思います。

①ご主人を「責める心」や、彼女への「嫉妬心」が生じたときには、迷わずに『甘露の法雨』を誦げ続けてください。

(法華経の中には、「甘露の法雨を注いで、煩悩の炎を滅除し」(普門品)と説かれています。「甘露の法雨」は観世音菩薩の大慈悲のコトバであり、これを繰り返し読誦することで、燃えさかる嫉妬の炎が消え、苦しみから解放されます)

②それでも、どうしようもなく苦しいときには、今までの「生活のモード」を、「信仰のモード」に一変させる必要があります。そのために最適なのは、生長の家の練成会を受けることです。

(例えば宇治別格本山の一般練成会や、地元の教区練成会などに参加して、ベテランの本部講師に何もかも打ち明けて、指導に素直に従うことをお勧めします)

③朝晩、一定の時間を決めて、祈り(神想観)、『甘露の法雨』読誦(先祖供養)を実修してください。

(神想観は、谷口雅春先生著の『詳説 神想観』や『新編 聖光録』などを参照しながら「四無量心を観ずる神想観」「如意宝珠観」などをお勧めしますが、もっとあなたの気持ちに合ったものでもかまいません。祈りの最後には、繰り返しますが、全てのことを神さまに全托することが大切です)

④ご主人の善いところを見つけて毎日「日時計日記」を書き続けましょう。

(生長の家を学んでいるあなた様ならご存じのように、教えに照らしてみれば、ご主人はあなた様を救うために現れた観世音菩薩です。未だかつて罪を犯したことのない円満完全なる「神の子の実相」を拝みきりましょう)

⑤ご主人と「あいさつ」をしっかり交わしましょう。

(「ありがとうございます」「おはようございます」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」「おやすみなさい」これらの基本的なあいさつをしっかり交わすことで、心が着実に通い始めますので、忘れないで実行してください。心の通うところに本来の大調和した世界が顕れるのです)

 以上が、頂いたメールの文面を拝見した上での、あなた様へのアドバイスです。

 今は辛く苦しい時期ですが、信仰生活を続けていれば、すべてが好転する時が必ず訪れます。

 もし、私に追加のご質問がある場合には、実名と住所などを公表してください。手紙にて返信をお送りさせていただきます。

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「知らずに犯す罪」と原発事故(2)

 8月12日に本欄で発表した〈「知らずに犯す罪」と原発事故〉について、都内在住の主婦の方から率直なコメントをいただきました。

 生長の家に関心を持つ方の多くが、この問題について共通の疑問や悩みを感じていらっしゃるかもしれません。

 返信が長文になりましたので公開します。ご意見ご感想などありましたらお寄せください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 mama さま。貴重なご意見をありがとうございました。

 小学生のお子さんがいらっしゃるとのこと、水や食べ物への放射能の影響がご心配のことと思います。

 さて――
 
>> 生長の家の先輩方に放射能の懸念をお話しすると、
>> 認めたものが顕われるから気にしないでいい、人間は
>> 物質ではなく霊だから、何物にも冒されない、この困難
>> な時期に生れる赤ん坊は使命があって生れて来てい
>> るのだから絶対に守られる、という話になり、でも とか、
>> だけど とか言わず素直に受け取ればよいと言われます。

 
 先輩の方のご意見とのことですが、これは一見もっともらしい指導のようにみえますが、生長の家の教えがよく分かっていらっしゃらない“独り善がり”な考え方、と言わざるをえません。

 原発事故も含め、さまざまな「現象」に、「実相」の智慧をもって対処するためには、正確な情報と、深い愛と、祈り(神想観)を通して得た正しい判断とが必要です。

 もし原発事故や放射能汚染について「気にしない」ような、そんないい加減な信仰姿勢でいたならば、正確な情報を得ることも、時宜を得た最善の対処をすることも、まして正しい指導などはできません。

 そのような信仰姿勢が、「知らずに犯す罪」を、何度も繰り返してしまうのです。

「人間は物質ではなく霊である」という教えは、そんな曖昧(あいまい)で不徹底な生き方をすることではありません。

 内なる「神の子の実相」(善一元)を正しくはっきりと直視すること、そして「神の子・仏の子」として、自由自在に「現象」に対処して、真・善・美を生活の場に現すこと、それが霊的実在としての人間の生活なのです。

