友人への手紙〈2009.4.22〉
これは友人からの質問に答えた手紙です。
支障のない範囲で転載します。
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合掌、返信をありがとうございました。
本当にあなたが道を求めているのであれば、まず周りの人たちに貴方から心開いて、皆のお役に立つこと、身近な人が喜ぶことを、毎日ひとつでいいからやってみましょう。
本当は、自分も他人も無いのです。
すべてひとつの、神のいのちです。
そこを体感してカラッポになって、一所懸命に生きることが、「救われる」ということです。
生長の家では、親切のことを「深切」と書きます。
それは、自分や他人といった「現象」を、深く切る、ということです。
無いものを、無い! として、そこに飛び込むことです。
それが百尺竿頭を進一歩することであり、そこからいのちの世界への扉が開くのです。
だから、今から、身近な人が悦ぶことを、周りの人が楽になることを、させていただきましょう。
そこから天国が開けてきます。
久都間 繁
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コメント
お久しぶりです。
先生のこのご文章を読み、私のギモンというか悩みが解決しました。
ありがとうございます。
身近な人が悦ぶことをして神様の御心を生きていきます。
祝福の念を常に発しながら…
投稿: 愛 | 2009年4月25日 (土) 08時40分
愛さま
手紙の内容がお役に立てたのであれば、何より嬉しいことです。
>>身近な人が悦ぶことをして神様の御心を生きていきます。
人のいのちを生かすことが、いちばん自然で、そして最も楽な生き方であり、それが「いのち」の“そのまま”の姿なのだと思います。
感想や疑問など、また気軽にお寄せください。
投稿: 久都間 繁 | 2009年4月25日 (土) 14時13分
こんにちは。
周りが悦ぶ生活を心掛けて、日々過ごしています。
でも、皆といてもなぜか孤独を感じ、私はここに必要ない存在だと思ってしまいます。
人との関わりって怖いです。
プラス思考で自信持ってとか思って実行してるつもりで、できてないようです(ΘoΘ;)
頑張らなければ(><。)。。
投稿: 愛 | 2009年4月27日 (月) 16時50分
頑張るほどのことはありません。
私たちは、はじめから“神様のいのち”以外のなにものでもないのですから。
「人間・神の子」とは、なんにも付け足さなくても、そのまま完全円満である、ということです。
だからプラス思考によって人間・神の子になるのではなく、そのままで(心を変えなくても)、はじめのはじめから「人間は神の子」だったという実相の完全円満を悦ぶことが、光明生活の秘訣であり極意なのです。
そうすれば、心なんか放っておいても(変えようとしなくても)勝手にプラス思考になってしまうのです。
投稿: 久都間 繁 | 2009年4月27日 (月) 20時54分
ありがとうございます。
僕は今までいろんな仕事に挑戦して仕事覚えれなくてやめたことがあります。
普通はみんな仕事覚えれるのに。どうして仕事覚えれる人と覚えれない人がいるのでしょうか。
僕は男性ですから仕事おぼえれないと困ります。
どうすれば仕事おぼえれるようになるでしょうか。
アドバイスおねがいします。
投稿: 奥田 健介 | 2009年5月 8日 (金) 17時09分
奥田健介様
はじめまして。愛です。私は今は専門学校で学んでいますが、ここに入る前は某教区の白鳩会事務局で2年間お勤めしていました。その時、仕事覚えるのに初めは時間かかりました。仕事覚えられる、覚えられないというのは能力の問題ではなく、如何に自分がその仕事を好きになり(その仕事に興味を持ち)「この仕事は、神様が、より多くの人が幸せになるように、私を通してさせてくださるんだ」という気持ちで仕事に取り組むかが問題だと思います。もう1つは上司や指導してくださる方の言葉を素直に聞き、それを実行することですね☆偉そうな言い方してたらすみません。私はこれを仕事してた2年間で学びました。
投稿: 愛 | 2009年5月 8日 (金) 22時51分
久都間繁先生
合掌ありがとうございます。愛です。先生に頂いたコメントを励みに日々頑張っています。
目の前に現れてる現象に引っ掛からず実相の完全さを観る努力をしています。今までは自分のことで悩んでいたけれど、最近は仲間が辛そうなのを見て悩んでいます。具体的には何をしたら良いか、わからず、今は、ひたすら実相の完全さを日々祈り、私自身はいつも笑顔を心がけています。久都間先生?私…間違ってませんよね?
