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2011年12月13日 (火)

自然エネルギーを求めて(6)――ペレットストーブと循環型の社会

 9月8日のこと、ペレットストーブがわが家にやってきた。外では、まだ蝉時雨が降り注いでいた。

 

 取付工事には、東京ペレットのOさんと、60歳前後の職人さんと2人で来られ、午前10時ごろから着工、約2時間ほどで設置が完了した。

 

 わが家に来た製品は、オーストリアのカリマックス社製の「ベリーナ」というストーブだった。

 

 
 このストーブは、店頭に何年か実演展示していたものを、製品がモデルチェンジしたのを機に、部品を取り寄せて修理し、譲っていただいたものだ。

 

 

 

 あれから3カ月ほど過ぎ、木枯らしが吹く寒い晩や、気温が10度以下になる朝には、ストーブに火を焚いて暖をとっている。

 

 耐熱ガラスの窓の向こうで燃える炎を、子供たちは懐かしそうに覗き込んでいる。

 

 わが家に来たペレットストーブは、鋳物でできている上に、サーモスタットが付いている。室温が設定した温度に達すると、自動的に運転を停止し、鋳物に蓄熱された「熱」をゆっくり時間をかけて放熱(輻射熱)する。

 

 したがって石油ストーブやファンヒーターなどのように連続して燃焼することがなく、燃料を無駄に使わなくて済むところがありがたい。

 

 ペレットストーブを設置した当日、ストーブの試運転をしながら、Oさんと次のような会話を交わした。

 

O氏 「これは欧州の方から聴いた話ですが、彼らは冬が来たからとて、あわてて石油ストーブやファンヒーターを買うようなことはせず、夏の間に冬支度をすべて済ませるそうです」

 

ashikabi 「――ってことは、わが家は今年から欧州なみだね」

 

O氏 「ドイツやオーストリア製のペレットストーブは価格もそれなりに高価ですが、堅牢な作りをしているため家具のように“一生もの”として使い続けることができます」

 

ashikabi 「へえ~“一生もの”なんて、タンスだけかと思っていたよ!」

 

 振り返ってみれば、結婚して二十数年を経たが、家族が増え、引っ越しをするたびにわが家ではいったい何台の暖房器具を買い換えて来たことだろう! 電気ストーブと電気ゴタツに始まり、石油ストーブ、石油ファンヒーター、エアコン、そしてホットカーペットにオイルヒーター。

 

 これまで、家族の生活を支え続け、お世話になったこれら数々のモノたち。その製品が、大切に修理しながら一生使い続けることができる物ばかりならば、よもや季節ごとに大量の暖房器具が店頭に並ぶこともないだろう。

 

 私たちのライフスタイルが、いつの間にか「大量生産・大量消費」の渦の中で、「一生もの」というコトバを見失い、物に対する大切な感覚を、どこかに置き忘れてきているのかもしれない。

 

 物に対する大切な感覚、それは「人」と「物」との“心の繋がり”と言い換えてもいい。

 

 物との“心の繋がり”を失えば、モノに対しても、資源に対しても、同じような扱い、つまり「使い捨てる」ことが気にならなくなるだろう。

 

 そして、「自然」に対しても、「食物」に対しても、さらに「いきもの」たちや「人」に対しても、私たちはいつの間にか、この“心の繋がり”を見失っているかもしれないのである。

 

 金光教祖は、

 

「大根にも机にも御礼を言う心にならなければならぬ」

 

と説かれたというが、「御礼を言う心」とは、大根や机などの物たちに宿る“こころ”と、さらにそれらのものを生みだしたものと、深く心を通わせることにほかならない。

 

 12月の始めのこと、飛騨高山にあるオークビレッジ(代表 稲本正)を訪問させていただいた。

 

 薪ストーブとペレットストーブという“循環型のエネルギー”で暖をとった山の中のギャラリーには、魅力的な木製の椅子、年輪の浮き出た漆塗りの味わい深いテーブル、玩具、手作りの食器類などが展示され、ビレッジの方からは、「テーブルなどの家具は三代使えます」とのご説明をいただいた。
 
 丹誠込めて物を作り、その想いを受けとめながら大切に扱い、長く使わせていただくこと――

 

 そこには素材となった樹木を育てた人、師匠から受け継いだ技を駆使して作った人、家族の幸せを願い購入した人、子供の健やかな成長を祈り拭(ふ)き続けた人、そんな人々の温かな“こころ”がこめられることだろう。

 

 つまり、「物」とは、人々の深い“こころ”と、人々や大自然を生みだしたものの“こころ”が託された、“いのちのバトン”なのではないだろうか。

 

 

 ――そして、その最たるものが、私たちの躯(からだ)なのかもしれない。

 

 すべての生きとし生けるものたちが、このバトンを親から担い、それを後世へと伝えている。それが“いのちのバトン”を託された生き物たちの、生物多様性の諸相のようにも思える。

 

 私たちは人間だけの都合を優先して、この尊い“いのちのバトン”を断ち切るようなことをしてはならない。

 

 そのためにも、すべてのものに御礼を言い、そこに宿る深い“こころ”を拝むような、環境に負荷を与えない“循環型のライフスタイル”を、エネルギーのみならず家具、道具、建築、食べ物などあらゆる分野にわたって、現代の暮らしにに蘇らせることが必要ではないかと思うのである。

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コメント

こんばんは。初めまして。夜分遅くに失礼致します。ご相談したかったのですが、メールで送れなかったので、コメントで投稿させて頂きました。先生、私は業の流転に大変苦しんでいます。兄が11年前に失恋を機に自殺し、私も数年後恋愛問題で何度か自殺未遂をしました。本部講師の先生からは先祖供養と両親への深い意味での感謝(何かしてくれたからありがたいではなく、神の子として礼拝することらしいですが)をしたら、業が消えると、言われました。行を実行中ですが、とにかく恋愛しなければまず死にたくならないと思っていましたが、恋愛的感情ではなく、大変人生の先輩として、尊敬し、心から愛する方(父や祖父を思う様な感情です)ができてしまいました。私はその方の身の回りのお世話をさせて頂いていましたが、同様にお世話する子や会いにくる子達にその方が非常に愛する様な態度で接しているのをみると堪らなく辛く激しい嫉妬心にさいなまれます。そして、凄く悲しくなって、自分の存在を消したくて、今すぐ死にたくて堪らなくなります。これは我の愛で本当の愛ではないし、そんな不純な思いのまま接するのは失礼で違うと思いますし、嫉妬してしまう自分が堪らなく嫌で、そんな現場(その方が他の子達を愛す)をみていると苦しくて悲しくてたまりません。年末年始は仕事が、忙しく辞めれないので、辞めませんが、年始の仕事が終わったら、死ににいこうかと思っています。心がぐちゃぐちゃです。何で生きてないといけないんですか?何で実相顕現しないといけないんですか?神の子なんて分かりません。今の場から離れても、また次に大切な人に出会ったら、また同様に死にたくなるのかと思うと業を断ち切るしかないのは分かってます。深い意味での感謝、覚らなければ分からないですよね。そんなのできません。辛くて辛くて仕方ありません

投稿: 光 | 2011年12月28日 (水) 23時32分

光さま

2日間ほど不在にしておりましたので、先ほどご相談のコメントを拝見しました。

返信が長文になりましたので、あなた様からのご質問とともにブログに掲載させていだたきます。

投稿: 久都間 繁 | 2011年12月30日 (金) 10時16分

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