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2011年8月15日 (月)

「知らずに犯す罪」と原発事故(2)

 8月12日に本欄で発表した〈「知らずに犯す罪」と原発事故〉について、都内在住の主婦の方から率直なコメントをいただきました。

 

 生長の家に関心を持つ方の多くが、この問題について共通の疑問や悩みを感じていらっしゃるかもしれません。

 

 返信が長文になりましたので公開します。ご意見ご感想などありましたらお寄せください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 mama さま。貴重なご意見をありがとうございました。

 

 小学生のお子さんがいらっしゃるとのこと、水や食べ物への放射能の影響がご心配のことと思います。

 

 さて――
 
>> 生長の家の先輩方に放射能の懸念をお話しすると、
>> 認めたものが顕われるから気にしないでいい、人間は
>> 物質ではなく霊だから、何物にも冒されない、この困難
>> な時期に生れる赤ん坊は使命があって生れて来てい
>> るのだから絶対に守られる、という話になり、でも とか、
>> だけど とか言わず素直に受け取ればよいと言われます。

 

 
 先輩の方のご意見とのことですが、これは一見もっともらしい指導のようにみえますが、生長の家の教えがよく分かっていらっしゃらない“独り善がり”な考え方、と言わざるをえません。

 

 原発事故も含め、さまざまな「現象」に、「実相」の智慧をもって対処するためには、正確な情報と、深い愛と、祈り(神想観)を通して得た正しい判断とが必要です。

 

 もし原発事故や放射能汚染について「気にしない」ような、そんないい加減な信仰姿勢でいたならば、正確な情報を得ることも、時宜を得た最善の対処をすることも、まして正しい指導などはできません。

 

 そのような信仰姿勢が、「知らずに犯す罪」を、何度も繰り返してしまうのです。

 

「人間は物質ではなく霊である」という教えは、そんな曖昧(あいまい)で不徹底な生き方をすることではありません。

 

 内なる「神の子の実相」(善一元)を正しくはっきりと直視すること、そして「神の子・仏の子」として、自由自在に「現象」に対処して、真・善・美を生活の場に現すこと、それが霊的実在としての人間の生活なのです。

 

 

 さて、『真理の吟唱』の「向上の力を得る祈り」の中で、谷口雅春先生は次のように説かれています。

 

 

「真の愛は一体感である。彼のよろこびを、わがよろこびとし、彼の悲しみ苦しみを、わが悲しみ苦しみとして、彼より、そしてすべての人より、その悲しみ苦しみを除いて楽を与えんとする願いである。否、単なる願いではなく、実践である。真の愛は、中うつろにして大きく鳴るラッパのようであってはならないのである。少しでも多く、他の人々の悲しみ苦しみを除いて、悦び楽しみを与えるための実践を為すことである」          (同書「向上の力を得る祈り」より)

 

 

 つまり原発事故や放射能汚染などの「現象」について「知る」ということは、「彼の悲しみ苦しみを、わが悲しみ苦しみと」することなのです。なればこそ、正しく「知る」ことで「すべての人より、その悲しみ苦しみを除いて楽を与えるための実践」が可能となるのです。

 

 それが仏の四無量心を生きることであり、神の無限の愛を生きる生長の家の信仰生活です。

 

 

>> 現象の事実を知ることと、
>> 善一元の世界の安心を得ることとが、
>> 私にとっては相反するように思え、
>> 悩ましい日々です。

 

  
 繰り返しますが、信仰生活とは、私たちの「実相」である智慧・愛・生命を、この現象世界で“生きる”ことであり、それが神の無限の愛・仏の四無量心の展開としての私たちの運動です。

 

 だから「現象」のさまざまな事柄について正しい情報を得て、祈り(神想観)を通して人・事・処において自在に最善の対処をすることが信仰者としての生活なのです。

 

 

「善一元の世界」というのは単なる観念ではありません。また、「善一元」は私たちと離れたところに存在しているのではありません。私たちの実相こそが「善一元」そのものなのです。

 

 それが「人間は神の子である」ということの真意です。

 

 神の子・仏の子である実相を悦び、智慧・愛・生命を生きる私たちの生活こそが、人類光明化運動であり国際平和信仰運動なのです。

 

 

 

 

 

【お奨めの書籍】

 

 

 

 

 

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コメント

返信をありがとうございました。

先輩方(地方講師)の意見が「独り善がり」な考え方であるとご指摘下さったこと、びっくりしましたが、心の底では、どうなだめても湧いてくる私の思いも間違ってはいなかったのだと、認められたようで、自分の思いを否定して教えに合わそうとする私の姿勢の間違いにも気付かせていただきました。

私が出席した生長の家のいろいろな会では、放射能汚染に関してどう考え対処したらいいかという質問やご指導は聞いたことがありません。今回の先生のブログは私にこのことをはっきりさせて下さいました。

玉石混交のインターネットでの情報収集で疲弊して暗くなり、現実逃避がちの私でしたが、このご指導であらためて しゃん!としようと思いました。

神想観をちゃんとやりたいと思います。
お勧めの書籍を読んでみようと思います。


>内なる「神の子の実相」(善一元)を正しくはっきりと直視すること、そして「神の子・仏の子」として、自由自在に「現象」に対処して、真・善・美を生活の場に現すこと、それが霊的実在としての人間の生活なのです。

>信仰生活とは、私たちの「実相」である智慧・愛・生命を、この現象世界で“生きる”こと

>だから「現象」のさまざまな事柄について正しい情報を得て、祈り(神想観)を通して人・事・処において自在に智慧・愛・生命を発揮して最善の対処をすることが信仰者としての生活なのです。

>「善一元の世界」というのは単なる観念ではありません。また、「善一元」は私たちと離れたところに存在しているのではありません。私たちの実相こそが「善一元」そのものなのです。

>神の子・光りの子である実相を悦ぶ私たちの生活こそが、人類光明化運動であり国際平和信仰運動なのです。


これらのお言葉、かみしめたいと思います。

ありがとうございました。

感謝 合掌

投稿: mama | 2011年8月16日 (火) 15時16分

mamaさま。
お礼のコメントをありがとうございました。

>> 先輩方(地方講師)の意見が「独り善がり」な考え方であるとご指摘下さったこと、びっくりしましたが、心の底では、どうなだめても湧いてくる私の思いも間違ってはいなかったのだと、認められたようで、自分の思いを否定して教えに合わそうとする私の姿勢の間違いにも気付かせていただきました。


「内なる声」に耳を傾けてあげることこそが、実は信仰生活にとって一番大切なことなのです。

「独り善がり」なことを言う方は、「内なる声」が神様とつながっていることを知らないか、「外なる現象」に振り回されているのかもしれませんね。

 これも、それぞれの信仰の段階で大切なことを学んでいる過程でもありますので、ともに真理を研鑽しながら、温かく見守っていただければと思います。

 今度の土曜日(8月20日)の午後、私は生長の家本部での聖典講義に当たっていますので、ブログでのテーマにも触れたいと思います。時間があればお越しください。


投稿: 久都間 繁 | 2011年8月16日 (火) 15時41分

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