2015年4月15日 (水)

流産して悩んでいる方へ(2)

「流産して悩んでいる方へ」という読者の方との遣り取りを、2013年の秋に当ブログにアップしましたが、過日、これを読まれた方からお礼のコメントをいただきました。

 

近年のインターネットは、FacebookにしてもTwitterにしても、情報がどんどん流れ去って消えてしまうことに大きな違和感を感じていたところに、流れ去らない言葉もあることが分かり、少し安堵した次第です。

さて、コメントをお寄せいただいた方は、これまで5人の子供を授かったものの、この世で会うことが叶わなかったという辛い思いを抱えていました。

彼女との対話が、同様の問題で悩んでいらっしゃる方の参考になるかもしれませんので、この遣り取りをアップさせていただくことにしました。

以下は、数度にわたって頂いたコメントと、私からの返信となります。

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今までに5人子供を授かりましたが、この世では会えませんでした。

どうこの現実と向き合っていけばよいのか悩んでいるときにこちらのHPにたどり着きました。

今もつながっているのかと思うと、心が温かくなりました。ずっとさみしかったのに。。

心温まるお言葉、本当にありがとうございました。


投稿: サブリナ | 2015年4月10日 (金) 22時11分
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コメントをありがとうございました。

たくさんの子供たちと〝神縁〟をいただきましたね。

現象的には分かれているように見えますが、〝いのちの世界〟では、いまだ一度も離れたことなどないのです。

彼らはあなたとともに生き通しています。神さまにおいて〝ひとつ〟のいのちであり、あなたと久遠に愛し合っていることを観じ、祝福し、大いに(無限大に)喜んであげてください。

それこそが「祈り」(命宣り)であり、実相のみを観ずる生長の家の神想観です。

 

投稿: 久都間 繁 | 2015年4月11日 (土) 17時28分
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心に染み入るお返事、本当にどうもありがとうございました。

人数分の激しい辛さが、その分の喜びになれた気がします。。

現在は高齢ということもあり、もうこの世で会えるのは難しいという認識もあるのですが、これはこれでまた受け入れることがとても辛いのです。

これが私の最後の試練かもしれません。
この世でもう会えないとすれば、今世私に何か原因があると受け止めるべきなのでしょうか。

医学的に問題がないとすれば、スピリチアル的にどのような背景があるのかが受け止められられれば、乗り越えられるかも知れない、と思い恐縮ですが、再度コメントをさせて頂きました。

知識の乏しいわたくしが、とても暖かく慰めて頂いたにも関わらず、このような答えの難しいお問い合わせを突然させて頂いてしまうことを、大変申し訳なく感じております。

が、これも何かのご縁と思い思い切って書かせて頂きました。もし差支えなければご感想をお聞かせください。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

投稿: サブリナ | 2015年4月13日 (月) 19時59分
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合掌、ありがとうございます。

辛い積年の思いを、打ち明けてくださり、ありがとうございました。

子供たちとこの世で、目に見え、言葉を交わすような形で会えないことは、お辛いことと思います。

しかし、この世で「もう会えない」ということでは、ないのです。

なぜかと言えば、自分が産んだ子だけが、あなたの子供ではないからです。

神縁というのは、血筋によるものだけではありません。

自分の子供や孫であるか否かということとは無関係に、神縁によって出合った方とは、生と死を越えてより深い絆が結ばれるものです。

たとえば、恩師や師匠と呼ばれる人たちとの出会いは、肉親との縁とは別に、師が亡くなった後もより深く結ばれていることを感じるものです。

私の娘は今年大学4年になり、親元から離れて東京で生活していますが、彼女の絵の師匠(イラストレーター)は今年、喜寿を迎える独身女性の方ですが、自分の子や孫でもないのに、肉親のようにして無償で絵の指導をして、おまけに人生の指南までしてくれています。

また、私自身も亡き恩師との繋がりは、昇天後に十年の歳月が過ぎても、肉親とは異なる次元で、より深い結びつきを感じながら今も生きています。

むしろ、継承したものが私を通して生きている、といった印象で、このようなご質問にお答えさせていただくのもその一環なのです。

あなたのご質問にある、「スピリチアル的にどのような背景があるのか」ということについては、あなたが今どのような仕事をされ、どのようなことに取り組んでいらっしゃるかは存じ上げませんが、現世でお子様に恵まれなかったことは、これはあなたが今生で取り組んでいらっしゃる〝ご使命〟とも関係していることのように思われますが、いかがでしょうか。

つまり、あなたが持っているもの、情熱をこめて取り組んできたこと、生きがいにしてきたことが、もしかしたら、後世を担う若い人々に〝無償で〟伝えるご使命があるのかもしれない、ということです。

あなたが無償で与えたことは、彼らの血となり肉となって、それがまた後世へと続いていくのですが、このような深い繋がりは、誰にでも恵まれているようなものではありません。

それなればこその〝神縁〟であり、これに応えるためには〝無償の愛〟をもってしか応えることができないのです。

その理由はよく分かりませんが、神がそれ(愛そのもの)であることに由来しているのだと思います。

十分な情報がないままでのアドバイスとなりますので、行き届いた答えになっていないかもしれませんが、追加の質問があればお知らせください。

 

投稿: 久都間 繁 | 2015年4月14日 (火) 13時22分
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とても考えさせられるお返事、本当にありがとうございました。

5人の子供とは、私が人生を全うした時に会えるのではないか、、とその時を心から楽しみにしていますし、今回言って下さった「命の世界ではまだ一度も離れたことがない」という言葉には、とてもとても励まされました。
感動して泣きました。

今世で私ができる「無償の愛・・・」

今すぐ何かは正直分からないのですが、あの世の子供達に、あまりにも集中し過ぎていたここ数年の愛情(もしかしたら執着なのでしょうか?)を、これからは少しづつ、縁あって出会った方に向けていってみようかな、と思いました。

最も身近な両親や主人にさえも、切なさで精一杯で心に本当に余裕がなく、気遣う気持ちをここ数年忘れてしまっていた気が今してきました。。

この状態ではお母さんに選ばれなくても仕方なかったかもしれません。

神縁で子供達と、生と死を超えて深く繋がっていると分かっただけで、今回心にゆとりが生まれ、ここまで客観的に色々な事にお蔭様で気付く事ができました。

まずは子供の父親であり、神縁によって出会い、沢山辛い思いと我慢をさせてしまった主人に愛を再度向けないといけないです。

そして、6人目の子供とひょっとしてこの世で会えるかは、神縁に委ねる事に致します。

「血筋だけが神縁ではない」というお言葉に、しばらくは不思議な気持ちと、目から鱗のような気持ちと、壮大なスケールの中で人生をすごしていたのか、、、など本当に考えさせられました。

ずっと止まっていた私の時計の針が、漸く動き出した気がします。

また人生の困難にぶつかった時、改めてご連絡させて頂くかもしれません。

私と同じ思いで、とても辛い経験をされた方が、このやりとりを読まれて私と同じように心が軽くなると良いな、と感じています。

今回相談に乗って頂いて、心の底から感謝しております。今回の心温まるお言葉は私の生きる糧となることでしょう。
ありがとうございました。

そして遠く離れたお嬢様も、これからも沢山の良縁に恵まれますように。。

 

投稿: サブリナ | 2015年4月14日 (火) 20時37分
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ご丁寧な返信をありがとうございます。

>> ずっと止まっていた私の時計の針が、漸く動き出した気がします。

よかったですね。

6人目7人目のお子様は〝神縁〟によって必ず授かりますのでご安心ください。

同じ悩みを抱えていらっしゃる方のために、今回の遣り取りを公開させていただくことにします。

 

>> また人生の困難にぶつかった時、改めてご連絡させて頂くかもしれません。

 

どうぞ遠慮なく。

 

投稿: 久都間 繁 | 2015年4月15日 (水) 10時01分

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2015年4月12日 (日)

「言葉の力」

青少年の可能性を豊かに伸ばす『日時計24』という日本教文社刊の雑誌No.61(4月号)に、「言葉の力」というテーマで短いエッセイを寄稿しました。

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 コトバは、人の運命を変える不思議な力を持っています。

 長い人生には、ときに夢が砕け散り、挫折し、死にたくなるようなこともあるかもしれません。

  そんなとき、あなたの魂に深く響くコトバを紐解くことを忘れないでください。

  そのコトバはあなたの行く道を照らし、あなたの心の翼を甦らせ、あなたを人生の表舞台へと導くことでしょう。

 そのコトバは、ネットで検索することも、友人から気軽に聴くこともできません。

  なぜなら、運命を一変させる力を持つコトバは、深い祈りと愛を生きた人々から発しているからです。

  それは時代を越え、国境を越え、民族を越えて、まるであなた一人に遺したメッセージのように命に鳴り響き、貴方が何者であるかを示してくれるはずです。

 そのためには深い言葉の海に遊び、偉大な宗教家や思想家と親しく交わる不思議な時間をたっぷり過ごしてください。

  その経験はあなたの糧となり、遙か未来を見通す心の眼を啓き、夢を叶えるチカラを授けることでしょう。

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2015年1月31日 (土)

薪ストーブのある暮らし

201501up_2  

 八ヶ岳で暮らしはじめて二度目の冬を迎え、わが家でも“薪作り”に励んでいる。

「わが家でも」というのは、生長の家本部の移転とともに一緒にこの地に越してきた大泉の寮に住む皆さんも、同様の作業に励んでいるからである。

 この時期に割る薪は、春に使うものも含まれるが、ほとんどは来冬に備えてのものだ。

 昨年は一人で黙々とこの作業をやることが多かったが、最近は二人の息子たちも手伝うようになった。

 わが家での作業は、まず私が薪の原木(クヌギやナラ)をチェーンソーを使って約40センチ単位の長さで玉切りにする。

 それを長男(中3)と次男(小6)が斧で割り、この薪を、私が井桁に組んで塔のように積み上げるという手順で、現在は庭の空きスペースに10~20ほどこの塔らしきものが建立している。

 これらは1年ほど乾燥させて、順番に薪棚やガレージに収めていく予定だ。

 思えば、東京(都会)に住んでいたころは小・中学生の男子が、本気で全力を出して“家の手伝い”をする機会など、ほとんどなかったのである。

 しかし八ヶ岳の田舎では、雪かきに始まり、畑、薪割り、そんな機会は頻繁にある。だから小・中学生が生活の中で“男子”ならではの役割を果たすことができて、家庭での彼らなりのポジションが少し見えてくるようだ。そのおかげか、食卓の空気が清々しい。

 八ヶ岳に越して1年半。周期的に訪れる氷点下10度の朝や、信じ難いほどの積雪の渦中で、わが家に暖をもたらす薪ストーブの“ありがたさ”はひとしおで、最近は料理の煮炊きにも欠かせなくなっている。

 薪割り、薪運び、薪の焚きつけ、料理という一連の作業を通して、「人」と「炎」との原初的な繋がりを、親も子も身をもって体感することができるのは、他にどんなに不便なことがあったとしても、子供たちにとって掛け替えのない経験となるであろう。


 振り上げた一斧のもと、いっきに薪を割る爽快感は、弓道で的を射貫くことや、「居合」で巻藁を一刀両断することにも似ていて、冬ごもりのストレス解消にもなる。

  わが家ではスポーツと化した「薪割り」だが、寒風の中ひたすらチェーンソーで原木を“玉切り”にしてわが家の“男子”たちが割りやすいように積み上げ、さらに彼らが割った薪を、次は黙々と積み重ねて塔作りに励むだけの私は、まるで“賽の河原”にいるような気分になるときがある(^^;

 しかし幸福とは妙なもので、落ち着いてよくよく周りを見渡せば「炊煙春の霞の如く棚引(たなび)」く常楽の世界が、いつの間にかここに実現しているようだ――

 雪どけの春、花咲き鳥歌う夏、山脈が赤く染まる秋、降雪と薪ストーブの冬
 ―― 

 大自然に寄り添い、それがもたらす恵みや艱難と豊かに戯れること、そのことが実は、人間の人間たるものを熟成させて、私たちの内に密(ひそ)む真価値を練成して、来たる春への準備をしているのではないか。降る雪を見つめながらそんな“想い”がめぐっている。


2015年1月31日

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2015年1月26日 (月)

季節が変わるように

 八ヶ岳の“森の中のオフィス”では、毎月「自然を伸ばす活動」という作業が行われている。

 この作業はどのようなものか、というと、オフィスで働く生長の家の職員が、この地での“自然との共生”を実践するもので、森林整備、キノコ狩り、畑作り、雪かきなど、人が自然と係わる活動全般のことである。

 1月の中旬、雪の降る屋外でこの作業が実施され、当日は鹿たちが食い荒らした畑の整備と、農事倉庫前の“氷割り”が行われた。

 私は後者に加わったが、これは溶けた雪が地面に何層にも凍り付いて固まったものを、大きなアイスピックや鉄バールで砕いて除去するという、標高1350メートルの八ヶ岳山麓ならではの作業なのだ。

 小さなスケートリンクのような氷の盤面が広がり、シンプルに氷結した箇所は、かんたんに氷を割って剥(は)がすことができるものの、複雑に入り組んで氷結した箇所はどんなに力を込めて叩いても盤踞して剥がれない。アイスピックを両腕で持ち、腕と腰に力を入れて、リズミカルに繰り返し砕き続けるほかないのである。


 この作業を2時間ほど黙々と続けているとき、東京にいた十数年間に、生長の家講師として相談を受けたさまざまな「個人指導」のことを思い出していた。

  その人の抱えている心の問題が、単純な氷結の仕方をしていれば解決もまた容易である。しかし、溶けては凍結し、その上に積雪したものがまた溶けて、さらに車輪に踏まれて凍結してを繰り返したような心の問題は、複雑に入り組んで凍った氷の盤面と同じで一筋縄では剥がれないし時間もかかる。

 
 しかし、春が来ればすべてが氷解するのだ。

 単純な凍結はもちろん、どんなに複雑に入り組んだ凍結であろうとも、春が来れば跡形もなく消え去るのである。

 心に春を招き入れるためには、まず彼自身が、過去のすべてを打ち捨てることである。

 何もかもを放下することである。

 そして完全円満なる神にすべてを委(ゆだ)ねるのである。これが春の“誘い水”となり、やがて彼の魂の底から、永遠に消えない光が差してくる。

 その光は、どんなに拗(こじ)れた心の凍結をも、春の陽のように溶かさずにはおかないのである。

 イエス・キリストは、燈(ともしび)を升(ます)の下に置いてはいけない、燭台の上に掲げよ、と説いた。

 燈を升の下に隠すことによって心の凍結が生ずるのである。

 それがたとえ、どんなに小さな燈のように見えたとしても、それを燭台に掲げるとき、あなたの内なる光は春の陽のように輝き出して辺りの風景を“薫風の季節”へと一変させる。

 それが宗教的な救いである。

 これは外からもたらされる“救い”ではない。季節が変わるように、内から春の陽が輝き出すのである。


2015年1月26日

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2014年7月 1日 (火)

無垢な眼差しを感じて

 自然と人との調和を目指す『いのちの環』という日本教文社刊の雑誌7月号(NO52)に、「脱原発について」というテーマでエッセイを寄稿しました。

同誌には『日本の田舎は宝の山』の著者 曽根原 久司さんのインタービューなども掲載されているので、興味のある方はお求めください。
私の寄稿文を転載します。

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 3年前の冬、豪雪の八甲田山をスキーで滑降したことがある。

 それは山小屋所属のガイドの案内で、ゲレンデ外の自然の森や谷を麓まで滑り抜けるというもので、相部屋で親しくなった方に、目元の涼しい、Tさんという雪焼けした60代の好漢がいた。

 彼は平成11年まで東京・小金井でパン屋を営む傍ら、家族で登山に親しみ、子供が独立したのを機に福島の安達太良山麓に移転。

 地元の食材を使った無添加のパン屋を奥様と開業し、東京にいる孫たちを毎年家に招いて夏は登山、冬はスキーをするのが何よりの楽しみだった。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。続く東京電力の福島第一原発の事故で、終の棲家として選んだ彼のフィールドにも被害が及ぶ。

 以来、心待ちにしていた孫たちとの冒険も、娘の嫁ぎ先の両親から「森が放射能で汚染されているから」という理由で反対され、途絶えていることを残念そうに話してくれた。


汚染された場所に行かなければ安全か?


 環境省の「汚染情報サイト」で「森林の放射性物質の除染」について確認すると、住居、農用地等に隣接する森林の除染は林縁から20メートルの範囲で進められている。

 が、「落ち葉等の堆積有機物の除去を中心に」行う程度である。広大な森林については「調査・研究」を進めるとしているが、実際は放射能の減衰を待つほか打つ手がない状況のようだ。

 京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は、昨年五月にYouTubeに公開した小沢一郎氏との対談「福島第一原発を抑え込むために」の中で、マスコミに公開されることのない次のような事実を語っている。

 今回の事故で大気中に放出した放射性物質セシウム137の量について、当時の民主党政権がIAEAに提出した報告書には広島原爆の一六八発分と記載され、同原発4号機の使用済み燃料プールには未だ一万発分が眠っており、さらに海洋流出で問題になった汚染水には、すでに大気中に放出された十倍もの放射性物質が含まれていると解説する。

 これに加え、昨年9月の東京オリンピック決定後も、毎日300トンの汚染水(経済産業省の試算)が太平洋に流れ、自然界の動植物が広範囲にわたって被曝している。

 食物連鎖による生命界全体の遺伝子への影響を考えれば、もはや「汚染された場所に行かなければ安全」という段階ではない。

 

あなたは、何をもって応えますか

 

 日本政府は2月25日に発表した国の中長期的な「エネルギー基本計画」に、「原発は重要なベースロード電源」と明記した。

 残念なことだが現政権は、原発再稼働を前提に政策を進めている。

目先の経済的利益によって生じる放射性廃棄物という膨大なツケは、やがて未来世代が途轍もない時間と犠牲とお金を費やして支払うことになるだろう。

 なによりも危惧すべきは、現世代がそのことを「知らない」ように、情報が制御されていることだ。

 釈迦は「知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪の方が重い」と説いているが、原発再稼働が後世に与える影響を、そして放射線が遺伝子にもたらす潰滅的な意味を「知らない」こと、そのことが即ち未来世代への「重い罪」を犯す、つまり自分の子や孫の健康すらちゃんと守れないというやっかいな時代に、私たちは生きているのだ。

 それが原発に依存した社会に暮らすことの現実である。

 私たちがそれに気づいたのなら、もう「見て見ぬふり」をしてはならない。

「知らない」ことが重い罪となるならば、気付いただけで何も学ばず、何も為さないことは、絶望的な負の遺産を次世代に押しつけて遁走するようなものだ。

 しかし、因果律という明鏡は、すべての闇を明るみに引き出さずにはおかないだろう。

 最後の審判は遠い未来のことではない。それは、私たちの日々の生き方を掛け値なしに見通す、後世の人々の澄んだ眼差しの中にあるのだ。

 その無垢な光に、あなたは何をもって応えてあげるだろうか。

 

  (2014年4月)

〈普及誌『いのちの環』(日本教文社刊) リレー・エッセイ「脱原発について」掲載〉

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2014年6月13日 (金)

「都市の時間」と「森の時間」が重なるとき

 八ヶ岳山麓にある“森の中のオフィス”に勤務するようになって、早半年が過ぎた。

  標高1300メートルにあるオフィスへの出勤にはバスを利用しているが、帰りは家路までの数十分間から一時間ほどの逍遥(しょうよう)を楽しんでいる。

 

 当初は、スキーの体力作りのため、という目的で始めたが、今ではその目的はどうでもいいものとなり、自然の中を歩くこと、そのこと自体が大きな悦びとなった。

 

 帰路の途上では、その季節、その天候、その時間帯ならではの森での体験が次々と訪れる。

 

 4月に入り――鹿が風のように駆け抜け、ウグイスや小鳥たちの啼き声が森に響き、可憐な花々が地面や樹上で咲き、緑の米粒のような葉が梢で芽吹きはじめた。

 

 それらの光景と出合う度に、一つひとつの印象が心に刻まれる。

 

 都心に通勤していたときには直線的に飛び去っていた時間が、ここでは〝自然〟がもたらす豊かで新鮮な日々の印象となって心に留まる。

 

 9月にこの地に越してこの方、森が黄金色に染まり、やがて落葉し、雪が降り、新緑が芽吹き――そして時間はゆったりと、それは季節の揺るぎないあゆみと同調したようなペースで流れはじめている。

 

 これまで切り離されているように見えていた、「都市生活の時間」と、樹木が茂り花が咲き鳥が歌う「自然の時間」とが、森での逍遥を重ねているうちに、前者の時間が、次第に後者の雄渾ないとなみの中に包摂されてきたようだ。

 そのことが、無上の安らぎを森に棲(す)み始めた私たちにもたらしていることは、意識していないと気がつかないほど、その移行は自然である。

 

 森での生活は、はじめから私たち人間が、大生命の懐(ふところ)に抱かれていたことを、素直に思い出させてくれるのかもしれない。

                     (2014年4月)

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2014年6月 7日 (土)

「リニア中央新幹線が水を奪う」橋本淳司氏の「水」ニュース・レポートを読む

 メルマガ『橋本淳司の週刊「水」ニュース・レポート』掲載の「リニア中央新幹線が水を奪う」を読んで、レポートをシェアすることの許可を発信元の「アクアスフィア」に求めたところ、「公開していませんので、メールをシェアしていただくか、出所を明記してくだされば、ブログなどで公開していただいてもけっこうです」との連絡をいただきましたので、ブログ上で公開いたします。

  これを読むまでの「リニア中央新幹線」についての私の理解は微々たるもので、数年前に南アルプスにトンネルを開けて東京と名古屋間を結ぶことがニュースで発表されたときは、「自然を冒涜する行為だ」と、観念的に受け止めている程度でした。が、橋本氏のレポートから、具体的な「冒涜」の〝深度〟が、初めて伝わってきました。

  たとえば、品川から名古屋間を結ぶ全長286キロメートルの約8割が地下トンネルとなり、その長大なトンネル上に、直径40メートルの巨大な立坑が、なんと5~10キロメートルおきにつくられるそうです。これによって、「東京ー名古屋の地下深くつらぬく横穴と、そこに向かって地上から伸びる無数の縦穴があくことに」なり、その結果として、南アルプスの豊かな自然環境を大きく改変する工事となるのです。

