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2009年2月14日 (土)

イエスについて

  新約聖書には、イエスが行ったさまざまな奇蹟が記録されている。死んで数日経ったラザロを蘇らせ、目しいの眼を開き、足萎えを立ち上がらせ、悪鬼を追い出すなど、常人には成しえないような奇蹟を行ったことが紹介されている。

 

 しかし、現象的に見れば、やがてイエスは十字架上に磔になって殺され、生還したラザロも、目の癒された人も、足が癒えた人も、悪鬼から救われた人も、みんな間違いなく死を迎えているのである。

 

 聖書に記されていることの本当の値打ちのあるところは、死人が蘇った奇蹟でも、不具や病気が癒された奇蹟でもないのである。イエスが神のみを信じて、その神の御意(みこころ)を生きたところにこそあるのだ。

 

 神のみを信じて生きた結果として、ラザロが蘇り、目しいの眼が開き、足萎えが立ち上がり、悪鬼が消えたのである。

 

 現象のイエスは、ラザロの死を見ては嘆き、磔(はりつけ)になる前には「願わくはこの苦き杯をわれより取り去り給え」と神に哀願しているのであるが、そこがありのままに記述されているところが聖書の素晴らしいところである。

 

 イエスは、私たちと同じ悩み苦しみを抱きながらも、最終的には一切の問題を神のみに委ねているのであるが、そこから、この物語の「聖」なる輝きが生じているのである。

 

 イエスの復活とは、二千年前に生じた一回限りの事件ではない。キリストは、私たちの内に、はじめから(生まれる以前から)活在しているのだ。

 

 内なるイエス・キリストと出会ったとき、今・ここから「聖」なる物語が始まるのである。

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コメント

合掌、ありがとうございます。


昨日は僅かながら先生の聖典講義を受けさせて頂き、またその後も色々とお話が出来て大変嬉しかったですhappy01


イエスも自分たちと同じく苦悩・葛藤しながら、最後には自己の内在に天国を見出され、釈迦も人間の生老病死に煩悶され苦行・難行を実践されましたが、最後には森羅万象全てが美しいと観じてお悟りになり、その各々に仏性を見出されました。


私たちは何か面白くないことがあると、愚かな行為や言動に走ってしまいがちです。しかし自分の心にそのような雲を覆ってもその更なる高みには、この世の言葉では何とも表現する事が出来ない“青空”というものが、はじめのはじめから、終わりなく間断なく広がり続けています。
だからこそ、今このままで自分は実相円満完全なんだと素直に喜ぶことができるのです。


現代社会は「心の時代」と叫ばれて久しくないですが、日本がかつて猪突猛進に物質的豊かさを求めた高度経済成長期にも当時の会社人間・企業戦士とよばれる方々は禅寺などへ赴き、心の修養を率先してしました。しかしながら経済的には円熟期を迎えた現代日本には霊的・心的にネクストレベルに移行すべきであるのに、まだそのままで足踏み状態です。心の時代といわれているのに、そのベクトルは正に逆行しています。


そのような世相であるからこそ、真の哲学・宗教がさらに求められると思います。
すなわち常に神とコミュニケーションを取る事がかつて無いほど重要になってくるでしょう。
神との対話をする為には、生長の家では神想観を実践します。

「聖」なる物語は既に始まっています。ページをめくっている事に気付く為にも常に求道していきたいです。章が進むにつれて新たな発見や展開を楽しみながら読み続けていきたいですnote


ありがとうございました。

山崎拝

投稿: 山崎 | 2009年2月15日 (日) 20時14分

 山崎さん

 この前は、ゆっくりお話できましたね。
 大学の試験もすべて終了して、就職先も決まり、後は卒業を待つばかり、そんな今が、人生でなかなか訪れることのない、自由でいろいろな実験のできる時期だと思います。
 この前お話したように、荒唐無稽とも思えること、常識から見て無駄としか思えないこと、ぜひ挑戦してみてくださいね。