 さて、『真理の吟唱』の「向上の力を得る祈り」の中で、谷口雅春先生は次のように説かれています。

「真の愛は一体感である。彼のよろこびを、わがよろこびとし、彼の悲しみ苦しみを、わが悲しみ苦しみとして、彼より、そしてすべての人より、その悲しみ苦しみを除いて楽を与えんとする願いである。否、単なる願いではなく、実践である。真の愛は、中うつろにして大きく鳴るラッパのようであってはならないのである。少しでも多く、他の人々の悲しみ苦しみを除いて、悦び楽しみを与えるための実践を為すことである」          (同書「向上の力を得る祈り」より)

 つまり原発事故や放射能汚染などの「現象」について「知る」ということは、「彼の悲しみ苦しみを、わが悲しみ苦しみと」することなのです。なればこそ、正しく「知る」ことで「すべての人より、その悲しみ苦しみを除いて楽を与えるための実践」が可能となるのです。

 それが仏の四無量心を生きることであり、神の無限の愛を生きる生長の家の信仰生活です。

>> 現象の事実を知ることと、
>> 善一元の世界の安心を得ることとが、
>> 私にとっては相反するように思え、
>> 悩ましい日々です。

  
 繰り返しますが、信仰生活とは、私たちの「実相」である智慧・愛・生命を、この現象世界で“生きる”ことであり、それが神の無限の愛・仏の四無量心の展開としての私たちの運動です。

 だから「現象」のさまざまな事柄について正しい情報を得て、祈り(神想観)を通して人・事・処において自在に最善の対処をすることが信仰者としての生活なのです。

「善一元の世界」というのは単なる観念ではありません。また、「善一元」は私たちと離れたところに存在しているのではありません。私たちの実相こそが「善一元」そのものなのです。

 それが「人間は神の子である」ということの真意です。

 神の子・仏の子である実相を悦び、智慧・愛・生命を生きる私たちの生活こそが、人類光明化運動であり国際平和信仰運動なのです。

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「知らずに犯す罪」と原発事故(1)

 仏教の説話(『那先比丘経』)の中に――

「知って犯した罪と、知らずに犯した罪と、いったいどちらの方が重いか」という話がある。

 この質問に対して、同経の中では、

「知らずに犯した罪の方が重い」
との答えが述べられている。

 3月11日の東北大震災は、東北地方に甚大な被害をもたらしたが、ことに福島県で発生した東京電力の福島第一原発における事故は、8月に入っても未だに終息の目処も立たず、放射能と放射性物質を放出し続けているのが実状のようだ。

 原子力発電所は、現在日本に54基ほど存在し、その一つひとつの原発が、福島での事故と同じ災禍をもたらす危険性を秘めているということを、私たちは偏見のない目で見つめ直し、あらためて「原発とは何か」ということについて考えてみる必要があるのではないだろうか。

 多くの日本人、ことに都市部に在住する日本人にとって、電力の「原発」への依存ということや、その危険性や地域住民の苦悩については、今般の福島における事故を通してその甚大な被害が明らかになるまでは、「知らずにいたこと」なのではないだろうか。

 これは私自身への自省を込めて書いているのであるが、原発について「知らない」ということ、知らないがゆえに立場を鮮明にしていなかったということ、実はこれは「知らずに」原発を推進し、「知らずに罪を犯していた」のではないか、そんなことを強く感じている。

 繰り返すが「知らずに犯す罪」は、かえって知って犯す罪よりも重いという。

 それは、「焼け火箸」と知って握れば、大けがをすることはないが、「焼け火箸」と知らずして握った場合は、“大やけど”を負ってしまうからである。

 ましてや「死の灰」と言われている放射性廃棄物や放射性物質の場合には、今生きている世代のみが“大やけど”を負うだけならまだしも、子々孫々に亘って、いったいこれからどのような災禍をもたらす可能性や危険性があるのか――

 日本中にある「原子力発電所」から不可抗的に排出される「高レベル放射性廃棄物」が、現在どのような処理をされ(あるいは未処理のまま)、どのようなペースで地球上に蓄積され、それが人類の健康にどのような影響を与え、さらに現在進行中の福島原発事故の現状や、大量の被爆を覚悟の上で事故の処理に当たっている人々のことや、この放射能汚染にどのように対処すればいいのかを知るためにも、私たちは“原発”や放射性物質の与える影響について、より深く、より正確な情報を知る必要があると思われるのである。

――私は元来、保守的な人間である。しかし福島での原発事故を機に、イデオロギーによる偏見を超えて、未来世代の子や孫たちのためにも、目をそらすことなくこれらの現状をしっかりと「学ぶ」ことの義務を感じている。

 それが、今日の日本において「知らずに」罪を犯さないための確かな生き方であり、今般の大震災と原発事故を真摯に受けとめ、人と自然とが調和した世界を拓くための、大きな転機にしなければならないと考えている。

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