2023年3月28日 (火)

“神の子の封印”を解く (2023,4)

 三月上旬のこと、前教区で行われた地方講師会での会議の折、ある講師から「教化部長が時々話される“行間を読む”とは、どういうことでしょうか?」という質問が寄せられた。

 それは、聖典や機関誌などを講義する際に“行間を読み解いていきましょう”と私が語っていたことを受けてのことだが、想い出すままに次のようなエピソードをお話させていただいた。

 

 生長の家本部が原宿にあったころ、私は長時間の電車通勤をしていたが、その時間を利用して何度目かの『生命の實相』全巻の通読をしていた。

 ある巻で、そこに書かれた文章が心の琴線に響き、同じ箇所を読み返す度に、新たな発見と、驚きと、ヒラメキが行間から次々とあふれてきて、とうとう一週間ほど同じ箇所を読み返していたことがある。

 今から振り返れば、“ああ、あのときわたしは「行間」を読んでいたのだな”と分かるのだが、その折のことを反芻(はんすう)してみると、行間を読むとは、魂の根底から求めていた「コトバ」と出逢うことなのかもしれない、と思えるのである。

 かつてお世話になった恩師の一人は、「行間を読む」とは、「文字と文字の間に宇宙を読むことだ」と語っていたが、この言葉にも一理あって、聖典などの宗教書を読み解く場合には、文字面だけ読んで意味を解釈しているだけでは“行間に説かれたコトバ”と出逢うことはできないのだ。

 その文脈の背後にある“深み”にふれたとき、初めて既成概念や先入観で十重二十重(とえはたえ)に包まれていた封印が解かれ、行間から、文字間から、そして脳髄の背後から、そこに秘められていたコトバがあふれてくる。

 それは、神想観の折に意識の深層で経験する“内的な体験”とも酷似(こくじ)しているのだ。

 つまり「行間を読む」とは、祈りの心をもって、文章の背後にあるコトバを探る、ことでもあるのだろう。

 仏教でいう「業(karma)」について、『大辞林』には「身体・言語・心による人間の動き・行為」と書かれ、生長の家でも「身・口・意の三業」として、この扱いをとても大切にしている。

 たとえば、宗教でいう“救い”とは、この「身・口・意の三業」に深いコトバを授けることで“神の子の封印”が解かれ、その桎梏から解放されることかもしれないのだ。

 たとえば「真理の書」や「聖典」と呼ばれる書物には、この「封印」解くカギが秘められていて、その鍵を開くのは、先達が古来から取り組んできた熟読玩味(じゅくどくがんみ)や写経という、手間と時間を惜しんでは得ることのできない、使い古されたように見えるめんどくさい手法こそが、「身・口・意の三業」に深い影響を与える最も有効な手段となるのかもしれない。

 そんな、答えになったかどうか分からないようなお答えをしたのであるが、四月からは東京第一教区、第二教区の皆さんと一緒に、総裁先生のお言葉、そして聖典を深く味わいながら、“神の子の封印”を楽しく解いていきましょう。

 

| | コメント (0)

2023年3月17日 (金)

“魂の冒険”への旅立ち〈あとがきに代えて〉

 この三年間、コロナ禍の中で教区の皆さんとアイディアを出し合い、対話して行動した人類光明化運動・国際平和信仰運動の日々を記念して、冊子『川のほとりにて』を纏(まと)めさせていただいた。

『人類同胞大調和六章経』に納められた「愛行により超次元に自己拡大する祈り」には、「魂の世界には何の限定も存在しないのである」という一節がある。

 ここで説かれた「魂」という言葉は、「偽我」に対する「真我」、「肉体人間」に対する「神の子・人間」という、生長の家の教えの〝深い部分〟を指し示す言葉でもある。

 私たちは、生長の家の聖典を紐解くとき、世の中で使われている〝現象世界の物事〟を扱う言葉を当てはめて、聖典の意味を理解しようとするのであるが、「唯神実相」の教えを学ぶためには、現象世界の背後にある〝不立文字〟の領域に踏み込まなければ〝深い部分〟を読み取ることは難しい。

 祈りを通して、その〝深み〟に触れ、そこで体感した「コトバ」の鍵を用いることで、初めて聖典の行間にある〝深み〟に触れることができる。

 振り返れば、埼玉教区と群馬教区に赴任した三年間、私の力量不足は百も承知の上で、皆さんとの対話を通して努めてきたことは、私自身が導かれて救われた〝唯神実相〟のみ教えの〝深み〟を伝えることだった。

 この随想集は、皆さんとの対面行事やネットでの丁々発矢の質疑応答の中で生まれた発見を、折に触れて書き綴り、ともに目覚めた「神の子・人間」の悦びを、皆さんと共有してきた記録でもある。

 冒頭に引用した六章経の祈りの言葉は、魂の生長について、次のように綴っている。

「それは超空間に伸びひろがり、極微の世界の奥にある極大の世界次元に達するのであるから、それほど壮快なる冒険はないのである」と。


 私たちも、いよいよ旅立ちのときが来た。「魂の冒険」に万全の準備など必要ない。

 み教えは、必要なものは、必要なときに、必要に応じて、内なる智慧となり、様々な協力者となって現れる、と教えていただいている。

「愛行により超次元に自己拡大する」とは、私たちの祈りと愛行を通して、神の〝無償の愛〟と仏の四無量心が地上に満ち溢れることである。それは〝生長の家の永遠の家族〟である私たちに託された使命でもある。


 顧みれば、皆さんとの「対話」を重ねて教えられたことは、「実相とは何か」ということだった。

「対話」の中から、双方の内に潜んでいた実相が日に日に明らかとなり、「対話」を重ねることで研鑽され、輝きを増してくる。

 言葉の遣り取りは、お互いの神の子の実相を、どこどこまでも探求する冒険のツールとなった。

 この「対話」こそが新価値を生み出す〝ムスビの働き〟だ。

 これからも、身近な人をはじめ、あらゆる世代と「対話」を重ねていこう。私たちは〝生長の家の永遠の家族〟なのだから久遠に、真実在の光りを伝える魂の冒険を、どこどこまでも展開していこう。

 

   2023年3月 吉日    久都間 繁

 

 

| | コメント (0)

宇治、それは魂の邂逅(かいこう)の〝場〟

 宇治別格本山の季刊紙『宇治だより』担当者から、「宇治を愛する人」というコーナーへの寄稿を依頼された。二〇二二年十二月に発行されたのもので、ご覧になった方もいるかと思うが、その原稿を採録しておく。なお、紙面に掲載したのは紙幅の関係で原文を三分の二ほどに削ったもので、こちらが全文である。

 

 宇治川に注いでいる琵琶湖の水は、滋賀県では瀬田川と呼ばれ、京都府に入ると宇治川となって古都をめぐり、大阪府に入ると淀川となって商都を潤し、やがて大阪湾に至る。


 この湖水のことを、かつて宇治練成会で〝宇宙大生命〟に喩えて講話されていた講師がいたが、私たちの人生という大河も、さまざまな人や事や処と出合い、豊かな経験を経て内在の神性が輝きはじめる。そして大生命から授けられた〝使命〟という川を旅して、ご縁あった人々の生活を潤すのだ。


 宇治川のほとりに位置する宇治別格本山は、み教えにご縁をいただいた者たちの〝出会いの場〟であり〝修行の場〟であると同時に〝再会の場〟でもある。

 私が初めて宇治本山の門をくぐったのは昭和五十七年の新春練成会。当時、総務の藤原敏之先生を中心に小嶋博先生、榎本恵吾先生らが指導に当たっておられた。


〝ご縁〟とは不思議なもので、もし〝あの人〟に出会っていなかったら、今の自分はなかったと思われる恩人が誰しもいるかと思うが、私にとって宇治の先生方は、そのような人たちだった。


      ○


 宇治で研修生活をスタートして間もない頃、研修を担当されていた榎本恵吾先生が、練成の浄心行の後で研修生を呼び寄せて、
「皆さん、浄心行は〝はじめから浄い心(実相)〟が行うから浄心行ですよ」と話し始めた。そして「神想観は〝神〟が想い観ずるから神想観。愛行は〝愛〟そのものが行ずるから〝愛行〟です。皆さんは神の子です。そのまま〝浄〟であり、はじめから〝愛〟であり〝光り〟そのものです。これから心を浄めてから、神になるのではありません! 皆さんは宇治に光りを貰うために来たのではなく、宇宙を照り輝かす光(神)が、宇治を輝かせにきたのです!」

 と、情熱的に語ってくださったことを、昨日のことのように想い出すのである。


 また当時、藤原敏之先生は、毎週月曜日の午前七時から『生活の智慧三六五章』(谷口雅春著)を講義してくださっていた。先生は講話で、


「皆さん、ご文章の見出しの言葉だけを見て、そこにどのような内容が書かれているのか、おおよそ分かるようにならなければだめじゃッ」
 と繰り返しおっしゃっていた。つまり、それだけ深く文章の行間を読み込み、縦の真理(唯神実相)と横の真理(唯心所現)のカギを持って、見出しに凝縮された真理の言葉を正確に読み解きなさい、という深い配慮が込められていたことが、教化部長を拝命している今はよく分かるのである。


 また、そのころ写経練成会が開催されていて、小嶋博先生が『神 真理を告げ給う』(谷口雅春先生著)をテキストに、入龍宮幽斎殿で講話を担当されていた。


「いいかね皆さん。宗教の講話は、講演とは違う。講話は講師と聴衆との、いのちといのちの遣り取りだ! しっかり(集中して)付いてきてくださいよッ!」。


 小嶋先生の言葉は、私たちの魂にビンビン響き、そのピュアで瑞々しいコトバの響きは、今も私のいのちに深く刻まれている。
 研修生となった私は、この三人の大先達が語る言葉を、機会ある度に会場に足を運び、食い入るように拝聴させていただいた。昭和五十年代後半のことだ。


 そして一九八七(昭和六十二)年、藤原敏之先生が退職されることになり、後任として楠本加美野先生が総務に就任された。藤原先生は、最後の朝礼のご挨拶で楠本先生を紹介しながら、


「楠本講師は〝行〟の人じゃ。〝行〟は(唯神実相への)深い信があればこそ、〝行〟に徹することができる」
 と、楠本先生の信仰をずばりと捉えて紹介してくださった。


      ○


 その後、楠本総務の元で宇治別格本山から何人もの本部講師が誕生した。そして、練成会を受けて人間・神の子に目覚めた数多(あまた)の人たちが、地方講師となり教区幹部となって菩薩行に身を捧げられている。


 私も宇治の先生方に育てられた一人だが、宇治のことを想うと、恩師たちの温顔が脳裏に浮かぶ、ただただ感謝と懐かしさしかない。


 宇治に入山した当時、抜きがたい精神的な苦悩に加えて肉体的に病気を抱え、幼い頃から薬に頼って病と折り合いをつけてきた私が、み教えの本ものの〝深み〟にふれたおかげで、薬の全く要らない境涯に入り、健康と感謝と喜びに満ちて、しかも本部講師として菩薩行に携われるようになろうとは、夢にも思っていないことだった。


 そんな、み教えとの決定的なご縁を結んでくださった宇治の恩師たちのことを想うと、借り越しになったままの〝ご恩〟の借財は計り知れない。しかしそれは、そのまま私に託された使命の遠大さであり、久遠に渡っての菩薩行であることを、あらためて想うのである。

                  
    (二〇二二・一二)

 

 

| | コメント (0)

2023年2月21日 (火)

フランケン菩薩の誘惑 (2023.3)

 科学技術は、私たちに利便性と豊かさをもたらしたが、その一方で、地球温暖化や原子力による放射能汚染など、グロテスクで深刻な問題も招き寄せた。

 NHKに「フランケンシュタインの誘惑」という番組があるが、これは、科学技術を駆使して〝理想の人間〟を作る夢を描いた青年が怪物を生み出してしまったという、矛盾に満ちた〝科学の闇(やみ)の部分〟の象徴がフランケンシュタインである。


 最近、関西で地方講師をしている古くからの友人と埼玉教区の講師の方から、生長の家総裁が「九折スタジオ NO101」などで演じているフランケンシュタインについての解説を求められた。つまり「あの作品をどのように解釈したらいいのでしょうか?」という質問だ。どうやら彼女たちの周りでは、この解釈を巡って様々な意見が交わされたようだが、未だ結論には至ってないらしい。


 総裁先生の作品に登場するグロテスクな怪人物と、今年の干支(えと)である可愛いウサギの組み合わせも対照的であり、フランケンの異様な縫い跡だらけのお顔も正視し難い。しかし、あのようなお役を演ずる目的を推察すれば、その文脈から何かが見えてくるはずである。


「四無量心を行ずる神想観」に、「すべての衆生をみそなわして、その苦しみを除き、悩みを和らげ」という祈りの言葉がある。「衆生をみそなわして」とは、相手の苦しみ、悩みを汲み取り、悲しみのすべてを受け入れて一つになることである。相手とひとつにならなければ、その苦悩を癒やす道は見えてこない。ひとつになったとき、はじめて相手の悩み苦しみの細部が見えて問題解決への道が開けてくるのだ。

