トップページ | ニューソート(1) »

2005年9月17日 (土)

陰徳について

 私の父は今年(平成17年)の1月で81歳の誕生日を迎えた。

 2月の初め、肺炎で地元の総合病院に入院して以来、二度ほど生死の間をさまよった。

 それからは点滴による栄養補給のほか何も食べることができず、病院のベッドに横たわり、今はときおり目を開くほか、会話する力も言葉も記憶も失い、ただ生きているだけの日々を過ごしている。

 しかし不思議なことに、この世に現れた父の威力、能力が衰えるとともに、今まで私に見えていなかった父の姿が見え、感じられなかった父の思いが感じられるようになってきた。

 正確には、これまでのように私が気構え、片意地を張る必要がなくなった父に対して、私の心の眼がものごとをありのままに見、ありのままに感じるようになった、ということなのかもしれない。

 今回は、人生の最晩年を迎えた父親と、それを取り巻く家族のことや、「陰徳」について、考えてみたいと思う。

●父の痴呆

 父は70を幾つか越えるまで、現役で建設会社の社長をしていた。

 一人息子の私は、かつて父の跡を継ぐことを嘱望された時期もあったが、別の道を歩んでしまったことで、現在は専務だった人物が父の会社を継いでいる。

 創業社長だった父は、寝ても覚めても仕事一筋の人間だった。

 たいした趣味とてなく、8年ほど前に第一線を退いた後に始めた水彩画も、最初のうちは没頭していたものの次第に興味を失い、長年続けていた「般若心経」の写経も、やがて止めてしまった。

 父の痴呆が明らかになったのは2年前、それは2003年のことだった。

 我が家の子供たちの夏休みを利用して、両親の住む実家の静岡に数カ月ぶりに帰省した折、茶の間の席に座っていたのは、いつもの父ではなく、まるで“抜け殻”のような父の姿だった。

 私が話しかけても、すでに父の人格は何処かに去ったかのようで、やがて母がテーブルにおいたコップの水に、ご飯にかける“ふりかけ”を入れ、それにお醤油を注いで飲み始めた時には、そっと手を取って止めさせたが、私は内心とても驚いていた。

「父はいったい何処へ行ってしまったのだろう」

 そんな思いが心をよぎり、母がときおり電話で私に訴えていた不安が、そのまま私に乗り移っているのを感じた。

●両親との同居

 そして父の痴呆、徘徊、頻尿など、これらの介護は母の手に余るものとなった。

 妻とも相談の上で昨年3月、東京の我が家で両親と一緒に暮らすことにした。

 父母と一つ屋根の下で生活するのは、実に25年ぶりのことだった。そしてこれを機に、我が家の風景が少しずつ変わり始めていた。

 まず長女(当時小学校4年)に変化が訪れた。

 それまで、私の仕事や家の事情で、転校につぐ転校で4つ目の小学校に通っていた彼女は、新しい学校で担任との折が合わず、保健室に登校しているような状態だった。

 ところが、両親が越して来て以来、5年生になった新学期から、まるで夢から覚めたようにクラスにとけ込んでいった。

 あれから一年以上経つが、心身共に明るくたくましくなり、何人もの仲の良い友達もでき、学業も期待以上の成績を挙げてこの春6年生へと進級した。

 次に、父が東京に越してきたことで、父方の親戚との交流が始まった。

 父の実家は埼玉県の川越市だったが、私は静岡で生まれ育ち、その後京都で20年近く生活していた。

 東京には仕事の関係で数年前に上京したものの、父方の親戚とはほとんど付き合う機会がなかった。

 しかし昨年秋の彼岸、父を連れて一家揃って先祖の墓に詣でた折、本家に父のきょうだいが集まり、一緒に食事をする機会を得た。

 これを機に、私が父の「成年後見人」になるための書類を作成する折には、これまで面識のなかった叔母たちに力になっていたただいたほか、生前一度も会ったことのない私の祖父母についてのエピソードを、父以外の人から初めて聞かせていただくなど、私のアイデンティティを確認する上でも大いに助けられることになった。

●〝願い〟は受け取る者がいてはじめて叶う

 私には5つはなれた妹がいる。

 今まで住むところも職種も異なり、顔を合わせる機会もなく、ほとんど他人のような関係だった。

 しかし父が倒れてから、彼女は頻繁に病院見舞いをする傍ら、親しく我が家にも訪れるようになり、これも30年ぶりに兄妹づきあいが再開ことになった。

 振り返ってみれば、私と妹とのことは、仲良く交流することを絶えず気にかけ望んでいた父でもあった。

 娘のクラスへの復帰、親戚との交流、そして妹とのきょうだいづきあい、これらに共通していることは、「結びの働き」だ。

 それは、これまでバラバラに見えていたものが、本来の「ひとつ」になる姿であり、その開かれた世界から、新たな価値が次々と生まれ始めている。

 また、もうひとつ気がついたことがあった。

 それは、父の「深い願い」が叶えられているということだ。

 父だったら、こう思っていただろう、父だったらこのようにしたであろう、と思えることが、一つひとつ成就しているのだ。

 ではなぜ、父が衰えるにしたがって、逆に願いが叶っているのであろうか。

 それは、父の現象的な力が衰えるにしたがって、霊的な力が増した、というわけのものではない。

 いや、そういう働きも幾分かはあるのかもしれない。しかし決定的なのは、私を含め周りの者たちが、父の「願い」に“耳を傾け始めた”ということが一番大きいようだ。

「願い」とは、受け取る者がいて、はじめて具体化する。

 それは「種子」が、大地に蒔かれて発芽することと、よく似ているのかもしれない。

●〝願い〟の継承は「陰徳」の継承

「願い」ということをめぐり、最近になって気がついたことがある。

 それは、ひとの「願い」を汲み取る(継承する)ということは、どうやらその人の背後にある「陰徳」をも、同時に継承しているということだ。

「陰徳」とは、なにやら目に見えない貯金のように喩えられるが、確かに性質は貯金とよく似ているようだ。

 たとえば「陰徳」は、〝願い〟という意志の内実を受け止めたときに同時に継承されるが、その〝願い〟を活かさずに消費しているだけでは、たちまち源泉が枯れ果ててしまう。

 貯金も同じだ。

 しかし決定的に違うところは、貯金は限られた範囲でしか継承できないのに対して、陰徳は多くの人々の〝願い〟を継承し、さらにその源泉である「神」にふれることによって、無尽蔵に生長するらしいということである。

 父が倒れたのを機縁として、私はしみじみと、父をはじめ、お世話になった方々からの深い恩恵とともに〝陰徳〟を感じている。

 彼らの内にある〝深い願い〟をくみ取ったときに、彼らの〝願い〟が、わが願いとなり、同時に〝願い〟の背後にあるもの(実在)が、とうとうとわが人生を通して展開し、家庭、健康、経済、仕事などの実生活を支えているようでもある。

 それは、父の〝願い〟ばかりではなく、家族たちの〝願い〟、恩師お一人おひとりの〝願い〟が、神(実在)より発した「ひとつの願い」となって人生という舞台に展開しているようである。

 この、不思議な法輪を転ずる軸となっているのは、祈りを中心とした三正行(祈り、お経や聖典の拝読、愛の行い)の実践であろうと思う。

(2005年5月)

|
|

トップページ | ニューソート(1) »

ESSAY」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138762/5985880

この記事へのトラックバック一覧です: 陰徳について:

トップページ | ニューソート(1) »