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2012年1月

2012年1月23日 (月)

「心、仏、衆生、三無差別の心」について

「真象の有無」について質問をいただきました。

 

 ここを、うやむやにせず、「実相」と「現象」の違いが明確になるにしたがって、信仰が実生活を活かすものとなり、その人自身を救うとともに、人に対してもその人本来の生き方へと導くことができるようになります。

 

「現象無し!」の大刀を自在に振るいうるか否かは、ここの理解と、祈りの深さとに懸かっています。

 

 以下に質問と、回答を公開させていただきます。

 

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【質 問】

 

 合掌ありがとうございます。

 

「真象の有無」についてお聴きしたいです。

 

『生命の實相』20巻のP133後ろから3行目の、
「一心転じて、佛ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなり」
のところで、佛と現れた心や姿、極楽と現れた状態が真象だと考えましたが、その後で「現象一切無し」と書かれてあり、真象も無いのかと思いましたら、P136の1行目に、
「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」
と書かれていますが、神の心の顕現は真象ではないのですか?? 

 

  一方では真象が否定され一方では肯定されているように思い、よく分かりません。どの様に解釈したら、宜しいでしょうか??m(__)m

 

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【回 答】

 

 合掌、ありがとうございます。

 

「実相と現象」について先ず頭で理論的に理解し、その後の観行(神想観)によって体感体得するためには、ここはとても重要な箇所でもありますので、私の回答を参考に、あらためて本文を熟読していただければと思います。

 

 さて、まず「一心転じて、佛ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなり」という「心」とは、「心、仏、衆生、三無差別の心」つまり本来無い「現象の心」のことです。

 

 またP136の1行目にある、「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」と説かれた「神の心の顕現」とは、「実相世界」のことです。

 

「真象」とは、この実相が、現象世界に展開した相(すがた)です。ですから、実相さながらに調和した真・善・美が現れるのです。しかしながら、どんなに素晴らしい「真象」が現れていようとも、それは現象にすぎないのです。

 

 現象は、時間の経過とともに必ず消滅します。

 これを仏教では諸行無常と説き、浄土真宗では「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ」(蓮如上人「白骨の御文」)というコトバで、このことを表現しています。

 

 あなたが疑問を持たれた、「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである」という、ここで説かれた「神の心の顕現」とは、繰り返しますが、実相世界のことです。現象世界に展開した「真象」は、その実相が如実に顕現した状態です。

 

「現象は無い」ということは、「神と神の創り給うた世界のみが実在である」ということです。それが、神想観において観ずる世界です。

「現象は無い」のですから、私たちと、私たちを取り巻く世界は、はじめから、そのままで円満完全であり、これから完全になるのではないのです。

 

 その円満完全なる世界を日々観じて悦ぶだけで、「三界唯心」の心の法則によって現象世界に「真象」が現れる、つまり実相世界の大調和した真・善・美が、あなたの実生活にあふれてくる、それが生長の家の信仰生活です。

 

 以上が「唯神実相」の教えからみた「現象顕現の法則」であり、幸福な生活を実現する秘訣なのです。

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2012年1月20日 (金)

「現象無し」の教えについて

 先月末、家系にまつわる精神疾患という「業」について質問をいただき、その後、数回にわたって応答させていただきました。

 

「現象無し」の教えと「先祖供養」との関係など、信仰の根本に係わることについて答えましたので、相談された方の名前や背景など一切伏せて、要点のみ公開させていただきます。

 

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【質 問】

 

 夫、姑からの有難いご縁、および実家の母、妹等の後押しのお陰で、信仰についてたくさんの勉強をさせていただくようになりました。

 

 教化部の早朝神想観にも通わせていただき、また家では白鳩誌友会、夫の相愛会の例会のお手伝いと、驚くほどのご縁をいただけるようになりました。

 

 しかし、今なお課題が山積しています。「すべて有難いこと」という真理はわかりますが、一方でこのまま放っておいてよいのだろうかという疑問があります。

 

 振り返ってみると、姑、夫、娘と、婚家は精神病の家系だったということです。

 

(中略)

 

 私の初孫ですが、利発で元気な子ですが、保育園でも問題で「多動性障害の疑い」といわれています。姑、夫、娘、そして孫と、一体どこまで精神病が付きまとうのでしょう。

 

 頭のことは即先祖供養と聞きますが、こんなに何代も精神疾患が続くというのは不自然な気がします。何か悲しい思いをしているご先祖様や流産児がおられるのなら、私はいくらでも供養させていただきますが、そのような考えは不要なのでしょうか?