 そこまで降りていくのが〝同悲の心〟である。相手と離れた高いところから、指導やアドバイスや批判をしている間は、永遠に問題の解決に至らないのは、指導経験を積んだ講師の皆さんには自明のことだろう。


 さて、先のフランケンだが、以上の文脈に沿って推察すれば、月のウサギは衆生を導く天の使い。フランケンシュタインとは全世界が直面している現代文明の最もグロテスクな部分、つまり戦争、地球温暖化、そして原発の象徴のようにも思われる。

 総裁先生は「九折スタジオ」で、このフランケンくんとなって聖歌「宇宙荘厳の歌」を朗々と歌われている。つまり、最も深い苦悩の闇の底から、最も荘厳に光り輝く聖なるものが、聖歌を唱うことで復活して、全世界を照らす。これは深い祈りを込めた象徴劇でもあるのだ。


 さて、私の解釈はこのくらいにして、後は皆さんに委(ゆだ)ねよう。

 教区の皆さんへのお別れの言葉は、三年間の信仰随想を一冊に纏(まと)めて「あとがき」で伝えさせていただく予定だ。

 最後に一つだけ言わせてもらえば、生長の家の「一切者としての自覚」とは、一切の責任を自ら担(にな)い、観世音菩薩と一つになって慈悲喜捨を黙々と行ずることである。それが「聖使命」という言葉の所以(ゆえん)であり、私たち生長の家の信仰である。

  (二〇二三・三)

 

 

| | コメント (0)

2023年1月27日 (金)

すべてを成就する鍵  (2023.2)

 既にご存じのことと思うが、この三月で、私は埼玉教区と群馬教区を去ることになった。そして、四月から東京第一教区と第二教区の教化部長として赴任させていただくのだが、埼玉・群馬に来て三年。皆さんと一緒に祈りながら、コロナ禍での運動のアイディアを出し合い、社会の変化に柔軟に棹さした光明化運動を展開してきたつもりだが、異動の知らせをいただいてから、ふと「もう、私の役割は果たし終えたのだろうか?」との思いに駆られていた。


 結論から言えば、私の「役割」はこの三年間で一段落して、ひとつの節目を迎えたのである。埼玉も群馬も〝新しい教化部長〟の赴任とともに、新しい時代が始まり、新たな神意が現成するのだ。

 コロナ禍での運動も四年目を迎え、その兆しは随所に現れている。たとえば

①ネットとリアルな対面行事との両輪が揃い、どんな状況下にあっても強靱でしなやかに運動できる基礎が構築できた。

②四月から赴任する教化部長が兼務でなくなり、それぞれ担当される教区に専念して地域の光明化に尽力できる(これは兼務では果たすことのできなかった領域だ)。

③コロナの扱いが「5類」(インフルエンザなどに該当)となる春から対面行事が本格的に再開されるだろう。

このように、視野をちょっと広げただけでも運動の好材料が目白押しなのである。


 その結論に至るまで、後ろ髪を引かれる思いをしていたら、なんとコロナに感染してしまい、三日後に妻も罹患した。幸いにして他の家族は無事だったが、高熱にうなされて激しい〝自壊作用〟に見舞われたのは、夫婦とも十数年ぶりのことだった。


 良寛和尚は、越後での大地震(一八二八年)で子どもを亡くした友人に宛てた手紙で、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候(そうろう)。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」という言葉を書き残している。

 災難も、病気も、たとえ死でさえも、擾(じよう)乱(らん)現象は現れては消えていく浄めの姿である。良寛の言葉は、目先のことばかり見て判断したがる私たちの〝自我〟の都合を超えて、宇宙に遍満する〝大生命の働き〟への深い信から湧出している。

 不幸や災難と見える現象が現れていたとしても、「実相は完全円満であり、現象にとらわれるな、怖れるな、嬉々として汝の新たな使命に挑め!」という真理を伝えているのだ。


 人生の随所で、新価値を創造する秘訣は、神に全托して生活することである。それは日々の神想観で、すべてが成就している実相世界と繋がり「ありがとうございます」とただただお礼と感謝を伝えることである。

 生長の家では、「既に神は吾が求むる如く吾れに為したまうたのである」(『日々読誦三十章経』)と教えていただいている。求めたものは、既に成就しているのだ。私たちは赤児のように、神の無限智、無限愛、無限生命に充ち満ちた実相に深く抱かれ、ご縁ある一切のもののために仏の四無量心を行じるとき、すべてを成就する鍵が回り始めるのである。

  (二〇二三・二)

 

 

| | コメント (0)

2022年12月22日 (木)

「対話(dialog)」について (2023,1)

 生長の家との出合いは、私が中学生のときだった。

 オカルトブームが到来していた昭和四十年代、深い関心をもって私が読んでいた神霊学や霊界関係の書籍を見た父が、「知り合いの息子で、宗教や神秘的な方面の研究をしている青年がいる。変わっているが獣医でもあり紳士だ」と、私の小中学校の先輩に当たる澤口さんという方を紹介してくれた。


 興味を抱いた私は、その方面に関心のある同級生を連れて澤口さんのもとを訪ねると、彼は中学生の拙(つたな)い疑問や質問を厭(いと)いもせず、真摯に向き合って対話してくれた。そして私たちに答える言葉はとても叮嚀で、今振り返ってみても論理的で真理に適った誠意あふれる内容だった。

 そんな彼が帰り際に渡してくれたのが『白鳩』誌だった。そこに書かれた「法語」に魅了された私は、それ以来、牧歌的ともいえる大切な「対話」の時間を、年に数回のペースで持たせていただき、それは私が故郷を離れるまで続けさせていただいた。


 真理の探究は、神想観の実修に加え聖典や経本の拝読、そして愛行の三正行が基本だが、生長しようとしている魂たちを導くためには、相手と同じ目線に立っての「対話」が、彼らの神性をひらくカギとなるのだ。大切なことは、共に真理の道を探求する好奇心と、相手の神性を導き出すことへの配慮と、一期一会(いちごいちえ)の出会いのときを豊かに味わう親愛の情である。

 それは、学校教育のような一方通行のモノローグの時間ではなく、魂の交歓を通して一緒に真理を探求する興味尽きないダイアローグ(対話)の時間となる、それが誌友会の真の醍醐味だ。


 真理は三正行を通して体感されるが、求道の入り口に立つ人に対しては、誌友会などを通して相手との継続的な「対話」を根気よく重ねることが大切で、機が熟すに従って彼の内なる仏性が目覚めるだろう。そして三正行を実修すれば、彼自身が発見した喜びに導かれて真理の道を歩みはじめるのだ。ここまでお導きするのが、私たち菩薩の使命である。


 さて『聖使命菩薩讃偈』の中に「己れ未(いま)だ度(わた)らざる前に、一切衆生を度さんと発願修行する」という言葉がある。

 発願とは、誰かを「救ってあげたい」と強く願う内なる仏性の働きだ。悩み苦しむ人を「救う」力は、誰の内にも宿っていて湧出するのを待っている。その力の根源は、私たちの内にある慈悲喜捨の四無量心である。「神想観」を通して仏の大慈悲を体感し、「愛行」を通して生活に現すのが「発願修行」だ。

 人を救う力は、三正行を実修する中から着実に生長するのである。


 さて、講話の折に私がいつも「何か質問は?」と参加者の皆さんに問いかけるのは、私自身が、諸先達との「対話」によって真理への道へと深く導かれ、救われたからである。

 生長の家の信徒にとってすべての「対話」は、相手の〝いのち〟との四無量心の遣り取りであり、多様性のある豊かで柔軟な対話こそが「人間・神の子」の実相を開く〝ムスビの機会〟となるのだ。

  (二〇二三・一)

| | コメント (0)

2022年11月26日 (土)

“声なき声”を聴く (2022,12)

  親鸞(しんらん)の言行を記した『歎異抄(たんにしよう)』の中に、「善人なおもて往生(おうじよう)をとぐ、いわんや悪人をや」という文言がある。

 この言葉は、悪人や罪人こそ、まさしく阿弥陀仏(尽十方無礙光如来の大慈悲)に救われるべき対象だ、という意味であるが、人生を渡るなかで、自身で担い切ることのできない大きな罪業に苛(さいな)まれた者にとってこの言葉は、地獄の桎梏(しっこく)から救われるような光明をもたらしたことだろう。


 生長の家の「観世音菩薩を称うる祈り」の中に、「観世音菩薩は、私たちの周囲の人々の姿となって私たちに真理の説法を常になし給う」と記されている。

 人生を顧みて、たとえば物事が思い通りに運ばなかったり、不如意な事が起こっているように見えたならば、それは周りが発している〝声なき声〟に、私たちが心の耳を傾けていなかったことの裏返しなのかもしれない。


「心の法則」について説かれたこの祈りの言葉の背後には、人間の実相は〝宇宙大生命〟と一体であり、全ての生きとし生けるものと繋がっているという宗教的な世界観がある。

 では観世音菩薩は私たちの「周囲の人々の姿」となって、いったいなにを語り続けているのだろうか。

 これは不思議なことだが、私たちがこの〝声〟に耳傾けることで、これまで膠着(こうちやく)していた問題や、立ちすくむほかなかった難題を解決するための鍵が、意外なところから回り始めるのを多くの人が経験しているのだ。


〝聴く〟という受動的なことが、諸問題を解決する鍵となるのは、これまで顧みなかったものたちの〝声なき声〟を通して、私たちの心が天地一切のものと向き合い〝いのちの繋がり〟という真実の姿に目覚めるからである。

 これまで人生の難題を解決するために、私たちが懸命に努め励んでも一向に解決の道が開けない場合があったとしたら、それは〝声〟に耳を貸すことのない、一方的なアプローチだったからではないだろうか。


 観世音菩薩の説法に耳傾けるとは、宇宙大生命に、問題も不安も疑念も悩みも苦しみも悲しみも願いもすべて委(ゆだ)ね切って、大安心の気持ちで祈ることである。

 一休禅師は、「闇の夜に鳴かぬ鴉(からす)の声きけば 生まれぬ先の父ぞ恋しき」と詠んだが、闇の夜の扉をひらく唯一の鍵は、大安心の全托から生じる〝無条件の感謝〟である。その感謝の念の中から、観世音菩薩の慈悲喜捨が語りはじめるのだ。

 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という親鸞の言葉は、この全托の中から聴こえてきた、観世音菩薩が衆生の苦悩を照らし給う慈悲の光りなのである。


 観世音菩薩は、常に真理の説法を語り給うている。私たちは、周りで語り続けるいと小さき者たちの〝声なき声〟に耳傾けることから、漆黒(しっこく)の闇の夜に、智慧の光りを灯すことができるのだ。

 その〝声なき声〟を〝聴く〟ことで、悪人と見えていた不完全な現象が消え去り、そこに一切衆生の実相を根底から蘇がえらす、仏のいのちが復活するのである。

  (二〇二二・一二)

 



| | コメント (0)

2022年11月 1日 (火)

“ご恩”について (2022,11)

 コロナがいったん収束したおかげで、各地で講演会などの諸行事を開催できるようになった。

 教区に赴任して数年を経たが、コロナ禍の影響でいずれの会場でも初めてお目にかかる方との出合いがある。巡講させていただいてありがたいことは、新たな〝ご縁〟を通して亡き恩師たちへのご恩返しの幾分かを果たせることだ。

 私たちが信仰の世界に入ったのは、知人の影響かもしれないし、家族の助言だったかもしれないが、ここに至るまでに、どれほど多くの人たちの〝愛念〟によって導かれ、支えられ、生かされてきたことだろう。


 私もそうだが、親しい方から頂いたご恩のことは〝当たり前のこと〟と思って忘れてしまいがちであるが、それは水や空気のように自然で、自己主張をしない〝無償の愛〟だからである。しかし、これほど私たちを根底から生かし、私を私ならしめてくれたものはないのだ。

 わたしを含め多くの人は、現在の地位や能力を〝自分の努力のたまもの〟のように思っているのであるが、自分に宿る才能や能力を開花させる機会を与え、食べる物や住む場所を用意してくださった恩人たちのことは、念頭から消えている。

 家族であれ、恩師や友人であれ、もし、その人との出会いがなければ、別の人生を歩んでいたであろうし、もしかしたらどこかで野垂れ死にしていたかもしれないのだ。

 秋の実りの時節に、あらためてこの〝ご恩〟を顧みることも決して無駄ではあるまい。

 たとえば、もし皆さんがお世話している身近な誰かが、これまで注いだ愛情のことを一向に顧みてくれないならば、それは私たち自身が、これまでお世話になった方たちの愛念を顧みていないからかもしれない。あるいは目先の利害損得にばかり心奪われてはいないだろうか。

