自然エネルギーを求めて(2)――今できることを足下から
「これだけは実現したい」と切望しても、与えられた条件、資金、時期など、さまざまな阻害要因が重なり、それがたとえどんなに善いことで、どれほど望ましいことであったとしても、「実現」にまで至らないことは、人生では度々経験させられるところである。
今般、福島で発生した東電原発事故による放射能漏れは、周辺地域のみならず、日本全体に深刻な影響を与えていることが次第に明らかになりつつある。
そのこと一つとってみても、いかに原発というシステムが、人類の生活に不適合なものであり、「放射能」と「生命」とが相容れないものであるかが分かるのである。
原子炉から放出されるセシウムの半減期30年。プルトニウムの半減期2万4千年という途方もないものを、いったい誰が責任を持って管理するというのだろう――。
未来世代のためにも、一刻も早く、原発由来のエネルギーから、太陽光、風力、波力、地熱などの「自然エネルギー」を利用した電力へと、社会的な規模での転換を図りたいものである。そこで一念発起して、わが家で試みた太陽光発電プロジェクトだったが、その顛末は前回のブログをご参照いただきたい。
「時節到来」という言葉があるように、この世には、ものごとが人・事・処を得て自然に成就する「時節」というものがある。しかしそれは、ただ手をこまねいているだけで巡ってくるものではないのかもしれない。
社会全体を、循環型のシステムへと移行させて行くためには、先ず先駆者となる人々が、未来へのより善きビジョンを描き、それを先ず足下からこつこつと実践することを通して、人々の心の扉を叩き続けることから、すべては始まるのである。
地域の産業として、自然エネルギーを利用したシステムが社会的な規模で実現するのは、まだまだ時間を要するかもしれないが、個人の生活においては、今できることを一歩でも二歩でも踏み込んで、自然エネルギーを利用した暮らしを実現できるはずである。
――それにしても3.11における原発事故と、それが環境に与えた影響はあまりにも深刻である。
スーパーに山積みされた野菜、鮮魚売り場の魚を見ても、私たちは放射能が与えた影響を勘案せざるをえず、地産地消という、これまで“安全”とされてきた前提がすっかり崩れてしまった感がある。
ことに成長期にある子供のいるご家庭では、放射性物質による内部被爆への懸念は、学校給食のことも含め深刻な問題である。
原発が与えた影響を考えれば考えるほど、環境保全への願いは募るばかりだ。
このような「願い」から、わが家で3.11以降に取り組んだささやかな試みを、本欄では何回かに分けて紹介させていただこうと考えている。
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