« 「あや絵――川崎是空の世界」を観る | トップページ | 小学校卒業式でのPTA会長あいさつ »

2010年3月 7日 (日)

「森への公案」わが家では――

 生長の家本部事務所が「森の中のオフィス」へと移転することをめぐって、谷口純子先生がブログ「恵味な日々」の中で「森の中へ行く」と題してお書きくださっている。
 その中で先生は、

 

>>生長の家の本部が森に移転するということは、自分たちの好みで行くわけではないのです。

 

>>職員もたくさんいて、家族の人たちは生活の基盤が東京にあります。そのことも十分承知の上で、私たちは森に行くことを決めました。

 

>>神の御心にかなう生き方は何かを自分自身に問いかけ、肉体人間の欲望を捨てるという、難しいことではありますがその決意を、生長の家の本部の人たちはしていることと思います。

 

 と、綴られている。
 このご文章を拝読させていただいて、あらためて本部に勤める私たちの、講師としての使命や、森へ行くことの意義などを確認させていただきました。

 

 森に行くことをめぐっては、本部事務所の皆さんはそれぞれの家庭の事情を抱えながら、それぞれのお立場で、純子先生が経てこられたと同じ、または別の葛藤を抱かれているのではないかと思う。

 

 かく言う私自身の家庭でも、在学中の4人の子供を育てている親として、「子供たちの進学」ということが、ひとつの「公案」となっている。

 

 本部が山梨県の「森の中のオフィス」に移転するちょうど1年前、つまり2012年4月、東京のわが家では長女が大学に入学し、次女が高校に入学し、長男が中学に入学し、そして次男が小学五年へと、それぞれ進学する予定だ。したがって、森に行く翌2013年には、上の3人が入学した学校で、それぞれ2学年へと進級する時期に当たっている。

 

 かつて10年ほど前に、京都の宇治別格本山にいた私に辞令が下り、本部への転籍ということで、宇治市から東京に転居したことがあった。その折、当時小学1年生で転校した長女が、新しい環境になじめず登校拒否になったことは、以前に当ブログの「PTA総会でのあいさつ」で紹介させていただいたが、そんな経験から、学年途中での転校を避けたい、という「親心」が、どうしても夫婦の間で働いてしまうのである。

 

「行き詰まりはない」世界であるから、そのまま運命に委せておけば道は開けるのかもしれないが、家族の声を聴くことも、自然の声を聴くのと同様、重要なことであり、この公案の解決なくしては、家族を安心して森に連れて行くこともできないのである。

 

 もうひとつの公案は「家のローン」返済の問題である。あるいは森に行く前に、何処かに転勤ということもあり得るが、それはそれで「神のみぞ知る世界」の話である。

 

「日時計日記」(自由版)に、そんなことを書き、この「神のみぞ知る」というコトバを綴っているとき、ふとわが家の「森への公案」を解くヒントが、ここにあるような気がしたので、ブログでも公開することにした。

 

「神のみぞ知る」ということは、すべてのことは「完全円満なる神が知っている」ということではないだろうか――

 

 だとすれば、私たちは、なにも思い煩う必要などないのかもしれない。

 

 転校、それも善し。定年まで家のローンを抱えての引っ越し、それもまた善し(^^;

 

 すべては、神のみぞ知る世界の中で営まれているのであるならば、すべての人にとって、一番善い時期に、一番善いことが起こる。

 

 それが「神のみぞ知る、大調和の世界」の消息なのである。

 

 さらに内なる声は云う――

 

 汝ら思い煩うことなかれ。すべては完全円満なる神の中(うち)に営まれているのであることを知れ。その中に委ねきるとき、万事好都合に事は運ぶのである。万事好都合とは、神の完全円満なる実相世界が現れる、ということである。だから万事好都合にいくためには、ただ神の世界に入るだけでよいのである。

 

 神の外に「好都合」があると思うことが無明(まよい)である。現象をどんなに操ってみたところで、神ならざるものは必ず崩壊するのである。現象は「心の影」に過ぎないのであるから、これを善くするためには、「自分がなんとかしよう」などと努めてみたところで、どうなるようなものでもない。現象とは、天地一切のことである。「自分が」の心では、天地一切に行き届かなくなるのは当然のことなのである。神のみがすべてに行き届くことができるのである。天地一切は神の中にあるからである。

 

「自分が」の心を捨てて、天地一切の本源であり根源である、すべてのすべてであるところの「神」に、一切を委ねればよいのである。神にすべてを委ねたとき、神さながらの世界が現れるのである。それを称して「万事好都合」というのである。なぜなら、万事は「神」であり、神は「好都合」以外のなにものでもないからである。

 

――と、魂の奥底から響いてくるのである。

 

