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2010年8月 7日 (土)

初講話をする友へ

 生長の家の講話の要諦は、「自性円満(そのままで完全なこと)」を説くことに尽きるのではないかと私は思っています。

 

「自性円満」とは、生命のそのままの相(すがた)のことです。

 

 それは、これから祈ってから成就するものでもなく、幸せな結婚をしてから成就するものでもなく、豊かな繁栄を実現してから成就するものでもなく、さらに云えば、生長の家にふれてから成就するものでもありません。

 

「自性円満」とは、そのままで完全円満な、人間の生命の実相(ほんとうのすがた)のことであり、それは「天地初発(あめつちのはじめ)の時」から成就しているのです。

 

 はじめから「自性円満」なるものが来たり、はじめから「自性円満」なるものが出合い、はじめから「自性円満」なるものが生き、はじめから「自性円満」なるものが逝く――

 

 来たと見え、出合ったと見え、生きたと見え、逝ったと見えるもの、これら一切は「大光明」なる生命の荘厳なるいとなみです。

 

 はじめから「自性円満」なるもののみが、今も、そして久遠に在り通し、生き通しているのです。

 

 それは無尽蔵の祝福と、無量の光明と、無辺際の喜びが、大光明を放ちつつ光臨を転ずる生命の実相(ほんとうのすがた)にほかなりません。

 

 この実相を解き明かすのが、生長の家の講師のお役目です。

 

 これ(生命の実相)をお伝えできれば現象を超えた救いが、随所に成就するのです。

 

 だから体験談を交えて語るとすれば、体験そのもののありがたさを語るのであれば、それはご利益信心であり、かつて吉田國太郎講師が、「それは饅頭をもらったありがたさだ」と云われたレベルに堕ちることになります。

 

 しかし、体験や経験や功徳といった現象とは「無関係」に、「生命はそのままで自性円満である」ということをお伝えすることができれば、それは生長の家のみ教えを語る講話となることでしょう。

 

 初講話の「初」とは、天地初発の「初」のことです。

 

 つまり、初講話とは、天地初発の講話ということです。
 初発とは、久遠の「今」から鳴り出でた光りのことであり、講話は神が成し給うのです。

 

 だから初めて講話する講師も、講話歴50年のベテラン講師も関係ありません。

 

 初講話の鳴り響くところ、そこが生長の家の真理が語られる“場”となるのです。

 

 

 久都間 繁

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コメント

初めてお便りさせていただきます。久都間先生のご講話は原宿の本部で何度も拝聴させていただいております。ありがとうございます、ありがとうございます。
昨日、本日と吸い込まれる様に拝読させていただき、日時計日記に感じた箇所を写させていただきました。
8月1日の第一教区奉送祭に参加させていただき、心からご先祖さまへの感謝、今現存させていただけている私、神の子に、感謝の念を捧げてから、あらゆることが好展開。自分が紛れもなく神の子であると心から喜びに溢れていた時先生のブログに出会いました。「ただ、有り難く思うのであれば、それはご利益信仰」である。希望を実現することがまだないものを作り出すならば、それは難しいかもしれないけれど、『すでにうちにあるもの」を外に出すだけのことだからそれは決して難しいことではない」『今、完全円満であるその今を、ただ、ただ、ありがとうございます、ありがとうございます」と祝福し、ただ、ただ悦ぶ」心の目が開くと、私を取り巻く世界が次第に光溢れるものへと変わっていく・・・・・。一つ、一つ、身にしみ、心が悦びに溢れています。ありがとうございます、ありがとうございます。

投稿: 上久保慧奈美 | 2010年8月 9日 (月) 14時08分

上久保慧奈美さま

>>私を取り巻く世界が次第に光溢れるものへと変わっていく・・・・・。一つ、一つ、身にしみ、心が悦びに溢れています。

 日々ご精進されて来たことが、着実に花ひらき、神へのゆるぎない信仰が確立しつつあることが、あなた様のコメントから伝わってきます。
 聖典講義に何度もお越しになっているとのこと、私は8月から宗務課(聖典講義の会場の1階)に異動になりましたので、本部に来られた折には、気軽に声を掛けてください。

投稿: 久都間 繁 | 2010年8月 9日 (月) 16時56分

先生、ご無沙汰しております。
聖使命新聞で知りましたが移動されたのですね。
新任地でのご活躍、ご清栄お慶び申しあげます。ブログ更新も蜘蛛の巣が張らないようメンテナンスを。ほったらかし農園のその後はいかがでしょうか。
森移住計画は順調ですか?懸念してます。
ありがとうございます。byなおちやん

投稿: なおちやん | 2010年8月10日 (火) 03時50分

なおちゃん、お元気そうでなによりです。
ほったらかし農園は、暑さが奏功して今年も夏の食卓を潤しています。
森への移住計画は、粛々と進めていますが、今は建築経費削減のために知恵を絞っているところです。

投稿: 久都間 繁 | 2010年8月10日 (火) 10時10分

合掌
ありがとうございます。
願いは神からくるものなのか、神がことを起こされるのか、このことがハッキリしなかったものですから、突然、お伺いいたしました。

自分のいのちが自性円満、そのままで完全なことに尽きるのですね。

◎来たと見え、出合ったと見え、生きたと見え、逝ったと見えるもの、これら一切は「大光明」なる生命の荘厳なるいとなみです。
はじめから「自性円満」なるもののみが、今も、そして久遠に在り通し、生き通しているのです。
それは無尽蔵の祝福と、無量の光明と、無辺際の喜びが、大光明を放ちつつ光臨を転ずる生命の実相(ほんとうのすがた)にほかなりません。

→ここが大事なポイントだということがわかり、大安心しました。
ありがとうございました(^-^)。

投稿: みどり児 | 2010年8月10日 (火) 10時30分

>>自分のいのちが自性円満、そのままで完全なことに尽きるのですね。


そうです。
自性円満なる実相を喜ぶことに尽きるのです!
それが神想観の“中味”であり醍醐味です。

投稿: 久都間 繁 | 2010年8月10日 (火) 11時31分

合掌
ありがとうございます。

◎来たと見え、出合ったと見え、生きたと見え、逝ったと見えるもの、これら一切は「大光明」なる生命の荘厳なるいとなみです。

→このお言葉をいただき、よくよく味わってみましたら、維摩さまの「すべてのものが生まれず滅ばないという不生不滅の理法」というお言葉が、身近に感じられるようになりました。
ありがとうございました。

久都間先生は、あらためて求道者でいらっしゃるだなぁと実感しました(^-^)。

投稿: みどり児 | 2010年8月11日 (水) 10時12分

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