神想観は歓喜の行③(シコク嫁さまへ)
>> ああ、そうだ。
主人も宮本先生も、参加者のみなさまも、みんなみんな神だった。 在るものは神のみだった。
>>不都合など無かった。
デイケアでお年寄りと居るから、義父がすぐに主人の世話を焼くから、私に仕事があるから、出講で出かけるから・・・と等々、私は、そういうこと全てを主人が立ち上がれない理由にしていたんだ。(ブログ「いろどりひかる☆」より)
宇治本山で総務をされていた藤原敏之先生は、「困ったことがなくなるのが生長の家じゃ」と、よくおっしゃっていました。
唯神実相の信仰は、天地一切の人やものや事を「在るものは神のみだ」と、その背後に実在する実相のみを観て「ありがたい!」と拝む、究極の日時計主義の生活です。
このような信仰生活は、合理主義的な常識の物差しで計ることができないので、神想観を生活の中心に置かない限りは、なかなか信じられない方もいることでしょう。
しかし神は、現象の原因結果の法則に左右されることなく、“無原因”に存在している「久遠の実在」であり、これを把握するためには、「現象無し!」の一転語によって、現在立っている現象の大地を去って、実相の天地へと飛躍する必要があるのです。
たとえば「うれしい、楽しい、ありがたい」という言葉も、この神一元、善一元、光明一元の実相世界を直示したものであり、現象という「影の世界」を良くしようとするための自己暗示の言葉などではないのです。
実相覚から観れば、「うれしい」も“実在”であり、「楽しい」も“実相”であり、「ありがたい」も“神そのもの”なのです。これらの言葉を心で唱えることは、実相世界そのものが鳴り響くことでもあります。
また、その結果として自ずから現象世界が調ってくる、これが「三界唯心所現」の横の真理であって、第一義とすべきなのは、現象を見て「この問題をなんとかしてやろう」と現象をこねくりまわす前に、先ず「うれしい、楽しい、ありがたい」と、実相を観てよろこぶことにあるのです。
――シコク嫁さまがブログで素晴らしいご心境を語られていたので、それに感激して感想を書かせていただきました。
久都間 繁
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コメント
合掌ありがとうございます。
まぁ〜こんなに丁寧にメッセージ(と勝手に思っています)をくださって、感激しております。
御文章、心に沁み入ります。感謝でいっぱいです。
主人が練成会でみなさまに多大なお世話をかけたということで「これはイカン!なんとかしなくちゃ!」と思い、主人にも「なんとかしてよ!」と思っていたのであります。自分の力で「なんとかしなくちゃ」なんて思っても出来るわけが無いし、神様と離れているから苦しいばっかりなのでした。当たり前ですよね。
で、三正行に励まねば!と思っていた矢先の
>>人間とは、はじめのはじめから大悟(神・仏・無原罪)そのものだ! というのが「唯神実相」の教えです。
その神であり、仏であることを喜ぶのが神想観なのです。神想観をしてから悟るのではありません。。。とのお言葉、「そうか!」と気付いた途端に目の前が、ぱぁっと明るくなりました。この感じは久々でございました。(これもブログの記事にしようっと、とほくそ笑んでいます)
今は神の懐に抱かれて大安心の心地です。もちろん、何もしないのではなく、私たちに出来る最大の努力をいたします。
しかし、それも「我」でするのではなく、神様が引き出してくださる、また彼の内なる神が現れるのだ、と実感できます。ホントにありがたい記事でございました。心から感謝申し上げます。
ちなみに、私が一番最初に読んだ生長の家の御本は藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」でした。先生の御本は全て、保存用と貸し出し用、自分の読書用と3冊ずつ揃えてあります(皆からびっくりされます)。
これからも日参させていただきますね。ありがとうございました。
投稿: シコク嫁 | 2008年9月18日 (木) 20時07分
シコク嫁さま
コメントをありがとうございました。
>>ちなみに、私が一番最初に読んだ生長の家の御本は藤原敏之先生の「あなたは必ず救われる」でした。
私は宇治本山にいたときに、藤原敏之先生、小嶋博先生、榎本恵吾先生らを通して、「唯神実相」を観る視点を伝えていただき、人生観が根底から変化して、救われました。
故人となった恩師たちは神様の使いでした。
私も道を求める人たちのお役に立つべく、さまざまな形でご恩を返していきたいと考えています。
>>これからも日参させていただきますね。ありがとうございました。
気が向いたときにしか更新しない、ずぼらなブログなので、訪問は週一回くらいでちょうどいいと思います(^^;
投稿: 久都間 繁 | 2008年9月19日 (金) 21時03分