  この工事の環境への影響は計り知れず、重要な水源である富士川、大井川、天竜川など一級河川への影響に加え、南アルプスの動植物など生態系への深刻な影響が懸念されています。

  同レポートには、山梨県笛吹市の「リニア実験線」周辺でも、すでに御坂町の水源である一級河川「天川」が枯渇していることを伝え、その周りの市町村についても、「トンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が相次いで」いると報告しています。

  同氏は、「日本列島に穴をあけて水を奪い、大量のエネルギーをつかい、処理しきれないほどの残土を出し、それでも高速に移動する必要があるのでしょうか」と訴えます。

  インターネット通信網に加え、これを活用するためのデバイスが発達し、東京・名古屋間のみならず、誰でも気軽に安価に世界各国に住む人々と瞬時にコミュニケーションできるこの時代に、〝移動時間の短縮〟などという時代錯誤の目標を立て、しかも、格安航空会社との競合による不採算などの大きなリスクを背負ってまで、大規模な工事を進める意味があるのかと次々と疑問が湧いてきます。

  そして世界各地で深刻な水不足にあえいでいる今の時代に、失ったら二度と戻らない南アルプスの自然環境や水資源を枯渇させ、新幹線の3.5倍も電力を消費するという「リニア中央新幹線」を建設することの必要性について、根本から見直す必用があることを、このレポートは伝えています。

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここから引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ▼「リニア中央新幹線が水を奪う」(橋本淳司)
(初出『傘松』2014年4月号「水の惑星に生きる作法」)

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 ●「夢の超特急」は薔薇色の明日をもたらすか

  リニア中央新幹線の経済効果が各種メディアで取り上げられています。

  三菱UFJリサーチ&コンサルティングのレポートでは、品川ー名古屋間が開業した後の経済効果は、2050年までに10.7兆円、大阪まで一括で整備された場合に16.8兆円と推計されています。その内訳は、まずは「夢の超特急」を目当てにした外国人観光客などの増加によるもので、東京・名古屋・大阪だけでなく、途中駅周辺でも観光を中心に経済効果が見込めるとされています。

  また、東京ー名古屋間は40分、東京ー大阪間は1時間という移動時間の短縮に伴って、仕事の効率がアップし、経済活動が活性化する効果も大きいとされています。

  それだけに、リニア中央新幹線に対する地元自治体の期待は高まるばかりです。まるで初恋にうなされる中学生のようです。最近では京都市が、駅誘致に前のめりになっています。「京都駅ルートが実現した場合の経済効果が年間810億円。現行案の奈良ルートと比べ約2倍になる」という独自の試算を公表して、何とかリニアのルートを呼び込もうと必死になっています。

  各地でバラ色の妄想が一人歩きしている感がありますが、果たしてリニア計画は、それほどよいものでしょうか。少しだけ冷静になって考えてみたいと思います。

  そもそもリニア中央新幹線とは、時速約500キロで品川、名古屋、大阪を一直線で結ぶものです。走行方式は「超伝導磁気浮上方式」。リニアモーターをマイナス269度まで冷やし、そこに電流を流して超伝導状態にし、側壁の磁石との間に生じる強い磁気により、車体を浮かせて走行します。

  品川ー名古屋間は平成39(2027年)年開業を予定し、平成45年に大阪への延長をめざしています。品川を出発すると、神奈川県相模原市、山梨県甲府市、長野県高森町、飯田市、岐阜県中津川市という中間駅を経て名古屋に到着。全長286キロメートルの工程ですが、都市部では大深度の地下トンネル、南アルプスの山並みでは直下に大トンネルを穿つことになり、経路の約8割が地下を走ることになります。

 ●リニア実験線での水涸れ

  ここに「夢の超特急」の1つ目の問題点があります。トンネル工事によって水涸れを引き起こす可能性があるのです。

  私は数年前から山梨県笛吹市のリニア実験線周辺を何度も歩いています。

  建設現場近くの道を歩くと何台ものトラックとすれ違います。ときおり水がゴーゴーと音を立てて流れる場所があります。静かな山のなかでコンクリートの滑り台を水が落ちて行く様子は異様です。

  これは何か。トンネル工事の際、水脈にぶつかると、トンネル内に水が溢れます。そうなると工事に支障を来します。そこでコンクリートのバイパスをつくって他の場所に移します。その水が音を立てて流れているのです。

  しかし、そうなると別の場所で水涸れが起きます。

  山のなかで水の消えた川に出会いました。なぜそこが川だとわかったか。干上がった地面に、水で削られた丸みを帯びた石と、魚やカニの死骸が転がっていたからです。これはとんでもないことになっていると思いました。

 トンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が相次いでいます

  地下水の豊富な地盤にトンネルを掘削すると、風呂桶の底に穴があいたようになり、地下水が漏れ出します。大量の出水により掘削工事は難航し、一方で、その地下水をつかっていた人々は水に困るようになります。

  平地の場合、砂や礫の層にある隙間に水が流れます。平地にトンネルを掘る場合、既存の井戸があれば観測記録やボーリング資料などをもとに計画を立てることができます。シールド工法という砂利を掘ったそばから既成の壁を組み立て、地下水がトンネル内に漏出するのを極力小さくする工法もあります。

  しかし、山岳トンネルの場合は、簡単ではありません。地下水が岩盤の亀裂の中に含まれているからです(火山地帯を除く)。これを「裂か水」と呼びます。地下深い岩盤内にどのように亀裂が入っているのか、裂か水がどの程度存在しているのかはなかなかわかりません。山岳トンネルを掘るときには、機械で岩を掘り崩し、一定の長さを掘り進めたところで壁にコンクリートを吹きつけ、鉄の棒で岩盤に密着させ、防水シートを張り、さらにコンクリートで内壁を構築します。あるいは徹底的にトンネル周辺の水を抜きます。

  しかし、どこに水があるのかを正確に予測するのはむずかしく、結果として水脈を切断することがあるのです。

 御坂町の水源である一級河川「天川」は枯渇しました。八代町竹居の門林地区九世帯が使っていた井戸水は明らかに減っています。応急対応で市の上水道に接続していますが、ここに住民に話を聞くと、「工事前には井戸が減ったりしたことは一度もなかった」と言っていました。

  御坂町上黒駒の若宮地区でも、生活用水として使っていた簡易水道が渇水しましたし、八代町竹居で約100世帯がつかっていた簡易水道の水源も枯れました。工事者は「水源の水をためる層近くを掘削したことが原因」と因果関係を認め、「日常的に水脈の観測を行いながら慎重に工事を進める。仮に新たな報告があった場合、地元住民に対し、きめ細かな対応をしていく」としています。

  そうしたなか、やや意外に思ったことがありました。何人もの住民に話を聞いたのですが、水源が枯渇したことへの怒りの声はあまりなく、補償として代替水源を確保してくれたことへの感謝の声ばかり聞きました。とりあえず今日、明日の水が確保されればいいということでしょうか。

  ですが代替の水は遠くからポンプで配送されているためエネルギーコストが高いはずです。さらに生活水の補償は、国土交通省の通達で「最長30年間」という期限がありますから、将来的には水道料金として住民が支払うことになるでしょう。そのときになって地元の水が消えたことを後悔しても遅いのです。

 ●本線で起きる水の問題

  リニア中央新幹線本線は、東日本大震災から間もない2011年5月に国交省が「GOサイン」を出し、建設に向けた動きが一気に加速しました。

  リニア本線では、前述したように、全長286キロメートル経路の約8割が地下トンネルになります。それに加え、ルート上に直径40メートルの巨大な立坑が5~10キロメートルおきにつくられます。つまり、東京ー名古屋の地下深くつらぬく横穴と、そこに向かって地上から伸びる無数の縦穴があくことになります。

  こうした工事の影響が懸念されている場所があります。

  たとえば、長野県下伊那郡大鹿村大河原の釜沢集落では、集落の水源地の地下を路線が通る予定になっています。また、同県木曽郡南木曽町妻籠では、県の水環境保全条例で「水道水源保全地区」に指定されて、360世帯が利用している水源地と路線が重なっています。

 こうした地域では、実験線の工事現場周辺と同様のことが起きる可能性があります。

 ●南アルプス横断トンネルで大井川が涸れる

  本線のトンネルのなかでも、とりわけ長いのが南アルプス横断トンネルです。小渋川など二カ所の川を渡る橋の部分で少しトンネル外へ出るだけなので、実際には山梨県富士川町から豊丘村に至る延長約50キロのトンネルと考えてよいと思います。富士川、大井川、天竜川という三河川の流域を一本のトンネルで貫くわけですが、現在、水涸れについて最も心配されているのが大井川です。

  JRが大井川水系源流部の七地点で工事後の河川流量を試算したところ、赤石発電所木賊取水せき上流で毎秒2.03トン減るという結果が出ました。毎秒2.03トンは同地点の平均流量(11.9トン)の約17%に相当します。

  トンネルを掘ることで河川流量が減るメカニズムは、掘削途中に地中の水脈にぶつかりトンネル内部に地下水が染み出すことが原因です。

  そこでJRは、トンネル周囲の地盤の隙間を埋める薬剤を注入したり、防水シートを施したりした上でトンネルをコンクリート加工する案を示しています。

  しかしながら、こうした対策を講じても、地下水がトンネル外側のコンクリ表面を伝うなどして山梨、長野両県内のトンネル開口部から流出する懸念は残っています。

 毎秒2.03トンという水は、下流域の島田、掛川など7市約63万人の水利権量とほぼ同じです。該当する地域の自治体は懸念を示し、JRに対し、保全措置を尽くしても減水となる場合は、代替水源を確保し、利水団体と継続的に協議することなどを求める要望書を提出しました。

  とくに掛川市の住民は複雑な思いでしょう。なぜなら過去にトンネル工事が原因で、生活に利用してきた湧き水が枯れてしまった経験があるのです。粟ヶ岳の中腹には地下水が湧き出る水源がいくつもあり、地域特産の茶の栽培に欠かせません。

  ここでは1954年頃、約35世帯で簡易水道組合を発足して生活水を調達していました。毎分200リットル以上の豊富な水が湧き出るため、他の地区にも供給したほどでしたが、2000年5月に水源が枯れたのです。原因は約500メートル北側で1999年から始まった新東名高速道路金谷トンネルの掘削工事でした。

  事業者の中日本高速道路が止水工事などを試みましたが、湧き水が戻ることはありませんでした。

 ●生態系保全の視点はない

 「これまでつかっていた水がなくなっても、代替の水は用意してくれると言っているんだから、それでいいじゃないか」

  という人がいます。

  そういう人はほかの動植物のことを考えていない人です。

  工事によって、河川や湖沼の水深が浅くなる、流れが切れる、水温が上がるなど、生態系がダメージを受ける可能性は高いのですが、長大なトンネルの建設現場を取り巻く南アルプスには多様な希少動植物が存在します。

  静岡市、川根本町を含む3県10市町村は同地域を含むエリアでユネスコエコパークの登録を目指し、開発と保全の整合性が問われています。

 アセス準備書は、県条例が保護対象とするラン科の植物「ホテイラン」の生育環境を「保全されない可能性がある」と明記しています。絶滅の危険性が極めて高いとされるイヌワシやクマタカなども同様の評価です。

  これを受け静岡市環境影響評価専門家会議は、「多様な生態系を損なうことはエコパーク全体の機能喪失につながる」と指摘し、「必要な場合は計画の見直しも含めてエコパークの登録実現を積極支援すべき」とまとめています。

 ●採算性低く、電力効率も悪い

  リニア計画にはほかにも疑問点が残ります。

  1つ目は採算性です。膨大な建設費に見合う利用者がいるでしょうか。最大の懸念は、JR東海という民間企業が9兆円もの建設費用を全額負担することです。リニア中央新幹線のビジネスモデルは東海道新幹線と基本的には同じで、内部留保(利益剰余金)と借金で建設費を賄い、運賃・料金収入でそれを回収するというものです。

  JR東海の内部留保は1兆5891億円(2013年9月)ですが、一方の借入金・社債・鉄道施設購入長期未払金の有利子負債として2兆6022億円を抱えています。リニアに着工すれば、借入金はさらに増えます。全線開業時の債務は5兆円程度になると予測されています。

  一方で、運賃収入は東海道新幹線開通時のようには大きな運賃収入は見込めないでしょう。

  リニアを開業しても既存の新幹線から乗客がシフトするだけだからです。さらに格安航空会社との顧客の奪い合いも予想されます。そうなると不採算路線になる可能性もあります。JR東海は今のところ品川―名古屋間の運賃を東海道新幹線「のぞみ」の運賃に700円程度上乗せすることを想定しています。大阪まで全面開業した際も、上乗せは全線で1000円程度にとどまる見込みとしていますが、不採算であれば、運賃体系を見直さざるをえないでしょう。

  2つ目は電力です。リニアの消費電力は現在の新幹線の3倍といわれています。ここで問題となるのは強い磁界をつくり出すために超伝導磁石を使うことで、全長約四百四十キロの路線全体に常伝導の推進コイル(電磁石)を敷設するなどで、膨大な電力を必要とします。乗超伝導磁石の冷却にも大きな電力が必要です。

  産業技術総合研究所首席評価役の阿部修二氏が、JRの公表数値などをもとにリニア走行の消費電力量などを予測しています。乗客1人当たりの消費電力量は、既存の新幹線と同じ時速300キロメートルで走ると約2倍、最高時速とされる506キロメートルで走行した場合は300キロメートルで走る新幹線の三・五倍となる試算を示し、リニアのエネルギー効率の悪さを指摘しています。

  3つ目は残土の問題です。自然豊かな南アルプスに長大なトンネルを掘るのですから、沿線全体に残土処理の問題があります

  そのほか電磁石の影響の問題も未知数です。リニアに乗るときには、クレジットカードなどは磁気の影響を受けないように、特殊なケースに預けることになっています

 ●リニアは高度経済成長期の残滓

  振り返って見れば、リニア中央新幹線が最初に提案されたのは1973年、第二次改造田中角栄内閣の高度成長真っ盛りの時代でした。リニアとは、ブルドーザー宰相による列島改造計画の残滓なのです。

  列島改造とは、川による町と町の結びつきを断ち、地方の町を道路や鉄道で東京と直結することでした。それまで、ヒト、モノ、カネ、文化の流れは川とともにありました。そして一つの川の流れで結ばれた流域が生活圏でした。流域を基盤とした生活圏は、独自の方法で自立し、ユニークな文化を生みました。しかし、高速道路網、新幹線網が整備され、地方の町が東京と直接つながるようになると、川の道はしだいに消え、川の流れで結ばれていた小さな町同士のつながりは薄くなりました。

  ヒトとカネは町から東京へ流れ、モノと文化は東京から町へと流れました。若者は東京へ行き、地方には年寄りが残されました。街並や商店街は消え、幹線道路沿いにショッピングセンター、ファストフードチェーンができたのです。道路と鉄道は開発時には地方の水を奪い、完成後は地位の活力を東京へ吸い取るストローの役割を果たしたのです。

  高度経済成長の残滓であるリニアも巨大なストローです。計画から40年が経過し、社会が大きな変化を迎えているにもかかわらず、相変わらず成長の夢を追いかける単純なプロジェクトです。

 もう少し冷静になって自分たちを取り巻く状況を見てください。

  今後半世紀、私たちを取り巻く環境は大きく変化するでしょう。

  今後の構造変化のなかで最もインパクトの大きいものは人口減少でしょう。現在の傾向が続けば、2060年には人口が約8700万人まで減少します。そして、その多くが都市に住んでいるとされています。

  こうしたなか経済成長を目指さない社会づくりを真剣に考える時代になりました。経済活動は行いながらも、その規模自体は拡大していかない経済です。経済の持続は必要ですが、経済規模が拡大し続けることは必要でしょうか。

  また一方で、日本列島に穴をあけて水を奪い、大量のエネルギーをつかい、処理しきれないほどの残土を出し、それでも高速に移動する必要があるのでしょうか。

  地球は有限です。有限の地球から無限に資源やエネルギーを取り出し、無限に二酸化炭素や廃棄物を戻し続けることはできません。

  リニアは成長期の子どもが描いた夢のようです。少子高齢化・人口減少、過疎化の進展、エネルギー問題などの課題を抱え、成熟期を生きる私たちが、実現するようなものではないのです。

 笛吹市で読んだ「議会たより」には、「富士山世界遺産登録とリニア開通で笛吹市が桃源郷になる」という意味のことが書かれていました。しかし、桃源郷とは本来、主体的に探して見つけたり、到達したりするものではなく、すでに手のなかにあるもの、とされています。■

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2014年5月31日 (土)

森の中で見えてきたこと

 機関誌『生長の家』の編集部から、リレー・エッセイ「八ヶ岳の暮らし」の寄稿を求められました。

 同誌の6月号に掲載されましたが、これを書いたのが、八ヶ岳ではまだ新緑も芽吹かぬ3月の冬枯れの中だったため、読み返してみると、すでに時機を逸した感がありますが、初めて体験した〝雪どけの季節〟ならではの感想として公開します。

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 八ヶ岳の森で暮らしてから、人生でやり残していたことに、なぜか背を押されて生活するようになった。

 それは私の余命が判明したからではなくて、森に住んだことで、人生で重要なことと、それ以外のことが見えてきたのである。

 森の日々を振り返ると幾つかの印象的な光景が甦ってくる。

 それは、冬に備えて薪の原木を一人で割っているとき─―

 大雪に埋まった道を、寮の仲間と黙々と除雪しているとき─―

 深雪に鎖された森に飢えてさまよう鹿と、目が合ったとき─―

 仕事を終えて、一人月明かりの森を歩いているとき─―

 氷雪が溶けて、やがて春の大地を潤すように、何か大切なことが体感され、都会生活の薫習(くんじゅう)が、次第に剥落(はくらく)していった気がする。

 さて、背を押されていることの一つは読書。

 テレビを見る習慣を止めたことで、森の静けさが部屋の中に充ちてきて、重要な対象が次々と像を結び始めた。

 祈りに導かれつつ、今日の文明史的な課題と聖典の精読に、深夜と早朝に取り組んでいる。

 次に家族との語らい。

 家の中心に薪ストーブが据えられ、夕暮れを過ぎれば真っ暗闇の森に家の灯がともり、周りに住む鹿や狐など動物たちの息遣いを感じながら、火を囲んで、夫婦、親子、時に友人たちと語らいの日々を過ごしている。

 そしてスキー。

 5年前「吾が人生にまだこんなに楽しいものが残されていたのか!」と、驚きとともに数十年ぶりに再開したが、今は電気自動車で25分も走ればゲレンデだ。

 急斜面に飛び込むとき、眠っていた身体の感覚が全面的に覚醒し、斜面を自在に滑降していると、いつしか自然・心・躰が一つになる三昧境。
 冬季に限定されたこの瞑想にも似たスポーツの悦びは、どこまで深まるのだろう。

 そして山登り。

 “森の中のオフィス”周辺の南アルプス山系では、かつて、北岳、間ノ岳、農鳥、甲斐駒、仙丈と登ったが、なぜか未踏のままだった八ヶ岳。

 限られた誌幅にこんなことばかり挙げていても切りがない。が、森に住んだおかげで、当分の間くたばりそうもない。


  (2014年3月)

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2014年4月22日 (火)

うつ病を克服するために

 20年来のうつ病という、40代と思われる方から相談のメールをいただきました。

 宗教の門を叩くのは、人生で行き詰まった
場合か、この世を超えた崇高な真・善・美を求めての場合か、あるいは美しい生き方(信仰生活)をされている方と出会った場合などさまざまです。が、この方は前者、つまり全てがうまく行かず、悩み苦しんで門を叩いてこられました。

 最近、ますますはっきり感じるようになったのは、人生に「行き詰まる」とき、というのは、最も「神さまに近づいている」とき、でもあるようです。

 これをどのように導き、そして彼の「内なる神性・仏性」に取り次ぐことができるか、これは私ども宗教に携わる者に課せられた重要な使命でもあります。

 はたして、それがどこまで果たせているかどうかは分かりませんが、皆さんのご参考までに、お名前を伏せて、質問と私の回答を公開いたします。

 2014年4月22日



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【メールによる相談】


 
 こんばんは、初めてメールさせて頂きます。

 数年前の5月頃、東京・原宿で先生の御講話を拝聴させていただき、後でご指導頂き、先祖供養について教えていただきました。

 その節は親切に熱心にお話下さり、有り難かったです。本当にありがとうございました。

 教えていただいた通り、仏壇がなければ清浄な箱でもいい、とのことで、お札に先祖代々の名前を書き込み、清浄な箱に祀らせいただき、聖経をあげています。生長の家の本は真剣に拝読し始めて五年程です。

 メールでは失礼と思いましたが、宛先がわからす゛先生のブログを拝読し感銘致しまして送らせて頂きました。

 起こった事は全部己のせいですが、色々な事が上手く行かず苦しんでおります。

 ご多忙の中恐縮ですが、おてすきの時がございましたら、再度先生のご指導を賜れませませんでしょうか。

 昨年20年来のうつ病で障害者三級になりました、辛い体をおして派遣でなんとか勤めても、月11~12万ほどの収入で貯金も十数万です。

 生長の家で教えて頂いた、ただ善のみ、ただ豊富のみを唱え頑張っていましたが、収入が決まったサラリーマンがどうやって? 派遣には昇給、ボーナス、退職金がありません。

 四十代を迎え、ダブルワークをする力も、宝くじを買う金もありません

 父は十歳で亡くし、母、兄からはいまのよで言うなら、虐待とされるような事をされてきました。

 断絶され長年会っておらず、居場所も知らされていません。

 助けを求められる人はいません。暗くて鬱陶しい話を申し訳ございません。

 父が四十代でなくなり、自分も子供の頃から四十代で死ぬと思っていました。だから現状がこんなでも、もうじきさよならなんだから…という気持ちもあります。

 周りに引かれてしまいますので、誰にも相談できません。

 どんなに表面上明るく振る舞っても、自分の芯に硬い暗い闇があるようです

 また目、膝、腰の左側の体ばかりが悪くなるのです。

 収入、健康、家族、みなしくじっています。
 どうしても上手くいきません。せっかく生長の家の教えがあるのに、結果がついてきません

 勝手なおねがいで申し訳ございませんが、先生に一言ご指導賜りたくメールさせて頂きました。

 長々失礼致しました。

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【質問への回答】

 合掌、ありがとうございます。

 メールを拝見しました。以前に私が指導したことがあったとのことですが、文面を読んで感じたことをアドバイスします。

 頂いたメールによると、「生長の家で教えて頂いた、ただ善のみ、ただ豊富のみを唱え頑張って」いるとのこと。

 善や豊かさを口に出して唱えていたとしても、現在のあなたのように、「収入が決まったサラリーマンがどうやって?」なんて〝心の底〟でそれを打ち消していたのでは、いつまでも現状を変えることが出来ないのは、「心の法則」によってあなたの「信じた通り」のことが実現しているのです。

