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2008年12月24日 (水)

すでに与えている

 人間は、そのままで無限に「与えている」存在なのである。

 

 神の子となるのは、これから「与えて」からではないのである。すでに無限に「与えている」ことに気がついたとき、人間・神の子の自覚がよみがえるのである。

 

 これから「与えて」から救われるのではなく、すでに初めから無限に与えている實相〈ほんとうのすがた〉に気がつくことが、即ち神の子を自覚することである。そのことが分かれば分かるほど、それを伝えずにはいられなくなるのである。
 なぜなら、全ての人類が、天地の万物が、生きとし生けるものが、はじめのはじめからそのような存在であることが分かるからである。この消息を釈迦は、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」と云っているのである。

 

 聖経『真理の吟唱』には、「私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。それは神から来たれる光である」と表現されている。
 すでに實相において、神において、そのままで、無限に与えている存在であるにもかかわらず、現象を見て、「まだまだ与えていない」と云い、だから「まだ救われない」と云うような、神との“商取引”のような〈救い〉を考えていたのでは、神の子の無限力が登場する機会を失い、自性円満の自覚も悦びも、その影をひそめてしまうのである。

 

 神は太陽のような、与えきりの〈無条件〉の愛である。その〈無条件の愛〉を今ここに生かさせていただくためには、私たちも無条件に“ハイ!”と、その愛を悦んで受けなければならないのである。

 

 私たちは、「与えなければ救われない」というような方便的な解釈を卒業して、さらなる奥殿へ、神の子・人間を説く生長の家の奥殿へと進まなければならなのである。
 私たちは、すでに神の子であり、すでに完全円満であるが故に、自覚するとしないとにかかわらず、實相においては無尽蔵の光明を放っているのである! その實相を観て「悦ぶ」ことで、それが現象界にも無尽蔵に展開するのである。それが三界唯心所現の法則であり、生長の家の光明の生活法である。

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