『大調和の神示』に「顧みて和解せよ」と説かれているのは、かつて自分に注がれ、今はどこかに置き忘れてきた、その所在も知れぬ「愛念」のことを想い出し、よくよく「脚下照顧」して感謝することを教えているのである。


〝無償の愛〟を注いでくれた方たちの〝想い〟は、私たちがその〝掛け替えのなさ〟に気づいたとき、初めて日の目を見る。つまり、隠れていた〝ご恩〟が報われるのだ。そのとき私たちは、初めてそのご恩や愛念を受けたときの自分に立ち帰ることができる。そして、同じ目線から、誰かをお世話させていただくための智慧や言葉がひらけてくるのである。


 そのためには、先ず行動に移してみよう。

 ご恩を注いでくださった方は、もうすっかりお忘れになっているかもしれないが、ご存命であれば訪ねて行き、お礼と感謝の言葉をあらためて伝えることである。

 また、すでに故人となっているなど、逢えない事情があるのであれば、神想観の折に繰り返し想い出して、感謝の祈りをどこどこまでも捧げさせていただくことである。

 そこから、かつて自身に降り注いでいた同じ慈悲の光りが、あなたの往く道を煌々と照らしはじめるのである。

 

(二〇二二・一一)

 

 

 

 

| | コメント (0)

2022年10月 3日 (月)

“ご縁”に感謝する (2022,10)

 川越に住み始めて三度目の秋を迎えた。

 借家の庭を開墾した畑では、春にはキュウリ、トマト、ナス、ゴーヤ、ピーマン、シシトウなどの野菜を栽培して、盛夏をすぎたら、いつも手つかずのまま日々の忙しさに紛れて放ったらかしていたのだ。が、今秋は心機一転、九月中旬に収穫後の残骸を片付け、冬に向けて白菜、ノラボウ、レタス、カリフラワー、キャベツなどの苗を植えてみた。


 生長の家に、「一切の人に物に事に行き届くべし」という言葉がある。

「一切の人に物に事に」とは、私たちが日常の中で出合う〝ご縁〟のことだ。人との出会いも、物や事との出合いも、すべて偶然のようにも見える〝ご縁〟に導かれて進展してゆく。そのご縁に感謝し、人生の光明面に着目して喜んでいれば〝ムスビの働き〟によってそこから尽きることのない新価値が生まれてくる。

 一方、自分の都合を優先して、惜しい欲しいと執着し、心が暗黒面に捉われていれば、どんな良縁も悪縁となって見えてくるのである。


 生長の家は「天地一切のもの」との〝ご縁〟を神の現れとして拝み感謝する教えであり、天地の渾(すべ)てのものは観世音菩薩の現れであると教えていただいている。

 仮にもし不完全な姿が周りに現れていれば、それは過去の迷いの想念が消える浄めの相(すがた)であり、相手の実相を拝んで感謝していれば万事は必ず好転するのである。


 宗教学者の島薗進氏が、『愛国と信仰の構造』(集英社新書)という中島岳志氏との共著で、自然災害からの復興をめぐって印象深い言葉を語っていた。

 それは、誰かをお世話させていただくときは、「相手が求めているものに応じて、即興的に発揮できるものを探していく。このこと自身が自分にとっても大きな学びになる」というもので〝ご縁〟を生かすことについての深い洞察が伝わってきた。


「相手が求めているものに応じて、即興的に発揮できるものを探していく」とは、私たちが、仏の四無量心や神の愛を行じさせていただくときの姿勢そのものと重なる。

 それは、すべての〝ご縁〟を観世音菩薩のお導きとして受けとめ、今できることを精一杯させていただく慈悲の姿であり、私たちも多くの先達から、このような〝お世話〟を頂いたおかげで信仰生活へと導かれ、人間・神の子の真理に目覚めたのである。


 仏の四無量心は、同時に神の無償の愛でもあるのだが、それに生かされていることに気づいたとき、私たちは「人間・神の子」に目ざめて新生するのだ。

 その生かされて生きる悦びが、ご縁ある全ての人や物を活かすクラフトとなり、家族を活かすエシカルな料理となり、大地や植物や人を活かす家庭菜園となり、これらのPBSの諸活動が、私たち一人ひとりに托された人生の一隅を照らすのである。


  (二〇二二・一〇)

 

 

| | コメント (0)

2022年8月23日 (火)

灯火親しむ季節に (2022,9)

 苦海と見えていた人生で、読書を通して一条の光明を見い出された方も多かろう。秋の夜長は本に親しむ時節でもある。

 ということで、最近読んだ中から目からうろこが落ちる体験のできる(と思われる)お勧めの本を何点か紹介したい。

 先ず、新書大賞を受賞した『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著 集英社新書)。

 人の営みによって都市はコンクリートに覆われ、海は酸性化とプラスチックに汚染され、大気中には大量のCO2が溢れて地球温暖化が進んだ。そんな、自然を大きく改変した地質学上の時代区分のことを「人新世」と呼ぶそうだ。本書は、それを〝滅亡の遺跡〟としないための処方箋である。


「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺(ことわざ)がある。環境問題を解決するための基本は、環境破壊が発生する構造を理解して、それを好転させる鍵を見出すこと、そして鍵を回すことである。

 本書は、そのための知見を、人類の過去の経験や思想、そして世界各地で進めている有効な取り組みを紹介して明らかにする。

 内容の深さに相違して、環境問題のメカニズムについてこれほど分かりやすく書かれた本もまれだ。これまで皆さんが学んで来た知識や情報が、読むだけで整理できるだろう。

 私たちが目指している〝新しい文明〟の一つの方向性が見えてくる一冊だ。


 次は『親鸞と日本主義』(中島岳志著 新潮選書)。

 ロシアとウクライナの戦争を機に、日本でも歴史を振り返り検証しはじめた「愛国と信仰」の問題について、これほど思想的に踏み込んだ「対話」が公開されるのは珍しい。

 明治維新以降、伝統的な宗教や国学、そして著名な思想家が説いてきた「日本主義」「国体」「聖戦」などの言葉が、ときに民衆の心を扇動(せんどう)し、ときに国策に迎合して戦争に突き進み、イデオロギーとして人心を振り回してきた歴史が浮き彫りになる。

「中心帰一」といい「大御心」といい「絶対他力」といい、同じ言葉を使っていても、それが神の無限の愛や仏の慈悲喜捨から発したものなのか、それともただの観念が頭に宿って鳴り響いた付和雷同の叫びなのか。

 それがどんなに尊い言葉で表現され、そこに理想と見える世界があるように思えたとしても、深く検証もせず現象を妄信すれば、「外にこれを追い求むる者は(略)永遠に神の国を得る事能(あた)わず」であり、万行空しく施すことになる。


 本書をたどりながら、過去の歴史を通じて説かれた〝似て非なるもの〟を厳密に検証することで、生長の家が説く「中心帰一」との〝違い〟が見えてくるだろう。真意を探る中から、あらためて「仏の四無量心」が、国を超え、民族を超え、時代を超えて生きとし生けるものに働きかけ、観世音菩薩の大慈悲が生長の家の運動となって顕れていることに注目してほしい。


 ほかにも紹介したい本は数多(あまた)あるが、紙幅が尽きる前に一冊挙げれば、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里著 角川文庫)も意外な一冊だ。

 異文化コミュニケーションがもたらす豊かな実りと、国や民族を異にする親友たちへの〝想い〟が切々と胸に迫る。今は亡き著者が振り返る、わくわくドキドキの自伝的ノンフィクションだ。

 (二〇二二・九)

 

 

| | コメント (0)

2022年8月13日 (土)

コロナ禍で開花した運動の多様性 (2022,8.15)

 生長の家栄える会の機関紙『七宝の塔』8月号に寄稿したものをブログに採録しておく。(なお、機関紙には久都間のふりがなを誤って「つくま」と誤植されていたが、「くつま」が正しい表記である)

 二〇二〇年の春、ご縁あって新型コロナウイルスが蔓延する最中に、埼玉教区と群馬教区に赴任させていただいた。

 同年三月、前教区で推進していた生長の家講習会が中止となり、四月以降、赴任先で計画していた各地の講演会をはじめ、練成会、誌友会など全ての行事が中止となった。着任早々、神さまから「コロナ禍での教化活動」という大きな宿題を頂いたようなものだ。

 この折の事を、栄える会の諸氏に披瀝することで、ご依頼を頂いた寄稿の任を果たそうと思う。

 

 着任して脳裏に浮かんだのは、コロナ禍という非常事態の中で、対面を必要としないFacebookグループとzoomの活用だった。


 すでに埼玉教区と群馬教区を結ぶ会員限定のネットワークが教区にはあり、私自身も数年前に東京第二教区で同様のグループを立ち上げていた経験から、当面の運動の軸をここに据えることにした。


 しかし、当時このグループの参加メンバーは会員の十八%に充たない数で、非対面型の運動の軸とするには、信徒間で話題になるような魅力的なコンテンツを充実させ、ネットへの参加者を増やすことが不可欠だった。


 先ず教化部スタッフに、「教化部を〝放送局〟にする」構想を伝え、着任二日目からzoomとFacebookを活用した神想観の先導とミニ講話のライブ配信をスタートした。

 放送内容は、午後十二時半から「四無量心を行ずる神想観」を実修し、一時から教化部長のミニ講話と質疑応答の時間を設け、これを毎日欠かさず配信した。

 さらに、三カ月後の七月からは、コロナ禍で出講できなくなつた地方講師の皆さんにも加わっていただき、交代で神想観の先導と信仰体験を担当していただいて配信した。


 その目的は、

①魅力的なコンテンツ(神想観・講話や体験談)配信によるネット利用者の増加。

②地方講師の皆さんの教化力の維持。

③ネットに親しんでPBS活動に参加していただくための一里塚。

この仕組みを軸に、あらゆる対面行事のデジタル化を模索して実施した。

◇ネットが利用できない人のために

 合わせて着手したのは、埼玉、群馬の各教区で発行していた機関紙の充実だった。

 一見、ペーパレスの時代に逆行しているようにも見えるが、コロナ禍でのコミュニケーション不足を補い、PBSを軸にした運動を咀嚼(そしやく)して伝えて全誌友の手元に生きた情報を届けるには、暫定的ではあるがコロナ禍では紙媒体の「教区機関紙」が最適な手段となった。

 埼玉では、それまでA4版二ページの紙面を、群馬の機関紙と共に一挙にA4版八ページへと拡大した。


 紙面はそれぞれの教区で編集して、毎回一面にPBS諸活動の共通の「特集」を、二面以降は白・相・青はじめ各組織からのメッセージを、さらに「教化部長の信仰随想」に加え、故人となった諸先達を顕彰する地方講師によるリレー随想のコーナーを新たに設けた。

 また、各地で実施したPBS活動のトピックス、翌月開催する各種ネットフォーラムの宣伝広告、最後の八面に「行事(ネット配信を含む)予定表」などを掲載したことで、コロナ禍でも生長の家の運動を血液のように巡らせる、動脈としての働きを紙面の隅々に託した。


 さらに、インターネットの双方向の特徴を活かした試みとして、従来の「地方講師研修会」をはじめ、練成会等で行っていた諸行事なども試験的にzoomやFacebookで実施してみるなど、こんな時期でなければできない実験を重ねさせていただいた。


 また、総裁先生ご夫妻が「九折スタジオ」を開設されたことから、教区における全てのネット行事で同スタジオの時間を組み込んで視聴した。コロナ禍にも関わらず、総裁先生方からご指導いただく機会が従来と比較にならないほど身近で双方的なものとなり、教区の信徒の皆さんにとって大きな信仰の糧とさせていただくことができた。


 おかげで二〇二一年の立教記念日の式典の本部褒賞では、埼玉教区が普及誌購読者数増加数・増加率ともに第一位を獲得したほか「質の高い運動実践賞(白鳩会)」、「地域貢献活動優秀賞(相愛会)」、群馬教区は「社会貢献賞(栄える会)」を受賞させていただき、次第にスマホに切り替える人々も増え、現在はSNS利用者も四割を超えた。

 すべては、技術面で支えてくれた教化部スタッフ、そして運営面で活躍された教区幹部の皆さんの尽力あればこそである。

◇アジサイのように

 かつて梅雨の時期にガクアジサイをスケッチしたとき、その構造が、まるで宇宙に浮かぶきら星のように、無数の細かな花や蕾みの集合だったことに気がついた。

 対面行事が解禁となった梅雨以降、担当している埼玉、群馬のペア教区でも、満を持して教化部長が教区各地へ出向いての講演と「教化部長・先祖供養祭」そして誌友会等の対面行事をスタートした。


 現時点では、群馬の桐生市、埼玉の上尾市など五会場で開催し、コロナが蔓延しなければペア教区全総連の二十数会場を回る予定だが、各会場ではzoomで〝顔見知り〟の方もいれば、まったくの初対面の方が半数以上もいることに深い感慨を覚える。赴任して三年目、コロナ禍でなければ既に三巡目に入っていたことだろう。