 せっかくの「行」が、「信」をともなわない〝空念仏〟に終わるのはもったいないことですが、それはあなたの生きる姿勢が、まだ信仰にまで到っていないのかもしれません。

 生長の家では、迷ったり行き詰まったりしたときには、「第一義のものを第一にする」ことが問題解決の基本であると教えられています。

 第一義のものとは、神のことであり、仏性のことであり、あなたの「実相」のことです。

 迷ったり、行き詰まったりするのは、「第一義のことを第一に」していないことの裏返しでもあります。

 つまり、神よりも、仏性よりも、実相よりも、現象にすぎない肉体の健康やお金のこと、暮らし向きのこと、などの〝取り越し苦労〟を第一にしていれば、三界唯心所現(心の法則)によって、あなたが心に描いた通りの(神ならざる、仏性ならざる)混乱した不完全な状態が現れるのです。

 このような中途半端な心の姿勢では、とても生長の家の信仰とは言えません。

 生長の家の信仰生活は、シンプルに言えば「第一義のものを第一にする」生き方です。

 現象は「心の影」に過ぎません。心の影は、聖経『甘露の法雨』に説かれているように「心」のフィルム(原版)を浄めることによって、いくらでも〝より善きもの〟に変えることがでるのです。

 信仰によって、あなたの人生を改善したいのであれば、これまでの自分の生き方を、「自分中心」から、「神を中心」にした生き方に変えることです。

「人間・神の子」の自覚の深まりも、悦びの人生を実現することも、あなたの生きる姿勢を「神(内なる神性・仏性)を中心に」据えることによって、大きく開けて来るのです。

 以下にアドバイスを書きます。本気で問題を解決したいのであれば、倦(う)まずたゆまず実行してみましょう。


①毎朝夕、必ず神想観を実修すること。

 神想観(祈り)は信仰生活の基本です。人間・神の子の自覚は、神想観を日々実修して、すべてを、どんな悩みも苦しみも何もかも〝神に全托〟して、そのまま円満完全なる実相を静かに観ずることによって深まるのです。
 不完全な現象は無い! 人間ははじめのはじめから円満完全な神の子である! との自覚が深まれば、あなたの人生は着実に好転します。

 実修方法が分からなければ、お住まいの教区や練成道場の練成会に参加して、先達の諸講師から正しい指導を受けることをお勧めします。


②毎日時間を決めて『生命の實相』などの聖典を拝読すること。

 生長の家の悦びの信仰は、「自性円満」(そのままで完全円満であること)に目覚めることから始まります。そのためには、あなたの内なる実相に、直接呼び掛けるコトバを毎日拝読して〝いのちの糧〟としてください。

 その第一歩として、『生命の実相』(日本教文社刊)を1巻から40巻まで順次読み進めてください。全巻そろえるお金がなければ、1巻から順次読み進めることです。読了したら、必ず次の巻を買うお金が揃います。信仰が深まるにしたがって、お金でも物でも協力者でも、すべては必用に応じて必用なものが巡ってきますから、安心して修行に励んでください。

 これと合わせて、御先祖と亡きお父様、すべての諸霊に感謝を込めて、仏壇の前で聖経『甘露の法雨』を読誦しましょう。


③人のお役にたつことを毎日1回以上実行すること。

 近隣のゴミ拾いでも、他人の幸せを祈ることでも、家族やお世話になった方に感謝の手紙を書くことでもよし。派遣先で深切な言葉や感謝の言葉を掛けることでもかまいません。今のあなたに出来ることを、密かに実行しましょう。これを続けてみましょう。

 現在の境遇を克服して「無限供給」を開く道は、あなたの内に在る(無尽蔵の)チカラを〝無償で〟人に与えることから開けてきます。〝与える者が、与えられる〟のです。

 天地のすべてのものは、神と神の現れですから、人生で出合う一つひとつの機会を〝かけがえのないもの〟として感謝して迎え、今のあなたに出来る深切を精一杯なさってください。

 最後に、あなたが無限生長の道を歩むために、勇気を出して地元の誌友会に参加してください。

 身近なところで真理の道を歩む方たちと実相を研鑽し、人生の光明面を見る「日時計主義の生き方」をしっかり修得すれば、「修行」も〝楽行〟となり、あなたが豊かに繁栄するためのたくさんの気づきや、ヒントや、アドバイスをいただけることでしょう。

生長の家本部講師
久都間 繁



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【礼 状】 (平成26年4月22日)

 ご多忙の中、突然の申し出に親切にご指導頂き、誠にありがとうございました。一生懸命やっていたことは、空念仏でした。

 先生にご指導頂いた数々を、良いご報告が出来るよう努力します。
 本当にありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【礼状への返信】 (4月23日)

ご連絡をありがとうございます。

先ずは、何もかも、神さまに全托することからはじめましょう。

そして、まな板の鯉になって、楽に生かされて生きるようにしましょう。

神の御心のままに導かれますよう、祈っています。

久都間 繁


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2014年4月16日 (水)

鶴見済氏の『脱資本主義宣言』を読む

  鶴見済氏の『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』を読んだ。

 
 仏教に「抜苦与楽」という言葉がある。

 これは衆生の苦しみを抜き去り、代わりに楽を与えるというもので、鶴見氏のこの著作は、今日の文明史的な「苦しみ」を解決するための、一つの処方箋として書かれたものと言えよう。

  本書の「はじめに」で、鶴見氏は次のように書いている。

 

  それでは、経済の仕組みに代わるモデルとな
  る別の仕組みとは何か? カネでない価値観を
 どこに求めればいいか?
  本書がその一例として取り上げているのが、
 自然界の仕組みや自然界とのつながりだ。

 

「自然界とのつながり」――鶴見氏は、かつて90年代のはじめに『完全自殺マニュアル」などという、物騒な作品を著しているが、人生についての試行錯誤を重ねながら、この世の「生きづらさ」の問題と格闘し、「どうすれば楽に生きられるのか」について探求し続けた痕跡が、行間からじんじん迫るのを真摯な読者は感じることだろう。

  同氏はある時期から、「楽に生きるためにはこの『経済の仕組み』を何とかしないとダメだろう」ということに気がつき、この“仕組み”について一つひとつ細かいデータに当たって調査してみた。すると、「驚きあきれるような事実」を次々と見出すことになる。

 つまり私たちが住んでいる資本主義社会の背後には、「生きづらさ」の原因となるものがあふれていたのである。読者は読み進むにしたがって“眼からウロコ”が落ちる思いでページをめくることになる。

  本書の内容から、彼が見出したことの一端を挙げてみよう。

 

 カネ儲けを第一の目的にしてしまった社会が
 失ったものは何か? 当然のことながらそれ
 は、「カネ儲けにつながらない価値」だ。この
 社会では人の健康や環境への害も、金額に
 換算しないと文字通り「計算に入らない」よう
 になってきた。ましてや我々の多様 な「幸
 せ」について、この社会が勘定できるわけが
 ない。
  グローバル化する資本主義が、カネのある
 なしにかかわらず、すべてのヒトにもたらす災
 いはこれであ
る。   (同書133~134頁)

 

 これは卑近な例だが、わが家の子供たちがかつて通っていた都心の小学校では、幼い子供を抱えながらもパートで忙しく働いている主婦が何人もいた。これも、ささやかでも家計の足しになればと、家族の幸せを願っての労働である。

 しかし母親が外で働くようになれば、社会的な責任をともなう仕事の都合を、彼女がまじめな方であるほど、家庭の都合より優先することになる。

 ある日〝こんなはずではなかったかも・・・〟とふと気付いてみても、わずかでも月々の収入が、子どもの幸せや夢の実現につながることを思えば、ガマンせざるをえない。
 しかしそのシワヨセは、すべて家族に、ことに幼い子供に寄せられることを、知って(意識して)いるか否かということは、とても重要である。

  もしこれを自覚せずに進めば、子どもたちは最も愛情を必要としている時期に、母親とふれあう時間を、おカネを得るための経済活動に奪われ、愛情の代償として親が買い与えたテレビゲームと向き合うことになる。失われた母親との時間は、永遠に戻ってはこない。

  家族は、日々の、思いやりの言葉の遣り取りを通して結ばれている。が、もし核家族化した親子の間で、これがなし崩し的に“先送り”にされてしまえば、やがて子供は思春期を迎えるとともに、まっすぐに家庭崩壊への道をたどる要因ともなるのである。

 これは、母親の責任でも、誰の責任でもない。私たちは、何の疑いもなく「おカネ」、つまり経済を至上のものとするコマーシャリズム(営利主義)の中に翻弄(ほんろう)されているのだ。

  これが、鶴見氏のいうところの「生きづらさ」ということの一つの側面である。

  家族の幸せを願いつつ、私たちはいつのまにか唯物論的資本主義の巨大なシステムの渦中に巻き込まれ、最も大切なものを見失ってはいないだろうか。日々立ち止まり、子供たちと目線でふれ合い“対話”することを心がけているだろうか――。

  お金に換算できない、私たちの多様な「幸せ」。これを取り戻すための、資本主義を超えた「別の仕組み」を模索したのが、本書の取り組みといえよう。

 果たして同書に書かれた内容が「答え」に至っているか否かは、諸賢に一読を願うところだが、真摯にこの問題に取り組んだ著者に私は賞賛の言葉を惜しまない。
 少なくとも社会主義でも共産主義でもない「資本主義以降」を考えるための〝必読〟の一冊であることは確かである。

 

 久都間 繁



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2014年3月19日 (水)

祈りと愛行について(子供が授からず悩んでいる方へ ②)

 皆さんは、不思議な偶然が重なったときや、善いアイディアが次々と湧きでてきたとき、ふと、神さまから導かれていることを感じたことがありませんでしょうか。

 
 このような不可視の世界からの導きは、その場や渦中にいて感じることもあれば、ずっと後になって、長い歳月を経たあとで気付かされることもあります。

 ブログも何年か続けていると、このような神秘な導きを感じる機会が何度か訪れるものです。

 今回紹介させていただく礼状にも、そのような内容が記されていますが、礼状を書きたくなること、その動機の中に、すでに次に展開する世界の萌芽がめばえているのではないかと思われます。

 今回紹介させていただく手紙は、2年ほど前にこのブログに掲載した
「子供が授からずに悩んでいる方へ」で遣り取りした方から頂いたものです。
 


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【礼 状】 (2014年3月13日)

 久都間先生に子宝に恵まれたい件で、相談に乗っていただいてから2年がたちました。ここのブログで掲載されている内容をもう一度読み返して、4月からの自分のあり方を考えようと、久しぶりにのぞかせていただきました。

 すると、私の相談内容と同じ悩みを抱えた方のお話
(流産して悩んでいる方へ)が寄せられていて、とても驚き、見るべくして神様が導いて下さったのかと思いました。

 ご相談に乗っていただいてから、丁度一年後に私は仕事を退職しました。やはり現在の仕事を続けていては、ゆったりと家庭モードになることは難しいと考えたからです。しかし、教育現場から離れることへの寂しさもあり、退職してから2ヶ月後に、半日の仕事ではありますが、再び子ども関係の仕事に就き、現在に至ります。仕事量が断然減り、生長の家のご本を読んだり、聖経をあげたりするなどの余裕もできました。

 しかし、まだまだ悟りの浅い自分ですので、子宝に恵まれたいという焦りがなかなか治まらず、その焦りが主人にも少し移ってしまったようにも思います。「最も良い時期に神様が授けてくださる」と分かっていても、それは、いつ??と思ってしまう情けない状態です(^-^;

 この4月から再び中学校へ戻ろうかと、ある試験を受けましたが、不採用通知が来ました。面接の時には自分なりに手ごたえがあったので、「あれ・・?」と思っていたのですが、もう一通の手紙で、その理由が分かったように思います。

  その手紙は、一年前に別れたある生徒からの手紙でした。私が一生懸命指導していた部活動の部員の子です。自分の高校受験合格の報告をしてくれる手紙でした。そして、手紙の内容には、「先生が退職された理由が知りたい」ともありました。子どもを授かるために退職したとき、生徒たちにはどう説明してよいか分からず、「家の事情」とだけ告げていたのです。

 今回この手紙と不採用通知が同時に来たのは、神様に「何のために仕事をやめたのか思い出しなさい」と言われているような気がしてなりません。

  それでもなお、経済的なことも気になり、別の仕事も探そうか・・・と迷っていたときに、ここのブログに再び出会いました。なんだか肩を押されたような気がします。4月からいったん、仕事はきっぱりやめてみようかなと思います。

 まだまだ、気持ちが落ち着かないところもありますが、生長の家の勉強をしながら、神の子の自覚を深め、素晴らしい神の子さんを授かるよう頑張って生きたいと思います。

 また、不安になった時にはご相談させてください。ここにたどり着けて本当に良かったです。

 ありがとうございました。

 

【返 信】 

 近況をご報告くださり、ありがとうございます。

 かつてあなたが指導していた生徒からの手紙、そして不採用通知が同時に届いたのは、深い摂理に導かれてのこととと思います。

 また2年前、ご縁あってあなたから頂いた質問への回答をこのブログに公開しましたが、それを読んだ方から寄せられた質問にふたたび私が答え、それを今度はあなたがご覧になり、「肩を押されたように感じた」というのも、一連の神さまの導きであったのでしょう。

 この導きにしたがって、なにかアドバイスできることを綴ってみましょう。

 まず思い浮かぶことは「感謝の生活」です。『甘露の法雨』の冒頭に掲載されている「大調和の神示」には、「その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と説かれています。

 つまり「感謝の生活」こそが、神さまと心の波長の合う、神の子にふさわしい、また神の子さんを迎え入れるのに最適な生活なのです。
 それは天地一切の人に、物に、事に、ただ感謝、感謝の日々を送ること。

 また『生命の實相』には、いずれの章かは忘れましたが「絶対感謝」というコトバが説かれています。この感謝の意味は、何かを頂いたからありがたい、何かをしてもらったから、ありがたい、といった相対的な感謝も大切ですが、そのような条件に対する感謝ではありません。

 まだ何も与えられていなくても、またはマイナスの状況で、たとえ八方ふさがりの真っ暗闇の中であったとしても、現象の奥にある神(実相)を感じて、その円満完全なる実相の光りを観じ、信じて“無条件”で感謝することです。

 これは相対的な感謝ではありませんので、「絶対感謝」あるいは“無条件感謝”とでもいうべき「感謝」であり、この感謝こそが、生長の家の祈りである神想観で観ずることの“中身”であり、信仰の根源的な悦びもここから湧いてきます。

 これと合わせて、祈りの助行としての「愛行」を実践することをお勧めします。

「愛行」とは、「“愛”が“行”ずる」と書きますが、その文字が意味するように、あなたの内なる「愛」を、深くゆたかに鳴り響かせることが「愛行」です。この「愛行」は、教師をされていたときに、すでに授業や部活などの指導を通して無意識のうちに実践されていたことと思います。が、今度はこれを初めから〝無償で行う〟ということが、お仕事とはちょっと異なるところです。

 その〝無償〟なることのポイントは、神さまの御心を第一にする、ということです。つまりその行為が自分や家計にとって損か得か、収入があるか無いか、といった利害や損得勘定によってものごとを判断する〝左脳的な働き〟をいったんお休みさせて、すべてを円満完全なる大生命にゆだねてみる、ということです。

 円満完全なるもの(神)に全てを委ねることを“全托”といいますが、全托することによって円満完全なるものが現象世界に顕れて、全ての問題は解決し、あらゆる願いは叶えられる、それが生長の家で説くところの「神癒」(meta physical healing)なのです。

 そのためには先ず、ご自宅で祈り(神想観)を実修して、神さまに全托して、あなたの内から、誰かが心から喜んでくれそうなことがヒラメイテきたら、毎日それを素直に一つひとつ実践に移してみましょう。どんな小さなささやかなことでもいいから、やってみてください。

 神想観という祈りが、神なる宇宙大生命との一体感を深める〝静的な工夫〟であるとすれば、“無償の愛”を行ずる「愛行」は、これを体感して実践する〝動的な工夫〟に当たります。〝工夫〟とは、神や仏の御心に専心専念こころを合わせることです。この「祈り」(神想観)と「愛行」を通して、神さまの世界にある無尽蔵の知恵、愛、生命をこの世に具体的に実現させることになります。

  そのためには、生長の家の教えを、多くの先達や仲間とともに学ぶヤングミセスの集いや、母親教室に参加して、ともに真理への道をあゆむ仲間から、善いアドバイスをいただきながら精進されることをお勧めします。

 1人で研鑽する時間も大切ですが、道を求める仲間たちとともに歩むことで、独りの修行では得ることのできなかった、思いがけないほど多くの発見や内的な気づきがあるものです。

  分からないことがあれば、遠慮なくご相談ください。

                        (2014年3月19日)

生長の家本部講師
久都間 繁

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2014年3月 8日 (土)

悪念・悪感情を消す方法

 皆さんは、「心の法則」という言葉をご存じでしょうか。
 
 

「心の法則」とは、仏教では「三界唯心所現」というコトバで言い表しますが、平たく言えば「心に思い描いたことが実現する」というものです。

 私たちが、善い事ばかりを思い描けるようであれば問題ありません。しかし、愛が深い人ほど家族のことを心配したり、思い煩ったり、取り越し苦労をしてしまう場合があるものです。

 しかも、「心の法則」をなまじ心得ていると、心配事をしたら心配したことが実現する、恐れたら恐れたことが実現する、という考えにとらわれて、「心の法則」にがんじがらめになってしまう場合があるものです。

 皆さんは、「こんな馬鹿げたことを思ってはいけない」「こんなヘンな考えを持ってはいけない」と思えば思うほど、その馬鹿げた考えに捉われて、悩み苦しんだ経験はないでしょうか。

 この地獄のような迷宮から抜け出せなくて、どれほど多くの方が、大切な家族や友人を傷つけ、かけがえのない人生の沃野を、荒れ果てた枯れ野にしてしまったことでしょう。

 今回いただいた相談も、その迷宮から抜け出すための光りを求めて寄せられたものです。

 同じような隘路(あいろ)に陥っている方のために、質問と回答を公開させていただきます。



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【質 問】 (2014年1月24日)

 

合掌ありがとうございます。

先日、●●さんからの紹介で、「個人指導内容をメールか手紙でお送りください」と聞き、メールさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

私は、時々不安定になる時があります。

最近あったことは、主人と仲良くしている女性が私とも仲良くしたいと近づいてきたときです。

「この二人は好き同志なのか!?」と。

――そんな馬鹿な事を本気で思い、主人やその女性を恨んだりしてしまいます。
主人の事も信じられなくなってしまいます。

 

昔も似たような事があり、不安だと主人にいうと、
(そのときは、プライベートで私の知らない女性と毎週イベントを開催していました)
嫌な顔をされ、信じていない私を嫌がっていました。

 

主人と仲良くしている女性全員にそういう感情がでるわけではありません。

 

主人と出会う前、私には婚約者がいました。

が、婚約者は私が妹のように可愛がっていた女性と半年以上深い関係になっていて、私はその婚約者とは別れました。

 

そのトラウマがあるのかもしれません。

 

主人を信じられない自分が本当に辛いのです。

不安定の時は、主人をすごく疑っている自分が嫌です。

行動が気になったり、スマホを見ていると誰にメールしているのか? とすごく気になります。

 

どうしたらよいのでしょうか?

