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2006年8月

2006年8月26日 (土)

「ぎっくり腰」顛末記②

 谷口雅春先生は、大宇宙には神の創化力が満ちているとお説き下さっているが、神様に全托してベッドで寝ていると、やがて一週間ほどで立って歩けるようになった。

 入院2日目に、折よく大部屋が空いたのでベッドを移していたものの、入院費用もかさむので、7日目に病院を退院して自宅での療養に切り替えた。

 入院中は携帯電話の使用やパソコンのネットへの接続が制限されていたが、退院後は携帯電話で事務所と今後の仕事の段取りについて遣り取りし、未読になっていたメールをチェックしているうちに、23日に予定されている『聖使命』新聞の責了日までの事務所での様子などが次第に明らかになってきた。

 意を決して18日に出勤することに決め、その旨をメールや電話で関係者に連絡した。

 その間、状況を知った方々からお見舞いの連絡をいただいていたが、いつも仕事で遣り取りしているブラジル伝道本部の方から、次のような心温まるメールをいただいた。

(前略)神様から“少し休養しなさい”というチャンスをいただいたと思って無理をせず、完治するまでゆっくり養生してください。光明化運動は永遠に続くのですから、あせらず、大切なお体を大事にしてください。

 これまで意識したことはなかったが、私は、講師としての諸活動をのぞいては、それまで事務所での業務を「仕事」だと考え、神様の人類光明化運動とは、無意識のうちに異なるものと捉えていたふしがあった。

 しかし、より大いなる視野からみれば、私も、私たちの仕事も、組織も、私の躰も、神さま以外のものなど、一つもなかったのだ。

 自分が、自分の能力と、自分の躰とをつかって、自分の仕事をしている、のではなくて―― 神様が、神様の能力と、神様の躰とをつかって、神様の仕事をしている。それが私たちの人類光明化運動であり、国際平和信仰運動であり、神の子人間の生活だったのだ――

 万全を期するため、決意した18日の出勤は見送り、その間は自宅でメール、ファクス、電話などで情報を収集して、無理のない範囲で新聞記事の執筆を進めることで、20日に事務所に出勤させていただいた。

 そして迎えた23日の責了日。

 新聞の責了作業や紙面への割り付けも、翌24日にまたがりながらも無事に終わり、それぞれが終電や夜行バスで自宅に帰宅することができた。

 形から見たら、毎月繰り返される責了作業に変わりはないが、最早その内実は単なる仕事ではなく、それはそのまま神様が、神様の能力と、神様の躰とをつかって、神様の仕事をしている、神の大いなる人類光明化運動そのものだったのである。

 しかしそれは、生長の家の仕事だけが、そのような姿をしていたのではなく、実は、全人類のいとなみの一切が、神様が、神様の無尽蔵の能力と、神様の無限の身躰とをつかって、神様の荘厳なる仕事をしている、神の大いなる活動そのものだったのである。

 私たちは「自分」ではなかったのである。そのままに、はじめのはじめから「神のいのち」だったことに気がつかなかっただけなのである。

「運命の主人公」と云い、「随所に主となる」とは、この人間の本来の相(すがた)を伝えていたのである。

 

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2006年8月25日 (金)

「ぎっくり腰」顛末記①

 8月5日の深夜のこと。便所に行ったあとで、床に落ちていた本を拾おうとして屈んだ折、腰のあたりがググググと妙な崩れ方をした。

 急に身動きできなくなり、脳裏には20数年前のぎっくり腰の経験が蘇っていた。が、とりあえず床に就き、仰向けになって休んだ。

 翌6日、午前4時半ごろ目が覚めた。トイレに行こうとしたところ、起きあがれない。這うこともできない。躰を動かすたびに腰に鈍い痛みが走った。

 ともかくも上腕を利用して少しずつ躰を移動して、時間をかけてなんとかトイレにたどり着いた。そしてトイレの手摺りにつかまりながら、静かに静かに便座に座った。

 ゴホンッと咳をした直後、猛烈な激痛が腰をおそった。気の遠くなるような激しい痛みが走り、身動きとれないまま家内を呼んだ。躰を抱えてもらい、痛さのあまり便座の前の床に横倒しに倒れたが、激痛が波のように周期的に襲い、その度に腰部の筋肉が、意志とは無関係にギュ~ッと硬直した。こんな経験は初めてだった。

 救急車がわが家に着いたのは午前5時。その間、いろいろな考えが脳裏をめぐった。これまでの自分の心境、こんなことになった要因、今後の仕事のこと、ご近所や周りの目、生長の家の講師としての面目、等々。

