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2011年8月 6日 (土)

生きるって何でしょう

 10代前半の女子の方から、「生きるとはなにか」「人間とはなにか」という、存在についての哲学的なご質問をいただきました。

 

 人生のある時期、このような根元的な問題に逢着する人もいれば、このようなややこしいことなどほとんど考えることもなく生きている人もいます。

 

 このようなことへの関心や疑問が生まれてくるということは、すでにその方の内にある神性・仏性が目覚めはじめている証(あかし)でもあります。 

 

 こころの目を澄ませて観れば、私たち自身を含め、周りには不思議なことが充ちています。10代、20代のころには、この深淵が巨大な不安と映ることもあれば、光明輝くよろこびの泉として捉えられることもあります。

 

 大切なことは、この巨大な不安ともみえる不思議な宇宙から逃げないこと、目を背けないこと、いいかげんなところで妥協しないこと。そして答えを探求し続けること――

 

 では、次に質問と回答を紹介させていただきます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【質問】

 

 こんにちは。

 

 生長の家の皆さんに、前から聴きたかったことがあります。

 

「人間はなぜ生きるのか」ということです。

 

 私にはよく分かりません。

 

 以前、『日時計24』に載せていただいた「マイ・ポエム」に、私は「生きるのは、幸せを味わうためだ」と書きました。

 

 でも正直私は、そう思ってはいません。

 

 幸せだから何なんですか。私は、人間が存在しているというこことが、根っから不思議です。

 

 生きるって何でしょう。

 

 人間て何でしょう。

 

 誰でもいいので、私に教えてください。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【回答】

 

 質問のおハガキを読ませていただきました。

 

「人間はなぜ生きるのか」ということ、十代前半でこのような哲学的な質問をされるあなた様の魂(たましい)のことを、「大きなご使命をもって生まれた方なのだな」と、そんなことを思いながら回答を書かせていただきます。

 

 あなたがおハガキでご質問されているように、「生きる」とは、幸せを味わうだけの、それだけの存在ではないかもしれません。

 

 また、私たちが「存在している」ということは、それは「この世」がある、ということとともに、本当に不思議なことなのです。

 

 あなたのおハガキを見ていて、ふとその昔、私が教えを受けた先生から聴いた次のエピソードを思い出しました。

 

 

 これは何年も前の、関西での話です。

 

 ある日、生長の家の先生のところに、上品なご婦人が人生相談に来られたそうです。

 

 そのご婦人が語るのには、彼女はとても熱心に神さまを信仰し、ある宗教の教会に度々お参りして、たくさんのお金を奉納して、神さまに自分の幸せや一家の幸せを祈り、多くの人を教会へとお誘いしていたので、自分でも「わたしほど熱心に神さまを信仰している人はいない!」と、自信をもって思っていたそうです。

 

 ところが、ご主人の経営していた会社が行き詰まり、とうとうお金の遣り繰りができなくなり、にっちもさっちも行かなくなってしまいました。

 

 ある親しい方が見るに見かねて、生長の家のことを紹介されたそうです。このご婦人は藁(わら)にもすがる思いで、紹介された講師のところに相談に来られたのでした。

 

 そのご婦人は、生長の家の講師に、これまでご自分の信じてきた信仰のこと、そしてとうとう行き詰まってどうにもならなくなったことなど、思いのたけをお話になると、

 

「――この世には、神も仏もいないのでしょうか」

 

と訴えられたそうです。

 

 すると講師は、間髪を入れず、

 

「あなた、この世にはねえ、神も仏もいませんよ」

 

と答えられたそうです。

 

 そのご婦人は、

 

「やっぱりそうでしたか。もう神も仏もあるもんか、私はだまされていたッー!」

 

と、失望のあまり、地団駄(じだんだ)をふんでくやしがりました。

 

 それを聞いていた講師は、静かに次のように言われました。

 

「あなたねえ、この世の中に神はないけど、神さまの中に、この世はあるんだよ――」

 

 ご婦人は、そのコトバに触れたとき、まるで天地が開けるような思いがしたそうです。

 

 彼女は帰宅するとすぐに、思いつく限りの人に連絡して頭を深く下げて資金繰り(お金)の手配をし、打つべき手を全て打ち、夜眠る前には、この世の一切を抱き育んでいる神さまに、すべてを打ち任せて眠る、このような日々を送っていました。

 

 ――そして数カ月、気が付いてみれば、つぶれそうだった会社が持ち直し、いつしか借金は消え、彼女の家はふたたび富み栄えていたそうです。

 

 

 さて、前置きが長くなりましたが、人間が存在している、あるいは、この世が存在している、ということの背後には、それを生みだした宇宙大生命ともいうべき「神」が存在している、というのが生長の家をはじめ、仏教やキリスト教など世界にある伝統的な宗教の説く世界です。

 

 だからあなた様は、お父さんお母さんのお子さんであると同時に、この大生命(実在)の子であり、すべての人間は一人の例外もなく大生命の子どもなのです。

 

 この宇宙的な大生命のことを、私たちは神と呼び、仏とも呼んでいます。

 

 つまり、人間はみな神の子であり、仏の子なのです。

 

 人間が神の子であるということは、あなた様の内には、無尽蔵の「知恵」と「愛」と「生命」そして無限の喜びとが、充ち満ちているのです。

 

 ですから「生きる」ということは、大生命があなた様を生きている。神さまがあなた様を生きているのであって、わたしたちは「生きる」というよりも、大生命(神さま)に「生かされている」のです。

 

 コトバがちょっと難しかったかもしれませんが、とても深い意味をもったご質問をいただいたので、このような、まるで大人にお話しするような文章になってしまいました。

 

 分からないことがあれば、いつでも、どんなことでも、遠慮なくご質問ください。

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コメント

久都間先生、楽しみに拝読させていただいている者です。いつもありがとうございます。

「大生命があなた様を生きている。神さまがあなた様を生きているのであって・・・」という言葉に驚き、目から鱗のような心地がいたしました。

「生かされている~。自分が要らなかった~。」というご文章などに何度も触れさせていただいてても、ああそうだったな~と思いながら、しかしどこかで肚の底に座り切ってない感じのすることがありました。

しかし今日このご文章に触れて「アッ!!!」と腑に落ちた感がいたします。

ありがとうございました。

投稿: akimoyan | 2011年8月 8日 (月) 01時01分

akimoyanさま。
コメントをありがとうございます。

「腑に落ちた」ということは、内から開いたのですね。

私も「腑に落ちた」ことを、折に触れて紹介させていただきます。

このブログでは、質問も受け付けていますので、分からないことがあれば、コメント欄かメールで気軽にご連絡ください。

投稿: 久都間 繁 | 2011年8月 8日 (月) 11時15分

ありがとうございます^^

投稿: akimoyan | 2011年8月 9日 (火) 19時45分

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