お教えいただきたく存じます。

 

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【相談への回答】 (1月24日)

 

ご相談のメールを拝見しました。

 

振り払っても振り払っても消えないご主人への疑惑が湧いてきて、「このような考えは間違っているかもしれない」と悩まれるお気持ちは、どんなに苦しかったことかと思います。

今回ご相談を私に寄せてくださったのも、なにかのご縁だと思いますので、できる限りアドバイスをさせていただきます。

ご相談の内容から、あなたもすでにお気づきのように、現在の悩み苦しみは過去のトラウマが強い影響を与えていることと思われます。

婚約者と、妹のように親しくしていた友人という最愛の人たちに裏切られたことは、あなたにとって拭いがたいほど、辛い経験だったことでしょう。

このような辛い体験が、現在の自分の意思に反して、今日まで尾を引くのは、仕方のないことでもあるのです。

しかし、ご安心ください。

どのような辛いトラウマでも、それは「現れたときが、消えたとき」なのです。

もうすでにあなたは、生長の家をご存じなので、よく分かることと思いますが、「心の法則」によると、心の奥深くに押し込まれた“想い”は、現れては、消えていくのです。

要は、それを「握り」さえしなければ、二度と再現されないのです。

つまり現れてきた“想い”は、ふたたび「掴(つか)み」さえしなければ、どんどん消えていく一方なのです。

ですからヘンな想いがわいてきたときに、「こんなバカなことを想ってはいけない」と、くよくよと自分のことを否定していたのでは、いつまでも消えずに、過去の迷いが再現されてしまいます。

でも、心配はいりません。

悪念、悪感情が湧き起こってきたら、逆に「しめたものだ!」と、思い直してください。

嫉妬の感情、ご主人への疑惑、馬鹿な考え、そんな悪念・悪感情が出てきたら、

「これで消えた、これですっかり善くなる!」と心から感謝して、いつでも湧いてきた“悪念・悪感情”を見つめ見送るようにしましょう。

なぜなら、過去の迷いは、完全に消え去るとき、意識の表面に浮かび上がってきてから消える、それも心の法則なのです。

この過去の迷いが現れる働きは、実は神さまの広大なる「宇宙浄化の働き」そのものなのです。

つまり、住吉大神が心の奥底まで浄化してくださっているのです。

ですから、馬鹿な想いが湧いてくる、ということは、神さまが過去の迷いを消してくださる「浄めの働き」なのです。

だから、悪想念・悪感情が出てきたら、「これですっかり消えた、これでどんどん良くなる!」と感謝していれば、自然と消えて、現れなくなるのです。


以上がアドバイスですが、その一助として以下のことをお勧めします。

①朝と夕に如意宝珠観などの神想観を実修して家族を祝福すること。合わせて、毎朝ご先祖に『甘露の法雨』を読誦すること。

②毎日時間を決めて、聖典『生命の實相』を第1巻から順次拝読すること。

③生長の家誌友の方が、地元で開催している母親教室や白鳩誌友会に、ぜひご参加ください。

以上が、いただいた内容を拝見した上でのアドバイスです。

さらに確認したいことなどあればご質問ください。遠慮はいりません。

生長の家本部講師
久都間 繁

 

 

 

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【お礼のメール】 (1月26日)

 

久都間先生へ

 

合掌ありがとうございます。

この度はご丁寧にありがとうございます。

「これで消えた」
「これでよくなる」

と唱えています。
アドバイスいただいた「行」もやります。
ありがとうございます。


【私からの追伸と確認】 (3月4日)

合掌、ありがとうございます。

その後、信仰生活は順潮でしょうか。

谷口雅宣先生の『日々の祈り』の172ページに、『「偶然はない」と知る祈り』というご文章があります。

数日前に拝読していた折に、これはあなたにとって、とても参考になるのではないかと思いましたので、折を見て目を通してみてください。何らかの得るところがあり魂の糧となることでしょう。

また、分からないこと、まだ悩まれていることなどあれば、遠慮なくご相談ください。

一つ許可をいただきたいのですが、私は皆さまから寄せられた相談への回答をブログで紹介して、多くの方の問題解決のための参考にしていただいています。

もし差し支えないようであれば、この前の相談内容をブログに載せて、同じ問題で悩んでいる方の参考にしたいと考えています。もちろん、匿名で、地域や問題の背景などは伏せた上で公開しますので、ご心配ないと思いますが、もし不安であれば公開は避けますので、ご連絡ください。


【礼状と新たな質問】 (3月4日)

久都間先生

合掌ありがとうございます。
ご連絡ありがとうございます。感謝致します。

今はもう引っかかりがない。
(全くないわけではありませんが)生活を送らせていただいております。
とても楽です。
ありがとうございます。

ブログへの投稿、問題ありません。同じ悩みの方のお役に立てれば幸いです。

先生、
別件の質問なのですが、
姑とは仲良くする必要ありますか?
絶対仲良くしなければいけないものなのでしょうか?


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【回 答】 
(3月7日)

 

合掌、ありがとうございます。

ご質問いただいたことについて、お答えします。

『生命の實相』第1巻にある實相篇は、すでに拝読されたことと思いますが、生長の家の教えの基本は、「自性円満(そのままで完全円満なこと)を自覚する」ことです。

あなた様が、姑と仲良くしたい、と思うそのことが、あなたの内なる「自性円満」なるものが、すでにはたらき始めているのです。

家族の大調和は、あなたの内なる「自性円満」なる実相に、すべてを委(ゆだ)ねることから実現します。

なぜなら、現象は、過去の想念が現れているだけであり、たとえば現時点で不調和なものが現れているのであれば、それは過去の迷いが消えていく相(すがた)にすぎないのです。

もう、そのような現象にとらわれてはいけません。

現象は「無い!」のです。無い現象は、仲良くしようもなければ、仲を悪くすることもできないのです。なぜなら、初めから「無い!」からです。

そのような現象を相手にするのは、もう止めにしましょう。

現象を相手にする代わりに、久遠の実在である、あなたの内なる自性円満(はじめから円満完全)なる実相のみを静かに観じ、ただただ悦び、ただ感謝していれば、全てのことは大調和の世界へと導かれるのです。それが信仰生活です。

谷口雅春先生の詠まれた和歌に次のコトバがあります。

 ひとすじの道踏み行けば燦然(さんぜん)と
            光り充ち渡る吾が世界来ぬ

どうぞ一筋の光りの道を歩んでください。神想観が、あなたを護り導きます。

生長の家本部講師
久都間 繁


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【礼 状】 (同日付)

合掌ありがとうございます。

お忙しい所ご丁寧にありがとうございます。

私、神想観を真剣に行じます。

ふとした時に、姑から八つ当たりで怒鳴られた事などを思い出してしまって。

でもこれも過去の事ですね。消える為に出てきたものですね。

「無い」物に振り回される事はもうやめます。

久都間先生

ありがとうございました。

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2014年2月 1日 (土)

“いのち”に授けられた宝物

昨年の12月上旬、インドネシア・ジャカルタの高校で、学生を対象に「生長の家」のお話をさせていただきました。

参加した教師と学生のほとんどがムスリムのため、イスラームの聖典『コーラン』の一節にある、普遍的な真理と思われる教えの“中心部分”を表現したコトバを引用しながら、演題を「“いのち”に授けられた宝物」と題して、私たちの内から切実に湧いてくる「夢」や「願い」は、神様から授けられたものであることについてお話しました。

また、「コーラン」に説かれたアッラー(神)の恩恵を現す「神兆(みしるし)」について紹介した上で、――私たちは神様の愛に取り巻かれており、それは太陽や月や星や雨や海や植物の(など自然からの)恵みとなり、祖父母や父母兄弟の家族や友人や先生方の愛となって、私たちを生かしている――

という話をして、最後に、「皆さんの“夢”は、神様から授けられたのだから決して遠慮してはいけないし、あきらめたらだめだ! それは君たちのためだけではない、皆さんの夢が実現することを大勢の人が待っているのです!」とお話させていただきました。

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 皆さま、こんにちは。

 今日は、皆さんお一人おひとりの“いのち”に授けられた宝物について、お話したいと思います。

 ここにいる皆さんは、きっと将来の「夢」をお持ちだと思います。
 たとえば「大好きな仕事をしたい」とか、「結婚して幸せな家庭を築きたい」とか、「両親に悦ばれたい」といった“夢”や“願い”を持っているのではないでしょうか。

皆さん、いかがでしょう。自分の中にある“夢”や“願い”について、今、眼を閉じて静かに見つめてみましょう――。

 

 いかがですか。それぞれ、思い当たるものがありましたでしょうか。

 ここで、私がお伝えしたいことは、その「願い」や「夢」こそが、実は皆さんお一人おひとりに授けられた最高の宝物だ、ということです。それは要するに、皆さんが人生で幸福な生活を実現するための「幸せの種(たね)」なのです。

 皆さんの内なる「幸せの“種”」を育て、「夢」の実現を手助けすることが、この学校で勉強することであり、先生方がここで教えてくださることの目的です。
ですから先生方は、皆さんの「夢」や「願い」が人生を通して実現することを、いつも願っているのです。

 なぜなら、皆さんのうちにある「幸せの“種”」から芽が出て、やがて花を咲かせ、実を結ばせることこそが、皆さんがこの世界に生まれた目的であり、他の誰とも代わることのできない、皆さん一人ひとりに授けられた大切な使命だからです。

 では、その「願い」や「夢」の“種”は、いったい誰が授けてくれたのでしょう。

 皆さんは、自分で考えて作ったと思いますか。それともご両親が授けてくれたと思われますか。あるいは学校の先生が授けてくれたのでしょうか。

 以上の人たちは、皆さんに降り注ぐ太陽のように、皆さんの「夢」や「願い」が地上に花咲くための手助けをしてくださっていることは間違いありません。しかし、皆さんに「夢」や「願い」を授けたのは、それは慈愛に満ちた創造主である神様(アッラー)が授けてくださったのです。

 ですから、皆さんの「願い」や「夢」がこの世界で花咲き実現することは、神様の御心が実現することでもあるのです。

 また、皆さんが「夢」や「願い」の実現に向って悦び勇んで生きることこそが、神様の悦びなのです。

 もっと言えば、皆さんの「夢」や「願い」が実現することを、実は神様が無限の知恵と愛とチカラを持って、ちょうど大地に降り注ぐ太陽や雨がパパイヤの木やマンゴーを育てるように、ご両親や先生方を通して、全面的に後押ししてくださっているのです。

 

 そこで今日は、みなさんの内に在る「夢」や「願い」について一歩踏み込んで学んでみたいと思います。

 さて、ここではムスリムの方が多くいらっしゃると思いますが、コーランの50章16節には、次の言葉が書かれています。

 

「われ(アッラー)は彼の頸(くび)の血管よりも近くにいる」(50章16節)

 

 この「われ」というのは、アッラーのことです。神様は私たちの「頸(くび)の血管よりも近くにいる」とは、どういうことかと言いますと、神様は私たちの“最も近くにいる”ということです。

 もっとハッキリ言えば、「内に在る」ということです。つまり神様は、私たちの内にあって、私たち一人ひとりとなって生きている、ということです。

 皆さんは、お父さんとお母さんの子供であることはもちろんですが、それと同時に、偉大なるアッラーの子供でもあるのです。

 ですから、どんなに実現できそうもない「夢」や、今の自分とは懸け離れたように見える「願い」であっても大丈夫です。

 豆粒のような“種”が、やがて樹木となり立派な花を咲かせ、たくさんの果実を実らせるように、いつもアッラーと共にあることを喜び感謝していれば、「夢」や「願い」を叶える道が、必ず開けてくるのです。

 たとえば皆さんは、せっかく「夢」や「願い」という「幸せの“種”」を持ちながらも、現在の貧しさや、自分の能力の足りないところだけを見ている人はいませんか。

 たとえば私の家にはお金が無いから「夢」を実現できないとか、私は能力がないからダメだとか、頭が悪いから無理だ、なんて思っている人はいませんか? 

 それは神様を信じているのではなく、ただの心の現れである「現象」を見ているだけなのです。

 私たちが今まで考えてきたこと、思い込んでいたことが、「現象」となって目の前に現れているだけにすぎないのです。

 一粒の種が豊かな実りをもたらすように、皆さんは、神様に授けられた「願い」を、感謝と喜びをもって努力することで、どれだけでも運命を開拓するチカラが湧いてきます。

 より豊かな、より悦びに充ちた、より善き運命を、皆さんの人生に実現する秘訣がここにあります。

 皆さんの内にある「夢」のツバサを、心の限り大きく広げてください。そして皆さんの「願い」が、人生に必ず実現することを伸び伸びと悦んでください。

 そして、今できる一つ一つのことに一所懸命に取り組んでください。それが「夢」や「願い」を叶えるための道です。
 そしてまっすぐに、あなたの「夢」や「願い」や「希望」に向って、黙々と進んでください。

 

 コーランの第51章20-21節には、次のコトバが説かれています。

 

「そして地上には、信仰心の篤い者への御徴(みしるし)が多くある。汝らの中にもある。それでも汝らは見ようとしないのか」(第51章20-21節)

 

 このコトバは、神様は、どこかの遠い彼方にいるのではなく、常に皆さんと共にある、ということを伝えています。

 そして今現に、神様が皆さん一人ひとりの“いのち”となって生きているのです。その神様の御心が、皆さんの内から、絶えず“願い”となり“夢”となって喜びのメッセージを発しています。

「幸せになりたい」「豊かになりたい」「すばらしい相手と結婚したい」「幸福な家庭を築きたい」「夢をかなえたい」これらの明るい、悦びと希望に満ちた“願い”は、すべて皆さまの内なる神様から発しています。

 なぜなら神様は、はじめから満ち足りており、幸福であり、悦びそのものだからです。したがって、神様の子供である皆さんもまた、満ち足りたい、幸福になりたい、悦びたい、という“願い”が自然に湧き起こってくるのは当然のことなのです。

 だから皆さん、心の底から湧いてくる“願い”を遠慮してはいけません! “夢”をあきらめてはだめです! それは自分のためではありません。あなたの“夢”が実現することを、多くの人が待っているのです。

天地に満ちている“神のいのち”を豊かに感じよう

 さて、視野を大きく広げてみれば、神様は皆さんの中にあると同時に、皆さんに光りを降り注ぐ太陽となって現れています。
 また、私たちが住む地球となり、海となり大地となり、私たちを取り巻く空気となり、水となり、火となって現れています。

 また、皆さんのお父さんとなり、お母さんとなり、おじいちゃん、おばあちゃんとなり、兄弟姉妹となり、学校の先生となり、友だちとなって現れています。

 つまり皆さんは、神様の“愛”と“生かす力”に取り巻かれていると同時に、神様は皆さんの内にも満ちているのです。つまりこの世界は神様に満ちあふれている、と言えるのです。

 

 最後にコーランの数節(16章10-13節)を拝読して、今日の話をまとめてみます。

 

彼(神様)こそはお前たちのために天から水を降らせて下さるお方。それが飲み水にもなれば、またそれで樹木が(育って)お前たちの家畜の飼料ともなり、また(神様は)それでお前たちのために穀物やら、オリーヴやら、棕櫚(しゅろ)やら、葡萄(ぶどう)やら、そのほかありとあらゆる果実を育てて下さる。まことにこれこそ、ものを考える人にとっては、まぎれもなく神兆(みしるし)というべきではなかろうか。

またお前たちのために夜と昼、太陽と月を使役して下さった。それから星々もまた御命令によって使役されている。まことにこれこそ、もののわかる人にとっては、まぎれもない神兆というべきではなかろうか。

またお前たちのため地上にたくさん作り出して下さったもの(動物や植物)の種種様々な色どり――まことにこれこそ、注意ぶかい人にとっては、まぎれもなく神兆というべきではなかろうか。 (16章10-13節)

 

 ここには、神様の「神兆(みしるし)」について説かれていますが、ここでとても大切なことは、神様の「神兆(みしるし)」を豊かに感じることのできる人は、「ものを考える人」「もののわかる人」「注意ぶかい人」と説かれていることです。

 つまり、これとは逆に、「ものを考えない人、もののわからない人、注意が散漫な人」は神様を感じることができない、ということです。

 皆さん、動物や植物が生長することの不思議や、夜空に浮かぶ星の美しさ、朝日や夕日など自然現象の美しさを豊かに感じてください。

 そしてお父さんお母さんをはじめ皆さんを見守る人々の愛や思いやりを思い出してください。

 これらの全ては慈愛深き神様の恵みそのものなのです。

 この神様の神兆(みしるし)のひとつ一つを注意深く観察し、心から感謝しましょう。

 私たちを取り巻く神様の恵みを豊かに感じて、神様の恵みの中に生かされている喜びをかみ締めてみましょう。

 それでは、ただ今から紙を配りますので名前を書いてください。これから10分ほど、皆さんを取り巻く神様の恵みを1つ1つ思い出しながら、感謝をこめて書いてみましょう。

 その後で、皆さんの将来の“夢”や“願い”を書いてみましょう。どうぞ始めてください。

 

(このとき、ホワイトボードに次のように明記しました)

 

①私の周りに満ちあふれている神様の恵み

②私の将来の“夢”や“願い”

※書き終えた後で、何人かの人に発表していただきました。また、これを自宅の机の前に貼って神さまに感謝していれば、それぞれの夢が叶うことをお伝えしました。

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2014年1月27日 (月)

両親が反対する結婚を成就するために

 今年(2014年)の初め、当ブログを読んだ20代と思われる女性から、ご自身の結婚について、メールで相談をいただきました。

 彼のご両親は結婚に大賛成しているものの、ご自身の両親は反対しており、彼女はその狭間(はざま)に立って悩んでいる、ということでした。

 内容を拝見すると、彼女のご両親が結婚を反対する最大の理由は、経済的な問題にあるようでした。
 結婚の幸福が、経済的な豊かさに重点を置いているご両親にしてみれば、娘が苦労を背負い込むことは見るに忍びず、そんな結婚は許可できない、というお気持ちも、分からないでもありません。

 一方、彼の両親からは、「親の反対押し切って結婚はやめなさい」と言われたそうです。

 そこで彼女は、「両親の望む結婚をしたいのですが、どのような説得をすれば、両親の不安を解消させてあげられるのでしょうか」と、当欄にアドバイスを求めて来ました。

 以下が、寄せられた質問と私からの回答です。

 
 

 

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【質 問】

 

25歳の女性です。

 

交際2年の彼(30)と結婚を考えております。
彼の両親は大賛成です。
しかし私の両親は反対してます。

 

理由は彼の両親の経済状況です。
彼の父親は会社を経営していましたが倒産。
その時抱えた借金の返済に追われ、
まともに貯金が出来なかったそうです。

 

現在は完済し、少ない額ですが私達の為の結婚費用を貯める為に共働きしてます。
借家住まいで、彼も高卒ですぐに就職しました。今の会社も長く勤め、経済的に自立してます。

 

一方、私の家庭は持ち家があり、兄、私も大学を卒業してます。
学費も、車もケータイも全て親が払い、私は何不自由ない生活を送っていました。

 

私の家庭は祖父母自身が貯蓄をしていたので祖父母の介護や冠婚葬祭の費用を両親が負担することはありませんでした。
それだけの負担があれば恐らく今の家は建てれなかっただろう。父はと言ってます。(大型の住宅です。正直うちの家庭には広すぎます。。)

 

彼との結婚後も、住宅購入を考えてますが、

「彼の両親の老後の面倒をみながらローン返済はあまりにも酷だ。そして互いに育った環境が違いすぎる。お前には無理だ」
と実父に言われました。

 

一方、彼の口から彼の両親に事情を話してもらうと

 

⚪︎自分達の所為で反対されてしまい、申し訳ない。
⚪︎私達はそのために保険もきちんと入っている。少ないが貯金もしている。
⚪︎私達の事は心配するな。自分達の事を考えて生きろ。
⚪︎最悪の場合、私達を見捨てろ。当然の報いだと思っている。
⚪︎◎◎ちゃん(私)を悲しませる事はするな。幸せにしろ。

 

両親から精一杯の返答がありました。

 

私は彼も彼の両親も大好きです。
彼自身も私の事と両親を愛してくれているのが伝わります。

 

私の両親は家庭環境を重視し、世間体を気にします。過保護に育てられ、今でも権限は親で私を信用してません。そのせいなのか、私はマイナス思考になりがちです。

 

相手のご両親は恋愛結婚肯定で、両親より彼の立場が上です。
彼自身、厳しい環境で育ったため、ハングリー精神を持ち、仕事も一生懸命ですごく頼りがあります。

 

彼の言葉にこれまで何度も支えられました。自信が出てきました。

 

言葉が軽く見えますが、私の意思は変わりません。苦労を共にする覚悟はあります。
(私の両親にその事を伝えると「初めは皆そう言う」と笑われます)

 

家を飛び出す覚悟もあります。

 

が、しかし、彼の両親から「親の反対押し切って結婚はやめなさい」
と言われました。
両親の望む結婚をしたいのですが、どのような説得がすこしでも両親の不安を解消させてあげられるのでしょうか。

結婚への意志は全くブレてません。

ただ冷静さを忘れては行けないとおもい、客観的なご意見も伺いたいと思いました。
宜しくお願いします。

 

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【質問への回答】

 

ご相談のメールを拝見しました。

 

もう少し詳しい背景が分かれば、具体的なアドバイスができるかと思います。

 

しかし、あなたご自身の内において、「結婚の意思が全くブレていない」のであれば、あなたの信じた通りに生きることこそが、最良の結果をもたらすことでしょう。

 

ただし、一つだけアドバイスさせていただくとすれば、先方のご両親から、「親の反対を押し切った結婚はやめなさい」と言われているのであれば、あなた様は、全力を尽くしてお父様とお母様に、今回の結婚を受け入れていただかなければいけません。

 

なぜなら、それが家族の皆が末永く幸せな生活を送るための大切なカギであることを、彼のご両親はよくよく分かった上で、あなた方お2人に語っていると思われるからです。

 

そして、家族皆の祝福を受けて結婚することこそが、これまでお世話になった双方のご両親へのご恩返しであり、最良の親孝行でもあるのです。

 

そのために、あなたは両親に、今回の結婚について面と向かって言葉に出して説得するもよし。

それが難しいようであれば、手紙に直筆で、あなたの心情を書いて伝えることをお勧めします。

 

ポイントは、これまでお世話になったことへの感謝を込めて、思いの丈を書き綴ってみることです! 

 

一度でだめなら、二度でも三度でも、ご両親がほとほとあきれて、なっとくするまで!

 

以上が、ご相談の内容を拝見した上での私の意見です。

 

分からないことがあれば、遠慮なくおたずねください。
時間があるときにお答えします。

 

平成25年1月6日

 

久都間 繁

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2013年11月16日 (土)

流産して悩んでいる方へ

生長の家本部の“森の中のオフィス”への移転や国際教修会での論文発表などでブログの更新ができませんでしたが、ぼちぼち再開します。

 

 2012年の春、当ブログに掲載した「子供が授からずに悩んでいる方へ」を読んだという首都圏在住の30代の主婦の方から相談をいただきました。

 

 人生の深い問題は、相手の悩み苦しみを感じ取った後は、それを大生命である神にすっかり委ねることによって、相手に必要と思われるアドバイスがひらめいてくる場合が多くあります。

 

 今回もそのような経緯を通して、問題解決の糸口が開けてきました。実名・地名などを伏せて全文を公開しますので、皆さまの問題解決のための参考にしてください。
 
 
 
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【質 問】

 

久都間講師

 

こんばんは。はじめてメールさせていただきます。

 

ココログのコメントが送信できませんでしたので、メールで質問させていただきます。
「子供が授からずに悩んでいる方へ」 の記事についてです。

 

私もこの相談者の方と同様、子供が授かる日を心待ちにしています36歳女性です。

 

仕事を続けるべきか悩んでいます。家に帰っても頭の中は「仕事モード」でいろいろと思い悩むことが多いのが現状です。

 

心を落ち着けるため、また、ご先祖様に対し感謝の気持ちをもって毎晩「甘露の法雨」を読んでいます。お祈りは30分間就寝前に行うようにしています。

 

また、私は初期段階で2度流産の経験をしましたが二人とも名前をつけて、ご先祖様と同じく感謝の気持ちで聖経を読んでいます。

 

ご回答には仕事に関して、
『神さまからあなた様に授けられたご使命のことを、じっくり祈りながら見つめてみましょう』
と書かれてありますが、これは仕事を続けながら『ゆったりした「家庭生活のモード」に心を切り替える』と理解すればよいのでしょうか?

