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2009年8月

2009年8月28日 (金)

夏の「ほったらかし農園」②

  農園などというのもおこがましい、猫の額ほど小さな「ほったからし農園」ですが、ほったらかしているだけに、それなりに豊かな生物多様性が(知らないうちに)実現しています(^^;
 
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クマバチが、カボチャの花から飛び出そうとしています。花の奥深くまで潜入しては、また次の花へと、8月のガンガン照りをものともせず、たくましく働いています。
 

 
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こちらはウリハムシ。キュウリやカボチャなど、ウリ科の野菜が大好物で、彼らは「ほったらかし農園」のことを邪魔者のいない天国のように思っていることでしょう。
 

 

 
Photo_3 このトゲトゲした実は、母がどこやらから拾ってきた種を植えたところ、ほんの半年ほどで花を咲かせ、今では木のように成長して、その枝に実ったものです。名前は分かりません。(どなたかご存じの方、これは何ものなのか教えてください)
 

 
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白いつぼみはキンカンの花。
 
Photo_5 こちらはキンカンの赤ちゃん。 
年が明けたころ甘く熟しますが、寒い季節になると森からハクビシンのような動物が出てきて半分ほどは食べられてしまいます。

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2009年8月25日 (火)

天に満ち、地に満ちて

 昨夜、眠りしなに内観しているとき、天地の万物はそのまま完全円満なる光りであるということに、あらためて気付かせていただいた。

 

 私たちは、力むことなくそのまま素直に天地の万物を拝ませていただくだけでいいのである。

 

 そのまま皆、完全円満なる神の子であり、そのままはじめから救われている。
 それが天地万物の実相である。その実相を素直に拝むだけでよかったのである。

 

 それ以外に近道も、回り道も、寄り道もなく、どの道を通ろうとも、どの道に迷い込もうとも、そこがそのまま天国浄土であり、真理への道であり、実相世界そのものの光りの中をあゆんでいるのである。

 

 私たちの内なる光りは天に満ち、地に満ちて、そのまま天地万物は救われており、そのまま極楽であり、そのまま此処が高天原であり、そのまま此処が仏国土であり、職場が、学校が、組織が、家庭が、天地の森羅万象が、そのまま実相浄土の聖なる輝きを放っているのである。

 

 

 

  久都間 繁

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2009年8月17日 (月)

夏の「ほったらかし農園」

 久都間家の「ほったらかし農園」を、少し紹介します。

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 畑なのか、藪なのか、それとも、ただ雑草が生い茂っているだけのか、よく分からないところが「ほったらかし農園」たるゆえんでもあります。


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 この細長いプチトマトは、「アイコトマト」という品種です。
 果実は6月から10月まで毎日収穫することができますし、雨に強く、無農薬でも病気にもかからず、害虫にも強いのが特徴です。


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グリーンカーテンのつもりですが、アイコトマト、中玉トマト、ゴーヤ、キュウリなどが混在しているので、うっかりしていると巨大に成長したキュウリやゴーヤがぶら下がっていることに後で気が付いたりします。もっと(忘れて)放っておくと果実が熟れて種が弾けている壮麗な光景を目撃することができます。(そのうちご紹介できることでしょう(^^;)

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これはシシトウ。収穫するのを忘れて真っ赤に色づいたころに、その存在に初めて気が付いたりします。
青いうちに収穫すれば最高のビールのおつまみになりますが、青いにもかかわらずときどき途轍もなく辛いものに当たることもしばしばで、これに懲りた子どもたちは、敬遠して触手を伸ばしません。

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 これは落花生です。職場の同僚で、『日時計日記』などの書籍の制作を担当している有馬勝輝さんに進められ、春に種を分けていただいて栽培をはじめてみました。順調に行けば秋には収穫できるかもしれません。


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なぜか藪蘭(ヤブラン)が勝手に生えています。
その向こうは小川で、雨が降ったときだけ水が流れます。

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蝶とゴーヤの花(しじみさんのように撮ったつもりが…(^^;)


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この日(8月某日)の収穫。
カボチャは植えてもいないのに勝手に実っていました。