 また、講演会や先祖供養祭では、講話の後で必ず質疑応答の時間を設けているが、ある会場で「世界平和の祈り」ニューバージョンについて、相愛会員の方からこんなご質問を頂いた。それは、「ロシアの人のために祈るのは誤解を招くのでは?」というもので、その趣旨を尋ねると、ロシアを悪と見る〝世間の目〟に生長の家も合わせるべきではないか、という配慮であることが判った。


 ご存じのように、私たち生長の家は観世音菩薩の大慈悲である四無量心と神の愛を行ずる運動である。

 その愛の展開であるみ教えは「天下無敵」を説き、敵と見える者の中に「神」や「仏」の実相を拝むのである。

 道元禅師は、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」という言葉を説かれたが、道心とはすべてを生かす仏心を生きること。

 一方、衣食とは、今風に云えば世に蔓延(まんえん)した経済至上主義の生き方のことである。

 前者は感謝と和解の道であり、後者は競争と奪い合いと環境破壊へと進む隘路(あいろ)である。

 神さまから観れば、神の子に人種や民族の違いも無ければ、国の違いもない。たとえ世間がどのように見ようとも、慈悲喜捨の四無量心は、微塵もゆらぐことなく天地を貫いて万物を生かすのである。

 その大慈悲を生きることの中に、私たち生長の家の菩薩行があり、それを実践することの中から衣食が、世界平和が、次世代への愛の行為が満ちてくるのだ。

 それは紫陽花のような多様性に富んだ〝新しい文明〟を花咲かせる道である。

 (二〇二二・八・一五)

 

 

 

| | コメント (0)

2022年8月 1日 (月)

丸貰いの丸儲け (2022,8)

 不思議な時代が到来したものだ。スマホが普及したおかげで、今生では再び会うことは無かったであろう遠方に住む旧友とも、再会できる窓が開いていた。

 つい最近のことだが、共に四十年ほど前に宇治で修行した友人で、その後み教えから離れていた方からメッセンジャーで次のような質問が寄せられた。

「久都間さんにお聞きしたいことがあります。生長の家で一番大切なことは何でしょうか? 私は最近纏めた本で、自分が〝光であること〟と記しました。ところが先日、古参の生長の家誌友の方から〝それは感謝だ〟といわれました。が、私は〝光り〟のなかには〝既に感謝できている自分〟がいるから、それで正しいと思っていましたが、いかがでしょうか。それでも感謝することが第一なのでしょうか? 教えてください」。

 生長の家で一番大切なこと、という質問は、彼なりに人生を賭けた問いと思われた。私はスマホを手に、次のように答えていた。

「人間はみな神の子です。外界はすべて現象であり、非実在です。しかし現象は、宇宙大生命の働きである観世音菩薩(観自在の原理)によって現れた世界ですから、その人の心境に応じて、救いの機縁となるものが百人百様に現れるのです。

 だからあなたの云う〝光〟も一番大切であり、古参の誌友の語る〝感謝〟も一番大切なのです。

 生長の家で『天地一切のものと和解せよ』と説くのは、仏の四無量心を行ずる私たちの慈悲喜捨こそが、一切の無明を照らす智慧の光であり、衆生の苦悩を癒やす愛の光だからです。

 日々の神想観を通して、随所で慈悲と愛を行じて生きるのが生長の家の感謝の生活です」。


 梅雨が明けて八月が近づくと、宇治本山で総務を務めておられた藤原敏之講師の語っていた、「救いの根本行は、ただ〝有り難う〟と感謝すること。善くても有難く、悪くても有難いのです」

「自分の力によるものは一つもない、ことごとく頂きもの、丸貰いの丸儲けと分かれば感謝以外にはない」という言葉が蘇って来る。

〝丸貰いの丸儲け〟とは、すべては神からの授かりものということである。

〝自分のもの〟と思っていた家族も、自身の能力も、身体も、信仰する力も、実は自分のものなど一つもなくて、すべては神の愛、仏の大慈悲が家族となり、師となり友人となり同僚となり、土地や財産や私たちを取り巻く山河となり、そして私の求道心となって現れていたのである。

 生長の家の唯神実相の信仰は今日(こんにち)においても運動の根底に脈々と流れており、その慈悲の光に触れた人々を救いへと導く。

 役員改選で新たな使命が天降った方、一念発起して信仰に本腰を入れはじめた方、ともに私たちの住む世界は〝丸貰いの丸儲け〟宇宙まるごと神さまからの恵みであり、授かりものである。

 そして何よりも、あなたの存在こそが、神からこの世への〝最高の贈りもの〟であり、世を照らす〝慈悲の光〟なのである。

  (二〇二二・八)

 

 

 

| | コメント (0)

2022年6月25日 (土)

紫陽花の咲くとき (2022,7)

 十年ほど前の梅雨のこと。

 紫陽花(あじさい)をスケッチしたとき、その構造が、まるで宇宙に浮かぶきら星のように、無数の細かな花や蕾みの集合だったことに初めて気がついた。

 以来、紫陽花が咲く度に、花の天体は、種によって色や形そして星雲の形態まで微妙に異なることが見えてきた。そんな世界の不思議に触れる悦びは、神想観での宗教的な発見にも似ている。

 コロナ禍で、誌友会などの対面行事が開催できない期間が二年以上続いたが、梅雨入りとともに群馬と埼玉の各地を巡る「教化部長講演会」をスタートした。

 先ず群馬では桐生市、埼玉では上尾市と吉川市と越谷市を回らせていただいた。各会場では既にzoomで〝顔見知り〟の方もいらっしゃれば、まったくの初対面の方も半数以上いることに深い感慨を覚える。

 すでに両教区に赴任して二年以上の時を経ていることを思えば、本来なら教区の各地を二巡ほど回り、三巡目に入っていたことだろう。

 それでもコロナ禍の間、教区で出来る精一杯の活動として、インターネットを活用しての日々の神想観と講話、そして地方講師の皆さんによる体験談を倦(う)むことなく教化部から配信させていただいたが、感染症蔓延(まんえん)という初めての状況下で、果たしてどれだけの教化活動が出来るのか、日々が実践と試行錯誤の連続だった。

 ともあれ対面行事が可能となった今は、従来型の誌友会などアナログ的な運動も復活させ、コロナ渦中で展開したデジタルの利点をも生かしながら、柔軟に活動を進めていく予定だ。

 講演会と先祖供養祭では、講話の後で必ず質疑応答の時間を設けて皆さんとの対話を楽しみにしているが、ある会場で「世界平和の祈り」ニューバージョンについてのご質問を頂いた。

 それは、「ロシアの人々のために祈るのは、生長の家ではない一般の人から見て誤解を招くのでは?」というもので、その趣旨をさらに聴いてみると、ロシアを〝排除すべき敵〟と見る世間の目に合わせるべきではないか、という配慮であることが判った。

 ご存じのように、生長の家の運動の本源は大慈大悲の観世音菩薩である。

 その大慈悲の展開である生長の家では、天下無敵を説き、敵と見える者の中に神や仏の円満な実相を拝むのである。

 仏教の道元の言葉に「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」という言葉があるが、道心とはすべてを生かす仏心を生きること。

 一方、衣食とは、世に蔓延した経済優先の生き方のこと。前者は感謝と和解の道であり、後者は競争と奪い合いと紛争へと通じる隘路(あいろ)である。

 神さまから観れば、神の子に人種や民族の違いも無ければ、国の違いもない。世間がどのように見ようとも、慈悲喜捨の四無量心は微塵もゆらぐことなく天地を貫いて万物を生かすのである。

 その大慈悲を生きることの中に、私たちの菩薩行があり、そこから衣食が、世界平和が、次世代への愛が満ちてくるのだ。

 それは紫陽花が咲くように、多様性に富んだ〝新しい文明〟を花咲かせる運動である。


(二〇二二・七)

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2022年6月 1日 (水)

“愛の行者”楠本加美野先生のこと(2022,6)

 この三月、楠本加美野先生が彼岸へと旅立った。

 振り返れば、楠本先生を通して神さまから幸(さきは)えられた恩恵は計り知れない。私もその恵みを戴いた一人である。

 先生との出会いは四十数年前、富士河口湖道場での一般練成会だった。

 当時の先生は〝愛の行者〟そのものといった印象で、たとえば道場の廊下で合掌してすれ違うとき、演壇で穏やかに講話されているとき、湯船に浸かって瞑目合掌されているとき、先生の雰囲気から、日々唱えている聖句の言葉が光を放ち、一挙手一投足に中心帰一の誠意が滲み出ているようだった。

 その年の暮れ、青年会の仲間たちと車二台に乗り合わせて、富士河口湖での新春練成会に参加した。

 練成中の早朝、楠本先生の先導で地元の浅間神社に参拝して神想観を実修した。辺りは雪が積もり、火の気の全くない極寒の境内は深閑としていた。先生は毎朝ここで祈っているとのことだった。

 数年後、先生は本部練成道場(飛田給)に異動され、一九八七年からは宇治別格本山の総務を拝命された。そこで再び楠本先生と出会い、二〇〇〇年に私が本部に転籍するまで仕えさせていただいた。

 ある日、楠本先生に、「本部講師補の試験を受けたいのですが」とお伝えすると、思いがけないことに進学することを勧められた。

 まだ若く視野が狭かった私は、気が遠くなるほど長い遠回りをするような印象を受けた。が、仕事の傍ら勉強を重ね大学の哲学科に合格して学び、西洋哲学や心理学について研鑽させていただいたおかげで、後に真理の書を正確に読み解く読解力や、思想を鍛錬して言葉で表現する力を培うための掛け替えのない時間となった。

 先生が一人ひとりの魂を正確に見抜き、目先の判断を越えた的確な指導ができたのは、偏りのない、峻厳な「実相直視」の愛あればこそだったと思う。

 一九九八年の冬、私が肺炎を発症して入院したことがあった。

 お見舞いに来られた楠本先生は、ベッドの傍らで静かに聖経読誦を始められたのである。狭い大部屋だったので他の入院患者の注目を浴びることになったが、先生は人目など気にすることなく、ただ黙々とご自身の使命と信ずることを素直に行じておられた。

 退院して先生のところに行き、未熟な信仰と、休んだことのお詫びに伺うと、「いよいよ次は本部講師だな」と、再び思いがけない言葉で励ましてくださった。

 これは同僚の女性職員から聴いた話だが、早起きが苦手だった彼女は、その日は早朝行事の時間がきても起床できず、布団に包まり眠っていたそうだ。

 すると、夢枕に楠本先生の幻(まぼろし)が現れ、足元に立って、じっと合掌して自分のことを拝んでくださっていたという。

 「いっぺんに目が覚めて、大拝殿に飛んでいきました」と、驚きとも悦びともつかぬ興奮した声を響かせて明るく語っていたのを思い出すのである。

 楠本先生にまつわる温かなエピソードは、ご縁のあった人の数だけあり、それぞれが人生を光明生活へと好転させた物語を持ち合わせておられることだろう。

 先生は、それだけ皆のために祈り、ご縁あったひとり一人を愛して菩薩の道へと導き、神さまの使徒として人類光明化運動に身を捧げられたのだ。

 享年百歳。愛の行者としての荘厳なご生涯を、今さらながらに想うのである。

 (二〇二二・六)

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2022年5月 1日 (日)

“業の連鎖”を断ち切るために (2022,5)

 治水の歴史は、私たちの生活と深く関わっている。

 昨今は水害ばかり注目されているが、「水」は計り知れない恩恵を人々の暮らしにもたらしてきたのだ。

 関東地方の水源の一つである八ッ場(やんば)ダムの歴史について、群馬県ご出身の茂木則江講師が埼玉教区での環境教育勉強会(生教会主催)で発表された。

 それは建設に至るまでの経緯に加え、地域の自然や流域の人々に与えた影響について、ダムがもたらしたものと失われたものへの愛情あふれる視点からの研究で、Facebookの“おムスビネット”にアクセスできる方はぜひ、この自然と人間の物語に触れていただきたい。

 私たちは生長の家の活動を通して“自然と人間の大調和”というテーマを深く掘り下げ、環境問題について共に学んできたが、改めて見つめてみたいのは、私たちが何の疑いも抱かずにその渦中で生きてきた「人間中心主義」の文明と、その人間のいとなみを見えないところで支え続けてきた「自然」と、その狭間に立った先人たちの苦悩の歴史についてである。

 “新しい文明”を開くための智慧は、このような過去の足跡をしっかり振り返ることから見出すことができるのであり、同時にそれは、次世代にどのような地球環境を手渡すのか、ということを、私たち自身に真摯に問い掛けることでもあるのだ。

 これは東日本大震災以来、東北の太平洋沿岸で進められてきた津波対策とも重なるテーマである。

 古来からの美しい景観や砂浜を破壊して防潮堤をコンクリートで築き上げ、自然界を遮断することで人間社会を守っていくのか。

 それとも新たな防災・減災システムの研究や津波石などの故事から謙虚に学ぶことで、自然との生かし合いの道を開くのか。

 このことは新型コロナウイルス対策においても同様で、某国のように大量の消毒液を撒いてウイルスを完全に撲滅させるまで戦い続けるのか。それともウィズ・コロナを模索して共に生きる道を探るのか。