 

 どう考えればよいのか頭が混乱します。地元では皆うちの家族のことを知っていますので、内緒にしています。訳がわからないのです。

 

 生長の家は現象を見ないといいますが、「先祖供養」の必要と、「現象はない」ということとの兼ね合いも分かりません。長々と申し訳ありませんが、お時間があればご指導お願いします。

 

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【回 答】

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 お姑様のこと、そして一家にまつわる「業」の問題でご苦労されていること、お手紙から伝わってきました。

 

 あなた様は地方講師でもありますので、結論から申し上げることにします。

 

 まず、「先祖供養」と「現象は無い」ということの兼ね合い、についてのご質問ですが、信仰に“兼ね合い”などというものはございません。

 

「現象は無い」とは、つまり「神のみがある」という信仰です。

 

 ご先祖も流産児も、姑もご主人もお孫さんも、「実相」はそのままで円満完全な神なのです。

 

 神の創り給うたままの完全円満なる世界のみ実在であり、他のもの(現象)は非実在であり、心のカゲが現れては消えていく姿なのです。

 

 この、神の創り給うたままの、円満な光明一元の世界(実相)を観じ悦ぶ行事が、日々実修する神想観(祈り)です。

 

 したがって、「迷っている霊がいる」「精神病がある」「困った姑が居る」これらの現象を認めて、それを「良くしよう」と、無いものを相手にしていることが迷いなのです。

 

「現象は無い!」とは、それら一切の不完全な現象は、「現れているだけにすぎない」ということです。

 

 そして、「在る(実在する)ものは円満完全なる神のみである」「完全健康円満なる神の子人間のみである」と、実在するもののみを相手にする生活が、信仰生活です。

 

 この円満完全である実相の先祖と、未だ一度たりとも堕ろされたことのない神の子・光りの子として流産児を拝むことが、先祖供養です。

 

 迷える霊や不完全な姑を「在り」として、それを「良くしよう」とするのでは、そもそもの着眼点が根本から間違っているということは、「三界唯心」の法則からみてもお分かりいただけることでしょう。

 

 三界唯心所現の教えは、「唯神実相」の世界を徹底的に観じ悦ぶことから、天地が開け、八方塞がりを完全に氷解させる道が開けるのです。

 

 

「先祖供養」してから神の子になるのではありません。先祖も、流産児も、姑もご主人もお孫さんも、はじめのはじめから円満完全なる神の子であり光りであることを観じ、悦び感謝することが、生長の家の神想観であり先祖供養です。

 

「不完全な現象を良くする」のが信仰生活ではありません。

 

「不完全は無い。現象は無い! 完全円満なるもののみが実在し、天地一切のものが愛し合い抱きあっている」と、実相を観じて拝み感謝するのが本ものの信仰です。

 

 分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

 

 また、年末に別の方から「業の流転について」の質問をいただき、回答を私のブログに公開しておりますので、共通の問題でもあるのでご覧になってください。

 

http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/

 

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【礼状、追加の質問】 (2012年1月8日)

 

 合掌、素晴らしいご回答を頂き心より感謝申し上げます。

 

 全くもって、「神のみ実在、不完全な現象はない」ということでした。先祖供養と現象はない、ということの兼ね合い等ないのでした。

 

 

(中略)

 

 私は長年教師をし、退職後思いもよらず生長の家にご縁をいただきました。教職員組合に入っていまして、民主主義が本当に人間の幸せにつながると信じていました。しかし、生長の家の勉強をさせていただき、本当の意味の自由や平等ということが分かり、本当の命を頂いたと心から感謝しています。

 

 良いことも悪く見える事も全て私の心を大きく成長させてくださる練習だと思います。
 あと、もう一度だけ具体的にご教示頂ければ幸甚です。

 