 

心身ともに疲れがとれず、なかなかゆったりと「家庭生活のモード」になれずにいます。子供に関しては神様にお任せしていますが、体調が不安定なときもあり、また婦人科の疾患もあるようで仕事を辞めて体を少し休めたいという思いもあります。

 

仕事はしていたいですし、会社側からも続けてもらえると助かると言われ大変ありがたく思っています。

 

健康で完全円満な自分が本当の自分ですから、体の不調和を気にかけないよういつも生長の家の本を読み自分を勇気づけて仕事に出かけていますが(笑)、アドバイスをいただけると嬉しいです。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

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【回 答】

 

この数日間、生長の家本部が移転した八ヶ岳(大泉)への、家族の引っ越しに追われて、返信が遅くなり失礼いたしました。

 

さて、ご相談を拝見しました。まずはご質問いただいた次のことについてお答えします。

 

>>回答には仕事に関して、『神さまからあなた様に授けられたご使命のことを、じっくり祈りながら見つめてみましょう。』と書かれてありますが、これは仕事を続けながら『ゆったりした「家庭生活のモード」に心を切り替える』と理解すればよいのでしょうか?

 

その通りですが、『ゆったりした「家庭生活のモード」に心を切り替える』ことは、仕事を続けながらでは、なかなか難しいことです。

 

ブログに紹介した方は、まだ20代で教師としての強い使命感を持っておられ、しかも定年まで続けたいという願いを抱いておられたので、先のようなアドバイスをさせていただきました。

 

しかし、あなた様の場合はこれとは事情が異なります。
まず、あなた様の年齢のこと、体調のことなどを考慮すると、いったんお仕事を辞めるべき時期に来ていると思われますが、いかがでしょうか。

 

経済のことも大切ですが、子宝のことやご家族の幸せは、それとは比べものにならないほど大切なことなのですから、これから第二の人生が始まるような、すがすがしい開放感に充ちた、楽々とした気持ちになってみてはいかがでしょう。

 

「心のモード」を切り替えるためには、基本的には10日間の練成会に参加されることをお勧めします。そこで、祈りを深めるための心のレッスンをすることです。

 

また、ご夫婦でこれまで行きたいと思っていた国や地域があれば、退職を機に旅行をしてみることもよいし、これまでやりたいと思っていたことをやってみるのも、これまでのモードをより善きリズムに切り替えるためには、とても有効ではないかと思われます。

 

そして、あなた様からの次の情報も、身体が大切なメッセージを発しているように見えます。

 

>>心身ともに疲れがとれず、なかなかゆったりと「家庭生活のモード」になれずにいます。子供に関しては神様にお任せしていますが、体調が不安定なときもありまた婦人科の疾患もあるようで仕事を辞めて体を少し休めたいという思いもあります。

 

私のブログを見て相談をしたくなったのも、すでにあなた様の内る“声なき声”に、導かれてのことではないかと思います。

 

以上が、頂いたメールを拝見した上での助言となりますが、もう少し詳しいあなた様の背景、例えば信仰歴、ご家庭の状況、お悩みなどが分かれば、秘密を厳守した上で、具体的なアドバイスができるかと思います。

 

私からの返信は、仕事の合間をみて書きますので、何か気に掛かることがあれば遠慮なくご連絡ください。

 

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【追加の質問】

 

お忙しい中、ご返信ありがとうございます。

 

またなかなか落ち着いて書ける時間がなくお礼が遅くなりましたこと、お詫びいたします。

 

今回、思い切って相談して良かったです。

 

私は先生のことは存じていませんでした。また全く関係のないことを調べていたときに
先生のブログを見つけ、いろいろな相談者の方のお話、先生のご回答を見て、少し迷いましたが私もメールを送らせていただいた次第です。

 

仕事はやめるべき時期なのですね。
今年で11年目になりますが、辞めたいという思いは前々からありました。素直に自分の気持ちに従ってよかったのですね。辞めるタイミングは何度かありましたが、そのたびに上司の体調が悪くなったり、資金繰りがわるく新しい人材を採用する余裕がなかったりと零細企業の悩みですが、なかなか抜けられない状態でしたので、仕事は続けなさいと言われているような気がしてなりませんでした。

 

実は10月末で正社員としては退職したのですが、決算も近く私は経理を担当しているため週3くらいで会社に行っています。この状態がいつまで続くのだろうと悩んでいました。ですが、先日、新しい人に早く仕事を引き継ぎたいときちんとお願いし、週1ペースで通うことになりました。

 

信仰歴ですが、10年くらいになります。
両親は2人とも山陽地方の出身で、母方の祖母が信仰熱心だったようで10年前私が体調を崩したときに母が『甘露の法雨』を読んでくれたのがはじまりです。

 

そのころ母はまだ生長の家については勉強しはじめで、一方で母のお姉さんは若いころから練成に行っていたようです。実家では母と一緒に『甘露の法雨』を仏壇の前で読んでいました。結婚後も続けています。

 

母は現在は白鳩会会員で、私はずいぶん前に母と一緒に年始の宇治の練成会にも一度参加したことがあります。生長の家講習会には毎年誘われ参加しています。

 

現在は結婚して3年目になりますが、関東地方に住んでいますので、泊まりではないですが母にすすめられ飛田給の練成にも行ったことがあります。ただ直接自分の悩み事を相談したことはありません。

 

主人は私より2つ年上で、穏やかでとても優しく、夫婦調和の大切さを母や本から学んでいたのでとても仲良くやっています。また子供のこともあせる必要はないと言ってくれています。

 

主人には生長の家のことは講習会に行く際に一度話をしました。もちろん生長の家のことは知りませんでしたし、宗教は信じない方なので私の事を少し心配していましたが、私の事を信じているので別に反対はしないよ、と言ってくれました。

 

私はまだ会員ではありませんが、主人には徐々に理解してもらえたらと願っています。

 

両親についてですが、義理の兄夫婦が同じマンションに住んでおり、4歳になる甥もいるため主人の両親もよく遊びにきます。また旅行に一緒に行ったりするなどとてもよい関係です。もちろん私の両親も元気に首都圏で暮らしており、仲良くやっています。実の兄も結婚しており都内に住んでいます。私は本当に幸せな環境に住まわせてもらっています。両親やご先祖様のおかげだと思います。

 

私はスキーや山登り、旅行も好きで仲の良い友人もたくさんおり活発なほうだと思います。
私は何不自由なく大きなケガや病気もせず成長しましたので、結婚して2度の流産を経験したことにとてもショックを受けました。また2度目の流産は子宮外妊娠で入院し、卵管を片方切りました。

 

私の悩みは、今後は気持を新たに過ごしていきたいと思いますが、具体的にはこの出来事ををどのような気持ちで受け止め過ごしていったらよいでしょうか? 頭では理解していてもなかなか気持ちの切り替えができていないのが正直なところです。子供を望む一方で不安がよぎります。

 

母からは、「過去のページは切り捨てて、ただただ感謝の気持ちで明るく過ごしなさい」と言われました。もちろん会えなかった子供に対しても、主人、両親、会社の方たちその他周りの人たちに対して。すべてよい方向に進んでいる、とのことでした。

 

なぜこんなことになったのか? という疑問をもつ必要はないのでしょうか。
不安定な気持ちが体に現れているのでしょうか。

 

スカッと心もからだも晴れる日が早く来てほしいと願うばかりです。
自分はこんなにも弱かったかな、、と考えてしまいます。

 

また現在は病院に通い、薬を飲んでいます。次々といろいろなところを指摘されるためあまり病院には行きたくないのですが、素直に先生の指示に従い受診すればよいのでしょうか。病院や薬との付き合い方もお伺いしたいです。

 

10日間の練成に行きたい気持ちもありますが、主人の仕事は忙しいため、食事作りを優先したいと思っています。自宅では祈りを深める訓練は難しいでしょうか?

 

それとも主人に事情を話し、機会を作って練成に参加したほうがよいでしょうか? 通うという方法もありますが。

 

長文になりまとまらず大変申し訳ございません。
再度アドバイスをいただけましたら幸いです。

 

何卒よろしくお願いいたします。

 

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【回 答】

 

合掌、ありがとうございます。

 

さて、頂いたご質問――

 

>>私の悩みは、今後は気持を新たに過ごしていきたいと思いますが、具体的にはこの出来事をどのような気持ちで受け止め過ごしていったらよいでしょうか?頭では理解していてもなかなか気持ちの切り替えができていないのが正直なところです。子供を望む一方で不安がよぎります。

 

これについてお答えします。

 

お母様がおっしゃった、「ただただ感謝の気持ちで明るく過ごしなさい」ということは、とても大切なことです。しかし、あなた様の過去のページについては、もっと根源的な見方をしなければなりません。

 

生長の家で説く、「人間・神の子」とは、人間は、生と死を越えてそのまま円満であり完全であるという教えです。つまり、現象の背後にある、実在(ほんとうに在るもの=神)のみを直視する教えです。

 

これまで、2人の神の子さんがお腹に宿ったとのこと。

 

これは、どんなに荘厳な光りと祝福とに満たされた、喜ばしい出来事だったかということに、あなた様は気がつかなければいけません。

 

人間・神の子とは、流産するしないを越えて、円満なる“愛”そのものであり、“光り”であり、そのまま救われているのです。つまり、安らぎに充ちた光りの子が、神縁あってあなた様のお腹に宿られたのです。まずその聖なる事実を認め、祝福し、感謝することが大切です。

 

そして母体に宿り、流産して亡くなったように現象的には見えますが、現象は“現れているだけ”にすぎません!

 

宿った子どもたちは、はじめから生き通しであり、円満な光りであり、愛そのものであり、今も生き通しの実相生命として大宇宙を照らし続けているのです。

 

その事実(実相)をしっかり見つめて祝福し、久遠の繋がりをもった我が子として、慈しみ、感謝し、祝福し、母胎に宿った荘厳なる神縁を悦んであげましょう!

 

そして、あなた様ご自身も、はじめのはじめから円満完全なる神の子であり、“愛そのもの”であった事実(実相)をしっかり見つめ、心から感謝し、祝福して日々大いに悦ぶことにしましょう。

 

このように、実相を直視して悦ぶことが、神想観であり、生長の家の供養です。

 

お子様たちと、あなた様との関係は、実相から観れば永遠に「光り」と「光り」の関係であり、これまで一度も流産したこともなければ離れたこともない、神によって結ばれた永遠の関係であることを、もっともっと悦ぶこと。その実相を見つめて悦ぶことこそが、生長の家の喜びの信仰です。

 

>>現在は病院に通い、薬を飲んでいます。次々といろいろなところを指摘されるためあまり病院には行きたくないのですが、素直に先生の指示に従い受診すればよいのでしょうか。病院や薬との付き合い方もお伺いしたいです。

 

病院は、身体の悪いと思われる箇所を、親切にあれこれ探して指示してくれますが、病そのものを完全に癒やすのは、あなた様に内在する大生命にほかなりません。これについては『生命の実相』の1巻、2巻(實相篇)をしっかりお読みいただき、理論的にも納得した上で、今後の生き方を決められるとよろしいでしょう。

 

泊まりがけの練成会については、時期が来たら自然に行くことができますので、無理をせずに、地元の教区やお母様がいる教区で開催されている練成会に日帰りで参加されるとよろしいでしょう。

 

また、この機会に、聖典『生命の實相』を1巻から順を追って全巻拝読することをお勧めします。

 

『生命の實相』を読むことは、私たちが生活の中で四季(春、夏、秋、冬)を体験することとよく似ています。『生命の實相』の行間を味わいながら、朝夕の神想観・聖経読誦とともに一日一日を迎えることで、真理への理解が一段と深まることでしょう。

 

また、分からないことがあれば遠慮無くご連絡ください。

 

再拝

 

生長の家“森の中のオフィス”より

 

生長の家本部講師
久都間 繁

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【礼 状】

 

合掌、ご返信ありがとうございます。

 

とてもわかりやすく説明していただきありがとうございます。
“神縁あって私のお腹に宿ったという、この聖なる事実を認め、祝福し、心から感謝”したいと思います。

 

先に「頭では理解していても」と書きましたが、、結局流産という現象にとらわれていたにすぎず、“根源的な見方”ができておらず間違っていました。

 

いつも感謝の気持ちで聖経を読み、お祈りしていましたが、恥ずかしながらこれでは「感謝」とは言えません。また、ふと不安や沈んだ気持ちが沸き起こる理由も自分で自分に納得ができます。

 

反省の気持ちと同時にまた、
>>その事実(実相)をしっかり見つめて祝福し、久遠の繋がりをもった我が子として、慈し  み、感謝し、祝福し、母胎に宿った荘厳なる神縁を悦んであげましょう!

 

>>そして、あなた様ご自身も、はじめのはじめから円満完全なる神の子であり、“愛そのもの”であった事実(実相)をしっかり見つめ、心から感謝し、祝福して日々大いに悦ぶことにしましょう。

 

と聞いて、スーッと気持ちが晴れていくような悦びの感じを味わいました。

 

この気持ちを継続させるためにも正しく真理を理解し、生命の實相を読み、もっと理解を深め悦びの毎日を過ごしていきたいと思います。

 

感謝の気持ちでいっぱいです。
ご指導いただき、本当にありがとうございました。

 

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【返 信】

 

合掌、ありがとうございます。

 

あなたが人間・神の子の自性円満の実相を悦んでいるだけで、思いも掛けなかったような楽しい黄金の日々が開けてきます。

 

どうぞ、この真理への一筋の道を歩んでください。

 

また、今回の質疑の遣り取りは、あなた様のように神縁ある人々の魂に光明を灯すことになると思われますので、個人名などを伏せて、ブログで公開させていただきます。
ご了承ください。

 

生長の家本部講師
久都間 繁

 

 

 

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【返信】

 

久都間 先生へ

 

合掌、ありがとうございます。

 

ブログでの公開の件、承知いたしました。

 

悩める女性が一人でも多くこの真理に気づけますことをお祈りいたします。

 

お役に立てて光栄です。

 

また土地の名称もあわせて伏せていただけますでしょうか。

 

申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします。

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2013年3月23日 (土)

光りが闇を消すように

 娘が妻子ある男性と付き合い、先方のご家庭をこわしてしまったという相談のお手紙を、そのお母様からいただきました。

「光が闇を消す如く」というご著書を谷口清超先生がお書きくださっていますが、「闇」という“悩み”や“苦しみ”が消えるのは、はじめから「光り」のみが実在しているからです。

 どのようにこじれたと見える問題であっても、この実在の「光り」を灯すことによって、問題は解決し、大調和の世界が今、ここに顕れるのです。


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【質 問】 

 二人の息子は結婚し、二人ずつの孫も生まれ、心より嬉しく思っています。あと、一人娘(34)が同居しています。息子たちは男の子ですから、いたずらが多く、私はビシビシ厳しく育てました。

 しかし娘は、父親が可愛さ余ってどうしても甘やかして叱ることもできず、私が厳しくすると私が怒られ、ずいぶん悩みましたが変わることはなく、私は夫に反発して「将来の責任は持てないからから」と思っていましたが、結局私にのしかかってきました。

 娘は、男性とのお付き合いは度々あったのですが、なかなか結婚に至らず、まだかまだかと首を長くしていました。

 ここ二、三年「ステキな彼だよ!」なんて言いだし、私たちはいつ来るかいつ来るかと思っていましたが、合うこともなく、変だな? と思っていましたら、彼は結婚していて子供二人がいることを知り、私はとてもショックでした。

 彼は会社の上司(40歳)で、親切にしてもらっているうちに親しくなったらしく、相手の家庭が壊れ、もう後戻りできないところまで行き、最近別居してアパートを一人で借りたようです。

 娘は前の方との交際のショックや親友の思い掛けない死などから、軽いうつ病となり病院に通院しています。娘は、「私もこんなふうになるとは思わなかった」と言います。

 また、彼のことを取るつもりもなく、「奥様と別れないで」と彼に伝えたようです。が、奥様はご主人に夕食も作らなくなり、話もしなくなり、もう修復できないようで、私はどうしてよいか分かりません。娘を信じている夫に話すこともできず、毎日頭が痛く、誰にも話せずにいます。

 娘は「彼がいるから生きてられる」と言ったりしますが、相手の方の下のお子さんが、今年中学を卒業し高校生になります。
 娘は、「離婚が成立したら家に婿さんに来てもらいたい!」と言ったりしていますが、夫には、娘はどれほど甘やかされていても、心底話もできません。

 私は二十五年前に夫と結婚して、子育て中にご近所の方から『白鳩』誌をいただき、生長の家と出合い、もっと勉強したいと思い、講習会に参加させてもらいました。すぐ聖使命会員にもなり、今では子供三人孫四人とも十一人分、私の収入から納めさせていただいています。よい二人の嫁さんにも恵まれ、とても感謝しています。

 娘の結婚が私の希望でしたが、この縁をどのように受けとめていったらよいか、ご指導をお願いしたくペンを取らせていただきました。
 誰にも言えず、娘から「もう他の人を好きになれない!」とか言われますと強くも言えず、神様におすがりするしかありません。

 私は、娘と違って、厳しく酒乱の父で、甘えることもできない、話すらできないので愛に飢え、もう暗くおどおどした子供でした。やがて家を飛び出し、やはり家庭のある人と知り合い、知らず知らずのうちにどうしようもなくなっていました。

 そんなこともすべて知って夫は私をもらってくれたのです。だから、その上、娘がそんなことに、私は恐ろしさを感じています。

 こんな相談で誠に恐縮です。が、おすがりする気持ちで恥をかくのを知っての上で、書かせていただきました。

 

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【回 答】

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 心待ちにしていたお嬢様の交際相手が、妻子ある職場の上司だったとのこと。さぞや驚き、そしてご主人にも相談することもできずに、一人で悩み苦しまれたことと推察しております。

 長年、生長の家の教えを勉強されているあなた様は、もうご存知のことと思いますが、これはお母様ご自身が経験されたことと同じようなことが、お嬢様にも再現されているわけですから、どこかでこの因縁を解消しなければ、先方のご家族の辛い悲しみが加わることで、さらに子々孫々にわたって同じような現象が再現されるかもしれません。

 

 しかし、解決できない問題などありませんので、ご安心ください。
 因縁や業(ゴウ)よって生ずる現象の一切は、心のカゲに過ぎないのですから。

 生長の家の教えを真剣に行じて、これまでの悪しき因縁や業(ゴウ)を解消された方々は、あなた様もご存知のように数知れずいらっしゃるのです。

 以下に、そのためのアドバイスを書きますので、これを一つの参考にして、信仰の道に精進してください。


①日々の祈りの中で天地一切のものに感謝すること。


 お手紙の中で、お父様は酒乱で、あなた様は話をすることすらできなくて愛に飢えていた、と綴られていましたが、お父様が酒乱のような状態になるということは、そこに至るまでに、どれほどの辛い悩みや悲しみを抱えていたことでしょう。

 そのことに、これまであなた様は、深く思いを巡らせてあげたことがあったでしょうか。

 これに加え、あなた様は娘時代に家を飛び出してしまったのですから、お父様お母様の悲しみは、その後にあなたが出合った妻子ある男性のことも含め、どれほど耐えきれなかったことでしょう。
 そのご両親の悲しみの幾分かを、あなた様は今、味わわせていただいているのかもしれません。

 お嬢様が、妻子ある男性と道ならぬ関係へと走ってしまったことの背景には、このお父様のみならず、あなた様がご自身の胸の内に隠し持っていた自責の思い(罪の意識)が、理不尽なことと思えるかもしれまんせんが、影響を与えていることでしょう。

 しかし、神の子の本質は「光り」であり、「愛」ですから、神を生きたとき、光りを生きたとき、家系にまつわる一切の罪は消えるのです。

 くり返しますが、あなた様に巡ってきた今回の問題は、全てを解決できるからこそ現れているのであり、あなた様に家族を救う尊いご使命があればこそ、生長の家の扉を叩かれたのです。

 さて、お父様の愛は、酒乱という姿しかご記憶にないかもしれませんが、それはまぎれもない“神様の愛”が、お父様を通して不完全ながらも現れていたのであり、このような不如意な姿しかあなたに見せられなかったお父様は、どんなに無念だったことでしょう。

 しかしこれも、神の子の円満なる実相を知らなかったお父様の“自責の念”のなせる仮の姿にすぎません。そのことは、人生経験を積まれた今のあなた様には、痛いほどお分かりいただけるのではないでしょうか。

 神の無限の愛が、お父様とお母様を通してあなたを愛し、今はご主人をはじめご家族を通して、周りのすべての人やものや事を通して、常にあなたの上に注がれているのです。

 神想観を通してその祝福を観じ、無限に感謝させていただきましょう。そして聖経『甘露の法雨』によるご両親への供養を通して、どこどこまでも光明一元の世界であることを悦びましょう。

 

②神の子としての使命(愛)を生きること

 お手紙で紹介されているように、あなた様は25年前の子育て中に、ご近所の方から生長の家を伝えていただき、み教えの光りに導かれて人生を歩み、そのおかげで子供3人、孫4人に恵まれて、今日まで平穏な生活を送ることができたことを、あらためてふり返ってみましょう。

 

 イエス・キリストは、「ともし火は升(ます)の下ではなく燭台(しょくだい)の上に置くことで、家の中はすべて照らされる」(マタイ伝)と説かれています。

 真理の灯(ともしび)は、あなた様が生長の家の教えによって光明生活へと導かれたように、家族や周りの人々にみ教えを明々と灯すことによって、多くの人が救われるのです。

 なによりも、あなた様が、はじめのはじめから「神の子」であり、「光り」であり、円満なる「愛」なのですから、自らの実相である「愛の光り」を照り輝かしてこそ、その本領を発揮して、光りとしての“ご使命”を全うできるのです。

 まずは今できるところから、神様の教えを伝えるために白鳩会員となり、ご自宅で白鳩誌友会を開催して、ご家族や近隣の方々を真理の道へと導き、一歩でも二歩でもあなたが今できる「愛行」を実践しましょう。

 あなたが「神の子」としての実相の灯を高く掲げ、「光り」をともす生き方をすれば、光りが闇を消すように、一切の悪業、悪因縁が消え、根本的な問題の解決につながるのです。

“急がば廻れ”という諺の通り、まずは人類光明化運動の一端に加わる決意をしてください。そして教化部や練成道場の練成会に参加して、心機一転して新生するための善き契機としましょう。

 

 分からないこと、追加の質問があれば、遠慮なくご連絡ください。

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2013年2月18日 (月)

外国人という理由で結婚を反対されて

 当ブログをたまたま読んだという女性の方から、ちょっと深刻な結婚問題について、アドバイスを求められました。

 

 頂いた質問のほかに詳しい背景が分かりませんが、この方への回答を、類似の問題に悩まれている方への参考のために公開させていただきます。

 

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【質 問】

 

 先生、こんばんは。

 偶然に先生のブログをみつけ、人生の相談をのっていただけますでしょうか。

 私が外国人で、日本人の彼と8年間付き合っています。
 彼は、長男で土地の持ち主で、家業を継がなければなりません。

 ただし最近、彼のご両親にご挨拶にいったら、彼の父親に猛反対され、私をとるか、家をとるかを選べって父親に言われました。

 父親が反対する理由は、外国人の血をお墓にいれてはいけませんと。
もし、彼が私を選ぶなら、土地を売却し、長男という冠を剥奪し、家から追放されるようです。
 母親からも家庭崩壊だとか、産んでないことにするとか親不孝だとか、罵声をあびさせられてます。

 彼が、それらすべて承知の上で私と付き合っていますが、毎日苦しんでるのは私しかみえません。

 苦しませたのは、私ですね。
 その決断を迫られまして、彼が家を出て、私と一緒に生きるといってくれましたが、私にとって幸せな限りですが、彼に家庭崩壊の罪名を背負って、私と一緒にいることで幸せになれるでしょうか。

 絶対に幸せを見せつけようと誓いますが、彼にとってそれが本当の幸せなんでしょうか。

 先生、彼にとって正しい選択は、なんでしょうか。
 私と家族、家業を同時に守れないものでしょうか。
 子供を産んだらご両親が少しでも許して下さると期待するしかありません。

 先生のご意見を聞かせていただけますか。


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【回 答】

 ご質問ありがとうございました。

 出張が続いておりましたので、回答が遅くなり失礼しました。

 8年もお付き合いしている彼との結婚について、先方のご両親から強く反対されているとのこと。

 また、彼のお父様が「外国人の血をお墓にいれてはいけません」とおっしゃっていることは、詳しい事情は分かりませんが、なにか伝統的な家業を営んでいるが故のことかもしれませんね?

