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2011年8月12日 (金)

「知らずに犯す罪」と原発事故(1)

 仏教の説話(『那先比丘経』)の中に――

 

「知って犯した罪と、知らずに犯した罪と、いったいどちらの方が重いか」という話がある。

 

 この質問に対して、同経の中では、

 

「知らずに犯した罪の方が重い」
との答えが述べられている。

 

 3月11日の東北大震災は、東北地方に甚大な被害をもたらしたが、ことに福島県で発生した東京電力の福島第一原発における事故は、8月に入っても未だに終息の目処も立たず、放射能と放射性物質を放出し続けているのが実状のようだ。

 

 原子力発電所は、現在日本に54基ほど存在し、その一つひとつの原発が、福島での事故と同じ災禍をもたらす危険性を秘めているということを、私たちは偏見のない目で見つめ直し、あらためて「原発とは何か」ということについて考えてみる必要があるのではないだろうか。

 

 多くの日本人、ことに都市部に在住する日本人にとって、電力の「原発」への依存ということや、その危険性や地域住民の苦悩については、今般の福島における事故を通してその甚大な被害が明らかになるまでは、「知らずにいたこと」なのではないだろうか。

 

 これは私自身への自省を込めて書いているのであるが、原発について「知らない」ということ、知らないがゆえに立場を鮮明にしていなかったということ、実はこれは「知らずに」原発を推進し、「知らずに罪を犯していた」のではないか、そんなことを強く感じている。

 

 繰り返すが「知らずに犯す罪」は、かえって知って犯す罪よりも重いという。

 

 それは、「焼け火箸」と知って握れば、大けがをすることはないが、「焼け火箸」と知らずして握った場合は、“大やけど”を負ってしまうからである。

 

 ましてや「死の灰」と言われている放射性廃棄物や放射性物質の場合には、今生きている世代のみが“大やけど”を負うだけならまだしも、子々孫々に亘って、いったいこれからどのような災禍をもたらす可能性や危険性があるのか――

 

 日本中にある「原子力発電所」から不可抗的に排出される「高レベル放射性廃棄物」が、現在どのような処理をされ(あるいは未処理のまま)、どのようなペースで地球上に蓄積され、それが人類の健康にどのような影響を与え、さらに現在進行中の福島原発事故の現状や、大量の被爆を覚悟の上で事故の処理に当たっている人々のことや、この放射能汚染にどのように対処すればいいのかを知るためにも、私たちは“原発”や放射性物質の与える影響について、より深く、より正確な情報を知る必要があると思われるのである。

 

――私は元来、保守的な人間である。しかし福島での原発事故を機に、イデオロギーによる偏見を超えて、未来世代の子や孫たちのためにも、目をそらすことなくこれらの現状をしっかりと「学ぶ」ことの義務を感じている。

 

 それが、今日の日本において「知らずに」罪を犯さないための確かな生き方であり、今般の大震災と原発事故を真摯に受けとめ、人と自然とが調和した世界を拓くための、大きな転機にしなければならないと考えている。

 

 

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コメント

合掌 ありがとうございます。

 小学生の子供を持つ母親です。首都圏に住んでいて日常的に放射性物質について気になりながらもあまり気にしない様に努力して生活をしています。

 生長の家の先輩方に放射能の懸念をお話しすると、認めたものが顕われるから気にしないでいい、人間は物質ではなく霊だから、何物にも冒されない、この困難な時期に生れる赤ん坊は使命があって生れて来ているのだから絶対に守られる、という話になり、でも とか、だけど とか言わず素直に受け取ればよいと言われます。

 頭では分かっているつもりですが、そこまでの信念が私にはまだ充分でないと感じます。腹の底まで真理が分かったら思い煩うことも無くなるのでしょうし、先輩方は大半がその辺を悟った方なのでしょう。

 でも単に事実を知らないで大丈夫と言っている方も多いような気もしますし、原発問題、放射能問題に向き合わない方ほど、子育て世代の悩みに寄り添わず、世間とのズレを感じます。そしてそのような方たちの間ではエネルギー問題、環境問題などをまじめに考える方は少ないような気がします。ある程度原発の事を気にしている方の方が雅宣先生のお考えを理解出来ている気がします。

 私はとにかく安心したいので、聖典を勉強するとともに機会のあるごとに信念のある方のそばにいたいと思っています。

 そして放射性物質の与える影響についてよく知りたいと思う反面、神経質なのでますます怖くなり日常生活で消耗するので、もうこれ以上は知りたくないとも思ってしまいます。

 現象の事実を知ることと、善一元の世界の安心を得ることとが、私にとっては相反するように思え、悩ましい日々です。


 でも、今回のブログにとても共感させて頂きました。

 日々思っていてなかなか言えないことを思わず綴らせていただきました。
 

投稿: mama | 2011年8月14日 (日) 15時30分

mama さま。
とても貴重なご意見を、ありがとうございました。

多くの方が、あなた様と同じような思いを抱いているかもしれませんね。

私からのお返しのコメントが長文になりましたので、読者の参考のためにブログ上で公開させていただきます。

投稿: 久都間 繁 | 2011年8月14日 (日) 18時45分

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