 さて、『完成の燈台の点灯者の神示』に、「疑わずに吾が光を受けよ」というコトバがある。

 

 実相世界は「今」此処に在り、神の無尽蔵の祝福は「今」ここに天降っているのである。「疑わずに吾が光を受けよ」とは、幼子のごとく、その光を素直に信じて悦ぶことなのである。

 

 新約聖書には、「我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる花嫁のごとくそなえして、神の許をいで、天より降るを見たり」(黙示録)というコトバが綴られている。

 

 新しきエルサレムとは、『真理の吟唱』に説かれた「久遠実成の浄土」(実相世界)のことである。それは、肉眼の目で見ることはできなくても、今ここに在る(天降っている)のである。それを神想観を通して観ずることが「唯神実相」の信仰であり、その無尽蔵の祝福を、素直に「ハイ!」と受けて悦ぶことが、「疑わずに吾が光を受けよ」ということなのである。

 

 つまり無限智、無限愛、無限生命なる神の光は、今ここに「無条件」に降り注ぎ給うているのであるから、私たちも無条件に「はい!」と幼子のごとく悦び感謝することで、神の光を受けることができるのである。

 

 わが家にとって、「森に行く」ということは、この「門関」を通過することにほかならない。つまり「森への公案」とは、何があっても「実相を無条件に悦ぶ公案」でもあるのだ。あとは天地の万物が解決し給うのである。

 

  久都間 繁

|
|

« 「あや絵――川崎是空の世界」を観る | トップページ | 小学校卒業式でのPTA会長あいさつ »

万教帰一の信仰」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

育児」カテゴリの記事

コメント

「神のみぞ知る」なにも思い煩うことはないのである
このことばを見て、私の今の悩んでいる気持ちが少し楽になりました。ありがとうございます。わたしも、1960年生まれで、4人のこどもがおります。長男が大学受験で、現在結果を待っている状況です。ただ神の世界に入ればよいのですね。

投稿: あいちゃん | 2010年3月 7日 (日) 17時20分

「神のみぞ知る」というのは本当ですね。あるマンションを借りていたとき、出て行って欲しいといわれたら、すぐに出る約束をして入居しました。2年弱住みましたが、新しいところを4週間弱で見つけて引っ越さなければなりませんでした。全て希望通りの一軒家(3LDKで家賃が3万円で職場の近く:そんなの無理と人は思っていたかもしれません)が見つかりました。しかし、ちょうど一年後にその家を空けるという条件がついてきました。一年後にどうなるか判りませんでしたが、感謝してそこに住むことにしたら、辞令がでて、ちょうど一年たったとき、ニューヨーク赴任となりました。私の赴任が決まる頃に、結婚が決まりましたが、妻となる人は海外など予想だにしなかったので(当然私もですが)「貴方はニューヨークが好きかもしれませんが私は・・・」といわれてしまいました。しかし、黙ってついてきてくれた彼女です。それから何回引っ越したことでしょうか。ニューヨークとハワイとカリフォルニアで生まれた子供たちは皆アメリカ人。でも私たち夫婦は日本が恋しいのです。停年の頃のことなど想像もできませんが、今はおまかせするのみです。貴方の文章を読んでいて、昔を思い出したので一言思い出を書かせていただきました。

投稿: mario | 2010年3月 8日 (月) 08時05分

あいちゃん殿、コメントをありがとうございます。
私と同じ年ですね、私は昨日の3月7日が誕生日でした。50歳の大台に乗ってもうジジイの一歩手前です(^^;

「ただ神の世界に入る」とは、神の無限の愛、仏の四無量心をそのまま行ずる、ということです。
 神想観で人々の幸せと天地万物の平安を祈る、そこは神の愛のみが充満する世界です。

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月 8日 (月) 12時14分

mario さま。宇治別格本山の楠本加美野先生が、よく祈りのなかで、「吾れ神を選びしにあらず、神、吾を選び給いしなり」というコトバを唱えていらっしゃいました。

 これは谷口雅春先生から教えていただいた「祈りのコトバ」だとおっしゃっていましたが、あなた様の生涯も、まさにこのコトバ通りの人生ですね。

>>停年の頃のことなど想像もできませんが、今はおまかせするのみです。貴方の文章を読んでいて、昔を思い出したので一言思い出を書かせていただきました。

 感慨深い(身に迫る)感想をありがとうございました。神様の導きのままに、ますますのご活躍を祈ります。魂の奥底からの願いは、必ず叶えられることでしょう。

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月 8日 (月) 12時25分

 久都間さんは本部が八ヶ岳に行くのでこれからはスキーが思う存分出来るなんて思ってましたが、実に大きな公案があったのですね。
 まあ、お子さんのいる方は転校なんて事があり、それはそれで大変なんだろうなとは思っていましたが、これほどとは思っていませんでした。
 私は転勤が無いし、家の心配もした事が一度も無いので皆さん、こういう苦労をされているのは実感としては分かりにくいですが。

