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2012年1月20日 (金)

「現象無し」の教えについて

 先月末、家系にまつわる精神疾患という「業」について質問をいただき、その後、数回にわたって応答させていただきました。

 

「現象無し」の教えと「先祖供養」との関係など、信仰の根本に係わることについて答えましたので、相談された方の名前や背景など一切伏せて、要点のみ公開させていただきます。

 

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【質 問】

 

 夫、姑からの有難いご縁、および実家の母、妹等の後押しのお陰で、信仰についてたくさんの勉強をさせていただくようになりました。

 

 教化部の早朝神想観にも通わせていただき、また家では白鳩誌友会、夫の相愛会の例会のお手伝いと、驚くほどのご縁をいただけるようになりました。

 

 しかし、今なお課題が山積しています。「すべて有難いこと」という真理はわかりますが、一方でこのまま放っておいてよいのだろうかという疑問があります。

 

 振り返ってみると、姑、夫、娘と、婚家は精神病の家系だったということです。

 

(中略)

 

 私の初孫ですが、利発で元気な子ですが、保育園でも問題で「多動性障害の疑い」といわれています。姑、夫、娘、そして孫と、一体どこまで精神病が付きまとうのでしょう。

 

 頭のことは即先祖供養と聞きますが、こんなに何代も精神疾患が続くというのは不自然な気がします。何か悲しい思いをしているご先祖様や流産児がおられるのなら、私はいくらでも供養させていただきますが、そのような考えは不要なのでしょうか?

 

 どう考えればよいのか頭が混乱します。地元では皆うちの家族のことを知っていますので、内緒にしています。訳がわからないのです。

 

 生長の家は現象を見ないといいますが、「先祖供養」の必要と、「現象はない」ということとの兼ね合いも分かりません。長々と申し訳ありませんが、お時間があればご指導お願いします。

 

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【回 答】

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 お姑様のこと、そして一家にまつわる「業」の問題でご苦労されていること、お手紙から伝わってきました。

 

 あなた様は地方講師でもありますので、結論から申し上げることにします。

 

 まず、「先祖供養」と「現象は無い」ということの兼ね合い、についてのご質問ですが、信仰に“兼ね合い”などというものはございません。

 

「現象は無い」とは、つまり「神のみがある」という信仰です。

 

 ご先祖も流産児も、姑もご主人もお孫さんも、「実相」はそのままで円満完全な神なのです。

 

 神の創り給うたままの完全円満なる世界のみ実在であり、他のもの(現象)は非実在であり、心のカゲが現れては消えていく姿なのです。

 

 この、神の創り給うたままの、円満な光明一元の世界(実相)を観じ悦ぶ行事が、日々実修する神想観(祈り)です。

 

 したがって、「迷っている霊がいる」「精神病がある」「困った姑が居る」これらの現象を認めて、それを「良くしよう」と、無いものを相手にしていることが迷いなのです。

 

「現象は無い!」とは、それら一切の不完全な現象は、「現れているだけにすぎない」ということです。

 

 そして、「在る(実在する)ものは円満完全なる神のみである」「完全健康円満なる神の子人間のみである」と、実在するもののみを相手にする生活が、信仰生活です。

 

 この円満完全である実相の先祖と、未だ一度たりとも堕ろされたことのない神の子・光りの子として流産児を拝むことが、先祖供養です。

 

 迷える霊や不完全な姑を「在り」として、それを「良くしよう」とするのでは、そもそもの着眼点が根本から間違っているということは、「三界唯心」の法則からみてもお分かりいただけることでしょう。

 

 三界唯心所現の教えは、「唯神実相」の世界を徹底的に観じ悦ぶことから、天地が開け、八方塞がりを完全に氷解させる道が開けるのです。

 

 

「先祖供養」してから神の子になるのではありません。先祖も、流産児も、姑もご主人もお孫さんも、はじめのはじめから円満完全なる神の子であり光りであることを観じ、悦び感謝することが、生長の家の神想観であり先祖供養です。

 

「不完全な現象を良くする」のが信仰生活ではありません。

 

「不完全は無い。現象は無い! 完全円満なるもののみが実在し、天地一切のものが愛し合い抱きあっている」と、実相を観じて拝み感謝するのが本ものの信仰です。

 

 分からないことがあれば、なんなりとご質問ください。

 

 また、年末に別の方から「業の流転について」の質問をいただき、回答を私のブログに公開しておりますので、共通の問題でもあるのでご覧になってください。

 

http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/

 

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【礼状、追加の質問】 (2012年1月8日)

 

 合掌、素晴らしいご回答を頂き心より感謝申し上げます。

 

 全くもって、「神のみ実在、不完全な現象はない」ということでした。先祖供養と現象はない、ということの兼ね合い等ないのでした。

 

 

(中略)

 

 私は長年教師をし、退職後思いもよらず生長の家にご縁をいただきました。教職員組合に入っていまして、民主主義が本当に人間の幸せにつながると信じていました。しかし、生長の家の勉強をさせていただき、本当の意味の自由や平等ということが分かり、本当の命を頂いたと心から感謝しています。

 

 良いことも悪く見える事も全て私の心を大きく成長させてくださる練習だと思います。
 あと、もう一度だけ具体的にご教示頂ければ幸甚です。

 

 つまり、私の場合、神想観中、具体的にどのように思えば良いのか。また、思いつくままに四部経を誦げてみたり、霊牌をたくさん書き、先祖供養の真似ごとをしてみたり・・・・。自分のパターンが決まりません。

 

「神想観等せず、お役なんかも止めて、家のお仏壇で『甘露の法雨』だけ誦げていればよい」という姑の意見はやっぱり違うなと思うのですが、私自身も良い結果を早く得ようと焦っているのかも知れません。

 

 神想観や先祖供養の時、どんな思いですればよいのかを教えていただけないでしょう
か?

 

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【返 信】 (1月10日)

 

 合掌、ありがとうございます。

 

 神想観や先祖供養のとき、どんな心持ちで実修したらいいかとのご質問ですね。

 

 これは、特別な工夫などは必要ありません。

 

 信仰生活では「三正行」ということが重視されているように、真理のコトバが書かれたご本を日々紐解き精読すること。神想観と先祖供養は、朝と晩など時間を決めて毎日実修することです。

 

 また神想観のような観行は、招神歌を唱えることで、それを指導するために現れた生長の家大神が守護すると(「詳説 神想観」参照)説かれてますが、「神想観は神想観が教える」などとも、私も先達の方々から教えていただきました。

 

 道元禅師は、禅の心得について、「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら座りなさい)と説かれています。

 

 神想観も、ただただ日々座ることから、大生命との一体感が深まってまいります。ご先祖供養も同様、日々勤めることでご先祖のみならず流産児も神であり、救われ済みの光りである実相(本当のすがた)が拝めてくるものです。

 

 また、三正行の一つである「愛行」も、あなたの内なる神性仏性を開花させ、多くの人たちを真理の道へと導く大切ないとなみとなりますので、地方講師として毎月出講し、個人指導などをさせていただくことを通して、これまで以上に、より深い心境へと導かれ、理解もますます深められることでしょう。

 

以上が、「神想観や先祖供養」についての心得です。

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