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2011年6月

2011年6月14日 (火)

本当に大切なことは

 「自分が大嫌い」だ、というご16歳になる女子高生の方から、ご自身の性格について質問をいただきました。

 

 自分の過剰な性格を持てあましながら、当て所なく運命をぐるぐる回っている、そんな経験は私にもありますので、この辛さはよく分かります。

 

 これは年齢を越えたテーマかもしれません。

 

 同じような悩みを抱えていらっしゃる方のために、彼女からの質問と、私の回答を紹介させていただきます。

 

 

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【質問】

 

 私は自分が大嫌いです。

 

 その理由は私の性格にあります。

 

 私は小さい頃から、いつも周りの目ばかり気にする無口すぎる性格で、その性分が祟ってか人間関係も行き詰まってしまって、小学校高学年から中学卒業時まで不登校を繰り返してきました。

 

 おまけに超のつく怠け者なので、ついに高校受験までも放棄してしまいました。

 

 そんな、もうどこから手を付ければいいか分からないような時に出合ったのが「生長の家」の教えだったのですが、その教えに触れればふれるほど、自分の力量の少なさや薄っぺらさに目がいき、前に進めずにいます。

 

 かといって全く成長しないわけではなく(そう思いたいだけかもしれませんが)、毎日、神想観をした後は「私は神の子だ!」という想いがどこともなく湧き上がって、意気揚々と家を出るのですが(今は一念発起して学校に行かせてもらっています)、やはり今までの積み重ねがゼロに近いせいか、周りの人からの対応や、その対応に対しての私の反応の全てが不自然で、いつも他人に嫌な想いをさせてしまいます。

 

 さらに、そればかりでなく、家族とも隔てなく話すことが難しくなってきてしまいました。でもその原因は私にあって、それを解決するには努力をすればいいだけということは、わかってはいるのですが、その一番元となる私自身に、そこまでお金を掛けてもらってまでの価値があるのか正直わからなくなる時があります。

 

 かといって、このままでいいわけもなく、といいますか、これ以上家族や周りの人に迷惑を掛けてはいけないことも分かっているつもりなのですが、でも、いつもいろいろな感情や過去の出来事、未来への期待や偽善やらが空回りして、落ち込んで、動けなくなってしまいます。

 

 そんな自分から抜け出すには、また、もっともっと心の深いところに根差すような強い信念を得るには、どうすればいいのでしょうか。

 

 見苦しい、長々とした文章ですみません。何かアドバイスお願いします。

 

 

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【回答】

 

 

 私は、昨年までは『日時計24』の編集をはじめ、生長の家から出版される機関誌や新聞などの編集のお仕事をしていました。

 

 そんな私の目から見て、あなたがハガキに綴られた、しっかり自分のことを客観的にとらえて、自由自在に表現されているご文章にびっくりしています。

 

 このような優れた感覚の持ち主は、大いに自信を持っていいと思います。

 

 また、ぜひこの“表現するチカラ”を伸ばして行ってもらいたいと思います。

 

 もうひとつ、おハガキを拝見してハッキリ観じたことは、「人間は神の子であり、仏の子であるということに、この子は目覚めはじめているな」ということでした。

 

 地球上には、これまでたくさんの人間が生活してきましたが、「人間・神の子」というコトバに触れて、まさに自分自身がそうであったことに気が付きはじめる人は、あなたが思っているほど多くはないのです。

 

 キリスト教ではこれを、「神性」と呼び、仏教ではこれを「仏性」と呼んでいます。

 

 もっと言えば、この「神性・仏性」が直感的に分かる、ということは、それだけで貴方には大いなる使命がある、ということなのです。

 

 その、ご自分が持って生まれた使命を、あなたは大切にしなければいけません。

 

 生長の家の教えのポイントは、

 

・「唯神実相」=つまり人間は神の子であり、仏の子であるということ。(縦の真理)

 

・「三界唯心」=ようするに全ては心の影であり、現れているだけにすぎない、ということ。(横の真理)

 

 この2つの視点のことを、いつも思い出してください。

 

 

 そして、全ての現象は“心の影”であり、現れているだけである。ということを、生長の家では「現象は無い!」というコトバで表現しています。

 

 ですから、過去は無い! のです。過去の不完全な自分も無い!  できなかった自分も無い! のです。

 

 過去の自分の出来なかったことや、現在の自分に自信が持てないことなど、そんなただの影に過ぎない「現象」に捉われる必要はありません。

 

 実在するのは、「神の子・仏の子」である、あなたの実相実在だけなのです。

 

 実相を観ずるお祈り(神想観)を通して、「今」そのまま円満完全な、生まれたての神の子のいのちに立ち返って、現象無しの「今」を、“意気揚々”と楽しんでください!

