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2008年10月30日 (木)

谷口清超先生ご逝去

 生長の家総裁、谷口清超先生ご逝去。享年89歳。

 

 徹夜で出版・広報部の皆で作成した『聖使命』新聞の号外が、先ほど事務所に納品された。
 紙面の一面に掲載された、在りし日の谷口清超先生のお写真は、穏やかに優しく微笑んでいる。
 その笑顔を静かに見つめていると、いろいろなことが思い出される。

 

 初めて先生のご講話を拝聴させていただいたのは、昭和55年の初夏だった。青年会に入ったばかりの私は、いきなり先輩たちに、東京・九段会館で開催された「全国単位青年会委員長会議」に連れて行かれた。
 当時の先生は、青年会総裁として真っ白なスーツに身を包んで、たしか行事の後半に会場にお越しになられて結語を話され、最後に皆に手を振りながら会場の通路を颯爽と通って帰って行かれた。
 初夏の爽やかな風のようだった。
 
 次に聴講させていただいたのは、当時住んでいた静岡教区の講習会だった。会場が満席になったので、それまで誘導などの奉仕をしていた青年会のメンバーは順番に壇上に上って坐らせていただいた。
 その時、普段は正坐などしたこともないと思われる活動家で小太りの先輩が、一番前で、神妙な面もちで腕を組んで正坐して聴講し始めたその姿の中に、師に対する弟子としての姿勢のようなものが、しんと響いていた。共鳴した私は、痛さをこらえてガマンして一所懸命に正坐してみたものの、痛くて講話どころではなかったことだけを覚えている。

 

 その後も全国大会、講習会、宇治の特別練成会などで、幾度となくご講話を拝聴させていただいた。
 聴講を重ね、他の参加者と共にご指導を頂き、神想観を深めさせていただくうちに、いつの間にか総裁先生は、私のなかでまるで空気のようなご存在になられていた。

 

 それは、神が至る所に遍満していることと同じ感覚だった。

 

 総裁先生は、現世(うつしよ)から神去りましたが、その大慈悲は、いよいよ自由自在なお姿で、「生長の家大神――総裁・副総裁――み教え」のお言葉の通りに、顕幽を超えた世界から無尽蔵に降り注がれることであろう。


  久都間 繁

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コメント

久都間 繁先生へ
合掌ありがとうございます。
初めまして。清超先生のご逝去を、私は10/29の朝礼で聞きました。びっくりして信じられませんでした。
 その後、雅宣先生のブログを拝見し、徹夜で出版・広報部の先生方が作成して下さった『聖使命』新聞の号外を組織会員用ウェブサイトから拝見し、やっと「あぁ本当に清超先生はご逝去されたんだなぁ」と少し清超先生のご逝去を受け止められたような気がしました。
 現在、私は養心女子学園という最高に恵まれた環境で、生長の家の真理を学んでいます。
 もう清超先生の優しい穏やかなお顔を拝見できないのかと思うと、寂しいです。
これからは、清超先生に感謝の気持ちを込めて日々「聖経甘露の法雨」を読誦し、養心で学びを深めより多くの人達の幸せに貢献できるように魂の向上に努めます。
 長々と書いてしまい申し訳ありませんでした。
kokoro拝

投稿: kokoro | 2008年11月 2日 (日) 19時32分

kokoroさま
 コメントをありがとうございました。
養心女子学園で学んでいらっしゃるのですね。
実は、私の家内も養心の出身です。といっても20年以上も昔、学園が広島県にあったころのことですが(^^;
 谷口清超先生のご逝去は、現象的に見れば悲しいことかもしれませんが、総裁先生も私たちも、久遠生き通しの神の子の生命なのです。
 ですから、私たちがいよいよ、悠々と、明るく楽しく「今」を生きることを、総裁先生が望んでいらっしゃるのではないかと思いますので、kokoroさまも明るく元気いっぱいに日々の学業と信仰生活に励んでくださいね!

投稿: ashikabi | 2008年11月 4日 (火) 10時13分

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