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2008年7月18日 (金)

智慧身、光明身

 最近、毎朝の神想観の後で、『続 真理の吟唱』の何編かを声高らかに朗唱している。

自己の全身が肉身に非ず、物質身にあらずして“智慧身”であり、“光明身”であり、“普賢の智慧”がわがものであることを観ずるのである。                                         (『続 真理の吟唱』、244ページ)

 この智慧身、光明身、普賢の智慧を吾がものとする秘訣は、先ず「悦ぶ」ことである。

“智慧身”であることを悦び、“光明身”であることを悦び、“普賢の智慧”であることを底抜けに悦んだとき、“智慧身”なる実相が輝き、“光明身”なる実相が輝き、“普賢の智慧”なる実相が輝くのである。

 実相を観ずるとは、即ち「実相を悦ぶ」ことに他ならないのである。

 以前、誌友の方から、「実相が分からないのです」という質問をいただいたことがあったが、そのとき私は、「実相は“悦ぶ”ことでしか分からないのです」とお応えしたことがあった。

 私の恩師だった故榎本恵吾先生は、「先ず光りだ!」ということを、私が宇治の研修生だった二十数年前、よく語ってくださっていた。

 それは、現象がどんなにぐちゃぐちゃになって、整うどころかますます混乱して行くような状況のときでも、そのような現象そのままに、先ず「神の子」であり、先ず「光り」である實相をハッキリ認め、その事実を、つまりそのままで光りであり完全円満である實相を悦びましょう! ということだったのである。

 實相と現象とが、まだよく区別することが出来なかった当時の私は、このアドバイスの言葉によって、どれほど地獄のような悪循環(心の迷路)から、光明の世界へと導かれたことだろう。

 演壇へと向かわせていただく度に、いつもこのことを思い出すのである。

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