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2009年3月 8日 (日)

自分を拝むことについて(二)

 愛さん

 

 ご質問、ありがとうございました。
 

 

>> 一年間、学校に通い、4月から2年生になりますが、この期に及んで、「わたしはこの学校に来てはいけなった」「わたしの居場所ない」と思ってしまっています。毎日、自信も明るさも、喜びもない生活です。早くここから脱したいです。こんなに苦しい思いをしなければならないほど、わたしは悪業を積んできたのでしょうか?

 

 

 これは大切なことですが、それは「悪業」とは関係ありません。むしろ、貴方の魂が素晴らしいが故に、そのような苦悩と思えるようなことをご経験になっているのかもしれませんね。
 
 大学や専門学校などに通うということは、ご両親が大きな経済的負担を負わなければ実現できないことと思います。
 学校に行くことが苦しいのなら、大学は義務教育ではないのだから無理して行く必要はありませんし、また、勉強を本当にしたくなったときに、改めて学び直すこともできます。

 

 かく言う私自身は、大学に行ったのは社会人になってからです。専門的な分野の研究を本気でしたくなったので、働きながら稼いだお金で学費を払って卒業したのですが、そのころの私は学ぶ理由がはっきりしていたので、(しかも自腹で行ったので(^^;)学校の授業の1分1秒がとても貴重で尊いものに感じました。
 
  また、貴方が本気でやりたい仕事をすでに見出しているのであれば、まっすぐにそこに向かって歩み出してもいいと思います。

 

 しかしまだ、具体的に進みたい進路が定まっていないのであれば、貴方自身が興味をいだいている分野を、在学中に徹底的に掘り下げてみるのもいいでしょう。

 

 また学園生活で、外の世界に興味が湧いてこないということは、実は読書体験を深めて魂を深く耕すのにもってこいの時期でもあるのです。
 トルストイ、シェィクスピア、ディケンズ、ゲーテ、ヘルマン・ヘッセ、夏目漱石、森鴎外、生命の實相全集など、珠玉のような物語の世界があなたを待ち受けています。また、これらの作品に出会うことで、あなたの人生がどれほどいろどり豊かなものへと成熟されることか、とても楽しみなことです。

 

 また、そのようにして、内面の世界を深めているうちに、勉強や学校に対しての考え方も、大きく変わってくるかもしれませんね。

 

 いずれにしても、あなたは完全円満なる神のいのちそのものなのですから、どの道に進もうとも、全てが善き経験となることでしょう。

 

 

 久都間 繁

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コメント

久都間先生へ
ご回答いただきありがとうございます。

>いずれにしても、あなたは完全円満なる神のいのちそのものなのですから、どの道に進もうとも、全てが善き経験となることでしょう。

↑先生の実相直視のご回答に本当に救われます。
私は、どれほど神の子の自覚や「行」が足りないんだろうと反省しています。
これから少しずつ、「今」できることを頑張っていこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 愛 | 2009年3月 9日 (月) 13時02分

 愛さん

>>私は、どれほど神の子の自覚や「行」が足りないんだろうと反省しています。

 足りないのではないのです。
 すでに神が遍満している(満ち足りている)ことに、気が付くだけでいいのです。

 あとは、それ(神・仏)を喜ぶことです。悦ぶことが神想観の〈中身〉です。

 その「今」を、悦びましょう!

投稿: 久都間 繁 | 2009年3月10日 (火) 13時05分

ありがとうございます。函館の奥田です。いつも先生のこのサイトよく拝見して学んでいます。

また質問してもよろしいでしょうか?

僕は先生に怒られるのが怖いです。また怒られるかもしれません。ちなみにゲームは一切やっていません。

まず僕は車の免許を取れれば取りたいのです。前に一度挑戦しましたが最初の実技で駄目でした。せっかく約1年スーパーでパートして予算50万貯めて挑戦したのにがっかりしました。車のスピード40キロ出しても怖かったです。僕は運動神経鈍いのです。

人生計画ですが、僕は就職どこ受けても駄目で、父が車を使う仕事で自営業(酒食料品卸売業)で父の仕事を継げないかなと思っています。僕は高卒、父は大卒です。父は運動神経がよく中学のとき野球部でピッチャーをやってたほどです。僕は運動部はついていく根性も体力もありませんでした。

車の免許を取ったら仕事と光明化運動に役立てたいです。今、予算は貯金が前と同じくらいあります。また挑戦すべきでしょうか?父の仕事を継ぐには車の免許が必須です。そんなの自分で決めることでしょうか?

これを読んでまた気にさわったらごめんなさい。

もうひとつ質問があります。僕には精神病の友人が10人以上もいます。僕は生長の家で精神病がよくなりました。これらの友人に「生長の家に来れば絶対にどんな病気でも絶対によくなります。治ります」と言う宇野はまずいでしょうか。また「生長の家にくればどんなに仕事のみつからない人でも必ずいい仕事みつかりますよ」というのはまずいでしょうか?それとも自信をもって断言していいでしょうか?