 

 

 周りの人の反応や、ご家族の方とのコミュニケーションは、自分の実相が神の子であることを悦んで楽しく生活していれば、自然と(放っておいても)大調和してくるのです。

 

 だから焦る必要はありませんし、もし仮に上手くいかなかったとしても、人生は“神の子のいのち”を表現するためのレッスンの場ですから、ゆっくりと、一番大切なあなたのいのちのリズムを大事にしながら、楽しく楽に出来ることから始めてください。

 

 

 また、お手紙では、「私は小さい頃からいつも周りの目ばかり気にする無口すぎる性格」だったと書かれていましたが、それを「変えよう」なんて思う必要はありません。

 

 

 無口でいることによって、また不登校となることで、大切なものをまもり、そして育み続けてきたのですから、これまでの人生で無駄なものは一つもないのです。

 

 

 

 本当に大切なことは、「人間神の子、仏の子」に目覚めること。

 

 そして「人間・神の子」の黄金の人生を悦び生きること。

 

 

 あなたの内なる“神の子のいのち”を信じて、安心して神想観を実修してください。

 

 そして勉強に、読書に一所懸命に励んでください。必ず道が開けてきますから。

 

 また、人生のこと、真理のことで分からないことがありましたら、何なりとご相談ください。

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2011年6月13日 (月)

「産土の神」と「教えの先達」について

 先月、三十代の女性の方から、「産土の神」についてと、「懺悔の神示」に説かれている「吾が教えの先達」ということについて、ご質問をいただきました。

 

 質問の本文と、私からの回答を紹介させていただきます。

 

 

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【質問】

 

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 新緑のさわやかな季節となりました。
 貴人におかけましては、益々ご清栄ののこととお喜び申し上げます。

 

 お忙しいなか申し訳ございませんが、二つの相談をさせていただきます。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

〔1つ目の相談〕

 

 私は、父が駐在員でしたので、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市で生まれました。

 

 生後半年ぐらいから、カナダ国ブリティッシュコロンビア州リッチモンド市へ引っ越しました。同市で弟が誕生しました。

 

 私が7歳、弟が1歳3カ月ごろに帰国しました。

 

『霊供養入門』の184ページに、現実世界の奥にある「産土(うぶすな)の神」について書かれています。

 

 私のような生い立ちの場合、産土の神様について、どのように考えたらよろしいのでしょうか。

 

 

〔2つ目の相談〕

 

 亡き祖母は、生長の家地方講師を拝命していました。
 教階は分かりません。

 

 自宅で、『人生を支配する先祖供養』『霊供養入門』を参考に、仏壇ではなく『甘露の法雨』をご本尊に見立てて中央に置き、厚紙で作った位牌を安置し、聖経を読誦して先祖供養をしています。

 

「懺悔の神示」の中に、

 

 

「汝らのうち病める物らば、吾が教への先達の許に来りて祈りを乞い神想観の指導を頼め。吾が教えの先達は吾がことばを受けたるものなれば、彼の言葉汝を癒やさん。心に省みて罪ありと思うものは、教えの先達に包むところなく懺悔すべし」

 

 

と書かれていますが、ここで説かれた「吾が教えの先達」に、祖母を当てはめて位牌に向かうことは、妥当でしょうか。

 

 ご回答よろしくお願い申し上げます。

 

 末文になりましたが、ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。

 

            再 拝

 

茨城県 女性 30歳
信仰歴10年

 

 

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【質問への回答】

 

合掌、ありがとうございます。

 

 まず、最初のご質問、「産土の神様」についてですが、人間の運命のおよそ50%ほどは前世からの宿業、あとの約25%は霊界におけるご先祖などの高級霊(守護神)の導き、残りの25%は本人の精進努力によって決まる、と言われていることはご存じのことと思います。

 

「産土の神様」の影響は、霊界における高級霊の導きの一部に当たります。

 

 谷口雅春先生によると、古代から歴史が連綿と続いている日本の国のような場合は、霊界において産土の神様がそれぞれの地域を守護し、人々を導いているため、霊界でのネットワークが緊密に張り巡らされていると教えていただいています。

 