 そんななかで、一番確かだったものは、「これは偶然ではない」という感覚だった。

 そしてこの感覚は、現象的な意味での「善い」「悪い」という判断とはまったく別に成立しているものだった。そして激痛の渦中に居ながらも、何ものかの大いなる導きを、深くはっきりと感じていた。

 病院で診察を受け、入院することが決まったが、料金が倍ほど掛かる個室しか空いていないとのことで、帰宅しようと試みた。

 コルセットをきつくはめて、さらに松葉杖を両手でついてみたが、一歩も踏み出すことができず、しかたなく病院にお世話になることにした。レントゲンやMRI検査の結果、医師が下した診断は「椎間板ヘルニア」だった。

 まな板の鯉のような状態とはこのことで、動ける範囲はベッドで仰向けに寝るか、右か左に横臥するかに限られていた。寝たまま食事を摂り、排泄は溲瓶などを使わせていただくなかで、ある禅僧が友人に送ったとされる次の言葉を思い出していた。

 病むときは病み、死ぬときは死ぬことが最もよろしく候  頓首再拝。

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2006年8月22日 (火)

環境問題をめぐって(2)「三内丸山遺跡」

 1999年ごろ、青森市にある「三内丸山遺跡」を見学したことがあります。

 そこは今から4千年~5千5百年ほど前の縄文時代の集落跡で、1千5百年もの長期間にわたって定住生活が営まれていたということです。

 遺跡には、当時の暮らしぶりを再現するための巨大な柱や、建築物が建てられていましたが、縄文中期にこのような巨木文明が成り立っていたことに、ちょっとびっくりしてしまいました。

 さらに、ここに暮らしていた縄文時代の人たちは、植物の繊維を加工して作った衣服を着用し、彼らを取りまく豊かな自然環境を活用しながら、栗やクルミなどの食料を組織的に栽培していたということです。

 このほか、自然の中にあるサルナシや木イチゴなどを集めて発酵させることで、お酒まで造っていたそうです。

 そこでは、人間社会の規模に合わせて、組織的に作物を栽培しながら、大自然からも直接、樹木や果実を豊かに収穫していたようです。

 このように、自然から奪うことなく、自然環境と調和した形で、後の世代まで豊かで安定した生活ができるように配慮した生活を営むことで、1千5百年という長期に渡る定住生活が実現していたのです。

 皆さんは「世代間倫理」という言葉を耳にされたことがあるかと思いますが、これは「現在」の世代の幸福のみを見つめた価値観ではなく、時代を超えて、子々孫々の幸福にまで心の視野が及んでいなければ生まれない、とても高度な倫理観なのです。

 そのような生き方が、すでに5千年も前の人々に、明確な意図をもって生きられていたのです。そうでなければ、このような長期に及ぶ定住生活はとても実現できるものではなかったことでしょう。

 彼らにとって、「自然環境」とは、全ての生き物の命を育む「母なる命」であり、呼べば応えてくれる。そういう、身近な存在として捉えられていたのではないでしょうか。

 私たちの文明が、「自然」と遊離したところで成立しはじめたときから、自然と私たちとは母と子との、本来の関係を忘れてしまったのではないのでしょうか。

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2006年8月 1日 (火)

命の鳴り響く人生を

  愛知県の生長の家教化部(名古屋市中区大須)で、7月27日から30日にかけて開催された、夏季中学生・高校生練成会(3泊4日)に出講してきました。

 初日の夕食のとき、人生への希望を失ったようなSさん(高1)と出会いました。

 彼女には大勢のきょうだいがあり、お父さんの事業が失敗して巨額の借金を背負い、子供たちに被害を及ぼさないための配慮から両親が離婚。これに加え、すぐ上のお姉さんが昨年レイプされる事件などが重なり、彼女自身も高校にも通わず落第しているとのことでした。

 翌朝、彼女と40分ほどお話させていただき、自分を絶対に見限ってはいけないこと、人間は魂の奥底にある「願い」を実現するために生まれてきた神の子であることなどを、こんこんとお話させていただきました。

 3日目の晩、参加者全員が集まって行われた「祝福の時間」の折、誰も発表者のないときに、なんと彼女は自分から積極的に手を挙げて、大勢の前で立ち上がり、私に向かって感謝の言葉を発表したのです。

「えっ、あの子が・・・」と、皆びっくりしました。

  彼女の本来の姿は、しらずに自分で見限っていた、彼女の「願い」の内に、深く潜んでいたようです。
 
 帰り際、私は練成会に参加した中・高生お一人おひとりに、便せんにメッセージを書いて贈りました。
 彼女に渡したのは、次の言葉です。

「ちょっとのがまん」と「ちょっとの努力」

「死んだ気になれば、なんでもできる」

 命(いのち)の鳴りひびく  人生を ――

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