 彼自身が、土地や財産を捨てて、今後どのような苦労も厭(いと)わない覚悟が出来ているのであれば、また、そのような彼へのあなたの想いが揺るがないのであれば、彼の行く道に従うことが、最終的には善い結果を招来することと思われます。が、彼がそのことを悩み苦しんでいる様子が、文面からは伝わってきます。

 彼のご両親から結婚を認めてもらえないまま、たとえ二人が結婚したとしても、霊的な方面から観れば、あなたは結婚を通して彼の家系に加わらせていただくことになります。

 また、ご両親が反対されるということも、これも無闇に反対しているのではなく、ご両親は先祖たちの“想い”の一端(全部ではありません)を感じて、意見を表明されいるものと思われます。

 外国人であるとか、家柄がどうであるとか、そのようなことはただの偏見にすぎないのですが、彼のご両親が反対されるのは、あなたの真の姿(円満なる実相)をご両親(やご先祖)が知らないことと、外国人であることへの違和感から、結婚によってこれまで保ち続けていた良き伝統が壊れてしまうのではないか、との“恐れ”を感じているのではないかと思われます。

 時間が掛かるかもしれませんが、あなたは、そのような日本の古い風習や考え方も受け入れなければならないでしょう。なぜなら、彼との結婚とは、彼のそのような文化的な背景とも、深く“ちぎり”を結ぶことになるわけですから。

 そのような前提を踏まえた上で、お二人の結婚が、ご両親をはじめ、家族や周囲から祝福されて、幸福な家庭生活と繁栄への道を開くためのアドバイスを、以下に挙げさせていただきます。

①一切を神なる大生命に委(ゆだ)ねること。

 大生命(神様)は宇宙に充ち満ちています。それは貴方の内にも充ち、彼のご両親の内にも満ち、ご先祖の内にも充ち、彼の内にも満ちています。大生命とは即ち神(仏)の智慧、愛、生命であり、すべてを生かすチカラのことです。

 私たち人間は一人残らず、その宇宙に満ちる大生命の子供であり、その大生命に生かされているのです。このことを生長の家では、「人間は神の子である」と説いています。

 あなたの親様なる大生命(神様)に、今回の問題のみならず全てのことを委(ゆだ)ねてください。必ず、なんらかの答えか、困難な問題を解決するための導きを得られることでしょう。

 その方法として、生長の家では神想観(しんそうかん)という祈りの実修を勧めています。が、あなたが何か信仰をお持ちであれば、その形式に添って、以上のことを念じながら、深く祈念されるとよろしいでしょう。
〈ご参考〉

『神想観はすばらしい』谷口清超著
 
②彼のご先祖の供養をすること。

 幸せな結婚をするための一助として、彼のご先祖に今回のことを報告し、今後の展開の一切を委(ゆだ)ねてみましょう。

 その方法としては、お部屋の中で清浄な場所を設けて、深く心を静めて「○○○家先祖代々の御霊(みたま)」と、声に出して彼のご先祖を招霊して、ご先祖が信仰する宗教のお経を読んであげるか、現代のコトバで深い宗教的真理が書かれた
『甘露の法雨』を読んであげるとよいでしょう。

 詳しくは、日本教文社刊の
『人生を支配する先祖供養』谷口雅春著を参考にしてください。

 また、彼と一緒にご先祖のお墓に詣でて自分たちの思いの丈(たけ)を伝え、ご協力を仰ぐとともに、今後の導きをお願いするとよろしいでしょう。

 分からないことがあれば、なんなりとコメント欄かメールを通じてご連絡ください。

 また、関東周辺にお住まいであれば、私の聖典講義の折に個人指導をしておりますので、遠慮なくお訪ねください。2月は24日(日)、3月は24日(日)それぞれ午後1時から
講話を予定しています。

 全国各地にも生長の家の教えを伝える
拠点がございますので、ご相談されるなり、詳しいことをお尋ねになるとよろしいでしょう。

 

 

 

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2013年1月30日 (水)

内なる光りを解き放つ

 私たちは、生活に豊かな富や幸福の実現を願う思いがある一方で、無意識のうちに、それらの実現を否定する“逆念”を起こしている場合があります。

“逆念”とは、燃えかけようとしている幸福の炎に、「シュン!」と、水を掛けるような働きをします

 炎が燃えたのなら、暖をとり、料理を作り、火の豊かな恵みを感謝して受ければいいのですが、おもしろいことに逆念は、自分の幸福や富が実現することを否定してしまうのです。

 このことを心理学では、「自己処罰」とも表現していますが、その背後には「罪の意識」が作用している場合が多いのです。

 このことから、私たちが人生に幸福を実現する方法は、意外に簡単であることが分かります。

 それは、「自己処罰」の原因である、「罪の意識」をぬぐい去るだけでいいのですから。

 そのための最良の方法は、自己の本質を根源から見つめること。

 自己の本質が「神」であり、「愛」そのものであることを見つめ、それ以外の何ものでもなかったことを心の底から悦ぶことです。

 たったそれだけのことで、私たちの運命の豊かなる展開をさまたげていた一切の帳(とばり)が消え、あなたの内なる無尽蔵の光りが解き放たれるのです。

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2012年11月20日 (火)

たとえ病気が消えたとしても

 生長の家を熱心に学んでいる方と、メールを通して「実相を直視すること」について遣り取りしていたところ、次のようなご質問をいただきました。

【質 問】

息子の健康のために生長の家を勧めていましたが、彼は何もしなくて構わない、私自身が家族の実相を直視していれば、暗は消えるからそれで良いのでしょうか。彼を愛する母にとって、彼自身が三正行を実行して信仰を深めて欲しいと願っていますが、私だけ実行して信仰を深め、彼に関しては神様にお任せすべきなのでしょうか?

 

また、友人に対しても生長の家のみ教えを勧めない方が良いのでしょうか? 私だけ実行して、彼等の実相直視さえ続けていれば良いのでしたら、私にとっても簡単です。私の信仰が深まるにつれて周囲の人々も自然にみ教えに振り向き実行する時が来る筈だということでしょうか。周囲の人々は私の鏡ですものね。

   ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 メールなどの文章によるコミュニケーションには、断片の言葉だけが一人歩きして解釈される場合があるものです。
 さて、上記の質問を要約すれば、
「病気で苦しんでいる人の“実相”だけ観ていればいいのでしょうか。三界唯心所現(すべては心のカゲ)であれば、自分の心が変わるだけで問題は解決するのでしょうか」
 という意味になるかと思います。

 どのような教えであれ、誰かを神や仏と繋がるような深い信仰に導くためには、人それぞれの気根に応じた対機説法が重要な役割を担っています。が、そのためには「直接合って話すこと」が最良の方法であることには変わりありません。

 ともあれ、私からの回答を公開させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【回 答】

 以下に、ご質問いただいた何点かのことへの返信を書きますので、ゆっくり目を通してください。

 分からないことがあれば、またご連絡ください。

 まず、息子さんの「健康の為」に聖経読誦を勧めることは、彼を、神への正しい信仰に導くために、とても大切なことなのです。

 ご本人が、神想観(祈り)や聖経読誦によって「実相」を正しく把握すれば、その結果として暗(症状)は次第に消えていくのです。また聖経を読誦することで、ご本人が神の子の自覚を深めるにしたがって、霊界の諸霊たちも真理を悟って救われるのみならず、護り導いてくれるようになります。

 また、息子さんにしても、友人の方にしても、「神癒祈願」をはじめとした第三者からの祈りは、「信仰の道」へと歩んでいただくための“橋渡し”のお役目は果たすことができますが、何よりもご本人が信仰の道をあゆみ、「実相」に目覚め、神の子(仏の子)本来の無限に自由な世界に新生することによって、はじめて根本から救われるのです。

 それが、イエス・キリストの云った「神の栄光があらわれる」ということです。
 つまり「神の栄光」とは、その人が「実相」に目覚めて内在の神性・仏性が光り輝くことなのです。

 ですから、彼らを真理の道へと導くことは、とても重要なことなのです。

 これと合わせて、先に真理への道を歩んでいる私たちは、神想観を通して、彼らをはじめご縁あるすべての人々の実相を観じ、彼らの気根に応じて真理のコトバを通して導くことが、彼らの魂の生長にとって大いなる助けとなるのです。

 たとえ、第三者からの祈りによって病気が治ったとしても、盲目が消えたとしても、ご本人自身が神への信仰へと振り向いて、神と繋がらなければ、いつまでも現在の境涯を卒業することができませんし、「業」という念の集積を解消して「人間・神の子」の自由な境涯へと新生するのに、何度も病気や苦難を繰り返すなどたいへんな遠回りをしなければならないことでしょう。

 ですから、神想観を通して、その方の実相を直視するとともに、愛行を通して彼を「真理への道」(信仰生活)へと導くことがとても重要なのです。

 また、彼らが将来ご家庭を持ち、やがて子供たちに恵まれた後は、彼自身の内に目覚めたチカラによって、その家族をも真理への道へと導くことができることでしょう。

 これが、私たちが実践している菩薩行であり、人類光明化運動・国際平和信仰運動なのです。

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2012年11月19日 (月)

祈りによる“救い”について

「祈り」による救済(神癒)について、海外にお住まいの生長の家の方から質問をいただきました。
 
 私からの返信が、生長の家の「国際平和信仰運動」のことや「心の法則」や、「神癒」(自性円満の自覚による神の癒し)などに及び、生長の家をご存知ない方には、ちょっと難解なところがあるかもしれませんが、分からないところがあれば遠慮なくご質問ください。

 また、どのような宗教であれ、日々世界の人々の幸せを祈り、信仰の道に精進されている方には共通するテーマでもあるかと思われますので、皆さまのご参考のために公開することにしました。 


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>>(質問)祈りに合わせて、人助けに興味を持つ高級霊も協力してくださいますか?

 

 とのご質問にお答えします。

 

 生長の家の人類光明化運動や、国際平和信仰運動は、人間界の運動だけではありません。

 

 このような運動は、生長の家に限らず神界・霊界・現界の神々や高級霊という、天使として、あるいは“霊の選使”としての使命をもった人たちに共通の荘厳なる一大運動なのです。

 

 もちろん、この運動は国境や人種の違い、あるいは宗教や宗派などといった“現象”を超えたものであり、空間などの「距離」も越えていますので、どんなに離れていても、「祈り」や「集団祈願」が功を奏するのです。

 

 神癒とは、ご質問にあったような「人助けに興味を持つ高級霊の協力」ということも間接的には影響しているかもしれませんが、根本的には、神は、宇宙に充ち満ちている“無限生命”ですから、この“無限生命”を吾が内に自覚さえすれば、全ての問題が解決し、全ての病は消えるのです。

 

 その本来完全円満なる実相が、現象世界にそのまま顕れるのを邪魔していると考えられているのが、天理教祖が云うところの「心の表面に付いた埃(ほこり)」であり、生長の家で説くところの、「迷いの念(こころ)のフィルム」いわゆる「業(ごう)」なのです。

 

 現象界の問題を解決したいのであれば、まず第一にすべきことは、「神想観」などの祈りと、真理のコトバが書かれた聖典やお経の拝読によって、本人が「自性円満(そのままで円満完全)」なる“実相”を自覚することに尽きるのです。実相を自覚することによって、「迷いの念(こころ)」が消えるのです。

 

 神癒祈願や集団祈願などの「祈り」は、その手助けにはなりますが、根本的な解決は、ご本人が本ものの信仰生活に入るより他はありません。

 

 第三者の祈りによって「迷いの念」が一時的に浄化されても、本人の心が内なる神(大生命)に向かわなければ、「迷いの念(こころ)のフィルム」の投影による不完全な現象は、何度でも再現することは、以上の説明でご理解いただけることと思います。

 

 神は大生命であり同時に大光明ですから、その神に全托すれば、たとえ何千年何万年続いている闇でも消えるのです。

 神の無礙の光にふれて「迷いの念(こころ)」が消えることで、円満完全なる実相世界が、この世(現象世界)にも顕現する、それが、「健康」となり「繁栄」となり「調和」となって現れるのです。

 つまり信仰生活とは、日々の祈りと、真理のコトバが書かれた書籍やお経の拝読、そして神の愛を実践する「愛行」の三正行が、神さまと心の波長を合わせるために、もっとはっきり言えば、「神の子としての円満完全なる人生」をこの世に具現して、多くの人々を幸せにするために、いかに大切であるかということが、お分かりいただけることと思います。

 

 光の子としての、ますますのご活躍を祈念しております。

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2012年10月 2日 (火)

ノーミートを続けるべきでしょうか?

 ノーミート料理に取り組み始めたという40代の主婦の方からの質問を預かりました。

 彼女は家庭での肉食をやめるため、小学生の息子を連れて県の「食肉センター」まで屠畜(とちく)の見学に行ったり、食肉の問題点を調べたりするうちに、
「牛肉や豚肉を食べる必要が人間にあるのだろうか? という強烈な疑問も生じて、もう、牛も豚も調理するまい」
 という深い慈悲の思いが湧いてきたそうです。

 ところが、これまでの肉食の習慣のあるご主人からノーミートを反対され、「やっぱり無理なのか」と悩み、相談を寄せられました。

 ご参考のため、質問と回答を紹介します。
 
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【質 問】

 

  合掌、ありがとうございます。

 ノーミート料理を毎日試行錯誤の中、作っています。

 肉の大好きな主人とこどもたちですが、主人の体重が増えすぎてきた、という理由で、初め主人は了解してくれました。

 でも、なかなか ノーミートで料理をすることが難しくて、行き詰ってしまい、自分の決心を固めるためにも、また小学生の肉好きの長男に肉の実態を少しでも知ってもらいたくて、夏休みに、県の企画で「食肉センター」というところを見学しました。

 そこは、1日に豚が約2000頭、牛が約25頭も屠畜(とちく)され、食肉になって出荷されていきます。屠畜の見学をしたいとお願いしましたが、それはかないませんでした。

 でも、屠畜のために、豚は頭に電圧をかけられ、牛は眉間に麻酔銃を撃つという話を聞き、また、屠畜後の様子は、牛は写真でしか見られませんでしたが、頭部を切り離され、胴の皮をはがされている様子を見、豚は、実際にガラス越しに頭がぶらぶらとベルトコンベアーみたいなものでつるされて運ばれているのを見ることができました。

 私は、結婚前は調理師をしていたので、だいたい想像できていたし、グロテスクなものでも見て大丈夫と思っていました。

 でも、そこを見学してから、日が経つにつれショックで、うちに長年読まずに眠っていた『
私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語 』を読み始めたり、インターネットで肉や、牛乳を搾るための牛について調べてたりしました。

 その結果、ますますショックで、それ以来、毎日がぶがぶ飲み、子供にもすすめていた牛乳も全く飲めなくなってしまいました。

 そこまでして、牛肉や豚肉を食べる必要が人間にあるのだろうか? という強烈な疑問も生じて、もう、牛も豚も調理するまいと決めました。肉を触るのもいやでした。

 でも、家族は満足しません。特に主人は、そのことを話しても、「それは仕方のないこと」と言い、聞き耳をもってくれません。(主人もコックです)

 ノーミートにしても体重が減らなかったということもあると思うのですが、先日も「俺はかわいそうだ。大好きなとんかつも食べられないのか、子供たちもかわいそうだ。ハンバーグも食べられないんだ。」と言われてしまいました。

 やっぱり、ノーミートは無理なのか、触りたくない肉でも、家族のためには取り入れるべきなのか悩んでいます。

 過日の生長の家講習会で、谷口雅宣先生は「子供が肉を食べたがるのは、親が食べるのを見ての結果」という意味のことを話されていました。

 この分では、わが家の子供たちもずっと肉好きのままになってしまいそうです。良い回答をお待ちしています。

 

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 ご家庭でのノーミート料理の実施は、ご主人やお子様のこれまでの食習慣とも関係してきますので、台所を預かる主婦としてはご苦労も多いことでしょう。

 谷口雅宣先生も、肉食が好きなご家庭なら、例えばこれまで毎日食べていたものを週1回か2回にするなど、肉食の回数を減らすことから心懸けてください、という意味のご指導をされていますので、家族の反対を押し切って完璧なノーミート料理に切り替えてしまうのではなく、徐々に時間を掛けてゆっくり肉食の問題点について語り合いながら、肉食を減らすように心懸けてはいかがでしょうか。

 わが家の事例では、私ども夫婦に加え、大学生1年生から小学4年生まで、4人の“食べ盛り”の子供がいますが、基本的には普段は野菜と魚で、牛肉や豚肉の料理を避ける工夫としては、完全なノーミートとはなりませんが、鶏肉をさまざまな形で調理するなどの工夫をしています。

 何よりも大切なのは、ご家族で仲良く歓談しながら食卓を囲み、家庭に天国を実現することです。

 ですから、ノーミートの献立については、プロのコックであるご主人に、あなたが心を開いて、「肉を触るのもいや」であることを率直に話して、“願い”を素直に打ち明けてご主人からアドバイスを頂きながら、協力し合ってノーミートへの道を歩んでみてはいかがでしょう。


 大切なのは、自分一人で頑張るのではなく、また生長の家の生き方を家族に押しつけるのでものなく、神の子であるご主人と子供たちの素晴らしい「実相」を拝みながら、ご主人の願いや希望をしっかり受けとめながら、楽しく神の御心(智慧・愛・生命)を実現していくことです。

 神意に適った善き願いは、気が付いてみれば必ず実現しているものです。結果を焦ることなく、日々の神想観(祈り)の中で、悩みの一切を大生命なる神に委(ゆだ)ねましょう。

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2012年9月28日 (金)

マンションの売却について

 関西在住の40歳の女性の方から、「マンション売却のことで悩んでいます」という相談をいただきました。

 たとえば、信仰熱心な方で、どんなに神仏に祈っても、どんなに「心の法則」を駆使してみても「願いが叶わない」という方がいますが、そのような場合は、もしかしたら心が神さまと一つになっていないのかもしれません。

 神さまと一つになる道は、自分と全てのものを「赦すこと」「愛すること」そして「感謝すること」から開けてきます。


「願い」は、実在(実相)の世界にすでに成就していればこそ、私たちの脳裏にアイディアとなってひらめいてくるのです。

 また、その「願い」が、利己的なものではなく多くの人を幸せにするような内容であれば、神は宇宙に充ちている大生命ですから、“神と一つ”になることによって、宇宙の全体が「願い」の実現を後押ししてくれます。

 それが「祈る」ことの醍醐味であり、「吾れ祈れば、天地が応える」のです。

 

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【質 問】


 マンション売却の事で悩んでいます。

 私が現在住んでいるマンションは築27年のマンションで13年前に自分で購入したマンションです。

 当時は結婚を機に購入したのですが、2年後に離婚しずっと働いてローンを返済してきました。

 この度、売却を決意したのは勤務先に近い大阪に戻りたいこと、また新しい縁に恵まれて再婚したいこと。維持費を支払っていく自信がない、階下の子供の声がうるさい、などの理由で売却を決意しました。

 昨年の11月から売却活動を始め、不動産仲介会社の紹介で数人お客さんを紹介していただきましたが、なかなかいい返事をもらえず焦る日々が続いています。

 販売価格も当初より大幅に下げたり、「必ずこのマンションを必要とする人に巡り会える、神様におまかせします」と祈っていても、このまま売れないのではないかと不安に思ってしまいます。

 マンションの1階には飲食店があり、その臭いを嫌う人やエレベーターにのる前後に階段があり、年配の人からは「階段があるから・・」と断られてしまいます。

 現象に囚われていてはいけないと思いましたが、どのように祈ればよいでしょうか?

 ちなみにこのマンションは中古で購入したものですが、私が住む前の人が破産した物件でして、その後に住んだ私が離婚・勤めていた会社が倒産等、よくないことが続きました。(離婚は私に原因があるのですが)これも気にしない方がいいでしょうか?