 つまり、私の場合、神想観中、具体的にどのように思えば良いのか。また、思いつくままに四部経を誦げてみたり、霊牌をたくさん書き、先祖供養の真似ごとをしてみたり・・・・。自分のパターンが決まりません。

 

「神想観等せず、お役なんかも止めて、家のお仏壇で『甘露の法雨』だけ誦げていればよい」という姑の意見はやっぱり違うなと思うのですが、私自身も良い結果を早く得ようと焦っているのかも知れません。

 

 神想観や先祖供養の時、どんな思いですればよいのかを教えていただけないでしょう
か?

 

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【返 信】 (1月10日)

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 神想観や先祖供養のとき、どんな心持ちで実修したらいいかとのご質問ですね。

 

 これは、特別な工夫などは必要ありません。

 

 信仰生活では「三正行」ということが重視されているように、真理のコトバが書かれたご本を日々紐解き精読すること。神想観と先祖供養は、朝と晩など時間を決めて毎日実修することです。

 

 また神想観のような観行は、招神歌を唱えることで、それを指導するために現れた生長の家大神が守護すると(「詳説 神想観」参照)説かれてますが、「神想観は神想観が教える」などとも、私も先達の方々から教えていただきました。

 

 道元禅師は、禅の心得について、「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら座りなさい)と説かれています。

 

 神想観も、ただただ日々座ることから、大生命との一体感が深まってまいります。ご先祖供養も同様、日々勤めることでご先祖のみならず流産児も神であり、救われ済みの光りである実相(本当のすがた)が拝めてくるものです。

 

 また、三正行の一つである「愛行」も、あなたの内なる神性仏性を開花させ、多くの人たちを真理の道へと導く大切ないとなみとなりますので、地方講師として毎月出講し、個人指導などをさせていただくことを通して、これまで以上に、より深い心境へと導かれ、理解もますます深められることでしょう。

 

以上が、「神想観や先祖供養」についての心得です。

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2012年1月 8日 (日)

ご主人の浮気で悩んでいる方へ

 昨年末、ご主人の浮気で苦しんでいる40代の女性から相談のお手紙をいただきました。

 

 数年前、大病をしたのを切っ掛けにみ教えに触れ、病が癒されて今日をむかえたものの、昨年の秋口からご主人が、理由もなく外泊するようになったそうです。

 

 宇治の短期練成会に参加されましたが、帰宅後、彼女は、

 

「頭ではわかっているように思えても、実際、夜いなくなったその瞬間、いままで何を教えてもらったのだろう? というくらい悲しくなります」と悩み、

 

「親やきょうだい、もちろん子供たちにも、心配させてしまうだけなので言えません。どうか教えてください。悲しくなる私の心をどうにかコントロールしたいです」

 

と辛い心情を訴えて来られましたので、とりいそぎ以下のような返信を封書にして送りました。

 

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【回 答】

 

 人生における辛い時期を迎えていらっしゃることが、お手紙から伝わってきました。

 

 このような時期に、あなた様が神さまの方に振り向き、信仰一筋に問題の解決を図ろうとされていらっしゃることは、あらゆる問題の根本的な解決に繋がります。

 

 これはご夫婦の問題だけではなく、お子様たちの将来の問題にも係わってきますので、これから、あなた様が本ものの信仰生活を生きるための手助けとして、アドバイスをさせていただきます。

 

 宇治の短期練成会に行かれて、楠本先生のご指導を受けられたとのこと。最良の人生の選択をされたと思います。

 

 あと、あなた様に必要なことは、神さまへの「全托」の信仰です。

 

 これは、問題だけを神さまに預けるのではなく、あなたの人生そのもの、この世に生まれたこと、あなた様を取り巻く一切を、神さまに全托してしまうのです。

 

 この祈りは、神想観を通して、あなた様の魂が納得いくまで、毎日の生活の中で時間を決めて徹底的に祈り続け、神さまにすべてを委ねた、と思えるまで日々徹底してください。

 

 生長の家の教えは、「人間・神の子」の教えです。

 

