魂の「進歩」をめぐって
山崎さんから頂いたコメントへの返信が、やや長文になりましたので、こちらにアップすることにしました。
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>生物の進化もその時代、その時の環境の対応等によって勝ち得た神の御計らいだと思っていました。今でもそう思っている節はあります。
私もかつて、優勝劣敗の法則が支配しているかに見える現象世界の営みと、「大調和の神示」に説かれた世界との矛盾について思索していた時期があります。
生長の家では、「実相」(実在)と「現象」(非実在)という言葉を使用して唯神実相の哲学を説いていますが、「実相」という言葉が指し示しているものは、真に実在するものは“そのままで完全円満である(自性円満)”という善一元の世界観です。
その実相哲学から、生物の進化という広大な歴史現象を捉え直してみると、進化における“突然変異”とは、実相世界に在る無限内容が、環境や条件に応じて次々と時間・空間というスクリーン上に展開しているすがたと観ることができます。
いわゆる私たちが学校で学んだような、生命は「進化」することによって発達し、やがて(無限時間後の可能性として)完全な状態に至ると見るのは、生命を現象面からのみ捉えた考え方(一面観)に過ぎません。私が先の文章で否定したのは、世の通念となっているこのような意味での「進化」のことです。
つまり生物の進化は、現象面からは、貴方が感じたように「その時の環境の対応等によって勝ち得た神の御計らい」と見ることもできますが、実相の視点から観れば、一切の生物は「これから進化して完全円満になる」のではなく、神の世界に既にある(完全円満なる)無限内容が、現象世界の時間・空間を通して表現されつつある――
つまり唯一絶対の神の生命(光り)が、全宇宙的に同時展開している。そう観るのが、「無明縁起説」を脱却した、生長の家の「光明縁起説」から観た世界観です。
また、現象世界という時間・空間というスクリーン上に映し出された世界は、神と対抗できるような厳然と存在する世界ではありません。
私たちの心に従って、敵が在る、と観れば敵が現れ(偽象)、現象なし! 実相独在、と観れば大調和の世界(真象)が現れるのです。
偽象、真象ともに、現れたものは“実在そのもの”ではありません。
実在するものは、完全円満なる(光明一元・善一元の)神のみなのです。
>“もっと彼らの子としてちゃんと生きたい”“神の子を完全に表現する=両親に対する最大最高の親孝行”という方程式を完成させたいという気持ちが沸々と出てきます。またその図式は一体どのようなものであるのか考えたりもします。
>そのような本物の神の子が、その父母に感謝するとは一体どういうことなのでしょうか?
>一つ言えることは“今、このままで善い”ということは無いと思います。
貴方が明るく楽しく伸び伸びと生きていることが、最大の親孝行ではないでしょうか。
神の子の“そのまま”とは、現象面に映し出された“そのまま”ということではありません。
神の子は「神」ですから、そのまま内に無限内容を蔵しているのです。私たちの“本質”である無尽蔵の宝(智慧・愛・生命)は、そのままで最高に尊いのです。が、さらにそれを豊かに実現させることこそが私たちがこの世に生まれてきた目的であり、その“本質”を表現できたときに限りない悦びを感じるのです。
生長の家は、現象の暗黒面(自分や他者の不完全)を認めて相手にするところではありません。
「真象」の現れである光明面のみを観て、それを讃え、悦び感謝して生きる。三界唯心の所現によって、さらにその悦びが喜びを呼び、光りが、さらに光りを増幅してこの世に光りあふれる地上天国が現れるのです。それが、生長の家が進めている「日時計主義」の生き方なのです。
久都間 繁
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コメント
合掌、ありがとうございます。
深遠で深切なご返信ありがとうございました。
生物の進化過程とは、ある瞬間、ある現象に対して生物の内に秘められた生命の一種の爆発作用が“進化”や“変化”として現れる現象だと思います。
もっともっと、より無限に神を表現したいという善なる切望が具象化した状態だと思います。
吾々もそのような道程をこの現象界に、せっかくの生かされている生命を歩み活かしたいところです。
親孝行は、やはり今の自分の本分を全うし、自由に伸び伸びと輝き楽しく幸せに生きていく事だと私も思います。
世の中の通念に、親孝行というものが両親に何かを与えたり、したりと、恩返しを何かの形にしなければ価値が無く、意味を成さないものだという考えに偏っている傾向も多々見受けられます。
事実、私もそういう想いにしばしば掻き立てられます。
実相と現象の明らかな峻別、否、神想観を深く深く実修し、神に自己の全てを投げ入れていくことにより心が調い、全てが大調和していき、気が付くと付かないとに関わらず、実相世界だけが存在し、ただただそこに超入していきます。
そうした境地に既に達している私が“さらなる無限”の高みの境地へと向う切なる真剣な姿勢を、心から感謝し、愛して止まない両親に観てもらいたいです。
ありがとうございました。
投稿: 山崎 | 2008年6月30日 (月) 03時41分
山崎さんの、ご両親に感謝したい、親孝行したい、という“想い”や“コトバ”そのものの中に、神様のいのちが鳴り響いていることを感じます。
最近、神想観をしたり講話をさせていただいていると、現象世界の万物が、実相世界が光りとして音楽的に展開している相(すがた)なのではないかと思えてきました。
投稿: 久都間 繁 | 2008年7月 1日 (火) 13時55分