 対称性と非対称性の狭間で揺れ動く私たち人間のふるまいは、そのまま、今日のウクライナとロシアの戦いにも極端な姿で現れている。

 ダムも防潮堤もコロナ撲滅もそして戦争も、その背後に潜んで対立を深めているのは「人間中心主義」や「経済至上主義」という無明(まよい)である。それが自然と人間との調和を破壊し、数多(あまた)の人々に犠牲を強いる“迷いの文明”を生み出している。

 そのシワ寄せは、すべて自然界と弱者と次世代に回されているのだ。

『声字(しょうじ)即実相の神示』には、「神が戦いをさせているのではない。迷いと迷いとが相搏(あいう)って自壊(じかい)するのだ」と説かれている。

 戦いや環境破壊の背後にあるのは、正義などではなく、愚かで利己的な「迷い」である。

 このような人類の“業の連鎖”を断ち切る道は、私たちが日々実修している「世界平和の祈り」と、倫理的な生き方である「PBS活動の実践」が、無明(まよい)の暗を照射する光となるのだ。

 その信仰生活に共感した人々の心に真理の火が灯り、彼らと対話を重ね、ともに仏の慈悲喜捨と、神の無償の愛を生きることから“新しい文明”は拓(ひら)けて来るのである。

 (二〇二二・五)

 



 

 

 

| | コメント (0)

2022年4月 1日 (金)

静的工夫と動的工夫 (2022,4)

 東日本大震災から十一年目を迎えた朝、「呂律(ろれつ)が廻っていない」と家内に指摘された。病院でMRIを撮ると、医師から、「脳梗塞ですね。右側の、この白い部分がそれです」と診断された。

 懸念されたのは、教区での活動に支障をきたすことだった。

“これで私も店じまいかな”と思った瞬間、十代の頃に観た記録映画の一コマが脳裏に浮かんできた。

 それは、登山家の長谷川恒男氏(1947-1991)が、スイス・アルプスの「冬季アイガー北壁初登頂」に挑んだ時の記録で、かつて世界の数多(あまた)の登山家がこれに挑戦して失敗し、これまで数十本もの指が凍傷で失われていたのだ。

 同氏が登頂後のインタビューでこの凍傷を回避できた質問に答えて、
「手足の指先にまで意識を通わせていたおかげ」
という意味の言葉を語っていた。

 長谷川氏の言葉をヒントに、数日間、神想観での深い祈りと真理のコトバの研鑽に徹することにした。

 招神歌を唱え神想観の姿勢に入る度に、何処からともなく生命の生かす力がいつにも増して湧出してくるのを感じた。

 生長の家ではこれを「天地を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」とも「癒力(ゆりよく)」とも呼んでいるが、それは「自我」の活動が希薄になるに従って聴こえてくる“声なき声”でもある。

 この内なる働きに心を澄ませ身を委ねることで、その癒力(ゆりよく)は全身心を充たしていった。

 医師からは入院を勧められ、クスリも処方されたが、それを受け入れれば、この霊妙な感覚である「癒力」(癒やす霊妙な働き)の邪魔をしてしまうことは明かだった。

 熟慮の末、医師に率直に私の意向を伝え、以来“内なる声”に従って自然治癒に専念することにした。

 そんな日々を過ごした三日目、招神歌や聖経読誦の言葉が、次第に像を結びはじめ、そして発症して五日後、埼玉教区での月次祭ではなんとか祝詞を唱えることができた。

 まだ途上であるが、これも皆さんの深い祈りのおかげと思う。

 さて、『誰でもできる「石上げの行」』(宗教法人「生長の家」)という本が刊行された。

 歴史を振り返ると、かつて日本の各地で石に願いをこめて山に奉納していた記録がある。

 私が育った静岡でも、かつて疫病(えきびよう)や飢饉(ききん)で多くの民衆が苦しんでいたとき、明山鯨海(みょうざんげいかい)和尚という僧侶が駿河湾で石を拾い、それにお経を書いて藤枝の菩提山に収めたという伝承があり、実際に現地に足を運んでみると、今でも十数センチ程の平たい石が山頂に無数に散在している。

 また、お隣の山梨県の鳳凰(ほうおう)三山(南アルプス)には地蔵岳(2764m)があり、その山頂にはたくさんの石地蔵が奉納されている。

 これは子どもに恵まれなかった夫婦が子宝を祈願して登拝し、子どもが誕生するとお礼に石に地蔵を刻み、それを担いで運び上げたのだという。

 生長の家が説く“神癒”には、自力の働く余地は微塵もなく、ただただ神の絶対他力によるもので、それは神想観の静的工夫によって顕著に発現する。

 その癒力は、古来「石上げの行」などの動的工夫を通しても祈られ、“ムスビの働き”として各時代に顕現していたのだ。

 その衆生救済の働きは、肉体を超え、時代を超え、国境を越えた仏の四無量心の働きである。

 今はウクライナの平和と、次世代の安寧(あんねい)を祈り、私たちに授けられた聖使命の火を高く掲げて活動するときである。

 (二〇二二・四)


 
 

 

| | コメント (0)

2022年3月 1日 (火)

彩り豊かな人生を (2022,3)

 これは東京第二教区で教化部長をしていたときの話だが、教化部会館の二階に、ちょっとした講話や会議ができる多目的室があった。

 その部屋には一枚の油彩画が架かっていたが、一見すると凡庸な作品で、作者のサインを見ても素人目には誰なのか判然とせず、誰も気にとめることもなく、ずっと壁紙のようにして部屋に溶けていたのだ。

 ある日の夕方、この部屋で教区生教会(生長の家教育者連盟)の会議を終えて雑談していたとき、生芸連(生長の家芸術家連盟)委員長をされていた布井剛さんが、「この絵は洋画界の重鎮だったT画伯の作品だな。教区には生長の家に触れていた芸術家が何人もいたから、たぶん教化部に寄贈されたのだろう」と教えてくれた。

「ロンドンの霧は、詩人がこれを歌ったとき存在に入った」とは、聖典に紹介されたオスカー・ワイルドの言葉だが、それ以来この作品が、皆の心に入ってきたのだ。

 すると、各組織の会議で部屋を使用する度に、絵のことが注目され少しずつ語られるようになった。しげしげと作品を眺める人、美点を見て褒める人、次第に作者が作品を通して表現した美の世界が皆の意識に入り、波紋のように、静かに広がっていった。

「言葉」で由来を讃えただけで、皆の記憶から忘れ去られていた作品が、豊かな味わいを増して人々の心に蘇ってきたのだ。

 神は真・善・美となって現れると教えていただいているが、それを引き出すのは「言葉」である。言葉とは“意味”や“物語”を宿す「言霊(ことだま)」である。

 たとえば、既製品や大量生産された工業製品などのモノたちは、彼らを支える“物語”が希薄なことから、流行が去ると忘れられ、使い捨てられてしまう。

 しかし皆さんが手がけたクラフトや手料理のように、そこに誰かの“手”や“想い”が加わるだけで、その“物”は言霊を宿して、そこから様々な物語が生まれ、もはや物は、単なるモノではなくなる。

 小さな「物語」にこそ注目してみよう。たとえば、地元にある身近な史跡に一歩踏み込み“意味”や由来を学ぶことで、私たちが物語の伝える言霊に満ちた風土の真っただ中に生かされていることが観えてくるのだ。

 そこに光を当てることで、人生がどれほど彩り豊かなものへと変貌することだろう。

 いわんや一人ひとりの人間をやである。私たちは人間・神の子についても、その言霊を事あるごとに蘇らせ、ご先祖や父母や家族、そして恩師や先達について語ることを、遠慮してはいけないのである。

『正法眼蔵』に「一切衆生、悉有(しつう)仏性」という釈迦の言葉がある。

 一切衆生とは生きとし生けるもの、悉有とは、ありとしあらゆるもののことだが、それらことごとくが円満完全な仏の命の鳴り響きであると、釈迦は宇宙の本当の姿(実相)を観て拝んだのである。

 それは決して余所事(よそごと)ではなく、私たちのいのちが仏の命の鳴り響きであり、その“自性円満の実相を悦びましょう!”と古仏たちの説いた真理を現代に蘇らせたのが生長の家である。

 そんな私たちの使命は、人や物や事のいのち鳴り響く世界を拝み、その本当の姿を「言葉」で語り伝えることにほかならないのだ。

  (二〇二二・三)

 



| | コメント (0)

2022年2月 1日 (火)

自性円満を悦ぶこと (2022,2)

 今から四十年ほど前の話だが、私が宇治別格本山で研修生をしていたとき、一緒に修行していた仲間たちの間で、『無門関解釈』(谷口雅春先生著)の公案の一節、「倶胝堅指(ぐていじゅし)」について語り合ったことがある。

 この内容は、み教えを生活に生かすための智慧を提供しているので、想い出すままに綴ってみたい。

 唐代の禅僧、倶胝(ぐてい)和尚は求道者に教えを請われると、いつも指を一本竪(た)てて仏性を示していた。

 和尚が不在の時、弟子の小僧は訪問者から「お前の師匠は、いつもどんなことを説かれているのか?」と問われると、師の形だけを真似して、指を一本立てていたという。

 それを聞いた和尚は、小僧を呼び止め「仏性」を問うと、小僧はすかさず指を竪てて示した。すると和尚は、小僧を捕まえてハサミで指をちょん切ってしまったという。

 痛さと怖さで逃げる小僧に、和尚は「小僧待て!」と呼び止めると、間髪を入れず、すっと指を一本竪てて示した。

 それを見た瞬間、小僧は深い悟りを得たのだそうだ。

 さて、研修生たちの結論は、和尚の竪(た)てた指は、「無原因にして竪つ指だ」ということだった。

 それは形に依(よ)らず、因縁によらず、現象的な諸条件に依らずに竪つ仏性のことである。カタチや方法や知識など、真似ごとだけの真理では、肝心の指を切られたら小僧のように竪てるモノがなくなる。

 これはちょうど、生長の家の教えのことは「頭では分かって」いるが、実際問題に当たると、手も足も出なくなるのと同じである。

 たとえば、自身やご家族の誰かが、病気や引き籠もりで悩み苦しんでいるとき、習い覚えた知識や方法を、あの手この手と駆使してみても一向に解決に至らず、途方に暮れた経験のある方もいらっしゃることだろう。

 それは教えが悪いのではなく、み教えに照らしてみれば、自性円満の実相を観て“青天井に悦ぶ”ことが必要であり、そこから道がひらけてくるのだ。つまり悦び方が足りないのである。

 そのころ宇治別格本山で総務をされていた藤原敏之講師は、
「現象がどんな最悪な状況にあったとしても実相を悦べるのが生長の家だ」
と語っていた。

 それは、肉体や環境が整ったり崩れたり、願いが成就したり自壊したりする現象の上に建てられた“おかげ信仰”ではダメだ、ということである。

「実相を悦ぶ」とは、神想観を実修して真実在と一つになって生きることであり、その深い悦びは、人間を物質と見、肉体と見ていたこれまでのおかげ信仰を、神の子・人間の荘厳な自覚へと一変させるのだ。

 生長の家は、「自性円満」を悦ぶ教えである。

「自性」とは、そのままである。物質人間がこの世に生まれたと見る唯物思想では、この「自性」を把握することは出来ない。

「自性円満」とは、現象の背後に宇宙大生命の“真実在”を観て感謝することである。

 その完全円満なる大生命が“真実在”の私であり“真実在”の彼であり“真実在”のあなたであり、その自性を悦ぶのが生長の家の信仰である。

 その悦びは全てのものを癒やし、全ての願いを成就する“救いの光り”となるのだ。

  (二〇二二・二)

 

 

 

| | コメント (0)

2021年12月30日 (木)

一隅を射照らす (2022,1)

 ある朝ふと、『常楽への道』(吉田國太郎著 日本教文社)を開くと、「行き詰まりというものは人間知が行き詰まるのであって神は行き詰まらない」との言葉が目に飛び込んできた。

 読み進めると、生長の家では「八方塞がりでも天は空いている」と念を押すように書かれていた。

 これは、私たちの内にある無礙自在な神の智慧が開けば、尽十方(あらゆる方面)に道が開くことを伝えているのだ。

 以前、ある友人が「神さまを信仰しているのに、理由もなく心が“暗黒面”に引き寄せられる」と、言い知れぬ苦悩について語ってくれたことがある。

 多くの方は、自身の“心の傾向”のことなど気にも留めずに生活しているかもしれないが、私たちが過去の辛い出来事に縛られ、自分を責め続けていると、最初はわずかと見ていたその心の痛みが次第に積乱雲のように集積され、やがて周りの人との対立や事故や病気などの「行き詰まり」のような姿で現れる場合がある。

