観音妙智力のこと
「観世音菩薩は、あらゆる姿とあらわれて私たちに救いの説法を宣示し給うのである。山々のたたたずまい、雲の行きかい、風の韻き、水の流れ――ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。心に耳あるものは聴け、心に眼ある者は見よ」
(谷口雅春著『真理の吟唱』「観世音菩薩を讃える祈り」より)
私たちを取り巻くすべてのものは「観世音菩薩」の慈悲の説法なのである。そして、一番身近な「観世音菩薩」は、実は私たち自身。
観世音菩薩は、宇宙に充ち満ちている尽十方無碍光如来の大慈悲の顕れであると教えられているが、私たちの身心そのものが尽十方無碍光如来の大慈悲が如実に顕現した相(すがた)なのである。
私たちが見聞覚知すること、そのことが観音妙智力の働き。私たちが新陳代謝すること、そのことが観音妙智力の働き。私たちがこの世に生まれて、そして他界していくことが観音妙智力の働きなのである。
私たちは、自分で生きているのではない、それは見聞覚知させていただき、新陳代謝させていただき、生まれさせていただき、生かさせていただき、死なさせていただいているのである。
私たちは「自分」ではなく、「観音妙智力」が私となって顕現しているのである。私はそのままで観世音菩薩であり、観音妙智力であり、尽十方無碍光如来の化身なのである。
私たちは、その霊妙なるいのちを見失ってはならない。天理教祖は、この消息について絶妙な言葉を残している。
「惜しい欲しい可愛いと、欲と傲慢これがホコリや」
「自分」が生きていると思えばこそ、惜しくなり、欲しくなり、可愛くなり、欲が生まれ、傲慢が生じ、霊妙なる実在が見えなくなる。
そこを超える方法はただ一つ、自分の全身全霊が、はじめから観音妙智力の顕れであり、尽十方無碍光如来の化身であり、未だ一度も汚れたことも崩れたこともない、「実在」そのものの顕現であることを、ただただ悦ぶこと、ひたすら祝福すること。
そして、神(佛)のみが唯一の実在であることを識ることである。
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コメント
久都間様
初めまして堀浩二と申します。グーグルで榎本先生のお名前で検索していたら、あなた様のブログに出会いました。
素晴らしいブログとその内容ですね。私は九年前に二ヶ月程、宇治で研修生をさせて頂いた事があるんですよ。その時、久都間様も本山にいらしたと記憶しております。
私は長年、青年会活動をやっていて、信仰に行き詰まってどうにもならなくなったのを榎本先生に救って頂きました。榎本先生は私の命の恩人であり、生涯、最高の師であります。
久都間様の御文章を拝読させて頂きますと榎本先生の薫陶をお受けになられた方とご拝察申し上げます。
私は生長の家の神髄を先生に授けて頂きました。それはそれまで私がこれが生長の家だととらえていた概念を遙かに超える次元のものでありました。私は現在は本当に悦びに満ちて、神奈川で相愛会の活動をさせて頂いております。
堀 浩二拝
投稿: 堀 浩二 | 2006年11月22日 (水) 09時04分
堀 浩二 様
お待ちしておりました。
堀さんのことは、榎本先生から話をうかがっています。
かつて先生と都内で食事をした折、来年上京したときには堀さんを交えて一緒に会食を、と語っていらっしゃったことがあります。が、機会が訪れないまま先生は神去(かむさ)られて行きました。
折をみて、先生の想いを実現させましょう。
投稿: 久都間 繁 | 2006年11月22日 (水) 14時29分
久都間様
私がコメントするのをお待ち頂いていたのですか。有り難うございます。
ところで、そうですか。榎本先生と久都間さんと私とで会食のお話があったのですか。何とも言葉がありません。
私は先生に受けたご恩が大きすぎてちょっと実感が湧かない程です。これは本当に現実だったのかと思う程に。
今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
堀 浩二拝
PS 私のブログをリンクして頂いて大変有り難うございました。私も貴兄のブログをリンクしたいのですが、お恥ずかしい話ですが、やり方がどう調べても分からないんです。
投稿: 堀 浩二 | 2006年11月22日 (水) 15時18分
堀浩二 様
ブログからのリンクについては、ココログ(ニフティ)のマニュアルが参考になるかもしれません。ココログの場合には、「マイリスト」の中にこの機能があります。参考になりますでしょうか。
http://support.cocolog-nifty.com/howto/2006/03/post_48ae_1.html
投稿: 久都間 繁 | 2006年11月22日 (水) 16時46分
久都間様
有り難うございます。頑張ってみます。
堀 浩二拝
投稿: 堀 浩二 | 2006年11月24日 (金) 09時44分