投稿: 愛 | 2009年5月 8日 (金) 22時59分
ありがとうございます。
愛様、貴重なご意見どうもありがとうございました。
仕事のことですが、具体的に書くと、昔、宇治の研修生をしていたときに浄心行のセッティングをおぼえられませんでした。
僕より後で研修生になった方で完璧にすぐ覚えられた方がいました。いまでももし研修生になったとしてこの仕事おぼえられる自信ありません。
同じように函館の教化部で奉仕委員のときに今度は先祖供養の祭壇の同じようにセッティングをおぼえる仕事がありました。これも覚えられず、他の方はみんなおぼえているのに、どうして僕はおぼえられないのだろうと、摩擦を感じ、無力感を感じました。劣等感がありました。
そのあと、スーパーで商品の陳列をすべておぼえる仕儀とがありました。何回やってもおぼえれませんでした。この時も無力感を感じました。
それに僕は中学までは成績優秀でしたが、高校はまるではじめからついていけなくて落ちこぼれでした。いまでも自信ないです。自分は無能力だと感じています。
仕事をおぼえることはぼくにとって死活問題です。
愛さんは結局は仕事を全部おぼえることができたのですから自信もおありでしょう。
僕は仕事完璧に覚えたこと、一度もないのです。
今書いたこの3つの仕事とても苦手でした。
あと営業に挑戦しましたが仕事の知識おぼえきれませんでした。限界を感じました。
どうしよう。できないとおもいました。あせりました。
そんなわけで現実に直面しています。
でも愛さんアドバイスありがとうございました。o(*^▽^*)o
投稿: 奥田 健介 | 2009年5月 9日 (土) 02時24分
愛さま
ここ数日いそがしくしていたので、返信が遅れて失礼いたしました。
また奥田さんへの愛深いコメントをありがとうございました。感謝しております。
>>今は、ひたすら実相の完全さを日々祈り、私自身はいつも笑顔を心がけています。久都間先生?私…間違ってませんよね?
まちがっていないどころか、とても素晴らしいことだと思います。とにかく、実相は歓喜そのものですから、(現象の不完全を見ることなく)その実相のみを観じて、その人に代わってよろこんであげることが祈りの基本だと思います。
あと、その方への具体的な言葉によるアドバイスやお世話は、祈りの中から自然と導かれますので、それ(内なる神性・仏性)に素直にしたがってください。
投稿: 久都間 繁 | 2009年5月10日 (日) 13時26分
奥田 様
>>僕は仕事完璧に覚えたこと、一度もないのです。今書いたこの3つの仕事とても苦手でした。あと営業に挑戦しましたが仕事の知識おぼえきれませんでした。限界を感じました。
奥田さん、もう、自分の「できないこと」ばかり数え上げることはやめましょう。それでは「日時計主義」の逆の生活です。
「日時計主義」の生活の基本は、何よりも人生の光明面に注目して悦び生きることです。また、その生き方が三界唯心所現の「心の法則」にしたがって、人生をますます光明化し、幸福生活を実現するのです。
ですから、自分の暗黒面を見るヒマがあるのでしたら、先ず自分専用の「日時計日記」を買って、毎日人生の(自分の)光明面を見つけて日記に書きつづることから始めましょう。
大切なことは、日々善きことを実践することに尽きるのです。
投稿: 久都間 繁 | 2009年5月10日 (日) 13時41分
どうもありがとうございました。
投稿: 奥田 健介 | 2009年5月11日 (月) 00時10分