 しかし、「行き詰まる」ことで人は初めて自身の“心の障壁”に気付き、宗教の門を叩くのである。

 そこで先達に導かれて祈り、求道し、愛を行じはじめるのであるが、素直に人生の光明面を見る「日時計主義」の生活を続ける者は、再び行き詰まったとしも、その度に自らを省みる好機として、次にどんな患難がやって来てもそれを光に変えることだろう。

 そして、どのような渦中にあっても“天の扉”がいつでも空いていることを覚るのである。

 一方、自分の都合を中心に生きて、いろいろ理屈をつけて狎れ親しんだ生き方に執着していたのでは、いつまでも同じ“自我”の障壁が「八方塞がり」となって周囲に現れ、無い過去に苛(さいな)まれるのである。

 一切を打開する道は“自我中心”から、“神を中心にした信仰”へと切り替えることである。

 あなたがもし、神の子の自覚がなかなか深まらないとしたならば、それは“小さな自我”を殺し終えていないからである。「常に自我を死に切るべし」との「信徒行持要目」の言葉は、利己的な信仰への鉄槌であり、肉体人間の自覚を徹底的に葬(ほうむ)り去るための“無の門関”でもある。

 私たちは人生で、多少なりとも地位や名声を得て、自らの人生を無事に全うできるように見えたとしても、もし心の隙間に啾々(しゅうしゅう)とした虚ろな風が吹いていたとしたら、それは自我だけが納得しているのであって、内なる神のいのちは決して納得していないのである。

 自我を死に切り、随所で主(神の子)となり、家庭で、職場で、組織で、あらゆる機会に、日時計主義の生活を実践していれば、どれほど深く安らかな充足感に満たされることだろう。

 気付いたときが、出発の時である。いつでも天が空いており、「今」が神の子の進一歩を進めるときである。

 そこに起ち上がるのはもはや自我ではない。その一歩一歩に仏の四無量心が起ち、神のいのちが起つのである。

 そこからが「神の子・人間」への“新生の時”である。

 それは「小さな自我」が歓ぶ境涯ではなく、天地一切の動植物や人と心を通わせ、神と共に歩む悦びの生活がそこから始まるのである。

 そして愛と慈悲を灯したその光は、間違いなくあなたの往く道を照らすだろう。 (二〇二二・一)

| | コメント (1)

2021年12月 6日 (月)

聖使命のこと (2021,12)

 十一月、埼玉・群馬のペア教区で「聖使命研修ネットフォーラム」を開催した。

 生長の家では、人間は神の子であり、その実相(ほんとうのすがた)は円満完全な宇宙大生命で、智慧と愛と生命とに満ちていると教えていただいている。

 聖使命とは“聖なる”使命のことである。それは無限ともいえる神の智慧と愛と生命を生きて、この世界を光明化する使命のことである。

『生命の實相』第一巻の「實相篇」には、「自性円満を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります」と説かれている。

「自性円満」という言葉には「そのままで円満なこと」との注釈が添えられている。そのままとは「はじめから」ということで、それは、「神の子」に成るために長い時間をかけて精進努力した後にそこに達するのではなく、そのままで自性(実相)は完全円満であり、ハイッとそれを受けて三正行に励んでいれば、本来の実相が顕れてくるのである。

 かれこれ四十年ほど前のこと、宇治練成会で「聖使命」の講話を担当していた講師が、
「皆さん、そのまま円満完全な神の子であり光りですよ! その実相を悦びたくない人は、ぜったいに聖使命会に入ってはいけませんよッ!」

 と、一見冗談か、と思われるような真実を突いた話をされていたが、講話の後、初めて練成に参加したと思われる人たちが続々と聖使命に入会されていたことを思い出すのである。

 今回の聖使命研修では、冒頭で埼玉教区相愛会の冨田敏夫会長が挨拶され、『到彼岸の神示』(谷口雅春著)の一節を引用して、「神さまの教えをひろめるためには“純粋な献身”が要求される」ことを紹介されていた。

 続いて三名の方が体験発表をされたが、彼らに共通していたことは、幼な児の信仰と純粋な献身だった。

 生長の家の運動は数知れぬ先達の“純粋な献身”のおかげで、私たちの元に人間・神の子の“真理の火”が届けられたのである。その光りに照らされて、人生の桎梏(しっこく)と見えていた人間苦、経済苦、病苦から解放されたのだ。

 そこに点ぜられた「火」とは、「自性円満」の真理の自覚であり、そこから生じた喜びが、人類光明化運動・国際平和信仰運動となって地上に溢れているのである。

『新版 真理』悟入篇には、聖使命菩薩について「すべての人を救いとろうと、いとも広大なる救いの手を拡げられた(中略)、観世音菩薩の千本の手の一本一本が衆生済度の聖使命を感得された皆さんであります」と説かれている。

 聖使命に入会するとは、先達の言葉を借りれば、「そのまま円満完全な神の子であり光りですよ!」と、その実相を悦び生きることに他ならないのである。それは同時に、神の無限供給の扉を開くことでもあるのだ。

 それを開く鍵は、はじめから私たちの内にあり、この世に持参して生まれた“如意宝珠”という「いのち」の中に秘められているのである。

「聖使命」とは、神の子の使命である“菩薩行”を随所で行じて、人生を光明化することであり、そのカギが潮干の珠(現象無し)と、潮満の珠(唯神実相)のコトバの力である。

 聖使命菩薩(皆さん)の生きて歩むところ、そこに必ず浄土が湧出するのである。

 (二〇二一・十二)

 

 

| | コメント (0)

2021年11月 3日 (水)

魂の成熟について (2021,11)

 この秋、十月に結婚して誕生日を迎えた二女に、LINEで「人生に豊かな実りと魂の成熟を」とお祝いの言葉を贈ると、「魂の成熟」ってどんな意味? と訊いてきた。

 確かに、二十代には馴染みのない言葉である。果実や肉体の成熟は分かりやすいが「魂の成熟」となると?・・・ということになるのだろう。

 同じ頃、おムスビネットフォーラムで「NPO法人 見沼ファーム21」の代表者の一人、徳野英夫さんを招聘(しょうへい)して「次世代に繋ごう食と自然」のテーマでお話を聴かせていただいたが、朴訥(ぼくとつ)と語る彼の言葉の中に、静かに成熟を遂げた一人の魂を見る思いがした。

 徳野さんらが取り組んでいる「無農薬による米作り」は、古い伝統を踏まえた新しい試みだ。

 都市化によって地域のコミニティが崩壊した今の時代に、県から委託された広大な「見沼田んぼ」を舞台にして、「地域の自然」と核家族化した人たちとをムスビ、手間暇(ひま)かかる「無農薬の米作り」を実践して次世代へと繋ぐ試みは、私たちの運動とも重なる部分が多くあった。

 徳野さんは、かつて東芝に勤めた後に行政の仕事にも携わるなど、お堅い“縦割り”社会の中で生きてきたが、地元「見沼田んぼ」で“横の繋がり”に携ってみると、そこには学歴も職業も性別も年齢も越えた人々の笑顔と絆(きずな)があった。

 さらに無農薬の有機栽培で植物や昆虫や魚たちと繋がると、今度は、高度経済成長期に汚染されたどぶ川が澄んできて、鮎まで遡(そ)上(じよう)してきた。

 そこに、自然と共に生き、仲間たちと齢(よわい)を重ねることの悦びを見いだされたようだ。

 彼らの組織運営の特徴はトップダウンではなく合議制である。この運営形態は、価値観や社会構造が多様化する中で、私心の無い善きリーダーたちに恵まれれば柔軟で有効な対応ができるシステムになるように思われた。

 徳野さんらが取り組んできた大規模水田での無農薬有機栽培という、社会的にも大きな責任を担ったチャレンジや、仲間たちとの試行錯誤について振り返る言葉からは、衆知を集めて運営することの苦労と、そこで生まれる驚きと喜びと充足感とが伝わってきた。

 合議制でのリーダーの役割は、捉われのない視座から適切な助言を伝えることなのだろう。

 決定はあくまでもメンバーの総意であり、そこでは参加者一人ひとりの発想や智慧が豊かに引き出され、組織活動に携わることがそのまま“吾がごと化”して、次世代を担う人材が育成される。

 ここにも、生長の家が舵(かじ)を切った“フラットな組織”の一つの“ひな形”が垣(かい)間(ま)見える思いがした。

「無限供給」とは、必要なときに、必要な人や物や事が集まることである。これは「利他行」という“愛の実践”の中にWin-Win(ウインーウイン)のムスビの姿で現れる。

 逆説的だが、他のために生きるとき、人生に愛と感謝と喜びが満ちてくるのだ。

「与えよ、さらば与えられん」とイエスが語ったように、慈悲喜捨の四無量心が地域社会で行じられるとき、そこに新価値をもった“新しい文明”が形成される。そこでの経験は、季節の深まりが果実を稔らせるように、人々の魂を豊かに成熟させるだろう。

    (二〇二一・十一)

 

 

| | コメント (0)

2021年9月25日 (土)

慈愛の言葉は光りのバトン (2021,10)

 私たちが信仰の道を歩むようになった切っ掛けは、普及誌や聖典に書かれた言葉だったかもしれないし、先輩や友人や父母の導きだったかもしれない。

 いずれにしてもそのカギとなるのは「言葉」である。そしてその言葉は、仏の慈悲や神の愛から発したものであったことは、その後それぞれの人生にもたらされた無量無数の出逢い、悦び、恩恵のことを思えば得心がいくことだろう。

 田舎に住む友人が、畑に簡単な作業スペースを作り、地元の人々が気軽に集まる“場”を設ける計画を伝えてくれた。

 そこでは共に野菜を育て、廃材や雑草を利用してクラフトや雑貨を作ったり、野草でお茶を煎(せん)じたり、そんなPBS活動をしながら、ご近所の方たちに声をかけて、普及誌の輪読やメンタルサイエンスの話などをして、『凡庸の唄』のリアルな世界を実践してみるそうである。

 教区の各地区にこのような開かれたコミュニケーションの“場”が屋外に実現したらどんなに楽しいことだろう。

 時々その場所に誌友が集まり、ミニイベントで畑の世話をしたり、スマホで講話ビデオを見たり、愛行や真理の話や雑談に花が咲く。

 いわゆる青空誌友会場である。ときには畑で穫れたサツマイモなどをたき火して頬張り、季節の巡りと連動しながら仲間と共に齢(よわい)を重ねていく。

 そんな“場”が各地にできたら“新しい文明”を形成する光りの拠点として生長の家は着実に伸びていくだろう。

 こんなライフスタイルが、ウィズコロナ(コロナとの共存・共生)時代の運動の一つの姿になるのかもしれない。

 皆さんも自宅の土地があればそこを活用し、なければ畑を借りてそこを“光りの拠点”とすることもできるのだ。

「畑」という新たな光明化運動のフィールドは、自然と人間との“対話の場”であると同時に“ムスビの場”でもある。無農薬で行う野菜作りを通して一人ひとりの工夫が施され、アイディアが花開く。

 そんな畑には、昆虫や微生物が集まり、様々な野菜の「種」が交換されるだけでなく、智慧と愛と生命がムスビ合う生命の十字路として豊穣な世界が展開するだろう。

 自然と人間が交わる畑は、神性を開発する新時代の道場となり、種を蒔き育て収穫して祝う“祭りの場”となり、同時に“新価値の創造の場”となるのだ。

 この秋、埼玉・群馬のSNI自転車部の皆さんがイエローフラッグリレーの復路(浦和の教化部から高崎の教化部へ)を予定していたが、コロナ禍が蔓延してリアルな実現が困難になった。

 そこで新たな試みとして、おムスビネットを舞台に「居住地の自然と文化を顕彰するリレー」をそれぞれの地元で実施することになった。

 それは自転車だけでなく、徒歩や公共の交通機関も利用して、それぞれの居住地の文化的史跡や自然に光りを当て、過去の人々と現代を生きる私たちと、次世代の人々とをムスビ、各地の自然や史跡を「おムスビネット」と「PBS各部のサイト」で紹介する。そんな生長の家ならではのイベントである。

 ここでもカギとなるのは「言葉」である。神の愛と仏の慈悲から発したコトバは、ご縁あるすべてのものに“光りのバトン”を手渡すだろう。

  (二〇二一・十)

 

 

| | コメント (0)

2021年8月24日 (火)

生命の舞台 (2021,9)

 八月のお盆に「奉納 八木節ネットフォーラム」を群馬県教化部で開催して、唄と笛、太鼓、鼓(つづみ)、鉦(かね)の生演奏と踊りをリモートで配信させていただいた。

 これは亡き人々への供養であると同時に神界・天界・霊界という不可視の世界への捧げ物であり感謝なのである。

 何に感謝するのかといえば、天地一切のものが神のいのちであることを拝み、そのいのちの光りが、私たちの日々のなりわいに、それぞれが授けられたお勤めの一つひとつに、家族や友人知人との語らいの中に、静かに輝き渡り、世界を内側から照らしている実相を観て拝むのである。