 ですから、あなた様が「“自分が”生きている」と思っている間は、さまざまな悩みや寂しさ辛さがつきまとうことでしょう。しかし、私が生きているのではない、神の大生命がここに生きている、仏の四無量心がここに生きている、神の無限の愛がここに生きている、大光明がここに生きている、そのように自分の一切を神さまに置き換えて、神さまにすべてを委ねた生き方ができるようになれば、これまで問題と思えていたことの一切は、最良の形で解決することでしょう。

 

 

具体的なアドバイスを挙げますと――

 

①一定の時間を決めて神想観の実修と聖経を読誦すること。

 

②ご主人が不在でさびしい時にも、聖経読誦または、神さまに全托する神想観を納得がいくまで実修すること。

 

③相手の女性は、あなた様が、ご主人に対して行き届かなかったことを教えてくださり、生長の家の御教えへと導いてくださった観世音菩薩です。「人間」として拝むのではなく、あなた方ご夫妻を根底から救い導くために現れた、「神」として、「仏」として、「光り」として徹底的に感謝し、拝むことに徹してください。

 

④できれば、宇治の一般練成会(10日間)を受講して、あなた様の信仰を確立することをお勧めします。

 

以上です。分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

 

 

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※これ以降はメールでの応答です。

 

【礼状と追加の質問】 (2012年1月8日付)

 

 

暮れの一番忙しい時期に回答を頂きありがとうございました。

 

先生から手紙が届いたのが 12月26日で、 主人が出掛けた夜の次の日でした。かなり心が乱れていた日でしたので 先生からの回答を ひと文字ひと文字戴くことができました。神様に全托すること。そのためには神想観、聖経読誦。相手の女性に対し感謝し拝むこと。

 

具体的なアドバイスだったので、わかりやすく私でもできる! と目の前が明るくなったように感じました。でも 神様に全てを委ねた生き方と確信できるまでにはなかなか行き着かず、ただ 先生からいただいた手紙を何度も繰り返し読み、実行しました。(中略)

 

今回の事があるまでは いろんな浮気事件も私が許したからこそ解決して今の私達夫婦がある! と思っていました。そうではなかった事に気づく事ができました。主人は問題を通して私に大切な事を教えてくださっていました。

 

  それと どんなに主人の事が大切か、またわからさせてもらう事もできました。

 

 今日から『 女性の幸福365章』を読んでいます。良夫の浮気は妻の心の影…と教えてくださっています。私は本当の意味で主人を愛していたのだろうか…とにかく 辛いぶん 今は必死なので間違っているかもしれませんが、神想観、聖経読誦で 神様に全托の生活ができますように 頑張ってみます。

 

 不思議と、ついさっきまで弱気だった私が この手紙を先生に書いているだけでなんだか 勇気が湧いてきたように感じます。ありがとうございました。

 

 

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【礼状への返信】 (同日付)

 

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 辛いこと、悲しいことがあれば、それを抱えこんだり、我慢してはなりません。
 そのような時こそ、神さまに全托するのです。

 

 つまり、すべての苦しみ悲しみを、神さまに委ねてしまうのです。
 それが神想観における全托の祈りです。

 

 また、実相世界には、浮気をしてしまうようなご主人など存在しません。

 

 一度も浮気などしたことのないご主人(神人)と出会い、そのご主人と“結魂”するのです。
 それが「実相直視」ということです。

 

 あなたが生きているのではありません。
 神さまが、今ここに生きているのである、それを信じ、祈りの中に悦び生きるのが人間神の子の生活です。

 

 谷口雅春先生の御作で、次のようなお歌があります。

 

   ひと筋の道踏み行けば燦然と
      光り満ちわたる吾が世界来ぬ

 

 あなたも、真理の書を紐解きつつ、この神の道を信じてただひたすら祈り、一筋の道を歩んでください。光り満ちる世界が必ず開けてきますから。

 

 

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【礼  状】 (1月9日付)

 

合掌。ありがとうございます。
本部講師の先生で お忙しい中、私のために時間を割いてアドバイスをいだだきありがとうございます。

 

