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2014年5月

2014年5月31日 (土)

森の中で見えてきたこと

 機関誌『生長の家』の編集部から、リレー・エッセイ「八ヶ岳の暮らし」の寄稿を求められました。

 同誌の6月号に掲載されましたが、これを書いたのが、八ヶ岳ではまだ新緑も芽吹かぬ3月の冬枯れの中だったため、読み返してみると、すでに時機を逸した感がありますが、初めて体験した〝雪どけの季節〟ならではの感想として公開します。

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 八ヶ岳の森で暮らしてから、人生でやり残していたことに、なぜか背を押されて生活するようになった。

 それは私の余命が判明したからではなくて、森に住んだことで、人生で重要なことと、それ以外のことが見えてきたのである。

 森の日々を振り返ると幾つかの印象的な光景が甦ってくる。

 それは、冬に備えて薪の原木を一人で割っているとき─―

 大雪に埋まった道を、寮の仲間と黙々と除雪しているとき─―

 深雪に鎖された森に飢えてさまよう鹿と、目が合ったとき─―

 仕事を終えて、一人月明かりの森を歩いているとき─―

 氷雪が溶けて、やがて春の大地を潤すように、何か大切なことが体感され、都会生活の薫習(くんじゅう)が、次第に剥落(はくらく)していった気がする。

 さて、背を押されていることの一つは読書。

 テレビを見る習慣を止めたことで、森の静けさが部屋の中に充ちてきて、重要な対象が次々と像を結び始めた。

 祈りに導かれつつ、今日の文明史的な課題と聖典の精読に、深夜と早朝に取り組んでいる。

 次に家族との語らい。

 家の中心に薪ストーブが据えられ、夕暮れを過ぎれば真っ暗闇の森に家の灯がともり、周りに住む鹿や狐など動物たちの息遣いを感じながら、火を囲んで、夫婦、親子、時に友人たちと語らいの日々を過ごしている。

 そしてスキー。

 5年前「吾が人生にまだこんなに楽しいものが残されていたのか!」と、驚きとともに数十年ぶりに再開したが、今は電気自動車で25分も走ればゲレンデだ。

 急斜面に飛び込むとき、眠っていた身体の感覚が全面的に覚醒し、斜面を自在に滑降していると、いつしか自然・心・躰が一つになる三昧境。
 冬季に限定されたこの瞑想にも似たスポーツの悦びは、どこまで深まるのだろう。

 そして山登り。

 “森の中のオフィス”周辺の南アルプス山系では、かつて、北岳、間ノ岳、農鳥、甲斐駒、仙丈と登ったが、なぜか未踏のままだった八ヶ岳。

 限られた誌幅にこんなことばかり挙げていても切りがない。が、森に住んだおかげで、当分の間くたばりそうもない。


  (2014年3月)

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