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2006年6月13日 (火)

イスラーム神秘主義―スーフィズム(3)

 実在者からの発語「我・即・真実在(=神)」

 当時、バスターミーとは別の角度から神との「合一」に達した人物にハッラージ(没年九二二)がいた。彼は、さらにはっきりと、「我・即・真実在(=神)」と宣言している。

〈ハッラージにおいては、「合一」とは「変融」(ittsaf)すなわち魂の本質的変質であり、一実有(Substanz)が全く違った他の実有(実在者)にかわってしまうことを意味する。ハッラージの有名な《Ana al-Haqq!》「我・即・真実在(=神)」とは、人間的主体が完全に変質し、そのまま実在性の永遠の太源に化融することにほかならぬ。 〉  (『イスラーム思想史』二〇七頁)

 端的に言えば、「我・即・真実在(=神)」とは、「私は神である」との大胆な宣言である。

 彼はまた、キリスト教の「受肉(incarnatio)」の教義とよく似た、「落入」(hulul)ということを説いた。これは(A)が(B)の中に完全に溶け入ってしまうことを意味していた。これを「宗教多元主義」の視点からみれば、自我(B)中心から実在(A)中心へと「落入(人間存在が変革)」したという〝救いの構図〟を見てとることができよう。

 しかし「周縁的真理」に立脚した当時の伝統的神学者はじめ多くの人々は、彼のこの説は明らかにキリスト教の「受肉」説に堕した教えだと鋭く指摘した。

〈周知のようにイスラームにおいては、イエスは神から聖なる使命を託された預言者の一人であって、これに神性を認めることは最も甚だしい異端であり、神の露骨な冒涜とされている。従って、どのような形であるにせよ、「受肉」説は絶対に回教徒の承認を受ける訳には行かない。かくてハッラージは遂に異端者として告発され、死刑を宣告され、バグダードの刑場で十字架にはりつけにされて死んだ。〉
(同書、二〇八頁)

 ここにも宗教における原理主義の問題が立ち現れているが、これまで人類は、「周縁的真理」に固執するあまり、どれほど多くの「キリスト(自己変革を遂げた覚者)」たちを、十字架に掛けてきたことだろうか。

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