怒られたらすみません。未熟です。アドバイスお願いします。ちなみに宇治の研修生の時の夢は飛田給の総務になることでした。

投稿: 奥田 健介 | 2009年3月16日 (月) 14時20分

>>僕は先生に怒られるのが怖いです。また怒られるかもしれません。ちなみにゲームは一切やっていません。


 私は怒っているつもりはないのですが…(^^;
 さて、


>>車の免許を取ったら仕事と光明化運動に役立てたいです。今、予算は貯金が前と同じくらいあります。また挑戦すべきでしょうか?父の仕事を継ぐには車の免許が必須です。そんなの自分で決めることでしょうか?


 そうですね、このようなことはご自身で判断した方がよろしいと思います。
 自分の人生の進路を熟慮して決定するということも、私たちがこの世(現象世界)で学ばせていただく素晴らしい課題であり向上の機会でもあるのです。
 貴方はもう30代後半なのですから、ご自分の人生の進路について、いつまでも他人に判断を仰いでいるわけにもいかないことは充分ご承知のことでしょう。

 もっともっと内なる神に祈り、いのち〈神〉からいのち〈神〉に直接問いかけてみてください。このようなことのためにこそ神想観を納得いくまで実修してください。


>>友人に「生長の家に来れば絶対にどんな病気でも絶対によくなります。治ります」と言うのはまずいでしょうか。また「生長の家にくればどんなに仕事のみつからない人でも必ずいい仕事みつかりますよ」というのはまずいでしょうか?それとも自信をもって断言していいでしょうか?


 奥田さんが(病気が治る、仕事が見つかる)ことを本当に純粋に信じていて、「私が全責任を負って神と共に彼を導きます」という深い信仰上の覚悟があるのであれば、そのようにされたらよろしいと思います。
 しかし、もし自分で責任の持てないような言葉を語るのであれば、〈それを語れば相手を騙して自他を迷わすことになりますから〉語ってはならないと思います。

 その人を生長の家に、いま無理に導かなくても、彼の幸せを祈りながら時間をかけてお導きすることも一つの方法です。貴方の“出来る範囲”で、報いを求めずに愛を行ずることも大切なことだと思います。

投稿: 久都間 繁 | 2009年3月16日 (月) 17時50分

ありがとうございます。またまた質問があります。雅春先生の本によくエーテルが出てきます。でも雅宣先生が昔、何かの御文章か御講演で「現代の科学ではエーテルの存在は完全に否定されています。」とおっしゃってビックリした記憶があるのですが、僕の記憶違いでしょうか?それともその通りで、現在の科学ではエーテルの存在は完全に否定されているでしょうか?もし、ご存知でしたら教えてください。
 もうひとつ訊いてもいいでしょうか?僕は催眠術に興味があります。いくらかかるか知りませんが催眠術をかけてもらい。「あなたは神の子ですよ」なんて潜在意識に吹き込んでもらったらどうなるか試してみたいです。これは非常に危険でしょうか?危ないからやめた方がいいでしょうか?催眠術の本を買って自分で自分に催眠術をかけてやってもみたいです。
 ぜひアドバイスお願いします。ただ自分が催眠術にかかりやすいかどうかはやったことないのでわかりません。雅春先生は催眠術ではなく文章の力で劣等感、罪悪意識等を取り去ることをお考えになられたことは存じていますが。
 それで書かれたのが「生命の実相」ですよね。
 ではお返事お待ちしています。

投稿: 奥田 健介 | 2009年3月19日 (木) 11時10分

>>現在の科学ではエーテルの存在は完全に否定されているでしょうか?もし、ご存知でしたら教えてください。

 
『生命の實相』頭注版に、これについての注釈が掲載されていますので自分で紐解いてご確認ください。
 また、エーテルについてさらに深く調査したいのであれば、こちらに詳しい解説がありますのでご確認ください。


>>雅春先生は催眠術ではなく文章の力で劣等感、罪悪意識等を取り去ることをお考えになられたことは存じていますが。それで書かれたのが「生命の実相」ですよね。


 その通りです。そのことを体感するためにも、繰り返しお読みいただければと思います。また、聖典に書かれていることの意味を正確に理解するためには、そのご文章をノートに筆録することも、深く学ぶための一つの方法です。(私はこの方法によって深く導かれました)

 何よりも貴方が「人間・神の子、無限力」に目覚めることが大切です。
 催眠術などのような眠っているのか覚めているのか分からないようなことをやっていたのでは、何千年実施してみたところで、このハッキリした(神性・仏性の)自覚に至ることはできません。

投稿: 久都間 繁 | 2009年3月20日 (金) 08時56分

ありがとうございます。生長の家公式サイトに雅宣先生は清超先生の次男だと書いてありました。長男じゃなんですか?ご存知でしたら教えてください。よろしくお願いします。奥田

投稿: 奥田 健介 | 2009年3月25日 (水) 17時54分

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