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2009年7月 4日 (土)

耳を傾けること

 私は結婚して今年で21年目になる。

 

 その間、仕事の関係で関西と東京で生活してきたが、かつて残業が続いて一週間も子どもと会話をしていないことが、ときどきあった。

 

 そんなとき、なんとなく子どもたちの心が離れてしまったことが分かるものだ。

 

 彼らの態度が妙によそよそしくなり、“お父さんなんか居てもいなくても全然関係ない”といった世界に住み始め、努めて会話を試みてはみるものの、どうも取り付く島もないような状態になってしまうものだ。

 

 これは多くのお父さんのみならず、忙しく働いているお母さん方も、ときに感じることがあるかもしれない。

 

 こんなとき、それぞれの家庭では、コミュニケーション不足を補うための、いろいろな工夫が為されていることだろうと思う。

 

 わが家でも、子どもが幼いころは、努めて早く帰宅して抱きしめたり一緒に風呂に入ったり、休みの日に野山を散策したり、即興でつくった物語りを聞かせて大笑いさせながら一緒に眠ったり、いろいろな工夫をして心を通わせたものだ。

 

 しかし子どもが中・高生になると、これらの方法が功を奏しなくなる。ことにきょうだいが多い(わが家は4人)場合は、どうしても行き届かないことも出てきたりする。

 

 身も心も大人へと成長しつつあるこの時期の子どもにとって、実はこれからがいよいよ大人の経験や知恵を必要とする、大切な時期なのだ。

 

 さて、皆さんはどのようにしてこの時期を乗り越えているのだろうか。

 

 放っておくことも一つの手かもしれない――

 

 しかし、つい先月、娘の通う中学校の生徒が、メモに親への感謝の言葉を書き遺し、誰にも告げずに、誰にも相談することなく、イジメなどのハッキリした理由もないのに自殺してしまうというショッキングな事件があった。

 

 子供が一人で、黙って死を選ぶ、彼にどんな孤独や、辛い思いがあったのかは、今となっては知るよしもない。が、放っておけば雑草が蔓延(はびこ)り荒れ果てるのは、人の心も同じなのかもしれない。

 

 この事件を機に、私は、あらためて親子間のコミュニケーションについて考えさせられた。

 

 もしかしたら皆さんの参考にもなるかもしれないので、わが家で始めたささやかな工夫の一つを紹介させていただこうと思う。

 

 それは至って簡単なことである。

 

「子供からの問い掛けに、耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること」

 

 これに尽きるのではないかと思った。そして、とても大切なことは、先の言葉の前に、

 

「どんなに忙しいときでも――」

 

 という一句を添えて実践することだ。

 

 そうすれば、もし子どもたちが自殺したくなってたとしても、どこかでその信号をキャッチする機会が生まれるはずである。また、それ以前に、親子間の深い信頼関係を構築できることが、何よりも重要なことなのだ。

 

 それは、「どんなに忙しくても、あなたのことを第一に考えているんだよ!」という親から子への、明確なメッセージをもって生活することになるからだ。

 

 しかし簡単なことのようでいて、これを実践するには「親の側」に、意外なほどの心的努力が要る。

 

 ついつい、

 

「今、忙しいから!」
「今、仕事をしているから!」
「今はダメだから!」

 

と、言ってしまうのだ!

 

 心ならずもそんなことが何回か重なれば、もう子どもたちの脳裏にひらめいた宝石のような問い掛けは、どこか空の彼方へと消し飛んでしまうかもしれない。
(かく云う私も、どれほど宝石を扱い損ねてきたことか(^^;)

 

 しかし、私たちの人生の中で「子育て」の時期というのは、意外なほど短いということも忘れてはならない。

 

 ことに小学生から中・高生にかけての多感な時期は、彼らの長い人生の中のほんの数年にすぎず、この大切な時期を逃したら、よほどのことがない限り、彼らは私たちに対して自由に心を開いて問い掛けることを、あきらめてしまうかもしれないのだ――

 

 
――でもご安心いただきたい。

 

 たとえどんなに「手遅れになった!」と見えたとしても、

 

「彼らからの問い掛けに真摯に耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること――」

 

 人生で出会う全ての人のことを祈りながら、この時の来るを待ち続けていれば、成人したわが子のみならず、どのような大人でも、やがて天来のタイミング(導きのとき)が必ず訪れるのである。

 

 そのときが、彼らが心を開き、彼らと心を通わせることのできる、神様に導かれた時節なのである。

 

 ただし子供のときと比べて、たっぷり待たされるかもしれない!