 では海外(ご質問をいただいたアメリカ合衆国やカナダ)の場合はどうかというと、日本とは事情が異なるとは思われますが、歴史が浅いなりに、(あるいは先住民族の時代から)霊界での市長のようなご存在がいると推察することはできます。

 

 しかし、土地の神様を丁重にお祀りしてきた歴史や慣習のない風土や、古代からの祭りが途絶えてしまった風土では、土地の神様とそこで誕生する人々との間に、日本ほど深い結びつきがあるとは考えにくいのではないかと思われます。

 

 ことにご両親が一時的に海外に居住されて、その土地でお生まれになった方の場合は、ご両親と深い繋がりをもつ日本の産土神様の導きや、ご先祖のお導きが強い影響を与えていることが充分に考えられます。

 

『霊供養入門』の263ページには、守護神について以下のような記述があります。

 

「人間には守護神というのがついていて、その人を安全で、繁栄の道へと導いてくれるようになっているのである。守護神というのは、その人の祖先の霊魂で、修行足りて或る程度の神通力を得たものが、あらかじめ産土の神から選ばれて胎児の出産の刹那、その子供についていて、その人の一生涯を護っていてくれることになっているのである」

 

 

 ということが紹介されていますが、ここで注目していただきたいのは、

 

 

「守護神というのは、その人の祖先の霊魂で、修行足りて或る程度の神通力を得たものが、あらかじめ産土の神から選ばれて――」

 

 という記述です。

 

 このことからも、ご両親と深い繋がりをもつ日本の産土神様の導きや、ご先祖のお導きが、あなた様や弟様の運命に強い影響を与えていることが推察できます。

 

 ですから、あなた様のような場合は、産土の神様は①「ご両親と深い繋がりをもつ日本の産土神。②「お生まれになったロサンゼルス市の土地の神様」これらの神々の連携と、双方の神々に護られて導かれていたのではないか、と推察することができます。

 

 

 さて、次のご質問ですが、「懺悔の神示」に記述された「吾が教えの先達」に、お祖母様を当てはめて位牌に向かうことは妥当か否か、ということについてお答えします。

 

 この「吾が教えの先達」について書かれた「懺悔の神示」をやや詳しく紹介すると、

 

 

「汝らのうち病める者あらば、吾が教えの先達の許に来りて祈りを乞い神想観の指導を頼め。吾が教えの先達は吾がことばを受けたるものなれば、彼の言葉汝を癒さん。心に省みて罪ありと思うものは、教えの先達に包むところなく懺悔すべし」

 

 

と説かれています。

 

 つまり教えの先達とは、「神想観の指導」「言葉による教えの指導」「懺悔の言葉を聴くこと」この3つの役割をしっかりと担える者でなければ、「吾が教えの先達」とはなり得ません。

 

 

 従って、すでに霊界へと移っていらっしゃるお祖母様の場合は、霊界からあなた様の「懺悔の言葉を聴くこと」はできるかもしれませんが、それ以上の働きをすることは、難しいと思われます。

 

 生長の家の教えを真剣に学ばれるのであれば、あなた様が本当に信頼できる本部講師を見出し、その講師の方から教えを請うことをお勧めします。

 

 生長の家本部会館では、毎日「聖典講義」が本部講師によって行われています。

 

 また、各地にある生長の家練成道場や、生長の家教化部でも各講師が指導をしておりますので、師となり得る人を求めて門を叩いてみてはいかがでしょうか。

 

 このほか、分からないことがあれば、何なりとお訊ねください。

 

 

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【礼状】 (平成23年6月1日付)

 

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 雨のおかげで、緑もひときわ美しく見えるようです。

 

 久都間先生には、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

 

 この度は、つたない相談に、迅速にご丁寧なお返事を下さり、まことにありがとうございます。

 

 お礼が遅くなりまして申し訳ございません。

 

 先生のご回答で、私の産土神様について知ることが出来て、大変嬉しく、安心いたしました。

 

 また、「懺悔の神示」の「吾が教えの先達」についても、理解できました。

 

 近くにいる祖母に指導を求められたら良いなと思いましたが、それでは不十分であることが分かり、浅はかであったと自分を恥ずかしく思います。

 

 今までにも練成や行事に参加させていただいたり、個人指導を何度かしていただいたことがあります。

 

 改めて指導をしていただきたい時は、足を運ばせていただきたいと思います。
お忙しい中、ご回答を下さり本当にありがとうございます。

 

 季節柄どうぞお体をお大切にしてください。

 

 まずはお礼のみにて失礼いたします。

 

                    再 拝

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