ご指導宜しくお願いします。


(匿名希望)生長の家信仰歴:30年以上

 

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【回 答】

 

 マンションの売却については、ご相談内容を拝見する限り、最良の時期に選択されていることと思います。

 

 また、マンションが売れない原因としては、メールにお書きになっているように、

 

「私が住む前の人が破産した物件でして、その後に住んだ私が離婚・勤めていた会社が倒産等、よくないことが続きました」

 

 ということがあなた様の心の奥にあって、それが原因しているものと思われます。

  つまり、このマンションを購入した人は“不幸になる”という、あなた様の潜在的な想いが、スムーズな売買の妨げになっているのではないかと思われます。

 

 この問題を解決するのは簡単です。

 すでに祈り(神想観)を実修されているのですから、朝晩の神想観の折に完全円満なる実相世界を観ずること、そして真理の言葉の読誦によってマンションを浄めることです。

 

具体的には、

①神想観を実修して、実相においてマンションははじめから神の子・光りの子の住まいであり、神の智慧と愛と生命に充たされており、これまで13年間もお世話になりありがとうございました、と心から感謝すること。

 

②これから神縁によってマンションに住む方が、光りあふれるこの家に暮らして、家族仲良く円満完全な大調和の生活を送る姿を観じて、ひたすら祝福祈念すること。

 

③聖経『甘露の法雨』を朝と晩に誦げて、真理の言葉によってマンションを浄め、神さまに一切をゆだねること。

 

 以上のことを続けていれば、最良の時期に、最良の買い手が現れ、売り手も買い手も満足する最適な値段で売買が成立します。

 のみならず、あなた様の運命も大いに開けてきますので、安心して神想観と聖経読誦を続けてください。

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2012年8月19日 (日)

子供の良縁を願う母親への手紙

 30代になっても結婚しない長男、長女のことを案じるお母様から、結婚の成就を願うお手紙をいただきました。

 彼女は、若くしてご主人を亡くし、生長の家の信仰を心の拠り所に、仕事と家庭とを両立させ、さらに白鳩会の活動に熱心に携わりながら、当時小学生だった2人の子供を立派に育て上げてきました。

 仏の四無量心の“捨徳”の信仰は、神(仏)の無限の愛の中に、これまで育んできた大切なものの一切を委ねることでもあります。

 深い信仰をお持ちの方なので、目の前にある「唯神実相」の世界に“進一歩”できるようアドバイスさせていただきました。
   

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 合掌、ありがとうございます。

 女手一つで二人の幼子を育て、立派に社会へと巣立たせたこと、ひとかたならぬご苦労があったことと思います。

 しかし巣立った限りは、後は神さまの無限の大愛が、天となり、大地となり、一切の人や物や事となって、親の愛以上に、大切なみどり兒たちを育むのです。

 あなた様がその神の大愛に一切を委ね、信頼し、甘え切ることが、お子様たちが親元を離れるということであり、それぞれが家庭を持つ、ということでもあります。

 以前もお話しさせていただきましたが、「願い」は“すでに実相世界に成就している”からこそ、私たちの“切なる願い”となって、後から脳裏にひらめいているのです。

 つまり、すでに成就している「願い」の方が、すべてに先立って在る(実在する)のであり、それのみが実相であり真実在なのです。


 子供たちが最良の伴侶と子宝に恵まれ、光明輝く家庭生活をいとなんでいることは、久遠の昔から、すでに今此処に在り通しているのです。その実相・実在をただ観じ、ただ悦び、ただ神に一切を委ねて悦んで生活していればいいのです。

 すでに一切が成就している世界が“今ここに在る”のですから、その「実相」を生活の中心に据えて、大安心の気持ちで天地の万物を愛し、感謝する日々を送ること。それが神への全托であり、生長の家の信仰生活でもあります。

 それが、あなた様のお手紙に綴られていた“ハッキリと願う”ということの真意なのです。

 光りあふれる久遠の幸を祝福祈念しております。

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2012年8月18日 (土)

反抗する娘に悩む母親への手紙

 私たちは、一人ひとりが個性や性格や人相が異なるように、その人でなければ出来ない特殊な使命を持って、この世に生まれてきたのかもしれません。 

 この世に生まれた子供は、やがて小学校、中学、そして高校へと進学し、成長するにしたがって、それぞれの道へと人生の歩みを進めて行きます。

 子供が自立して「親離れ」していくように、親も「子離れ」することによって、子供たちはいよいよ天地の深い摂理に導かれ、親の予想を遙かに越えて偉大な生長を遂げるものです。

 つまり「子離れ」とは、親にとっては、仏の四無量心における「捨徳」の実践にほかなりません。


 さて、今回は、高校三年生になる娘さんが、「自分に反抗して親の思い通りの道を歩んでくれない」という50代のお母様から、お嬢様の進路についての相談のお手紙を預かりました。(長文なので割愛させていただきます)


 子供の進路というものは、親が、娘や息子の不完全で未熟に見える現象の姿に捉われて、口を挟んでばかりいると、進むべき道を見失う場合があります。

 子育ての秘訣は、“神さまの邪魔をしないこと”と、言えるのかもしれません。



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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 お手紙拝見しました。

 お嬢様が、ご自身の“願い”である看護士への道を取り止めて、母親であるあなた様の願い通りに保育士を希望して保育短大に進学するとともに、お嬢様が「おかあさん」と素直に慕ってくれるにはどうしたら良いか、という、2つのご質問にお答えします。

 まず、生長の家の教えは、子供を、親の思うとおりに都合よく育てるような教えではありません。

 逆に親の都合をすっかり外して、子供に内在する神性・仏性(実相)を、親が“無条件”に拝んで感謝する教えです。

 お手紙で縷々述べていらっしゃったように、あなた様が、お嬢様を自分の思うとおりの進路に進ませたい、というようなお考えを押し通していたのでは、子供は本来の自由を求めて反発し、決して親の思うとおりにはならないでしょう。

 なぜなら、お嬢様には、彼女だけに授けられた大切なご使命があり、そのご使命を生きることが彼女の歩む道であることを無意識のうちに感じて、進路を選んでいるからです。

 あなた様が、生長の家の教えによって問題を解決したいのであれば、先ず、子供を神さまに全面的に帰してしまわなければなりません。そして自分の子供だ、と思うことをやめて、神さまの御子として拝み、感謝し、彼女の内なる神性・仏性を信じて自由に委(まか)せ切ることです。

 ですから進学のことは、あなた様が、お嬢様よりも学校の先生やご自分のお考えを優先して学力などの諸条件(現象)を基準に、親が口を挟めば挟むほど、お嬢様の本来の使命である進むべき道が彼女自身にも見えなくなり、親子ともに非常に苦しむことになります。

 繰り返しますが、お嬢様ご自身が選んだ道は、彼女がこの世に誕生するに当たって神さまから授けられたご使命へと、まっすぐに繋がっているのです。

 お母様が、お嬢様を自分の思うとおりにしようとする心(我見)を捨て、“無条件”にお嬢様の選んだ道を祝福し、たとえ希望する学校の試験に何遍落ちたとしても、どこどこまでもお嬢様を応援してあげることこそが、神さまから神の子をお預かりしている肉親の親としての努めではないでしょうか。

 あなた様が、お嬢様の神性・仏性を信じて拝むようになれば、お嬢様の内にある神の子本来の円満完全な優しさが現れ、反抗心が消え、素直にお母様のことを慕うようになることでしょう。

 もしあなた様が、これまでの生き方を押し通して問題が解決できるとお考えなら、このアドバイスに従う必要はありません。

 しかし、すでに行き詰まって、どこにも解決方法がみつからず苦しんでいらっしゃるのであれば、素直にアドバイスに耳を傾けてみることです。

 その一助として、地元教化部で開催されている生長の家の練成会や誌友会に直接足を運んでみることをお勧めします。

 

 

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2012年7月30日 (月)

両親に結婚を反対されている方へ

 彼との結婚を、親に反対されているという女性から相談のメールを預かりました。

 ご自身が本家の一人娘であること、一方の相手の男性も跡取りの長男であることが、結婚を反対されている大きな理由のようです。

 結婚は両親に祝福されてこそ理想的な出発ができるものです。しかし、本人や両親が跡継ぎのこと、家柄のこと、親の都合、経済的理由などの周縁の事情(現象)に引っかかっている場合は、まとまる話もこじれてしまい、やがて婚期を逃してしまう場合もあります。

 このような諸問題を根本的な解決へと導くのが、宗教的な智慧によるアドバイスです。

 参考のために、実名を伏せて、メールでの遣り取りを公開させていただきます。
 


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【質 問】

 私には4年間お付き合いしている彼がおり、お互い結婚したいと思っています。しかし、私は一人娘、彼は長男(妹が一人)なので、私が嫁に行くと家やお墓が途絶えてしまいます。

 私の両親の反対の理由はいろいろ言われましたが、大きくは後継がいなくなるし、本家がお墓や仏壇を守らないとご先祖様が悲しむし、私や私の子供のことを守ってくれなくなることと、私が4年間彼氏との交際を黙っていたことがショックだったようです。

 また、母は長男の父に嫁いで大変苦労したので、私には苦労させたくないようですが、次男と結婚したからといって苦労しないなんてことはないはずです。母としては苦労は誰でもするが、できるなら、苦労は軽くしてあげたいというのです。

 私の気持ちとしては大好きな彼と結婚したいですし、両家の親や家のこと、一緒に力を合わせて見ていきたいと考えてます。早く孫も見せてあげたいと思います。

 でも理想論ばかりで本当に100%できるかといわれると自信はありません。頑張るつもりはありますが。

 やはり本家の一人娘と長男の結婚は難しいのでしょうか? 両家の墓をみるのは不可能ですか?

 親からは、“人に流されやすく、親には冷たい女だ”と言われて、とても悲しいです。

 母の姉や母は生長の家を信仰していて、姉はとくに熱心です。

 しかし、今回反対され、冷たい女とまで言われ、なんのために信仰しているのかと思ってしまいました。

 私の考えは間違いなのでしょうか?

 親の理想の相手と結婚すべきですか?

 

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【回 答】

 

 メールでのご質問拝見しました。

 両親に結婚を反対されているとのこと。
 理由としては、お互いに跡取り同士の結婚であり、あなた様が嫁いだ場合は実家の家系が途絶える可能性があること。

 

 そして、4年間の彼氏との交際を、あなた様のご両親に黙っていたことで、両親がショックを受けているということ。

 またご両親からは、今回のことをめぐり、あなた様に対して「人に流されやすく、親に冷たい」と言われて悲しい思いをしているとのこと。

 

 人生には、さまざまな障害と見えるものが現れることがありますが、これも全てが善くなる過程であり、一つひとつのことを通して、私たちは人生の深い意義を学んでいるのです。

 

 ご両親をはじめ、あなた様を取り巻くすべての人たちが納得し、そして皆が満足する解決策が、必ず見つかります。ご安心ください。

 

 では、まず確認しておきたいことがございます。

 それは、彼氏は正式にあなた様のご両親のところに、結婚を承諾していただくための「あいさつ」に行かれたのか、ということです。 

 お父様やお母様にしてみれば、大切なお嬢様との交際を、4年間も秘密にしていたことに対して、彼への不信感とともに、娘にも裏切られたような“釈然としない思い”があるのではないでしょうか。

 

 そのことに対して、ちゃんと彼氏とあなた様は、ご両親に対して、礼を尽くしてお詫びをしなければなりません。

 

 それは、これから彼氏とご両親とは、生涯にわたって親子の関係を結ぶわけですから、心に何のわだかまりもないようにした上で、正式にご両親に対して結婚の許可を頂きに伺う、というのが筋道というものです。

 

 もし、そのような大切なことを、蔑(ないがし)ろにしているのであれば、ご両親は、そのような結婚を許可しないのは、しっかりとした社会生活をいとなんでいるご家庭では、当たり前のことだと言わなければなりません。

 

 結婚とは、表面的に見れば当人同士の結びつきだけのように思われますが、そのような浅い関係ではなく、その背後には、家系と家系、先祖と先祖との深いご縁あればこそ、あなた様と彼氏とが出合い、そして結ばれようとしているのです。

 ですから、ご両親に悦んでいただくことは、ご先祖に悦んでいただくことでもあるのです。

 いずれにしても、結婚にまで至るようなご縁は、ご先祖のお導きがあればこそ、4年間にもわたる長いお付き合いと、彼氏から結婚の申し込みまで頂くことができたのだと思われますので、先ずは、ちゃんと手順を踏んで、先方のご両親に同伴していただくなどして、正式に御挨拶をすることが最も肝要なことかと思われます。

 また、あなた様の実家の跡継ぎの問題ですが、私の知り合いのご家庭の事例では、長男が生まれたら嫁ぎ先の跡取りとなり、二男または三男が産まれたら、成人した後にご実家の姓を受け継いで跡取りとなり、それぞれの家系を継いで幸せに暮らしている方たちもおりますので、事前に双方のご両親と話し合った上で決めておかれるとよろしいでしょう。

 また、お墓や先祖供養のことについては、ご心配ありません。

 嫁いだ後は毎月、最低一回は双方のご先祖のお墓に詣でて、夫婦でお参りをすること。そして、毎朝ご仏壇の前で、両家のご先祖を招霊して『甘露の法雨』を読誦してご先祖の供養をすればよろしいでしょう。

 ご家庭での先祖供養のやり方については、生長の家を信仰しているお母様にお尋ねください。

 このようなことを続けていれば、ご先祖の導きによって、双方の家にとって最良の跡取りが授かることでしょう。

 これに加え、あなた様も今回の結婚に際しての誠意を、ご両親に示すためにも、さっそく今日から自宅の仏壇の前で、お母様とご一緒でもかまいませんので、『甘露の法雨』を読誦して、ご先祖のご加護とお導きをお願いするとよろしいでしょう。

 最後に、あなた様は決して「冷たい女」などではありません。ご両親のこと、そしてご先祖のことを想えばこそ、このような相談のメールを寄せられているわけですから、あなた様の心の内には、周りの人たちへの深い思い遣りと“愛”があふれているのです。

“愛”とは、即ち“神”ということにほかなりません。

 そのことの事実をご自身で認め、内なる“愛”を褒め称えてください。「私の内には無限の“愛”があふれていればこそ、彼のことを愛し、両親のことを愛していたのだ」と。

 また必要でしたら、この返信をご両親にご覧に入れてもかまいません。

 以上のアドバイスを参考に、彼ともよく話し合いながら、あなた様が「善かれ」と思うことを、どんどん実行してください。必ず、周りの全ての方々が悦び、そして皆が満足する道が開けてきます。

 

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【礼 状】

 交際を黙っていたのは、母親にだけです。
 父と彼は、帰りに送ってもらったところに偶然会ったので紹介しています。
 父と母は不仲なので、自分だけが知らされていなかったことが、母にはショックだったのだと思います。それは悪いことをしてしまったと、反省しています。

 父の意見としては、自分は人柄がよければいいが、お母さんが反対だから・・・と、母のせいにして、そのことが、さらに母からすれば不満なようです。

 彼が正式に挨拶に来たかということですが、まだ来ていません。彼は「挨拶したい」と言ってくれていて、私も会ってほしいことを母に伝えたのですが、母は「会わずしてもわかる」というのです。彼を無理やり家に連れてくることも考えましたが、母はそのようなやり方が嫌いな人なのでできません。

 私も非常に落ち込んでいましたが、今回相談させていただき、先生のお言葉に大変救われ、もう大丈夫!! という気持ちが少し持てるようになりました。

母に分かってもらえるよう、頑張ります。

ありがとうございます。

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2012年6月10日 (日)

小学校PTA連合会総会における挨拶

 6月8日、青梅市の小学校PTA連合会(小P連)の総会が行われました。

 市内各校の小学校PTA会長と学校長は、合わせて小P連の理事も兼務しています。

 この総会をもって理事を退任する私に、ご縁あって、「退任理事を代表して挨拶をしてほしい」との依頼が来ましたので、悦んでお受けすることにしました。

 以下は、スピーチのための下書きに、当日のアドリブでのお話しを加えたものです。

 当日の参加者は、市内の小学校各校の新旧の校長に新旧のPTA会長、そして各校の副会長、庶務、会計などの本部役員。来賓として教育委員会の方々が参列していますので、仏教で説く善因善果や、徳積みの話。そして生長の家で説く心の法則などの話を、平易な言葉で、さらりと表現するよう工夫してみましたのでご覧ください。 



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 ご紹介いただきましたA小前会長の久都間です。

 3年間、小P連の理事ならびにA小学校の会長をさせていただきました。その関係からか、今年度会長校のY小学校の会長と、前会長から、
「思いの丈(たけ)を語ってください」とのご指名をいただいておりましたので、少しだけ語らせていただきます。

 

 本日の総会をもって、16校中10人の会長さんが退任されますが、先ほどから、前に出て感謝状を受け取られる前PTA会長の皆さんお一人お一人のお顔を拝見しながら、皆さんと会長会の折に、夜が更けるまでえんえんと熱く語り合った日々のことを、しみじみと思い出しておりました。

 あらためて会長会は、最高のオヤジの会だったなあと、そんなことを感じております。

 

 さて、私たちの活動をふり返ってみますと、学校において子供たちが学ぶ「知識」についての教育は、学校の先生方が担ってくださいますが、これから子供たちが人生を渡り、生きていく上でもっとも大切な教育は、ここにいらっしゃるお父さん、お母さんたちが、PTA活動を通じて、一所懸命に学校のため、地域の子供たちのために、何の見返りも求めずに無償で、ときに手弁当で奉仕される姿を子供たちは横目で見ながら、彼らは言葉には出さなくてもたくさんのことを学んでいるのではないかと思います。

 

 子供たちの心に種蒔かれたこれらの記憶は、将来彼らが学校や職場で、やがて親となって家庭や地域社会で、たとえどのような困難な状況に遭遇したとしても、自らのチカラで道を開き、問題を解決し、幸せを築き上げていくための糧やヒントとなって、必ず花開いてくる時期が来るのではないかと思います。

 

 そのような意味でPTA活動は、一見、経済的にも時間的にも与えっぱなしの活動のように見えるかもしれませんが、実は親にとっても子供にとっても“子育て”という二度と繰り返すことのないこの大切な時期に、最良の経験をさせていただいていたのではないのかなと、この3年間をふり返って、そんなことを感じております。

 

 さて、今年度の各校のPTA会長の皆さま、そしてお集まりの本部役員の皆様、それぞれの担当校で、子供たちが楽しく充実した学校生活を送れるよう、今年も各校でのPTA活動に、皆さまの大切なお時間とお力をいっぱい注いでいただければと思います。

 

 また、教育委員会の皆さま、これまでと同様に、私たち小P連の活動を温かく見守り、ご指導とご協力をくださるよう、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 最後に前年度小P連の幹事校をご担当されたU会長はじめI小事務局の皆さま、この一年間、縁の下の力持ちとして、ときには潤滑油として、円滑に小P連の運営に当たってくださり、本当にありがとうございました。心より感謝しております。

 

 以上をもちまして、退任理事を代表しての私からの挨拶とさせていただきます。

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2012年5月25日 (金)

自然栽培―ほったらかし農園で実験開始

 4月の連休前のこと、古書店からまとめて仕入れてきた本の中から、『奇跡のリンゴ 』という、リンゴ農家の木村秋則氏の評伝を読んだ。

 木村氏の生き方と農法が、ささやかな「ほったらかし農園」で野菜を育てる私の心の琴線に強く響いてきた。

 さっそく同氏の著した『リンゴが教えてくれたこと 』、『自然栽培ひとすじに 』、『「お役に立つ」生き方 ~10の講演会から~ 』、『あなたの人生に「奇蹟のリンゴ」をつくる本』、『すべては宇宙の采配 』、『奇蹟を起こす 見えないものを見る力』などを、次々とネットで取り寄せて、しっかり通読させていただいた。

『奇蹟のりんご』を生みだした農法のことを、木村氏は、福岡正信氏の「自然農法」からアイディアを得て、これをさらに発展させたものとして、「自然栽培」と名付けている。

「自然栽培」と「自然農法」との違いについて同氏は、無農薬、無肥料の理想を追求するだけではなく、農業として経営をしっかり成り立たせることから、「栽培」と名付けたという。

 また、「有機農法」との違いについては、農薬のみならず牛糞・鶏糞などの有機肥料も一切使用しない栽培方法を確立したところにあると述べている。

 そんな木村氏の思想の根底には、「自然」に寄せる大いなる信頼がある。

 その思想は深く、同時に極めてシンプルである。

 30数年前、ともに畑仕事をしていた奥様が農薬に弱い体質だったことから、不可能といわれていた無農薬でのリンゴ栽培に果敢に挑み、これに人生のすべてを捧げた人間がたどりついた結論でもある。

 かつて、津軽地方で生活破綻者を意味する“かまどけし”(かまどが消える、つまり食べていけない人の意)とまで呼ばれ、行き着くところまで行った者が“いのち”と引き替えに得てきた智慧が、彼の言葉の一言一句から伝わってくる。

 その背後には、欲すると欲せざるとに関わらず、農薬や科学肥料に依存して工業生産のように農作物を作り出すという、現代の主流となっている近代農法とは正反対の道を歩まざるを得なくなったご自身の孤独な宿命が、無農薬10年年目にしてリンゴ栽培を実現させ、次第に人生そのものが花開いていくことから確信した、同氏の「見えないものを見る」チカラが、人と自然と地球環境の未来をも見通しているようにみえる。

 つまり「自然栽培」とは、農業を通した、地球環境保全活動の究極の実践なのである。

 この木村氏の提唱する「自然栽培」は、これまで鶏糞、牛糞などの有機肥料を使用してきた「ほったらかし農園」園主としては、革命的ともいえる発見だった。

 たとえば木村氏によると、雑草や害虫たちは、施肥によって栄養過多となり、いわば過保護となった畑に発生し、彼らは一見、農作物を人間から奪っているように見えるが、実は人体にとって有害となる様々な成分を、雑草や昆虫たちが摂取して浄化している、というのである。

 だから無農薬、無堆肥にして数年経過すると、害虫による被害はどんどん軽減されるそうである。

 そういえば、わが家の「ほったらかし農園」も、かれこれ無農薬での栽培を始めて10年ほど経過したが、忙しさにかまけて堆肥を全く施さなくなってからも、トマトやゴーヤなどは家の二階に達するほど毎年生長し、霜が降りる11月ごろまで花を咲かせ果を実らせていたではないか。つまり、虫の被害よりも、次から次へと元気に果実を実らせる野菜の生命力の方がはるかに勝っているのである。また、冬から春にかけてのノラボウ、キャベツなどの野菜もまた然りである。