投稿: 久都間 繁 | 2009年2月18日 (水) 17時08分

先生、お久しぶりです。函館の奥田です。web版日時計日記、ありがとうございました。僕のために祈ってくださっているとのこと、ありがとうございます。
 先生は今、函館教区の教化部長の井下先生とお知り合いで親しいそうですね。井下先生と先生のお話をしました。
 それから先生にやめるようにすすめられたゲームですが、やめています。2回、ゲームの好きな友達が遊びに来たと時と、中古で買ったコントローラが正常に動くか試したときだけちょっとやりました。あとはやっていません。先生にすすめられてゲームをやめたことを話すと、井下先生は「素晴らしい」と褒めてくださいました。青年会の方々も褒めてくださいました。
 でも実はまたゲームやろうかと迷っていました。
 それからゲームについてですが、ご参考にしていただきたいことがあります。
 ゲームには先生がご指摘した、制限時間以内に一人で大勢の怪物を殺していくゲームがあるのは事実です。僕も先生の意見に賛成です。ただゲームには友達同士で対戦できる野球やサッカー、車のレースゲームなどもあります。ゲームといってもいろいろあります。でも「歓楽を愛せず神を愛せよ」という言葉もありますし、先生のおっしゃるとうり、僕は光明実践委員ですからやめています。最近、グラついていました。
 日時計日記のご指摘ありがとうございました。
 何かご指摘があればお願いします。この投稿が先生の参考になれば幸いです。ゲームセンターには4人でできるマージャンのゲームもありますよ。奥田 拝

投稿: 奥田健介 | 2009年2月21日 (土) 17時39分

 奥田さん

「歓楽を愛せず神を愛せよ」の言葉は、より善い人生を歩むための大切な道標となります。

 生長の家の教えを信仰されるのであれば、「神の子」に相応(ふさわ)しい“生き方”をしていただきたいものです。

 ときにゲームなどの遊びに興じるのも、日々一所懸命に仕事や勉強に励んだ折の“息抜き”としてはいいかもしれません。

 しかしながら、ゲームに興じて人生の大切な時間をむやみに費やしてしまうようでは本末転倒となります。なぜなら、人間はゲームなどをやるために生まれて来たのではないからです。

 第一義のものを第一に、という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、第一のものとは「神」であり「仏」ということです。それはとりもなおさず、貴方の実相(本質)が「神」であり「仏」であることに由来しているのです。

 せっかく「人間・神の子」という唯神実相の教えを頂いているのですから、ぜひ神の子・仏子にふさわしい生き方をして、日々うまずたゆまず智慧・愛・生命を開顕し、そこから生まれた大きな慈・悲・喜・捨を周囲に降り注ぐような人生を送っていただきたいと思います。

 それが光明生活を実践する「光明実践委員」としての生き方ではないでしょうか。

投稿: 久都間 繁 | 2009年2月21日 (土) 18時58分

ありがとうございました。

投稿: 奥田健介 | 2009年2月21日 (土) 20時11分

ありがとうございます。奥田です。少し補足します。前にゲームをやっていた頃もせいぜい時間は長くても30分でした。僕の書き方が適当でなく、先生にまるで一日中ゲームばかりしているように思わせてしまったのだと思います。それはすみませんでした。僕は聖典や普及誌を読むのが好きでよく読んでいます。また夜は父がドラマや映画、ニュース番組を見ているときなるべく一緒に見て家庭の団欒を大切にしています。仕事は本当にお手伝い程度なのですが父が自営業なので手伝っています。あと僕は毎日3度の食事後の皿洗いの当番です。聖経もあげるようにしています。神想観もしています。あと聖典などを読んだあと書かれたことについてじっくり考えることもあります。

投稿: 奥田健介 | 2009年2月22日 (日) 06時59分

 どうぞ第一義のことを大切にして、光明生活を実践していってください。

 あと奥田さんから頂いた、これまでのコメントを読んでいて感じたことでアドバイスさせていただくとすれば、人生計画を立てることをお勧めします。

 半年後の自分、一年後、三年後、五年後、十年後、それぞれの段階で、奥田さんがどのような(貴方が理想とする)人間になっていて、どのように社会に貢献させていただいているか、神の子の真価値を着実に人生に実現して、あなたの「夢」や「理想」を現実のものとするための計画を立ててみてはどうでしょうか。

 また、その目的や夢を実現するために、今なにをしなければならないのか、この半年間で、この一年間で、どのような事を学び、どのようなことに力を注いで実践しなければならないのか――。
 そのようなことを知るためにも、半年後から十年後までの具体的なビジョンを、紙かノートに書き出してみることをお勧めします。

投稿: 久都間 繁 | 2009年2月22日 (日) 10時25分

先生アドバイスどうもありがとうございました!

投稿: 奥田健介 | 2009年2月22日 (日) 12時44分

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