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因果律を超えて

「因果律」とは、およそ現象界に存在するものの一切は、因・縁・果という過程を経て出現しているという世界観である。

 

 従って因果律とは、必然的に「時間」の範疇においてのみ成立するものであり、「時間」が存在しなければ、因果律もまた成立しないのである。

 

「時間」とは、即ち現象である。従って因果律によって現れる世界もまた、現象なのである。

 

「現象は無い!」ということは、即ち「時間・空間」の否定であり、「因果律」の否定である。

 

 それは、人間はこれから時間・空間の中で修行して、それから救われるのでは「ない!」ということである。

 

「人間・神の子」とは、因果律(修行や業の浄化)をもって成就するのではない。それは、「今・ここ」において、はじめから成就しているのである。

 

 従って、「唯神実相」ということと、「因果律」とは、実相において、はじめから両立しないのである。

 

「唯神実相」とは【在る】ものであり、「因果律」によって現れる世界は現象、つまり【無い】ものなのである。

 

 私たちは、今現在の状況がどんなに経済的に不如意な状態であろうとも、たとえ地獄のような三角関係の渦中にあろうとも、また、家庭も会社も組織も和気あいあいと大調和した最上の関係にあろうとも、それらの一切は「現象」である。

 

 私たちは、「今、ここ」において、はじめから「唯神実相」即ち、完全円満なる神の子なのである。

 

 繰り返すが、それは既に成就しているのであって、これから時間的な経過を経て成就するものではない。

 

「唯神実相」とは、「時間」の助けを一切必要とせずに成就しているものの消息である。

 

「人間・神の子」とは、修行した後に成就するような、遠い彼方の目標なのではなく、はじめのはじめから「今、ここ」に在るのである。

 

 人間は、先ず「神の子」であり、先ず「完全円満」なる「光り」なのである。

 

 だから、まず「神の子」であり、「完全円満」であり、「光り」であることを、私たちは「無条件」に悦んでいいのである。それが「手の舞い足の踏むところをしらず」という、人間そのままの悦びの相(すがた)である。

 

 全てに先立って、先ず「神の子」であり、「完全円満」であり、「光り」であることを悦ぶことが、「そのまま」ということであり、「はい!」ということであり、「ありがたい!」ということであり、「うれしい!」ということなのである。

 

 この悦びと感謝の念の中に、現象の一切が円満に成就するのである。これが生長の家で言うところの「唯心所現」(心の法則)である。

 

 縦の真理「唯神実相」を悦ぶことが先であり、現象は自ずから整うというのが「唯心所現」の横の真理である。

 

 だから私たちは、まず「神の子」であり「完全円満」であり「光り」であることを、誰にも遠慮することなく、無条件に悦んでいいのである。

 

 それが、因縁果という「業」を超え、悪業を善業へと転じ、人間・神の子の実相を成就する道なのである。

 

 こんな事を書いていると、故郷にいた十代のころ、生長の家の地方講師の方から聴いた、次の古歌が思い出されてくる――

 

 よろこべば よろこびごとが よろこんで
      よろこびつれて よろこびにくる

 

  久都間 繁

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2009年8月12日 (水)

「放ったらかし農園」のニガウリ

20090811


 昨夜、仕事から帰宅すると、いきなりこの大きなニガウリ(ゴーヤ)をガーンと目の前に見せつけられ、びっくりしました。
 これは、わが家の畑で採れたもので、しばらく畑のことを放ったらかしていたら、こんなになっていました(^^;

 ニガウリは、かれこれ7~8年前からグリーンカーテンと食用を兼ねて栽培しています。が、こんなにデカい(長い)のを見たのは初めてです!

 ちなみに、シブイ笑顔のモデルは末っ子のヒロムくん。
 ただ今、小学校1年生で、サッカーと虫取りに夢中です!