先生からのメールを読みながら納得した気持ちで 神想観をすると 気持ちが軽くなり神様はやさしい…神様が私の辛いとこ全てを受け入れてくれありがとうございます…と思うことができました。 しかし朝方、主人が帰ってきた現象をみると言わなくていい事を言ってしまい後から後悔してしまう…そんな繰り返しです。

 

先生が言われているとおり神様にすっぽりと委ねた生活ができますように また、一筋の道をまっすぐ迷わず進んでいきます。

 

ありがとうございます。

 

 

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【質 問】 (1月30日付)

 

先生…やっぱり無理です。どうしてもできません。

 

自分のちからで止めさせようとしてしまいます。蟻地獄のように 深みに入っていくだけで、 何の解決にもなりません。

 

先生が言われたように 、現象をよくしようというのは大きな間違いです。今日は主人を責めてしまいました。何回、先生にご指導いただいても本当にだめな自分です。

 

先生…もう一度だけ助けてください…

 

 

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【回 答】 (1月31日付)

 

合掌、ありがとうございます。

 

最初に私がアドバイスしたように、短期練成会ではなく、人生のすべてを懸けて、また真の信仰を確立するために、宇治別格本山の一般練成会を受けることです。

 

問題が信仰によって解決するまでは、家には二度と帰らないような覚悟で、宇治本山の門を叩かれることをお勧めします。

 

本当に行き詰まり、二進も三進もできないようであれば、そのような思い切ったことを通して、道を開くことです。

 

信仰とは、小手先でやってみても、どうなるものでもありません。命がけで取り組んでこそ、因縁因果を超えることができるのです。

 

宇治本山に行ったら、榎本一子先生に個人指導をお願いして、すべてを告白してご指導を仰いでください。
彼女なら、あなたを導くことができます。

 

 

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【礼 状】 (2月1日付)

 

合掌。ありがとうございます。

 

昨日、ご指導ありがとうございました。

 

私も考えていました。今月の一般練成。
わが家は会社を経営しています。
去年からいろいろな問題が起こり、経営が大変な時期です。昨日は お金の借り入れの段取りをしていました。そんな中、神想観、甘露の法雨の読誦はありがたく私の心を落ち着かせていただいています。

 

昨日は、主人が、「自分が地に足がついていない状態であると会社がだめになってしまう。今後は今のような生活を改める方向でいく」と言っていただきました。

 

私は自分のすべき事を しながら現象に振り回されないよう生活していきます。
そう誓っては自滅し、先生に迷惑かけている繰り返しでしたが、10日の宇治の一般練成の日まで頑張ってみます。

 

その時の私の気持ちと仕事の状況もありますし、含めて考えてみます。

 

ありがとうございます。
いつも突然に迷惑をかけ本当に申し訳ありません。

 

 

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【回 答】 (2月1日付)

 

合掌、ありがとうございます。

 

ご主人が、「自分が地に足がついていない状態であると会社がだめになってしまう。今後は今のような生活を改める方向でいく」と、語られたとのこと。

 

いよいよ光りが差してきましたね。

 

とにかく、今の信仰を堅持して、まっすぐに光り(神)の方に向かって突き進んでください。

 

必ず道が開けてきます。
 
 会社の経営が厳しい状況であれば、無理して練成会に行かず、無条件にご主人を支えてあげてください。

 

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【質 問】 (2月13日付)

 

 

合掌、ありがとうございます。

 

先生… あれから 何もかわらないどころか、私が壊れてしまいそうです。

 

どうしても神さまに全たくができないでいます。今朝…がまんできなくて 言わなくていい事いいました。

 

会社も 主人も 私もこのままでは全滅です。

 

今日 宇治の一般錬成のスケジュール表を印刷してみたのですが、やはり 請けている工事の事、土曜日(18日)には 会社の展示会を予定しています。抜けるわけにはいきません。

 

でも、日帰りでも1泊でもして、個人指導を受けたい気持ちです。私が今の気持ちや状況を誰かに聞いてもらって落ち着きたいだけなのかもしれません。

 

中途半端はしないほうがいいでしょうかたびたび申し訳ありません。

 

 

