ニューソート(3)
3) 宗教改革以前にもあった―自発的な「コペルニクス的転換」
キリスト教会自身による自発的な「コペルニクス的転換」は、実はスウェデンボルグやニューソートの指導者たちから始まったのではない。それはルターの宗教改革以前から、キリスト教内部での自律的な働きとして、何度も繰り返し試みられていたことなのである。ここで、スウェデンボルグに遡ること300年前の人物で、キリスト教中世史上もっとも概念図式を超えた領域から教えを説いた、キリスト教神学・哲学の至宝、ニコラウス・クザーヌス(1401~1464)について、少しだけふれておきたい。
20世紀最大の宗教学者でシカゴ大学宗教史学科主任教授を務めたミルチア・エリアーデ(1907~1986)は、クザーヌスについて、「彼まだ分裂していない単一のローマ教会の最後の重要な神学者―哲学者であった」と『世界宗教史』の中で述べている。
クザーヌスは、1430年、カトリック教会の司祭に叙階され、バーゼル公会議(フィレンツェ公会議)では指導的な立場で活躍しているほか、東西教会の和解のためにも奔走し、教皇使節としてコンスタンティノープルを訪問している。また、1488年に枢機卿、1450年ブリクセン大司教を歴任するなど、その生涯は教会政治家としての実践と、思想家としての理論が融合した類い希なものであった。
その彼が、1437年1月に教皇使徒としてコンスタンティノープルへの途次、地中海を航海中に、「知ある無知」についてのインスピレーションを得た。その内容とは、人間の「認識」は相対的で有限なため、無限である「真理」をとらえることができないというもので、この思想についてはエリアーデによる優れた研究があるので紹介する。
「あらゆる学知は推論的なものだから、人間は神を認識することはできない(Ⅰ・1―3)。真理―絶対的な最大―は理性を超えている。なぜなら、理性には矛盾対立を解消することができないから。したがって、推論的理性や創造力を超越して、直感によってこの最大を捉えなければならない。そして実際に、知性〔理性より高次な知〕は単純な直感によって、もろもろの差異や多様性を超えて上昇していくことができる(Ⅰ―10)。(中略)その無限の単純性において神はいっさいの事象を包越しており(包括態)、同時に神はいっさいの事象の内に現存している(展開態)。言い換えれば、包括態は展開態と一致している(Ⅱ・3)。この反対の一致の原理を理解することで、われれの「無知」は「知ある」ものとなるのである。ただしこの反対の一致は、理性によって到達された総合と解されてはならない。なぜなら、反対の一致は有限性の地平では実現されえず、ただ推測的な意味で、無限性の地平でのみ可能なものだからである。」 (『世界宗教史〈6〉ムハンマドから宗教改革の時代まで(下)』52~53頁)
「反対の一致」とは、要約すれば、包括態と展開態という絶対矛盾を併せ持つ究極的実在(実在者)を、弁証法的にとらえた原理のことである。それは五感、六感の認識を超えているため理性によって把握し到達することはできないが、知性による「直感」、つまり「観想」を深めることによって上昇(把握)していくことができる、というものだ。
クザーヌスは、この思想はキリスト教哲学・神学にまったく新たな地平を開くもので、他の宗教との一貫した実り多い対話に着手できることを確信し、1453年、『信仰の平和について』という書物を著した。時はオスマン帝国によるコンスタンティノープル征服と同じ頃である。エリアーデは、この著述のポイントを次のように要約している。
「クザーヌスは『信仰の平和について』のなかで、諸宗教の根本的統一性を肯定する議論を再び展開している。多神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラームといった各宗教の「特殊性」の問題には、彼は悩まされていない。否定の途に従うことによってクザーヌスは、多神教の諸儀礼と真の一神崇拝とのあいだにある非連続性ばかりでなく、両者の連続性をもあきらかにしている。なぜなら多神教の信者たちは、「あらゆる神々において唯一の神性を崇拝している」のだから。」 (同書、54頁)
