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2012年5月 1日 (火)

親子の愛と捨徳について

 ご高齢のお母様が熱心な生長の家の信徒で、クスリを一切飲まないので困っている、という相談のメールを、息子さんからいただきました。

 愛には大きく分けて二種類あるといわれています。
  一つは「執着の愛」、もう一つは「放つ愛」。

 同じ愛でも、似て非なる結果を人生にもたらすこの「愛」について、仏の四無量心の教えは、明確な智慧をもって私たちを導いています。

 以下、質疑の遣り取りを紹介します。


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【質 問】

 

 突然のメール申し訳ございません。

 

 母親は生長の家の熱心な信者です。
熱心すぎるゆえ、病院のクスリは一切飲もうとしません。

 

 本人はかなりの高血圧で病院の診断では、下げないといけないと何度も言われています。
(合併症の心臓肥大も軽度ですがはじまっているとのことです)

 そのたびに家族が説得するたび薬は飲むといって、気づくとこっそり服用をやめております。

 そんないたちごっこを2年続けて来ましたが、ついに開き直り、

「生長の家には病院通いだった若いころ、信仰を始めたとたん病気が無くなったから信じている、クスリも飲まない」

と言い始めました。

 

 信仰で高血圧が下がるなら文句は誰も言いません。

 下がってないのに信仰にすがっていることに困っています。

 CTでは既に動脈硬化も進んで細くなっています。

 家族としてはどうしたらよろしいですか?

 

 神に護られているとか、そういう、宗教的な考えは求め居ていません。

 一般常識として血圧180以上ある母の健康を願うのは当然だと思います。

 生長の家の見解をお聞かせください。

 

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【回 答】

 

 ご質問の件については、本部講師の久都間がお答えさせていただきます。

 

  お母様が薬を一切お飲みにならないとのこと、熱心な信仰姿勢に頭が下がる思いがいたします。

 しかしながら、お母様を愛する息子さんとしては、さぞご心配のこととお察し申し上げます。

 

 医者や薬は、病気を治す働きをするためにこの世に存在していますが、生長の家では魂を悩み苦しみから救うことが本来のお役目であり、病気を治すところではありません。

 

 また、魂が自縄自縛から解放された結果として、病気が消える場合もございますが、生長の家ではそのようなことは、心が肉体に及ぼす随伴的な影響として認めるのみで、積極的に肯定も否定もいたしません。

 

 ですから生長の家では、医者や薬を否定するものではありません。

 

 このメールをお母様にご覧に入れても構いませんので、

「素直に息子さんのご意見に従うようにと、生長の家の本部講師がすすめていた」

と、お伝えいただければ幸甚です。

 

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【追加質問】

 

 先日はお返事くださいまして誠にありがとうございます。

 頂戴いたしましたメールには、さまざまなご配慮をくださいまして本当に感謝しています。

 あのお返事なら母の心に届くものと信じておりましたが、結果から申し上げますと良いご報告は出来る状況には至りませんでした。

 

 いまの私ではどうすれば母の心に届くものかまったくわからない状況となっております。

 誠に恐れ入りますが、何卒ご教授いただければ幸いに存じます。

 

 先日のお返事をみせた後のやりとりをですが、私としましては、クスリを飲んでもらう事は、血圧が高いことを再確認したうえでの必要な措置とおもっているので、現状の血圧を測って欲しい旨を話しました。

 しかし、母は、「クスリを飲むことは基より、血圧を測ること事態が病気を認めることになる。そんなことはしない。なぜ今健康に動いているのにそんなことをさせるのか?」の返答。


 母にとって生長の家の教えは、病気はない(心の影とでもいうのでしょうか?)病気の存在を認めないということのようです。

 また、『生命の実相』を私に渡して「読め」というので、途中まで読みました(7巻です)。たしかに病気を認めるなという趣旨の文言がありました。きっとそういうことが言いたいのでしょう。

 

※下記、久都間先生気を悪くされたら申し訳ございません。
私には、あの内容は医療が現代のように発達してない時期に、心の開放・魂の開放・明るい生活に導くためのひとつの表現であって現代医療が発達したいまの時代とはずれたもの、また解釈も当時の生長の家といまの生長の家では違う教えとなっているのでは? とも正直思っています。(私見です)

 

 先日は、母から、「勉強していないあなたに何がわかる?」と言われました。その延長で7巻を少し読んだのですが。。。

 今では、「死んでも私(母)の人生だからそれでいい。それが寿命」だからと…

 父と私の3人家族ですが、家族がなにを言ってもわずらわしく感じているだけでしょう。

「放っておく愛もおぼえなさい」だとか、何度話しても何も進展しません。

 

 私や父は高血圧を、脳や心臓などへの合併症の怖さ、高血圧はあまり自覚のない病気として認識しています。

 母にとって病気は、認めてはいけないもの、クスリは愚か、血圧を測ることも病気と認定してしまうから受け入れない。

これが完全に家族同士の主張の平行線を生んでいます。

 

 死んでもいいと言っている母に生きる楽しさを提供できていない自分が悪いのだろうか?

 いろいろ考えてしまいますが、なにかお互いが納得できる方法はないでしょうか。。。

 

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【回 答】

 

 あなた様はとても親孝行な方ですね。

 

 また、お母様の信仰姿勢も見上げたものだと感心しております。

 

 さて、仏教の教えの中で、最も重要なものとして、仏の「四無量心」という教えがあります。

 

「無量」とは、無限という言葉と置き換えることができます。

 

 それは、仏の慈、悲、喜、捨の教えと言われており、「慈・悲」は人の悲しみを感じ、その人を慈しみ、慰め、苦しみから救い取ろうとする深い愛の心のことです。

 

 また、「喜」は、苦しみから解放された人や、願いが成就した人の悦ぶ姿を見て、それを吾が事のように、ともに悦ぶ心のことです。

 

 そして、「捨」は、捨徳といって、相手やものへの執着を絶ち、その人やものを、どこどこまでも自由にしてあげる「放つ心」のことです。

 

 お母様が、「放っておく愛もおぼえなさい」とおっしゃったことには、とても深い意味があります。

 

「放っておく」とは、ただ単にほったらかしにしておく、ということではありません。

 

「捨徳」は、本当に愛していればこそ、相手を自由にしてあげる「愛」のことです。

 これは、相手を決して縛ることなく、その人が生きたいように生きさせ、行きたいところに行かせて、好きなように自由にさせてあげる、つまり相手やものを完全に解き放つ深い愛の心なのです。

 

 この「捨徳」の教えは、仏教でも最も深い教えの一つであると言われています。

 

 すべての人間関係の拗(もつ)れ、悩み、苦しみは、相手を自分の尺度で、雁字搦めに縛るところから生じてきます。

 

 その苦しみから私たちを解放するのが、仏の四無量心の一つである捨徳の教えであり、神の無限の愛の働きなのです。

 

 そのことをお母様は、あなた様にお伝えしたかったのではないでしょうか。

 

とても清々しい、素晴らしいお母様ですね。

 

お母様に、宜しくお伝えください。

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