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【回 答】 (2月14日付)

 

 

日帰りでも一泊でもいいから、宇治本山の練成会に行って、榎本一子先生に個人指導を受けられることをお勧めします。

 

その際、事前に宇治に電話をして、直接、一子先生に連絡をとっておくとよいでしょう。

 

本部の久都間講師から勧められたと伝えれば、時間をとってもらえることと思います。

 

 

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【返 信】 (2月14日付)

 

 

合掌、ありがとうございます。

 

早速のお答えありがとうございます。

 

そうさせていただきます。

 

先生にメールをして…前から何度も アドバイスいただいている事を思い返し、今の 自分を後悔して、神想観 甘露の法雨をあげ…心、落ち着かせています。

 

また 報告させてください。

 

ありがとうございます。

 

 

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【礼 状】 (2月21日付)

 

 

合掌、ありがとうございます。

 

週末 悲しくてたまらず、とうとう宇治別格本山の 榎本一子先生に連絡をとり 個人指導のお願いをしました。

 

夫婦の問題で、辛い思いを久都間繁先生にネットを通じてご指導いただいていたのですが、榎本一子先生の個人指導を進めていただき…と伝えましたら、気持ちよく引き受けてくださいました。

 

「宇治に…て思った時点でもう 解決の方向に向かっていますよ。お辛い気持ち、ご主人を思うお気持ちは 今 確かにご主人に届いています」

 

というお言葉をいただきました。

 

不思議な事にそのあと 帰ってきた主人は 清々しい顔をしていました。

 

「今日が最後でもう会わない」

 

と、相手にはっきり言ったそうなんです。榎本一子先生にはそのようにお伝えしました。ありがとうございます。

 

そして私の勝手な相談に 講師の先生を巻き込んで振り回してしまいごめんなさい。何度も何度も、ご指導ありがとうごさいました。

 

榎本先生も、「もう大丈夫ですよ…」と言ってくださったので、これから現象が、どうなろうと主人の実相を信じてまっすぐ進んでいきます。

 

相手の女性の幸せを思い、甘露の法雨をあげています。
ありがとうございます。

 

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【回 答】 (同日付)

 

 

合掌、ありがとうございます。

 

ご主人が、「今日が最後でもう会わない」と、相手にはっきり言ったとのこと。

 

ここまで、よく精進されましたね。

 

あなたがご主人の神性・仏性に振り向いてから、ご主人は、相手の女性にいつ別れのコトバを切り出そうかと、ずっと思案されていたことでしょう。

 

それも、ついに意を決して相手の方に伝えたことは、あなたの拝みと感謝が心の奥底で深く響いていればこそ、このような嬉しい伸展があったのです。

 

これまでの習慣から、ご主人は、ときには相手の女性に心引かれることがたったとしても、もう後戻りすることはありません。だからあなたも、いよいよ信仰生活に励んでください。

 

そして、これからは仕事に励むだけではなく、生長の家の誌友会に参加して、神さまへの報恩感謝の一つとして、白鳩会の皆さんとともに愛行に励んでください。

 

「愛」を行ずることを通して、信仰がより深まり、会社の事業や白鳩会の活動を通して、多くの人たちを幸せへと導けるようになります。

 

それが家業の繁栄と、夫婦調和の秘訣です。

 

どうぞ、これからも神の子・仏の子らしく、光の道、悦びの道、真理の道を、まっすぐに歩んでください。

 

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【礼 状】 (同日付)

 

合掌、ありがとうございます。

 

わかりました。

 

まず、3月17日に教化部で若い白鳩のための合同学習会があります。そこで、体験発表を進められていました。それどころではない気持ちでしたが、しっかりと 4年前を振り返り、大病をし、初めて生長の家にふれ、たくさんの人に物に全てに感謝ができ、病が癒えましたことをもう一度思い返し、たくさんの人にお伝えします。

 

少しでも愛行ができますように頑張ります。

 

先生が言われるとおりこれからが肝心ですね。現象に振り回されず、あともどりはしない…と信じて、明るく楽しく一筋の道を踏み行きます。

 

暖かいアドバイスをありがとうございました。

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