 さらに同氏は、無施肥にしても栽培が成り立つ一例として、たとえば大豆などの豆科の植物は、空気中にある窒素を吸収し、余った養分を土中にある根っこに根粒菌として蓄え、それが土に吸収され、他の野菜や果樹の養分になるという。

 これに加え、農薬を使わないために、さまざまな微生物が活発に活動することで畑の土は自然の山野のように肥沃となり、弘前大学農学生命科学部の調査によると、木村氏の畑のリンゴの葉っぱに付着したバクテリアの多様性は、世界遺産の白神山地のそれに酷似しているという。

「ほったらかし農園」でも、さっそく雨が上がった5月5日と13日、家内と、農園助手の中学生と小学生(長男、二男)と一緒に、くまなく大豆(早生枝豆・白鳥系)を蒔いた。

 その大豆とともに、トマト、キュウリ、ゴーヤ、アスパラ、オクラ、パプリカ、大根などの野菜のほか、昨秋からミカンを二本植樹し、柿、サクランボ、ブルーベリーなどの果樹が順調に花を咲かせ、そして今は新緑を輝かせている。

 無農薬10年目にして始めた「ほったらかし農園」の「自然栽培」。

 その後の経過などを、断片的な報告しかできないかもしれないが、ときどき本欄で紹介してみようと思う。

【お勧めの本】

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2012年5月 7日 (月)

夫の転勤と息子の受験と住宅ローン

 人生には「光明面」と「暗黒面」とがあると言われています。
 どちらのチャンネルに心を合わせるかによって、私たちの人生は大きく変わってきます。

 仏教に、「心外無別法(しんげむべっぽう)」という言葉がありますが、これは、一切の存在や現象は、心より起こったものであり、心の外に別な法はないという意味です。

 人生の「光明面」に心のチャンネルを合わせていれば、同波長の嬉しいこと、楽しいこと、悦ばしいことが現れてきます。

 一方、「暗黒面」ばかり注目して、取り越し苦労、持ち越し苦労を重ねていれば、心配なことが次から次へとスパイラル状に現れることでしょう。

 あなたは、どちらの生き方がお好きでしょうか。

 二度とくり返すことのない、掛け替えのない人生です。

 せっかくこの世に生まれて来たのですから、嬉しく、楽しく、幸福に過ごしたいのは、誰しもが願うところではないでしょうか。

 天国や極楽は、自分の人生と離れたどこか遠くにあるのではありません。

 また、今ここに無いような天国や極楽なども、空言戯言(そらごとたわごと)に過ぎません。

 今ここに浄土を開く道、それが生長の家の感謝の生活であり、日時計主義の生活です。


 以下に、ご主人の転勤と息子さんの受験と経済問題とが重なり、苦しんでいるのでアドバイスを頂きたいという、主婦の方からのメールと、私からの返信を紹介させていただきます。


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質 問「度重なる困難に苦しんでいます」(メール 4月17日付)

 

以前、母の死の際に相談させていただきました。その節はありがとうございました。

お陰様で母の死から1年間、何とか、妻、母親として自分の家庭を営んでいく事が出来ました。

ただ、まだまだ心が弱く、気持ちが過去へ過去へと向いてしまいます。

その上、今、悩んでいるのは夫の転勤が中3の息子の受験と重なる事と、住まいの事です。

夫は9月に転勤が決まっており、現在住んでいる北海道から関東に異動となります。

夫は年度末まで単身赴任をすると言っていますので(息子の希望も同じ)、私たちは北海道に残り、息子の受験は北海道にいながらにして試験だけ関東に受けに行くという大変な状況となりました。

実は2年前に夫の会社が倒産しました。現在は再建中です。リストラはされませんでした。

しかし、待遇が大幅に変わってしまい、賃金カットをはじめ住宅手当等もなくなりました。
その為、関東に戻ったら高額な家賃が加わり、また、子供たちもこれから教育資金が掛かることになります。

倒産前には、この様な事態を想像していなかったため、貯金もこれからしようと思っていた矢先に、このような事になってしまい、過去、裕福だった時に“なぜ貯金ができなかったのか?”

家計を預かっていたのは私なので、もし、今までに貯金をしていたら家族に何の心配もさせずにすんだのに、こんないい加減な家計管理をしてきた結果、先が見えない状況にしてしまい夫や子供達に大変申し訳なく、情けなく思ってばかりいます。

夫は高い家賃を払い続けるより、ローンを組んで家を買ったほうが良いと考えています。

夫婦で家計を見直しながら十分話し合いました。結果、支払いは可能でした。

 

でも私は住宅ローンを組むこと、今後も会社が存続するのかどうか? 等への不安に加え、「なぜ、お金のある時に貯金しておかなかったのか?」と毎日そればかり考え、自責の念に囚われています。

母の死、夫の会社の倒産、息子の他県での受験、住宅ローンと次から次に問題が起きて自分では消化できなくなっています。今、私に与えられている環境をどう受け入れたらよいかわかりません。

どうかアドバイスよろしくお願いいたします。

(主婦 48歳)

 

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回 答

 

 ご主人の転勤が中3の息子さんの受験と重なること、そしてローンを組んで家を購入するか否か、ということのご相談ですね。

 

 メールを繰り返し拝見させていただきましたが、すべてが善いことづくめで、有り難いことばかり、あなた様はどれほど多くの幸に恵まれていることでしょう。
 先ず、その喜ばしい事実を、正しく見つめることから始めてみましょう。

 

 もし、息子さんが北海道の高校に入学した後に、ご主人の異動と転勤が言い渡されたのなら、ちょっとは心配になるかもしれませんが、転勤の時期と入学とが、ぴったりと重なっていて本当に良かったですね!

 

 また、ローンを組んで家を買うことについても、ご夫婦で仲良く充分に話し合った上で、「支払いは可能」との結論に達したとのこと。

 ご家族にとってこんなに希望に満ちた嬉しいことは、大いに悦ぶことにしましょう!

 

 さらに関東の地で、また新たな出発されるとのこと、ご家族にとっての新生活が待っているのですから、心機一転して大いに張り切ってください!

 

 しかも、ご主人は会社が2年前に倒産したにもかかわらず、リストラもされず、お給料を頂きながら会社の再建に向けて仕事に励んでいた矢先、内地の関東への栄転が決まったのですから、どんなにやり甲斐を感じていらっしゃることでしょう。

 奥様であるあなた様は、そのご主人の悦びを吾が喜びとして、大いにご家族をもり立ててあげてください。

 

 このように人生の光明面のみを見て、感謝して生きるのが生長の家の生活です。

 

 ご存じのように、東日本大震災では、家族を失い、仕事を失い、大切な持ち家を失い、ローンを抱えながら何もかも失い、失望のどん底のような境遇におかれた人たちが、希望を失わずに明日に向けて黙々と、しかも家族と地域社会の再建のために明るく頑張っている方がたくさんいます。

 

 彼らに比べたら、どれほど私たちは恵まれていることでしょう。

 ですからあなた様は、先ず、今、既に与えられていることに振り向き、そして大いに感謝することからはじめてみましょう。

 

 貯金が無いなどということは、大した問題ではありません。
 また働いて稼いでしっかり貯金すればいいのです。

 

 生長の家の生き方に、一番ふさわしくないのは、今与えられていることに感謝することを忘れ、未だ来ていないことに対して取り越し苦労をしたり、過去のことを、いつまでもくよくよ思い出しては持ち越し苦労をすることです。

 三界は唯心の所現、現象世界は「心の影」の世界ですから、暗い不安なことを心に思い描けば、不安な状態が人生に現れるのが「心の法則」です。

 

 また、嬉しいこと、楽しいこと、感謝すべきこと、喜ばしいことに着目し、人生の光明面を見て感謝して日々を送っていれば、いつの間にか天国的な状態が、あなた様の人生に実現してくるのです。

 

 この後者を生きるのが、人生を光明化する生長の家の生活法です。

 

 生長の家の教えの基本を学び、安らかな幸福生活を実現する一助として、全国各地で開催している「白鳩誌友会」や「母親教室」に参加することをお勧めします。

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2012年5月 2日 (水)

家出をくり返す小学生のこと

 小学生の長男が家出をくり返し、「どうしたらいいか分かりません」というシングルマザーの方からの相談を預かりました。

 幼い子供にとって、両親の離婚は、大切な心の拠り所の半分を失うことになります。

 親たちの姿を見て、小さな心で支えきれない“心の重荷”を背負い、さらに大好きだった片親と別れて生活しければならない悲しみは、それは経済的な貧しさによる生活苦とは比べものにならないほど、子供にとって大きな負担となることでしょう。

 家庭は、両親だけで成り立っているのではありません。
 幼い子供たちの幸せは、両親と寄り添って暮らすこと、ただそれだけが本心からの“願い”なのです。

 その幼子の“願い”の内にこそ、天国浄土が宿るのかもしれません。


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【質 問】

 

今年35歳になるシングルマザーです。小学校5年生男の子、小学校4年生女の子、小学校2年生女の子の母親です。

23歳でできちゃった結婚をし、旦那の浮気が原因で33歳で離婚。
その後地元に戻り、仕事をしながら子育てしております。

最近長男の様子がおかしいというか、どう接すればいいのかわかりません。

今年の一月に、学校から戻りその後家出をしました。

「探さないでください、嫌なら探してください」という書置きを残してました。

前日は特に叱る事もなく普通に過ごしていたので心当たりがありませんでした。
警察、担任の先生に連絡し、捜査願いを出して警察にいたところ、午後11時ごろ自ら家に帰宅、家の電話で連絡してきました。

その後、「叱られるのが嫌でママに迷惑を掛けると思って出て行った」と言っていました。
色々話をして、これからは二度としないと約束しました。

それから2週間後、今度は学校にも行かずそのまま家出。理由は学校でいじめられて行きたくなかった、とのことです。担任の先生も色々話をして、解決の方向に行っていると思っていました。

そして昨日、また家出しました。

理由は私の父親に叱られるからという理由でした。
毎日私が帰る19時過ぎまで一人で留守番してます。宿題もせず、部屋の片付けもしないで暖房を付けホットカーペットも付け、TVを見ているので、うちの父親に「毎日実家に来い」と言われておりました。

その日は、私が実家に行った時にはまだ来ていなくて、家に帰ったら誰もいませんでした。

3度目ともなると探すのも疲れて、そのうち戻ってくるだろうと思い待っていました。
11時ごろ戻ってきました。

何も言わずそのまま就寝。

私は子供を虐待してたと思います。叱るのと怒るのは違う、よく母親に言われておりました。言う事を聞かないときは叩いてました。小さなことでよく怒ってました。

一度目の家出の後、怒らないように努力しました。
100%怒らないわけではありません。悪い事をしたら怒る。ただ前のようにいらいらして怒ったりはしないようにしていました。

それでも2度目の家出。

さらに3度目。

理由を聞いても支離滅裂な言い訳しか出ません。
まともに話ができません。

話していると貝のように口を閉ざし何も言いません。

長男をこのように育てたのは自分です。
もう長男に何を言えば良いのか、子供の気持ちがわかりません。

元旦那に所に行きたいのでしょうか。

うちのことが嫌いなのでしょうか。

子供とどう向き合ったら良いのかわかりません。

手放したほうがいいのでしょうか?

ほんとにどうしたら良いのかわかりません。


【追 伸】

 

私は信仰は特にないです。

長男はまた先日家出をし、深夜1時頃おまわりさんと一緒に帰宅しました。
その後発覚したのが私の500円貯金・・・2万円抜かれゲームや本を購入しておりました。
・・・ほとほと、どうしたらいいか分かりません・・・

 

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【回 答】

 

 近くにご実家があるとはいえ、これから女手一つで三人の子育てをされることは、本当に大変なことと思います。

 ご長男の度重なる家出のこと、お悩みのことでしょう。

 頂いたメールを繰り返し拝見させていただきましたが、その理由について、一緒に考えてみたいと思います。

 

 小学校五年生といえば、次第に自我が目覚め、これから徐々に、心も身体も大人へと近づきつつあるデリケートな年頃でもありますね。

 

 さて、お手紙によると、あなた様がご主人と離婚されたのは、ご長男さんが10歳のときに当たりますから、昨年のことでしょうか。

 家出の理由として第一に考えられることは、ご長男にとって最愛の両親が離婚したことで、お父様と別れなければならなくなったことへの不満と、言葉に言い表せないような寂しさが、大きな要因になっているのではないかと思われます。

 

 また、お父様との離別に加え、小学生の「転校」というのは、ご長男にとって親しい友だちと別れ、心から悩みを相談したり励ましてもらう相手を見いだせないまま、お父様のいない馴染みのない土地に引っ越したことが、支えきれないほど大きな心の負担になっているかもしれません。

 ですから、ご長男にしてみれば、お母様から、家出した理由を訊かれても、「支離滅裂な言い訳」しかできないのは、仕方のないことかもしれません。

 なぜかと言えば、ご長男にとって両親、ことにお父様を慕う気持ちや、育った地域や友だちと別れた言いようのない寂しさは、理屈ではなく、心の奥底にある深い感情に由来しているからです。

 また、親のお金を盗むというのは、精神分析的に見れば、親(この場合はお父様)の「愛情」に飢えていることの裏返しにほかならないのです。

 

 あなた様へのアドバイスとしては、ご長男は決してお母様のことが嫌いなわけではありません。

 ただ、別れたお父様を強く慕う気持ちを、お母様には悪いと知りつつも、自分でも押さえきれないでいるのではないでしょうか。その気持ちを紛らわすために、ゲームに夢中になってはみたものの、ついに耐えきれなくなって、自分でも理由(わけ)が分からずに「家出」をしてしまうのではないかと思われます。

 

 この場合の「家出」とは、単純にお父様に会いたい、というだけではなく、「お父さんとお母さんと一緒に暮らしたい」という、失ってしまった大切な家庭生活への、心の底からの深い憧れと、そこに戻りたい願いが、そのような行動を、われ知らずとらせているのかもしれません。

 これは、未だ幼いために行動にこそ表していませんが、四年生と二年生の長女、二女のお嬢様たちも、同じような想いをしていることでしょう。(もしかしたらご主人の側に引き取られているのでしょうか?)

 

 長い目で見れば、ご主人と復縁されることも、子供たちの幸せを思えば、大切な選択肢の一つとして考えてもいいのではないでしょうか。

 

 また、これ以上ご長男の問題が拗(こじ)れて取り返しがつかなくなる前に、ぜひご主人に心を割って、今回のことを相談にのっていただくことが大切かと思います。それが、ご長男の問題の根本的な解決につながるのであれば、たとえ復縁できなかったとしても、お父様と繋がり合えることがご長男にとって大きな心の支えになることは間違いないのですから。

 くどいようですが、お子様たちは、お父さんとお母さんと一緒に暮らす幸せな生活を求めておられることは、彼らの奥底にある心情として、ぜひご理解いただければと思います。

 

 以上、いただいたメールを拝見した上での、私からのアドバイスです。

 

 さらに詳しく相談されたい場合には、あなた様の県にも「生長の家」の教化部がございますので、連絡をとって講師の方に直接会ってご相談されることをお勧めします。

 

生長の家香川県教化部
〒761-0104
高松市高松町1557-34
電話087-841-1241

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2012年5月 1日 (火)

親子の愛と捨徳について

 ご高齢のお母様が熱心な生長の家の信徒で、クスリを一切飲まないので困っている、という相談のメールを、息子さんからいただきました。

 愛には大きく分けて二種類あるといわれています。
  一つは「執着の愛」、もう一つは「放つ愛」。

 同じ愛でも、似て非なる結果を人生にもたらすこの「愛」について、仏の四無量心の教えは、明確な智慧をもって私たちを導いています。

 以下、質疑の遣り取りを紹介します。


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【質 問】

 

 突然のメール申し訳ございません。

 

 母親は生長の家の熱心な信者です。
熱心すぎるゆえ、病院のクスリは一切飲もうとしません。

 

 本人はかなりの高血圧で病院の診断では、下げないといけないと何度も言われています。
(合併症の心臓肥大も軽度ですがはじまっているとのことです)

 そのたびに家族が説得するたび薬は飲むといって、気づくとこっそり服用をやめております。

 そんないたちごっこを2年続けて来ましたが、ついに開き直り、

「生長の家には病院通いだった若いころ、信仰を始めたとたん病気が無くなったから信じている、クスリも飲まない」

と言い始めました。

 

 信仰で高血圧が下がるなら文句は誰も言いません。

 下がってないのに信仰にすがっていることに困っています。

 CTでは既に動脈硬化も進んで細くなっています。

 家族としてはどうしたらよろしいですか?

 

 神に護られているとか、そういう、宗教的な考えは求め居ていません。

 一般常識として血圧180以上ある母の健康を願うのは当然だと思います。

 生長の家の見解をお聞かせください。

 

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【回 答】

 

 ご質問の件については、本部講師の久都間がお答えさせていただきます。

 

  お母様が薬を一切お飲みにならないとのこと、熱心な信仰姿勢に頭が下がる思いがいたします。

 しかしながら、お母様を愛する息子さんとしては、さぞご心配のこととお察し申し上げます。

 

 医者や薬は、病気を治す働きをするためにこの世に存在していますが、生長の家では魂を悩み苦しみから救うことが本来のお役目であり、病気を治すところではありません。

 

 また、魂が自縄自縛から解放された結果として、病気が消える場合もございますが、生長の家ではそのようなことは、心が肉体に及ぼす随伴的な影響として認めるのみで、積極的に肯定も否定もいたしません。

 

 ですから生長の家では、医者や薬を否定するものではありません。

 

 このメールをお母様にご覧に入れても構いませんので、

「素直に息子さんのご意見に従うようにと、生長の家の本部講師がすすめていた」

と、お伝えいただければ幸甚です。

 

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【追加質問】

 

 先日はお返事くださいまして誠にありがとうございます。

 頂戴いたしましたメールには、さまざまなご配慮をくださいまして本当に感謝しています。

 あのお返事なら母の心に届くものと信じておりましたが、結果から申し上げますと良いご報告は出来る状況には至りませんでした。

 

 いまの私ではどうすれば母の心に届くものかまったくわからない状況となっております。

 誠に恐れ入りますが、何卒ご教授いただければ幸いに存じます。

 

 先日のお返事をみせた後のやりとりをですが、私としましては、クスリを飲んでもらう事は、血圧が高いことを再確認したうえでの必要な措置とおもっているので、現状の血圧を測って欲しい旨を話しました。

 しかし、母は、「クスリを飲むことは基より、血圧を測ること事態が病気を認めることになる。そんなことはしない。なぜ今健康に動いているのにそんなことをさせるのか?」の返答。


 母にとって生長の家の教えは、病気はない(心の影とでもいうのでしょうか?)病気の存在を認めないということのようです。

 また、『生命の実相』を私に渡して「読め」というので、途中まで読みました(7巻です)。たしかに病気を認めるなという趣旨の文言がありました。きっとそういうことが言いたいのでしょう。

 

※下記、久都間先生気を悪くされたら申し訳ございません。
私には、あの内容は医療が現代のように発達してない時期に、心の開放・魂の開放・明るい生活に導くためのひとつの表現であって現代医療が発達したいまの時代とはずれたもの、また解釈も当時の生長の家といまの生長の家では違う教えとなっているのでは? とも正直思っています。(私見です)

 

 先日は、母から、「勉強していないあなたに何がわかる?」と言われました。その延長で7巻を少し読んだのですが。。。

 今では、「死んでも私(母)の人生だからそれでいい。それが寿命」だからと…

 父と私の3人家族ですが、家族がなにを言ってもわずらわしく感じているだけでしょう。

「放っておく愛もおぼえなさい」だとか、何度話しても何も進展しません。

 

 私や父は高血圧を、脳や心臓などへの合併症の怖さ、高血圧はあまり自覚のない病気として認識しています。

 母にとって病気は、認めてはいけないもの、クスリは愚か、血圧を測ることも病気と認定してしまうから受け入れない。

これが完全に家族同士の主張の平行線を生んでいます。

 

 死んでもいいと言っている母に生きる楽しさを提供できていない自分が悪いのだろうか?

 いろいろ考えてしまいますが、なにかお互いが納得できる方法はないでしょうか。。。

 

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【回 答】

 

 あなた様はとても親孝行な方ですね。

 

 また、お母様の信仰姿勢も見上げたものだと感心しております。

 

 さて、仏教の教えの中で、最も重要なものとして、仏の「四無量心」という教えがあります。

 

「無量」とは、無限という言葉と置き換えることができます。

 

 それは、仏の慈、悲、喜、捨の教えと言われており、「慈・悲」は人の悲しみを感じ、その人を慈しみ、慰め、苦しみから救い取ろうとする深い愛の心のことです。

 

 また、「喜」は、苦しみから解放された人や、願いが成就した人の悦ぶ姿を見て、それを吾が事のように、ともに悦ぶ心のことです。

 

 そして、「捨」は、捨徳といって、相手やものへの執着を絶ち、その人やものを、どこどこまでも自由にしてあげる「放つ心」のことです。

 

 お母様が、「放っておく愛もおぼえなさい」とおっしゃったことには、とても深い意味があります。

 

「放っておく」とは、ただ単にほったらかしにしておく、ということではありません。

 

「捨徳」は、本当に愛していればこそ、相手を自由にしてあげる「愛」のことです。

 これは、相手を決して縛ることなく、その人が生きたいように生きさせ、行きたいところに行かせて、好きなように自由にさせてあげる、つまり相手やものを完全に解き放つ深い愛の心なのです。

 

 この「捨徳」の教えは、仏教でも最も深い教えの一つであると言われています。

 

 すべての人間関係の拗(もつ)れ、悩み、苦しみは、相手を自分の尺度で、雁字搦めに縛るところから生じてきます。

 

 その苦しみから私たちを解放するのが、仏の四無量心の一つである捨徳の教えであり、神の無限の愛の働きなのです。

 

 そのことをお母様は、あなた様にお伝えしたかったのではないでしょうか。

 

とても清々しい、素晴らしいお母様ですね。

 

お母様に、宜しくお伝えください。

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