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2006年7月 1日 (土)

思った通りになる世界(2)

 今から20数年前のことですが、私は父の経営する建設会社に勤務していました。

 夏が過ぎたころ、以前から悪かった私の体調が思わしくなくなり、九月ごろから仕事も休みがちとなり、次第に床に就くようになりました。

 私は小学校低学年のころから「アレルギー性気管支炎」の発作にたびたび見舞われ、入退院を繰り返していましたが、その時は医者に行くと「気管支喘息」と診断されました。

 安静にしていても、薬を服用しても一向に病状は回復せず、ついに病床に伏してしまいました。そのような私の状態を見るに見かねた生長の家の先輩が、長崎県の生長の家総本山で行われている練成会に参加することを勧めてくれました。

 息も絶え絶えのなか、駅の階段の手すりにつかまりながらホームに移動して、友人に見送られつつ、寝台列車に乗って出発。翌日の午前中に長崎駅に着き、さらにバスに揺られて生長の家総本山に到着しました。

 当時の総本山では、泉英樹・本部講師が練成部長として講話を担当されていました。

 練成道場に行っても私の体調は一向に回復しませんでしたが、せっかくここまで来たのだからと、早朝に行われる神想観(お祈り)、お経の拝読、そして境内地の整備や農作業などの肉体労働を通して奉仕する献労など、体調はどんなに悪くても行事を一つも休むことなく、それこそ死んだ気持ちになって受け入れていました。

 そして三日目あたりの講話で、泉講師が「実相」と「現象」についての話をしてくださいました。
 それは、肉体に現れた病気などの「症状」は、あるように見えても本当は存在しないこと。これを「現象」と言い、その「現象」は私たちの「心」によって絶えず変化していること。

 そして「現象」の背後には完全円満な「実相」があり、それこそが私たちの本体であること。私たちはこの「実相」を観ずることによって、肉体という「現象」にも完全なる健康状態をもたらすことができるということ。

 したがって私たちは、絶えず完全円満なる実相の大調和した世界のみを「心」で観ずることがとても大切である、おおよそこのようなことを教えていただきました。

 さらに道場でお経を読む時間に、『続々甘露の法雨』という現代のコトバで書かれた生長の家のお経を読む行事がありましたが、そのお経の中で、

 汝ら今、生命(いのち)あることを悦べ、

 今、生きてあるその『今』を悦ぶべし。

 汝の悦びは汝の病を癒すべし。

 という一節があり、「今、生きてあるその『今』を悦ぶべし」というコトバが強く印象に残りました。

 翌日の午後、献労の時間に農作業をしながら、私は完全円満なる実相世界を観ずるべく、ひたすらコトバで、

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 と、一心に唱えながら、内なる実相を見つめて与えられた仕事に励んでいました。

 農作業を終えて、他の参加者と一緒にクワなどの農機具を片づけているときに、ふと次のような想いが私の脳裏を巡りました。

「私の体は今どんなに病んでいるように見えても、それは現象であって実在ではない。私の本当の姿は、完全円満で健康なる神の命そのままだ!」

 ということが、忽念と分かってきたのです。
 そのときに、お経に書かれていた、「『今』を悦ぶべし」という、その『今』とは、実は「本当に存在する完全円満なる世界」のことであり、それこそが永遠に変わらざるところの『今』であり、それは「歓喜」そのもの、「悦び」そのものであることがハッキリと観じられました。

 それ以来、「今」完全円満であるその「今」を、ただただ「ありがとうございます、ありがとうございます」と祝福し、ただただ悦んでいました。

 翌朝、目を覚ますと、咳とともに大きな痰の固まりがひょっこりと出てきました。

 さらに咳をする度に痰の固まりが一緒に出てきて、その度に呼吸が楽になっていきました。

 やがて、さわやかなそよ風のようなものが躰をめぐるように感じられ、全身が軽やかになるにつれて、病気の症状もきれいに消えて行きました。

「実相」の完全円満なる『今』を無心に悦ぶことで、「実相」さながらの健康状態が肉体にも現れたのです。

 また、練成会の7日目か8日目には、ちょうど佐世保で、谷口清超先生ご指導の講習会があるとのことで、練成会の参加者全員が道場からバスに乗って会場に行き、終日受講させていただくことになりました。私は、もちろん一番前の席で聴講させていただきました。

 私の心の眼が開けたことで、私を取り巻く世界が次第に光りあふれるものへと変わっていくのを、そのときに感じていたことをよく覚えています。

参考文献

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コメント

はじめまして、突然のコメント失礼します。
現在私はある病気をかかえていまして、上の文章を大変興味深く読ませていただきました。
生長の家の病気治しについてですが、近年の精神医学を知れば賛同できる内容ですので、それなりに信用できる宗教だと思います。
ただ私の場合、生命の実相を読み込んでも、病気が治りませんでした。練成道場に行くべきか迷っております。
道場に行っても、谷口雅春さんは亡くなられてしまっていて、弟子のような人の指導で効果があるのか心配です。
病気が治った人は多いかもしれませんが、私に効果がなければ意味がないのです。
どうかご意見頂けませんか?

投稿: スガリ | 2007年7月28日 (土) 10時29分

 コメントをありがとうございました。7月末から、北海道で開催された青少年練成会に出講しておりまたので、返信が遅くなり大変に失礼いたしました。

 さて、「練成道場に行くべきかまよっている」「弟子のような人の指導で効果があるか心配」とのご質問ですね。

 すでに『生命の實相』をお読みになっているのでしたら、お気づきになっていいらっしゃることと思いますが、生長の家では「練成道場」や「指導者」が病気を治すのではありません。

 生長の家にきて病気が癒され、人生問題が解決するのは、人間の内にはじめのはじめから備わっている自性円満(そのままで完全円満である)なる「神の子」の命が目覚めるからなのです。講師や練成道場、あるいは『生命の實相』に説かれた教えは、そのための“お手伝い”をしているのです。

 また大切なことは、あなたの命(実相)は、宗教や生長の家を、知っている知っていないに関係なく、それらの教えに出会う前から「そのままで完全円満である」ということなのです。その自性円満なる命を感謝し、喜ぶことから、神癒(治癒)がはじまるのです。
(つまり病気とは、自分の実相を喜ぶことを忘れていたということかもしれませんね)

 ですから、練成道場での「効果」とは、あなたがどれだけ、自分の内にある完全円満なる命を素直に「ハイ!」と受け入れて喜んだかによるのです。
 
 主体者であり本尊となるものは、あくまでもあなたの内にある「いのち(実相)」であるということをお忘れにならないでいただければと思います。

投稿: ashikabi | 2007年8月 3日 (金) 17時32分

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