神の“無条件の愛”について
北海道の旭川近郊にお住まいの女性の方から、「神の愛について」と「憑霊について」の質問をいただきました。
キリスト教の素養のある方のようで、贖(あがな)いや苦行を通さなければ、神の赦しを得ることができない、という観念に縛られていることが、手紙の内容から伝わってきました。
たとえば次のような切実な悩みを訴えています。
「果たして一つひとつの過ちを、いちいち苦行や苦痛を通して改めさせられるのか、どんな小さな過ちも贖わなければならないのか。もしそうであれば、その贖い方、懺悔した後の心の持ち方などを教えてください」
というものです。
共通の悩みや疑問をお持ちの方のために、私からの回答を公開させていただきます。
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【回 答】
頂いたお手紙によると、生長の家の教えを読むと、ほっとされるとのこと。
それは、あなた様の本質が愛そのものであり、あなた様が円満完全な神の子さんだからです。
神さまの愛について教えてほしい、とのご質問ですが、一言で云えば、神さまの愛は「無条件の愛」です。
ですから神の愛には、「何か良い行いをしたから愛する」とか、「贖罪をしたから愛する」といった、「・・・・してから」という“条件”は一切ありません。
ですから、そのような「贖いをしてから」「苦行をしてから」「懺悔してから」ようやく赦してくれるような条件付きの神は、それは人間の側が勝手に作りだしたものなのです。
神さまの愛は太陽のように、誰にでも平等に無限に降り注いでいるのです。
その愛をそのまま受けて、その愛のまっただ中に浴するのが、生長の家の神想観(座禅的な瞑想法)です。
「贖い」や「悔い改め」をするのが小懺悔だとすれば、生長の家は「現象は無い!」との大懺悔によって、現象の一切を否定して、そのまま円満完全なる神の子の実相の大海原へと、人生の航路を漕ぎ出すのです。
また、お手紙にあるように、憑霊のことがどうしても気になるようでしたら、人間はそのままで円満な神の子であることが書かれた、『甘露の法雨』を読むことをお勧めします。
これは改まって仏壇や神棚で誦げるもよし、また暇な時間がちょっとでもあれば、椅子にでも腰掛けて5分でも10分でも読まれるとよろしいでしょう。
あなた様が、“神の無条件の愛”に目覚め、神の無条件の愛を悦ぶにしたがって、頼って来ていると思われる霊も、安らかな悟りを開いて救われるのです。
人間は神の子です。
憑霊などに惑わされるような存在ではありません。
あなた様の内にある「神の子の円満完全な実相」を深く観じて、心から喜ぶことが神想観です。
神想観について詳しく指導を受けたい場合には、あなた様がお住まいの場所に近い生長の家旭川教化部を訪問して、指導をお受けになるとよろしいでしょう。
連絡先は以下の通りです。
〒070-0810
北海道旭川市本町 1-2518-1
電話 0166-51-2352
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コメント
久都間様
ご無沙汰してます。素晴らしい嬉しいご回答ありがとうございます。
私も苦行した一人です。今思えば、それは私の通る道だったのでしょうが、ひとたび「人間は神の子だ!!私は素晴らしかったのだ!!!今、神の子完全円満なんだ!!!!」と悦べると、一瞬にして光一元の世界に跳び出して、その苦行した5年間は何だったのだろうと不思議な思いをしたことを憶えています。
9月から地区連での早朝神想観を始めました。ただただ神様の愛のまっただ中にすっぽり浴して幸せを感じてます。
そしてし続けることが何と素晴らしいんだろうと実感してます。
投稿: yuko | 2011年11月19日 (土) 17時34分
今日の本部における講義の折に、yukoさまからのコメントを、上述の回答と合わせて紹介させていただきました。
地区連で早朝神想観を始められたとのこと。ますます光りが光りを呼び、悦びが喜びを招き、唯神実相の光明の輪が広がることでしょう。
投稿: 久都間 繁 | 2011年11月20日 (日) 13時58分