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2009年12月15日 (火)

観世音菩薩の大慈悲について

「罪は無い」とは、生長の家の重要な教えのひとつであり、これは「現象無し」「実相独在」の真理によって開かれた救いの世界である。

 

「罪は無い」とは、「罪を消して」から人間は救われる、ということではない。
「罪あり」と見る世界そのものが「無い!」ということである。それが「現象無し」「実相独在」ということである。

 

『真理の吟唱』には、私たちを取り巻くすべてのものは、観世音菩薩の妙智力が示現し給う、大慈悲の説法であると説かれている。

 

 天地いっぱいに満ちている「現象」は、つまり天地いっぱいの「観世音菩薩」にほかならないのである。

 

 それは、天地いっぱいに、「仏の大慈悲」が満ちているということである。

 

 罪の意識に責められていた過去も、それは観世音菩薩の宇宙浄化のまっただ中にいたのであり、「罪(包み)」自体が観世音菩薩となって、一切の罪、穢(けが)れを自ら祓い浄めていたのである。

 

 観世音菩薩は尽十方無碍光如来の大慈悲の顕現であるとともに、「罪」の一切を「無碍光如来」へと転ずる働きが、即ち「観自在の原理」であり、「宇宙浄化の働き」だったのである。

 

「罪(包み)」を紐解いてみれば、それは私たちを龍宮城へと運ぶ浦島太郎の玉手箱となり、サンタクロース(神)からの大光明のギフトともなるのである。

 

「罪(包み)」を開けば、今ここに天国極楽浄土が湧出する、それが「救われる」ということであり、「玉手箱」の中味なのである。

 

 観世音菩薩は天地一切に満ち給うのであり、罪(包み)と見えていたものは「仏の大慈悲」そのものであり、尽十方無碍光如来の放つ大光明だったのである。その「光り」は、今ここに、「あなた」となって顕現しているのである。

 

 久都間 繁

 

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コメント

合掌、ありがとうございます。

先生のブログの一言一句の通りだと感じました。すべての現れは神のコトバにより、観世音菩薩の慈悲の響きです。ココロの眼をしっかりと開けば既に光明燦然の世界がひろがっています。
僕もそうですが、人は皆その世界に永久に安住して暮らしたいと切に願っています。迷いの過去からも偽象のものにも早く別れを告げたいものです。
今年も後少しですが、来年もさらにさらに人類が光明されていくことを願い、既に一切が救われ済みであることを身をもって示せていけたらと思います。まずは自分からです。
これからも様々な場面で唯神実相をご教示ください^^

ありがとうございました。

再拝

投稿: 山崎 | 2009年12月16日 (水) 00時06分

 素晴らしい!本当に素晴らしい御文章ですね。


>「罪(包み)」を開けば、今ここに天国極楽浄土が湧出する、それが「救われる」ということであり、「玉手箱」の中味なのである。


 これは本当に素晴らしい珠玉の御言葉です。


PS

 ところで最近のとある掲示板でのやりとり、本当にまいりました。匿名での教団批判、雅宣先生批判、それに対して一々反論して来ましたが、いい加減疲れました。

 で、昨日ふと気がついたのですがこれらの匿名の嫌な投稿というのはナイ!と気づきました。即ち自分の心の影であると。だから引っ掛かる必要も無いし、それは正に久都間さんの仰る玉手箱でした。悪とか問題はナイ!という自覚がますます深まったのですから。

投稿: 堀 浩二 | 2009年12月16日 (水) 10時37分

>>これからも様々な場面で唯神実相をご教示ください^^


山崎さん、コメントをありがとう。
来年1月10日(日)の午後に聖典講義をしますので、またお越しください。

投稿: 久都間 繁 | 2009年12月16日 (水) 16時55分

堀さん、コメントをありがとうございます。

>>悪とか問題はナイ!という自覚がますます深まったのですから。


ブログ拝見しました。貴方らしいスタイルで無限生長の道を歩んでおられますね。
今日は事務所の大掃除でした。皆で工夫して本棚の位置をちょっと変えただけで、今まで「物置」のように使用していた小部屋が、キレイな会議室へと変貌してしまいました。また一つ、玉手箱が開いたような気分です。

これから事務所の感謝会(忘年会)です(^^;
また、ゆっくりお話ししたいですね。

投稿: 久都間 繁 | 2009年12月16日 (水) 17時34分

あけましておめでとうございます

すみません。
3回読み返しましたが
頭の中で消化できませんでした。

今年もよろしくお願いいたします。

投稿: shizuka | 2010年1月 4日 (月) 14時01分

shizukaさま、3回も読んでくださり、ありがとうございます。これは五感、六感を超えた、「神想観」(祈り)の世界についての感想です。「頭」で消化できないのは尤もな話です。
今年もJOYでの俳句のご指導、よろしくお願いいたします。

投稿: 久都間 繁 | 2010年1月 4日 (月) 16時47分

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