中世キリスト教哲学において、当時の教義をはるかに超えた思想が、しかもカトリック教会の枢機卿という地位の人物から生まれていたのである。クザーヌスの耳には、かつて訪問した東方正教会の聖都コンスタンティノープルを首都とするビザンチン帝国が、イスラムのオスマン帝国によって滅亡させられた情報も入っていたことであろう。しかし、彼の透徹した直観は、そのような現象的な衰亡に惑うことなく、「唯一の神性」を見透して、宗教間の対話へと向けられていた。
「ユダヤ教やイスラームの純粋な一神教とキリスト教の三位一体の一神教との相違に関しては、ニコラウス・クザーヌスはこう説明している。「創造主としては、神は3にして1であるとともに一である。しかし無限者としては、神は3にして1でも一でもなく、またそれ以外のいかなる言葉も当てはまらない。なぜなら、神に与えられているもろもろの名は被造物から採られたものにすぎず、神御自身としては、神は言葉にしえず、人が名づけ、あるいは語りうる一切を超えた御方であるのだから」。こればかりではない。魂の不死を信じている非キリスト教徒の信仰は、死に委ねられて甦ったキリストを、それと知ることなしに前提しているのである。」 (同書、54~55頁)
クザーヌスの「反対の一致」からみた宗教観は、ニューソートの指導者たちのように霊感的であり、ドグマを完全に透過して自由である。しかも、中世後期の“宗教改革前夜”ともいうべき時代背景のなかで、キリスト教の教義を超え、異教徒たちの信仰している多神教、ユダヤ教、イスラム教という宗教の枠組みそのものを完全に超越して、今日の宗教多元主義の考え方と符合していることは驚きである。それは、半世紀後に登場するルターやカルビンなどプロテスタントたちの行った思想運動とは、完全に次元を異にしたものである。
クザーヌスのこの大胆な思想は、キリスト教会では誰にも受け継がれることなく、18世紀に『信仰の平和について』が再発見されるまで、完全に忘れ去られていたのである。この背景には、クザーヌスの影響を受けたドミニコ会の説教家ジロラモ・サヴォナローラ(1452~1498)らが、ローマ教会内部で教義の「改革」を試みたところ、異端宣告を受けた後に絞首刑に処せられ、その遺体が公開で焼かれるという事件が影響していた。これ以降、カトリック教会内での「改革」は影をひそめ、クザーヌスの開いた地平とその驚くべき哲学は、教会のはるか彼方へと追いやられてしまった。やがてそれは、「抗議者(プロテスタント)」という不満分子によるドグマのレベルでの反抗運動となり、ローマ教会そのものの分裂を招くに至ったことは歴史の示す通りである。
エリアーデは、このことについて次のように語っている。
「協会側の敵対的反応、とりわけ異端審問の行き過ぎが、キリスト教体験の貧困化を、さらには硬直化を加速させていった。」 (同書、56頁)
なぜ、「異端審問の行き過ぎ」が起こったのか。それは、かつてユダヤの人々がイエス・キリストの教えを理解することなく、彼を異端者として十字架に掛けたのと同じように、今度は当時のキリスト教会の人々が、究極的実在(実在者)を見透していた第2、第3のキリストたちを「異端」として葬ったのである。
それだけ私たち人間は、現象界で踏襲してきた慣習(スンナ)に依存する傾向が強いのである。キリストは、「されど見ゆという罪は残れり」と語っているが、私たちが生まれてこの方、五感、六感を通して習い覚えた慣習とは、畢竟「業」にほかならない。しかし「業」は善いものでも悪いものでもない。それは“影”にすぎないのだ。問題なのは、「業」の支配を受け「業」に引きずり回されることである。さらに「業」に絡め取られた人々が多数派を形成することで「原理主義」的なドグマが一人歩きを始める。これは、キリスト教会の歴史が教えるように、宗教体験を貧困化させ、組織を硬直化させ、長い歴史を通じて宗教を慢性的な死に至らしめるのである。
生長の家総裁である谷口清超先生が、「運命の主人公」ということをご著書や講演で語っておられたが、「業」を超越し、「業」を自在に支配し、「業」を善き方向へと(身・口・意の三業をもって)自由にコントロールする立場こそ、私たち神の子の「本来の面目」なのである。
聖経『甘露の法雨』には、「実在は五官を超越し 第六感さえも超越して 人々の感覚に映ずることなし」と説かれている。「実在」は、五官、六感の感覚には映じないが故に、キリスト教では祈り、禅宗では坐禅を組み、生長の家では神想観を実修して、本来の「主人公」―究極的実在(実在者)に立ち返るのである。
参考文献
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