 

 しかし、私たちには永遠の生命が宿っているのだから、なにもあせる必要はない。

 

 祈りつつ、ご縁ある人たちの魂の成熟を待つ時間くらい、この広大な宇宙のいとなみと比べたら、ほんの一瞬なのだ。

 

 しかしその一瞬の内に、人間・神の子の神性・仏性が芽生え、生長して華を開き、やがて「実相」の実を結ぶのである。

 

  久都間 繁

 

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コメント

今の子供は精神的に弱いと思います。何故なら私は例の富士見中学自殺事件の時と同世代なのです。あのイジメは凄惨だった事は鮮明に覚えています。なにせ自殺した奴とは・・・(涙)。
なので当時から私は何がなんでも『自殺』だけは絶対にしないと硬く誓ったのです。だから今の子供は簡単に自殺してしまうのはとても残念です。
その点、私は問題児だったので親が川崎市教育委員会の相談機関に相談為まくりで、大変だったと大人になってから聞きました。私の場合は食べ物に弱かったので落ち込んでいると、すぐに外食で中華でも、蕎麦屋でも、洋食屋でも、カツカレーで懐柔しました。(外食は金がないとできませんねー。)最後に自殺すると天命を全うした訳ではないのでその苦しみはその倍は来ると教えられました、実際、従兄弟が自殺して10年経過しても成仏してないので苦しむ姿で時々目の前に出てきますもん。その時はすかさず『甘露の法雨』を読み上げます。

投稿: なおちやん | 2009年7月 5日 (日) 06時24分

 久都間さんは今年、ご結婚21周年ですか。実はうちもそうです。と言うことは昭和63年ですね。

 昨日も泉教化部長が仰ってましたが例のマイケル・ジャクソンはどうもお父さんと上手く行ってなかったみたいですね。子供の頃、大部、歌とか踊りをたたき込まれた様ですが、それが厳しいばかりでそれでマイケルも萎縮する様な性格になったそうです。どうも、彼の普段のインタビューとか見ると大部、シャイな感じがします。
 親が真理を知らないと愛情があっても、子供の心がいじけて、歪んでしまう事があるのでしょうね。
 ところで、うちは息子が一人ですが今年20歳になります。私が宇治で魂が生まれ変わったのが息子が小一の時でしたから、私はそれまでの自分の子育てに良くない部分があったのではとちょっと悔いています。榎本先生に心を解放して頂くまではそれはそれは「こうあらねばならぬ」の強い親でして、子供から「これこれこうしちゃいけないんだよね。我慢しなくちゃいけないんだよね」って当時、言われた事がある位ですから。

 でも、御文章にある様に心を通わせるのに遅いという事はないのですね。その後、息子には一度も勉強しろと言った事はありませんがお陰様で自主的によく勉強して、今年大学にも入ってくれました。それでクラブはテニス部に入ったそうで、彼も毎日頑張っています。でも、会話はどちらかと言うと余りないかも知れません。私としては折を見て、色々学校のクラブの事の他、真理の事、国の事、天皇陛下の事など話してはいますが。

 息子は生長の家に関してはどうも来たがらないですね。中学に入った頃、強制的に一年に一回は練成に行かせようとして、中一の時、行かせましたが本当に嫌だったみたいでそれ以来、一切本人の意志に任せる様にしました。青年会の人はよく誘ってくれましたが、自分からはまず生長の家の行事には行きません。お腹の中にいる時から、生長の家の行事には随分参加していたのですのにね。

投稿: 堀 浩二 | 2009年7月 6日 (月) 10時14分

 なおちゃん、コメントをありがとうございます。

>>当時から私は何がなんでも『自殺』だけは絶対にしないと硬く誓ったのです。だから今の子供は簡単に自殺してしまうのはとても残念です。


 本当に残念なことだと思います。

 子どもたちを自殺にまで追いつめないために、あらゆる工夫をしてあげたいですね。

 それは自分の子どもだけでなく、私たち親世代が、それぞれの立場で、それぞれの責任で出来ることをやっていきたいですね。

投稿: 久都間 繁 | 2009年7月 6日 (月) 19時47分

堀さん、コメントをありがとうございます。


>>久都間さんは今年、ご結婚21周年ですか。実はうちもそうです。と言うことは昭和63年ですね。


 そうです。昭和の最後となった天皇誕生日が結婚記念日です。


>>息子は生長の家に関してはどうも来たがらないですね。中学に入った頃、強制的に一年に一回は練成に行かせようとして、中一の時、行かせましたが本当に嫌だったみたいでそれ以来、一切本人の意志に任せる様にしました。

 
 わが家でも同じです。小学生練成会までは参加してくれましたが、中学生になると部活が始まるので、親としては「練成に参加したらいいよ」と勧めますが、最終的な判断は彼らに任せています。

 また、家から教化部まで1時間半かかるということも部活との両立を難しくしているのかもしれませんが、基本的に今の状況では、家庭での普段からの親の生活(信仰)姿勢を見せるしかないかな、と思っています。(高1から小1まで、もうすっかり私のことをあだ名で呼んでナメきっていますが(^^;)

 でも堀さんの息子さん、一度だけお会いして握手したことがありますが、とても爽やかで気持ちのいい方ですね。トンビがタ…おっと失礼! さすが生長の家のご家庭で育った息子さんだなあ、親の影響って素晴らしいなあ、と感じたその時の印象をハッキリ覚えていますよ。

投稿: 久都間 繁 | 2009年7月 6日 (月) 20時06分

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