 盆踊りの前日、埼玉県教化部から『正法眼蔵を読む』をテキストに「真理勉強会」を配信したが、参加していた四十代の男性から、道元禅師が説いた「仏向上(ぶっこうじょう)」という言葉の意味についての質問をいただいた。

 仏向上とは、悟りを越えて無限生長する生命の姿である。

 なぜ生命は「悟り」をも越えるのかと云えば、悟りと見えるのは生命の一時的な過程であり、生命そのものは無限生長を純粋に持続して絶えず新生し、よみがえり、新価値を湧出する“いきもの”だからである。

 谷口清超先生は同書で、「仏を越えて無限に向上する境涯が展開される」(弁道話)とお説きくださっている。

「仏を越える」とは、仏と現れ、神と現れ、菩薩として現れたもの、あるいは悟りを得て仏となり、神となり、菩薩の境涯に至ったとしても、それは真実存在(生命の実相)の一時的な相(すがた)であって、そのような現象に安住し留まっていたのでは、そこは天人五衰(てんにんごすい)の境涯にすぎないことを伝えているのだ。

 私たちの生命は、日々の小さな“悟り”を重ねて生長する。

 白隠禅師は「大悟十八回、小悟数知れず」と語ったが、昆虫が脱皮を繰り返して生長するように、日々の悟りは日々の生長の姿であり、三正行やPBS活動の光りを放ちながら、生命は豊かに伸びゆくのである。

 日時計主義とは、日々の発見(小さければ小さいほど善い)に光を当てる生き方である。

 それは神の顕れである真・善・美に“気づく”ことであり、“気づか”なければそこに何も見いだすことはできないが“気づき”さえすれば、今ここは紛(まご)うことなき天国であり、浄土であることが発見できるのだ。

 そのための鍵言葉(キーワード)が「感謝」である。感謝は「今」を深く観透(みとお)す心眼であると同時に、「今」を掛け替えのない、いのちの舞台として観る慈悲の眼でもある。

 世の中に過ぎ去らないものなどなく、時は留まることなく展開してゆくように見える。

 二度と繰り返すことのない世界を前に、私たちは、今できる精一杯のことをさせていただき生きる。

 それが、やがて滅するであろう行為や事業であったとしても、私たちは繰り返しそこに神の生命を刻むのだ。

 それがPBSの倫理的生活であり、次世代のことや山や川や大自然のことに想い巡らせる深切行であり、大調和の世界を一歩一歩実現する菩薩行である。

  (二〇二一・九)

 

 

 

 

| | コメント (0)

2021年8月 1日 (日)

木下闇について (2021,8)

 梅雨の間、毎晩のようにシューマンの交響曲(シンフォニー)を聴いていた。

 すると、うっとうしいはずの季節になぜか神の恵みを感じて、降り注ぐ雨が、たまに差す陽の光が、楽しげに呼び交わす小鳥の囀(さえず)りが、目に見えぬ世界からの祝福だったことに気付かされ“この世界のありがたさ”に心の眼がひらかれる想いがした。

 シューマンの曲のタイトルは「春」を始め、欧州を流れる「ライン」川など自然を題材としたものが多く、それだけ彼の音楽は「自然」に深く寄り添い、そこから生まれた歓びを奏でているのだろう。

 齢(とし)若い頃の私の未熟な耳には、シューマンの音楽はとても凡庸で、退屈で、ただの感覚美を追求した過去の作曲家としてしか映らなかった。

 が、かつて恩師が生前に、シューマンのシンフォニーについて讃えていたことを思い出したのを機に、自宅にあった三番、四番が収められたCDを聴いてみた。

 すると妙に心に響いてきて、以来、そこに奏でられた生命が踊る歓びや、寂寥感(せきりょうかん)に充ちた滅びゆく悲しみ、人間と自然界との深い共感や、生命と生命が豊かに交わる様が、音楽の中から美しい像をムスビはじめたのだ。

 齢を重ねることは、決して悪しき事ばかりではなく、魂の稔りと意識の拡大をもたらすようである。

 このような発見をしたのは、生長の家のPBS活動に触れたおかげでもある。

 それまで、凡庸でつまらぬものとしか見えなかった家庭菜園や、手間のかかるクラフトや、自転車で野や街を風を切って走ることの背後に、人がこの世に生まれ、成長し、次世代へといのちを繋(つな)ぐことの中に、素朴で切なく掛け替えのない人生のいとなみがあることが、PBS活動から見えてきたのである。

 そこには、信仰によって宇宙大生命とつながり生きる、安らかな喜びが満ちているのだ。

 そんな悦びの発見を、この活動に参加した人たちがネットフォーラムで楽しく語るのを聴かれた方も多かろうと思う。

 いよいよ梅雨も明け、盛夏を迎える時節だ。

 その眩(まぶ)しい日差しの背後に密そむ世界のことを、俳句の季語で「木下闇(こしたやみ)」と呼んでいる。

『歳時記』の一節には、「木下闇は昼なお暗く、暑さから逃れられる別天地のようなところ」とある。

 この言葉は、決して現象に現れることのない、深い真実の世界が沈黙とともに闇の中に潜んでいて、この世界を見えないところで支えていることを伝えているのだ。

 このようなことも若いころには思い及ばぬことで、意識の深化も人生の齢(よわい)を重ねるという切実な経験と関係しているようである。

 四季の著しい変化を経て万物が生長するように、癒やし難いと見えていた悩みも憂いも悲しみも、やがて底知れぬ慈(いつく)しみの歳月を経て、そこに失せることのない生命の光が、闇の奥底にひそんでいることを知るのである。

 そんな真実の姿は、魂の成熟をもって初めて見えもし、音となって聴こえても来るのだろう。

   (二〇二一・八)

 

 

| | コメント (0)

2021年7月 1日 (木)

「すべてを担う」ことから (2021,7)

 川越に引っ越して二年目の夏を迎えている。

 なにを隠そう昨年は、群馬と埼玉での掛け持ちの日々が始まり、春に植えたキュウリもゴーヤもルッコラも、気がつけば伸び放題のトマトの枝と雑草に覆(おお)われ、畑は鳥や虫たちの楽園と化していた。

 ナスやゴーヤを収穫するため茂みに分け入ると、ヤブ蚊が襲来する野生の王国が出現していたのだ。

 そして今春、決意も新たに心も入れ替え、キュウリネットを張り、夏野菜の苗を植え、誌友から頂いた大豆も畑に蒔いた。

 そんな折、ネットフォーラムに参加していた方が「畑から元気を頂いている」と発表されていた。

 畑の世話をすることで、潜在していた思考回路や肉体の機能が豊かに働き始めるのであろう。

 畑で浮かんだ農作のアイディアを一つ一つ形にしていくと、いつしか自然と自分とが溶け合い、意識が伸び広がり、心と肉体と畑がひとつに統合されて自在を得るようだ。

 畑という小宇宙は、自然と人間とがムスビ合うための“場”でもあるのだ。

 さて「全托」とは、神に委ねることと教えられているが、それは“めんどくさい”問題を避けて通ることではない。

 まずその問題を、自分でしっかり担わなければ、神に委ねることなど出来ないのである。

 課題や問題を自ら背負い、引き受けて初めて、その重要さ、複雑さ、入り組んだ構造が細部にわたり見えて来るのだ。その詳細が把握できた分だけ、解決への道が開けるのである。

 だから神への「全托」とは、課題から逃げることでも避けて通ることでもなく、その課題を“観世音菩薩の声”として向き合い、総身で受け止めることであり、そこから初めて“全托の祈り”が始まるのだ。

 この「すべてを担う」ことを生長の家では、“自己を一切者とする自覚”と呼んでいる。ここに立つことで、ついに紛糾していた難題が溶け始め、そこから新たな天地が開け、新価値が生まれるのである。

 畑はスケッチの作業とよく似ている。自宅のある青梅市の庭でも、かれこれ二十年ほど生ゴミとEM菌を利用した無農薬栽培を試みてきたが、プランを描き、畑に出てささやかな経験と感覚に委ねた試行錯誤の手作業がはじまり、そこにアマチュア農園ならではの実験や悦びや失敗もあるのだが、失敗も大切な学習となるのがオーガニック菜園部ならではの楽しみでもある。

 しかし、気軽に無農薬栽培に踏み込むことができないのが専業農家であろう。

『奇跡のリンゴ』の著者の木村秋(あき)則(のり)さんは、農薬を一切使わないリンゴの自然栽培に取り組んだ当初、五年ほどバイトの掛け持ちで家族を養っていたというから身命を賭しての実験だったようだ。

 同氏によると、自宅用に種から栽培する野菜も稲作も、無農薬で豊かに収穫できたが、農薬に慣らされたリンゴで成功させるには、弛(たゆ)まぬ工夫と長い時間を要したという。

 これは薬剤に慣らされた私たちの身心や、浅薄な情報に慣れ親しんだ心が、深い真理を学ぶ場合も同様かもしれない。

 実相が現象に現れるには、辛抱して「待つ」時期が必要であり、その待ち時間は浄めのときであり“魂が新生する”ときでもあるのだ。

   (二〇二一・七)

 

 

| | コメント (0)

2021年6月 1日 (火)

“学ぶ”ことについて (2021,6)

 コロナ禍は、令和の御代に大きな変化をもたらしている。

 それは人々の生活を変え、社会や組織の仕組みを変え、私たちの運動にも深い影響を与えている。

 そんな渦中、埼玉・群馬の「おムスビネットフォーラム」では、生長の家国際教修会で発表した田中明憲講師を招聘(しょうへい)し『ムスビの概念の普遍性を学ぶ』と題して、同名の書籍をテキストに“ムスビの働き”とユング心理学についてお話しいただいた。

 田中講師は、同心理学における「アニマとアニムス」について解説してくれたが、深層心理学について学びを深めることは、私たちが抱える諸問題を解決するための一助になるだろう。

 聞き慣れない言葉だがアニマとは、男性の無意識の中にある“女性的な面”のこと。

 一方のアニムスは、女性の無意識の中にある“男性的な面”のことであり、私たちは例外なく、それらを内に蔵しているのだ。

 観世音菩薩は“両性具有(りょうせいぐゆう)”といわれている。生長の家でも“人間は神の子”で「自性円満」と説いているように、私たちの内には未開発の彩り豊かな無尽蔵の神性が内在しているのだ。

 つまり男性的な面も女性的な面も具有していればこそ、ある過去生では女性としての人生を経験し、ある生涯では男性としての境涯を生きて、神の子としての全容を宇宙に開花させているのである。

 生長の家と深層心理学との関係は深く、昭和二七年(1952)には、日本教文社から『フロイト選集』が刊行され、昭和三〇年(1955)には『ユング著作集』を刊行。

 しかも前者はフロイトの弟子である古沢平作が、後者は当時のドイツ文学の第一人者である高橋義孝らが翻訳を担当しており、戦後の混乱の中、生長の家が日本の五〇年後、百年後の未来を見据えながら人類光明化運動を展開していたことが、このような事蹟から見えてくるのである。

 半世紀以上を経て、生長の家が再び深層心理学に、そして古事記等に説かれた“ムスビの働き”に光を当てていることについての深い意味を想うのである。

 さて、田中講師は前掲書の中で、「男性は自分のアニマを外的世界の女性に投影し、一方の女性は、自分のアニムスを外的世界の男性に投影する。(中略)それらのイメージを通して相手を見る」(62頁)と紹介している。

 生長の家でも、私たちを取り巻く人や物や事は、観自在の原理によって現れた「心の影」であると説いているが、心の世界を扱う宗教と心理学とは、コインの裏表のように共通する部分が多いのである。

 アニマやアニムスのことをユング心理学では「原型(archetype)」と呼んでいるが、これは世界各地の神話など、意識の深層が投影された物語などに共通して現れるという。

 このほか原型には「自己」「老賢者」「グレートマザー」「影」などが挙げられており、これら精神分析の知見は、紛れもない人類救済の一つの現れであり、仏の四無量心の働きに豊かな表現の地平を開くことだろう。

 それは世代や民族を超えて、ともに人間の実相を克明に解き明かしていくことであり、そこに私たちが、人類が発見した最新の科学的知見から“学ぶ”ことの深い意味があるのだ。

  (二〇二一・六)

 

 

| | コメント (0)

2021年5月 1日 (土)

啐啄(そったく)の機について (2021,5)

 野に春陽を告げるヒバリの囀(さえず)りに呼応して、花が咲き、草木が生い茂り、人も衣替えの時節である。

 禅宗に「啐啄(そつたく)同時」という言葉がある。啐(そつ)はひな鳥が内側から卵の殻を突(つつ)くこと、啄(たく)は親鳥が外から突くことで、これが同時に行われることをいう。

「完成(ななつ)の燈台の神示」に、「時が来た。今すべての病人は起つことが出来るのである」と説かれているが、この「時が来た」とは、啐啄(そつたく)の機が到来して内と外が一つに動くことである。

