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2006年10月

2006年10月15日 (日)

観音妙智力のこと

「観世音菩薩は、あらゆる姿とあらわれて私たちに救いの説法を宣示し給うのである。山々のたたたずまい、雲の行きかい、風の韻き、水の流れ――ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。心に耳あるものは聴け、心に眼ある者は見よ」
   (谷口雅春著『真理の吟唱』「観世音菩薩を讃える祈り」より)


 私たちを取り巻くすべてのものは「観世音菩薩」の慈悲の説法なのである。そして、一番身近な「観世音菩薩」は、実は私たち自身。

 観世音菩薩は、宇宙に充ち満ちている尽十方無碍光如来の大慈悲の顕れであると教えられているが、私たちの身心そのものが尽十方無碍光如来の大慈悲が如実に顕現した相(すがた)なのである。

 私たちが見聞覚知すること、そのことが観音妙智力の働き。私たちが新陳代謝すること、そのことが観音妙智力の働き。私たちがこの世に生まれて、そして他界していくことが観音妙智力の働きなのである。

 私たちは、自分で生きているのではない、それは見聞覚知させていただき、新陳代謝させていただき、生まれさせていただき、生かさせていただき、死なさせていただいているのである。

 私たちは「自分」ではなく、「観音妙智力」が私となって顕現しているのである。私はそのままで観世音菩薩であり、観音妙智力であり、尽十方無碍光如来の化身なのである。

 私たちは、その霊妙なるいのちを見失ってはならない。天理教祖は、この消息について絶妙な言葉を残している。

「惜しい欲しい可愛いと、欲と傲慢これがホコリや」

「自分」が生きていると思えばこそ、惜しくなり、欲しくなり、可愛くなり、欲が生まれ、傲慢が生じ、霊妙なる実在が見えなくなる。

 そこを超える方法はただ一つ、自分の全身全霊が、はじめから観音妙智力の顕れであり、尽十方無碍光如来の化身であり、未だ一度も汚れたことも崩れたこともない、「実在」そのものの顕現であることを、ただただ悦ぶこと、ひたすら祝福すること。

 そして、神(佛)のみが唯一の実在であることを識ることである。


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