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2009年6月22日 (月)

魂の進歩向上について

 今日の夕方、本欄の読者の方からメールで2点ほど質問をいただいた。こちらで回答させていただきます。

 

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質問①この魂の訓練は現象であると普通に思われます。が、神さまは完全であるにもかかわらず、やはり進歩向上が必要なのでしょうか?
質問②神想観のあの歓喜が、どうしてこの現象の早く現れないのでしょうか。よほど現象を捕まえているのでしょうか?

 

【回答】
 
 進歩向上する躍動的な経験を、私たちの魂は「よろこび」と呼んでいます。
 また進歩向上とは、「生長する」ということでもあります。

 

 生長することは、万物の霊長たる人間にとって、その内なる無限生命が音楽のように鳴り響くことであり、それは悦び以外のなにものでもないのです。

 

 つまり進歩向上とは、内なる無限生命の理念が、この天地に花開くことなのです。

 

 アジサイが咲くことが、アサガオが咲くことが、ヒマワリが咲くことが、これが内なる理念が展開する姿です。

 

 まして私たち人間には無尽蔵の真・善・美が内在しているのですから、私たちが進歩向上し、無限の真・善・美をこの現象世界に実現させる(生きる)ことこそが、仏教的に云えば地上に極楽浄土を建立することであり、キリスト教的に云えば「御心の天に成る世界を地に成就する」ことに当たるのです。

 

 道元禅師は、このことを「証上の修」と表現しています。

 

「証上」とは、すでに生命は、これ以上なにも付け足す必要がない完全円満なものである、ということです。

 

「修」とは、この完全円満なる生命を、この神様の創られた画布にたとうべき現象世界に表現することです。それは、花が咲き、鳥が歌い、森が四季それぞれの色に染まり、音楽家がメロディーを奏で、画家が絵筆を振るい、文筆家が千古の詩を綴ること、そして信仰者が神の愛を行じ、仏の大慈悲を生きることです。

 

 あせる必要はありません。

 

 実相実在の世界では、すでに全てが円満完全に成就して(さらに無限生長して)いるのですから、私たちはその実相を観じて悦んで生活していればいいのです。

 

 真・善・美(縦の真理)の展開として現象世界が成就する、それが三界唯心所現の「心の法則」(横の真理)です。

 

 うまずたゆまず神想観を実修し、神の無条件の愛を生きることです。

 

  久都間 繁

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