 外ばかり見ていたのでは現象に振り回される。

 一方、内ばかり見ていたのでは永遠に殻(から)の中である。啐啄同時とは、内と外が“ひとつ”になっていのちが鳴り響くことであり、それは自他一如の世界に入ることである。これを生長の家では如意自在の生活といい、龍宮無限供給ともいう。

 私たちの心境がこの境地に入る修行(レツスン)が日々の神想観である。

 たとえば私たちの体内の心臓や、肺や胃や膀胱(ぼうこう)など内蔵の働きも、すべてこれ意識せずとも啐啄同時に全体が働いていることは、決して“当たり前”なことではないのだ。

 それはアイコンタクトどころの話ではなく、見えず聞こえず五官で感じなくとも、いのちは全体を把握して大調和裡(り)にすべてを生かし調和せしめているのである。この不思議な神秘な力に委ねることが全托である。

 宇宙大生命は、大きくは宇宙や星雲の運行から、小さくは素粒子の運動に至るまで、いのちの霊妙な働きとして統轄(とうかつ)し給うのである。この天地に遍満する働きは、私たちの人生に観世音菩薩の慈手となって随所に現れる。

 たとえば、四苦といわれる生老病死は、避けようもなく私たちの人生に巡り来るように見える。しかし不要な経験などこの世にはなく、全ては不思議な摂理の慈手によって巡り来るのであり、それぞれの出来事は最も善い時節に現れるのが唯心所現の世界である。

 その摂理の手を無視して、“自我”に振り回され他を犠牲にして、利己的な都合の良いことばかり得ようとしてもだめである。

 受けるべきものは受け、耐えるべきときに耐え、倒れるときには倒れても、神の子は、そこから何度でも起ち上がることができるのだ。

 そこから一歩ずつ“善きこと”を、一つまた一つと、実行していく。その日々の善行と連動して真理の火がまた一つ灯され、“自我”が剥落(はくらく)するにしたがって天地一切の“善きこと”がめぐり来るのである。

 過去の業や因縁を浄化する道は、神のいのちの世界に幼子のように飛び込むことである。これを大懺悔(ざんげ)といい、その過程で、過去生の業因が波のように自壊してきたとしても、その度に何度でも起ち上がればよいのだ。

 やがて霧が晴れて、必ず光明が差し初(そ)める。その光源は、どこか他の所にあるのではなく、あなたが内に灯し続けた、ささやかに見えたその光こそが、神の愛の光りだったことに気付くのである。

 私たちが灯す光り、その光りこそが神の子・人間の証であり、「罪と病と死との三暗黒」という人類の根源的な無(ま)明(よい)を消尽する光りなのである。

  (二〇二一・五)

 

| | コメント (0)

2021年4月 1日 (木)

時間は“神のいのち”である (2021,4)

「一月往(い)ぬる二月逃げる三月去る」といわれているが、駆け抜けるような早春の時間は、私たちのいのちの営みと深く連動しているようだ。

 それは、真冬から晩春にかけて咲く花や、大地に芽吹いた自然界の変化が、思い掛けず深く心に刻まれ、それが生活のリズムとなり、糧となり、暦(こよみ)を駆け足で運んでいくのであろう。

 静まりかえった極寒に見つけた、春の微かな兆(きざ)しに、自然と人のいのちが響き合い、咲く花とともに人のこころも開き、爛(らん)漫(まん)の時の中にいつしか自然と一つにむすばれて溶け合うのだ。

 時間は不思議である。あり余って見えるときには実に詰まらぬ浪費をするものだが、わずかしか持ち合わせがないときには、驚くような密度をもって生きられ、そこに豊穣な実りをもたらすことがあるのは、皆さんもご経験されていることだろう。

 だから、どんなに“忙しい”と見えるときでも、そのことを心から祝福して感謝しよう。その 忙しさこそが神からの最大の恩寵であり、その“多忙”と見える時こそが、私たちの人生における最良の時間なのである。

 時間は、何かに夢中になっているときには矢のように過ぎ去る。しかし齢を重ねてみると、私たちが深い悦びと充足感をもって“夢中になる時”を持ちえたことは、人生の“黄金のとき”だったことに気付くのである。

 ふと顧みれば、この世における逃れ難い借財が、背後からひたりひたりと返済を迫っていることに、初老を過ぎたころに気付かされたことがある。

 それは数多(あまた)の諸先達から受けた“ご恩”恩師たちから托された“想い”天地の万物から頂いた“恵み”それらすべてが潮が満ちてくるように、共に他のために尽力して身を捧げて生きることを、背後からしんしんと迫ってくるのだ。

 真の菩薩行は“無償の恵みの真ただ中に生かされている”ことへの気付きから、始まるのかもしれない。

 振り返ると、人生には神の摂理(せつり)というものがあり、私たちはそれに導かれて今ここに生きていることを思うのである。

 その摂理に感謝して日々努力する者は運命から愛され、一方、己が運命を誰かの責任にして他を憎み、いつまでも裁いて赦(ゆる)さぬ者は、その桎梏(しっこく)から逃れることはできない。

 問題となるのは、その“負の心の習慣”である「業」が、罪のない子々孫々にまで受け継がれることである。

「陰徳」という言葉があるが、これは摂理に感謝し、天地の万物の恵みに感謝する“善き心の習慣”のことである。一切は吾が責任であると自覚し、生かされていることに“感謝”することから道が開けてくるのだ。

 私たちの現在意識は、何が最善の選択で、何がそうでないかを本当には知らないのである。しかし、摂理や運命の慈手に感謝して生きる者は、すべての出来事が「絶対善の世界」へと運ばれて行く。

 見えない摂理の慈手を、損得勘定によって取捨選択していたのでは、どれほど上手く巧みに立ち回ってみたところで「運命」から愛される機は訪れまい。

 すべての出来事は観世音菩薩の導きであり、摂理の手は愛と慈悲に満ちており、それがこの人生であり世界であることに気付いたとき、それは十善の恵みとなって眼前に満ちて来るのである。

  (二〇二一・四)

 

 

| | コメント (0)

2021年3月 1日 (月)

“文明転換”のとき (2021,3)

「建国記念の日祝賀式」では、高崎の群馬県教化部から「式辞」を埼玉と群馬の皆さんに配信させていただいた。

 その帰路、家内と上毛三山のひとつ榛名山(はるなさん)の中腹にある榛名神社に初めてお詣りした。

 参道には奇岩列石が連なり、ゴウゴウと風の鳴る巨木の谷間を歩いていると、自然の中に神を観た古代の人たちの心が、時を超えて語りかけてくるような想いがした。

 そこには、数億年という自然界の途轍(とてつ)もない歳月が、あらわな巨岩のすがたでさらけ出されていた。日常とかけ離れた峨々(がが)たる景観は、この神域が、人類が軽はずみに仕出かすであろう“開発”という名の破壊から、結界によって護られてきたことを伝えていた。

 参拝後、榛名湖まで足を伸ばすと湖面の全域が凍結し、吹く風は地吹雪のように粉雪を舞い上げていた。湖上に榛名富士が聳(そび)える光景を見たとき、五十数年前に初めて父に連れられて来たときの記憶が蘇ってきた。

 当時小学生だった私は、伊香保温泉が榛名湖畔にあって宿泊したと思いこんでいたが、家内と甘酒を飲みに立ち寄った湖畔の茶店のおかみさんに聴くと、「伊香保はここから二〇分ほど離れた場所だ」と教えてくれた。

 十代に満たぬ子どもの脳裏は、山と湖の神秘な景観に圧倒され、意識が驚きに覆い尽くされていたのだろう。

 子どもの柔軟な心は、自然界と容易に溶け合い、響き合うようだ。そんな彼らの意識の深層は、生涯にわたって蓄えられる経験や記憶の豊かな土壌となり、五官六感に触れるあらゆる情報を吸収して精神の基礎を形成する。

 近年は親の意向で習い事や学習塾などを掛け持ちして能力開発に余念がないが、長い目でみれば“自然界”に触れることで、子どもたちの心がどれほど豊かに育まれることだろう。大人になってからの自在で柔軟な発想や意表を突くアイディアも、自然の多様性に学ぶことから生まれるのだ。

 自然と出合った幼い魂は、眼前に広がる魅力的な光景に誘われて、未知なるものや神秘なるものへの探求をスタートするだろう。

 現在は五十五万人もの若者が鬱(うつ)で病んでいるというが、将来ある若い世代が心の病に陥るのは、自然と交わる機会が少なすぎたことも原因の一つであろう。

 朝の陽光や小鳥の囀りに心を傾け、夕焼けの荘厳や微妙な色彩の移ろいを愛で、草木の生長や雨の恵みに季節の変化を感じ、生かされている歓びを豊かに味わう生活を、どこかに置き忘れてきたのが効率を優先した現代文明の歪(いびつ)な姿である。

 多くの人々が目の前の利害損得に振り回されて、人間社会を巧みに生きぬくことのみに躍起になってきたのだ。

 そんなことより、何倍も大切なことがある。その一つは、文明の谷間に忘れられていた自然と深く繋がる生き方を蘇らせることである。

 それは、自然を豊かに味わい、自然と共に生きるための智慧や技術や伝統に光を当て、さらに科学的な新しい知見から新価値を加えて“文明の転換”を図ることである。

 無垢な魂たちの行く先は、文明の袋小路などであってはならない。海や森や大自然の中に帰ることから、人も、文明も、すべてのものが新生するのだ。

  (二〇二一・三)

 

 

| | コメント (0)

2021年2月 1日 (月)

食がひらく“新しい文明” (2021,2)

 伝統的な「料理」には人々の暖かな“想い”が宿っている。それは家々の歴史であり、祖先から受け継いだ食文化でもある。

 夫婦でも出身地が異なれば、同じ呼び名の料理も素材や味付けが異なり、一筋縄でいかないのは“ムスビ”という深い意味が秘められているからである。

 現代は国や地域を越えて、人や食や情報が行き交う時代である。食は“生きる糧”であることから「おふくろの味」などとも呼ばれ、人それぞれの強いこだわりもあり、食べ慣れないものがマレに食膳に上るなら珍重もされるが、所帯をもった夫婦の食習慣が異なれば、顔を毎日突き合わせているだけに深刻な問題にも発展しかねない。

 振り返ればわが家も所帯を持ったころ、わずかな食文化の違い(静岡と鹿児島)がいつしか針小棒大となって呆然としたが、事の次第を悟り、互いの食文化の背景をしみじみ味わい直したことで、大事に至らずに今日に至っている。

 “ムスビの働き”は、実に深淵(しんえん)である。

 さて、生長の家では菜食中心の食生活を推奨している。肉食忌避(きひ)は、生命を尊び敬う者たちのささやかな抵抗であるが、殺される動物たちの悲しみや、地球環境の問題が、それだけで解決できるものでないことを百も承知の上での選択である。

 生長の家のオーガニック菜園部の活動は、ノーミート料理から、犠牲のない新たな食文化を創造する取り組みでもある。そのためのヒントは、かつての主流を占めていた自然と人間が調和した伝統料理の中にあるのだ。

 それは、今日の料理から肉を差し引くだけという消極的なものではなく、肉を食べないがゆえに可能となる、繊細で滋味(じみ)に富んだ豊かな菜食の文化を蘇らせ、さらに“新価値”を加えて魅力的な食の文明を創造することである。

 過日、埼玉・群馬おムスビネットフォーラム(zoomとFacebook)で開催したイベントで、各家庭でのおせち料理や、寒い季節の家庭料理が、オーガニック菜園部の皆さんによって紹介された。

 実家で食べていたもの、嫁ぎ先や移り住んだ地域で習い覚えたものなど、その一つひとつに、受け継いだ“技術”や“季節の食材”や“ご先祖の想い”が宿り、料理は、私たちの人生を深いところで支えていることが伝わってきた。

 その伝統料理は子や孫へと受け継がれて、また新たな家族を温めることだろう。

 わが家でも秋から冬にかけての伝統料理がある。それは静岡名物のとろろ汁で、私が子どものころは山に入って自然薯(じねんじよ)を掘ることが、田舎少年の通過儀礼(つうかぎれい)となっていた。

 山芋の収穫のため鍬(くわ)で自身の躰が入るほど深く穴を掘るのだが、それは苦役などではなく、内に眠る原初的な底知れぬ力が、森の中で密かに覚醒するイニシエーションでもあった。

 森を歩きながら、地元で語り継がれてきた神さまの話や神秘的なシキタリや植物の名前などが伝えられ、自然の中での豊かな“教養”を身につける機会でもあった。

 置き忘れてきた文化の中に、自然と共生するための智慧があふれている。

 環境破壊が深刻さを増すこの時代に、先人たちの声なき声が、いにしえの物語を通して全国各地で蘇ろうとしている。そこから“新しい文明”を築くための豊穣な智慧が、PBSの活動を通して蘇るのである。

  (二〇二一・二)

 

 

| | コメント (0)

«随所で主となる (2021,1)