 ところで後ほど、詳しくお知らせしますが実は私もここ数週間、母の事で大部、信仰を鍛えられました。かなりのものでしたが全託の信仰をより引き出して頂きました。それで仰る様に「神の国が今、ここにある」という実感もより強くさせて頂きました。

投稿: 堀 浩二 | 2010年3月 9日 (火) 09時07分

先生質問があります。宇治の研修生のとき、あるせんせいから「ロック(音楽のジャンル)は破壊、クラシックがいい」と教えられました。ロオクは聴かないほうがいいのでしょうか。雅宣先生だって「ビートルズ」学生のとき聴いていたのでしょう。ビートルズ、ロックですよね。「目覚むる心地」で紹介していたのだから、あと、僕もロックで好きな洋楽、たとえばショッキングブルーの「ウイーナス」とか好きなのですが、ロックは一切聴かないほうがいいのでしょうか?
ぜひ教えてください!クラシックも好きです。退廃的なうたは聞くべきではないのでしょうか。でも「悲しいときに悲しい曲を聴いて自分をなぐさめる」というのもあるそうです。好きな歌はその人の人生観とも教えられ、また、悲しい歌を歌ってはいけない、ともおしえられました。よろしくおねがいします。奥田 健介 拝

投稿: 奥田 健介 | 2010年3月 9日 (火) 13時01分

堀さん、コメントをありがとう。

>>八ヶ岳に行くのでこれからはスキーが思う存分出来るなんて思ってました

 そうなんです。八ヶ岳では、冬はスキー三昧、山は登山三昧と、遊ぶことばかりじゃんじゃんヒラメイて来ています(^^;

 が、もちろん現地でのPTA活動や環境保全活動にも、個人的にも公的にも参加して、地元の方々と一緒になって「善い仕事」をいっぱいさせていただこうと、これも密かに企んでいます。

 こんなことを夢中になってやっているうちに、深刻と思えていた現象の問題は、(これまでもそうだったように)自然と解決していくのではないかと思います。

 ですから神想観を軸に生かさせていただいていると、「個人」としての価値観や、個人としての人生の枠を、いつの間にか超えてしまうのかもしれません。

 神の愛や仏の四無量心そのものが、私の人生を通してこの世に実現する(もちろん家庭にも)、そんな生き方に近づかせていただいているように思えますし、それが信仰者としての私の理想でもあります。堀さんだったら、よくお分かりいただけることでしょう。

 

 

 

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月 9日 (火) 13時35分

>>ロックは一切聴かないほうがいいのでしょうか?

奥田さん、そんなことは自分で考えなさい!

ちなみに私は、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」は、映画も観に行きましたし、DVDも買いましたよ。

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月 9日 (火) 13時38分

 なおちゃん。川崎先生の「あや絵」の感想をありがとうございました。彼と直接会って、お話しもできてよかったですね。
 Oさんへのコメントは、このブログの趣旨に沿わないので削除させていただきましたよ。

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月10日 (水) 09時09分

ありがとうございます。
最近はポスティングジョイに夢中で御無沙汰してしまいました。

「森への公案」。。。興味深く拝見しました。
>>これを善くするためには、「自分がなんとかしよう」などと努めてみたところで、どうなるようなものでもない。現象とは、天地一切のことである。。。。
最近、私も大きな(自分なりの)公案を抱えておりました。「すべては心ひとつ」と、やっと山を超えたところでしたので、今日の記事は特に沁みました。

>>何があっても「実相を無条件に悦ぶ公案」でもあるのだ。あとは天地の万物が解決し給うのである。。。。

ただ実相(そのまま)であれ、なのですね。
万事が好都合。
いつもありがとうございます。

投稿: シコク嫁 | 2010年3月10日 (水) 11時25分

>>「すべては心ひとつ」と、やっと山を超えたところでしたので、今日の記事は特に沁みました。

シコク嫁さま、いつも楽しくブログを拝見していますよ。

山を越えるごとに、いつの間にか神への堅信が深まり、同時に多くの人たちをお救いする権能(チカラ)が授けられているのかもしれませんね。
ご使命とは、そんなふうにして(いつの間にか)めぐってくるような気がします。

投稿: 久都間 繁 | 2010年3月10日 (水) 13時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138762/47746691

この記事へのトラックバック一覧です: 「森への公案」わが家では――:

« 「あや絵――川崎是空の世界」を観る | トップページ | 小学校卒業式でのPTA会長あいさつ »