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2009年8月 9日 (日)

「世界平和の祈り」について

 80歳代と思われる男性の方から質問の手紙を頂きましたので、以下のような文章を書いて返信させていただきました。差し支えない範囲で紹介させていただきます。

 

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 合掌、ありがとうございます。

 

 ご質問をお寄せ下さり、ありがとうございました。

 

 テレビのニュースや新聞報道などの世相に現れた、経済問題、犯罪の横行、政治問題、国家問題など、さまざまなことに大きな危惧の念を抱かれていることが、頂いた文面から伝わってきました。このようなことに心を留めて日々の生活を送っていたのでは、さぞや気苦労が絶えなかったことでしょう。

 

 これらの諸問題について、「生長の家ではどう思っておられるのでしょうか?」とのご質問ですが、まず基本に立ち返って、これらの問題について考えてみたいと思います。

 

 お手紙でもご紹介いただいたように、古くからの信徒であるというあなた様は、生長の家では「現象は心の影である」と教えられていることは、よくご存じのことと思います。これを「心の法則」とも、「三界唯心所現」とも呼んでいることもご承知のことでしょう。

 

 私たちがニュース報道などの影響から、人生や世相の暗黒面ばかり見ていますと、心の傾向として人生の暗黒面ばかりに注目するようになり、いよいよ不安が充満し、心労を重ねることになります。

 

 またその心の傾向が、次なる暗黒な現象を作り出す「種」(因)となって、人生にますます暗黒で不完全な現象が現れてまいります。これが「心の法則」です。

 

 また、これとは逆に、生長の家の原点である「日時計主義」に立ち返り、人生の光明面のみを見て、うれしいこと、楽しいこと、美しいことを心に留め、日々喜んで生活するようになると、人生に次から次へと光明なる世界、つまり健康、繁栄、調和などに満ちた喜ばしい出来事が実現してまいります。これもまた「心の法則」なのです。

 

 私たちの個人生活を救うためには、このように先ず人生の光明面のみを見て生きる「日時計主義」の生き方に徹した結果として、人生が光明化することはお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 では、ご心配になっているように国家的な、国際的な諸問題については、私たちはどう対処すればいいのでしょうか。

 

 これについて生長の家の創始者谷口雅春先生は、2年ほど前に日本教文社から再版された新版『善と福との実現』の中で、次のように説かれていますので紹介させていただきます。

 

吾等が集団祈祷会を催さないと云うことは信心ある人の生活ではないと思う。同志よ、吾等生長の家の家族たちよ、同時一斉に神に対して祈ろうではないか。(中略)
私は日本の全ての問題も此の集団祈祷によって解決すると信ずるものである。ただ戦時中の神社の祈祷のように神官が単に大声でノリトを唱え、参列者は頭を下げて他の事を考えているようなやり方では駄目であるし、他国の犠牲に於いて自国のみが勝とうと云うような利己的な祈りでは駄目である。黙然に心を集中すること。神の前に全然無条件に自己を投げ出して自己が全然なくなり、神の智慧と愛とが自動的に働くそれに委せ切らなくてはならぬのである。(同書、318~319ページ)

 

 ここで谷口先生は、「私は日本の全ての問題も此の集団祈祷によって解決すると信ずるものである」とお説きくださっていますが、このお言葉を受けて、現在も信徒である私たちが毎朝実修しているのが神想観であり、その中で念ずる「世界平和の祈り」なのです。

 

 私たちが信仰者として世界の平和、日本の実相顕現を希うならば、まず早朝に神想観を実修し(全国の練成道場では5時10分から実修しています)、実相の完全円満なる大調和の世界を観じるとともに、「世界平和の祈り」を実修して祈念することが、「心の法則」の側面からみても、信仰者たるものの大切な務めになることと思います。

 

 もちろん、神想観に続いて聖経『甘露の法雨』を読誦していただき、その功徳によって多くの人々の実相が成就することも、合わせて祈念していただければと思います。

 

 また今日の日本に、まがりなりにも平和が実現し、飢餓や紛争といった非常事態に巻き込まれることなく生活できているのも、天皇陛下をはじめ、神界・霊界・現界からの多くの人々の深い祈りがあればこそ、このような平安を維持できているということも、宗教的な方面から観たひとつの真理なのです。

 

 ですから、これまでのご精進に加え、神想観および「世界平和の祈り」を、全国の皆さまと共に実修していただければ幸甚です。

 

久都間 繁

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