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2014年7月 1日 (火)

無垢な眼差しを感じて

 自然と人との調和を目指す『いのちの環』という日本教文社刊の雑誌7月号(NO52)に、「脱原発について」というテーマでエッセイを寄稿しました。

同誌には『日本の田舎は宝の山』の著者 曽根原 久司さんのインタービューなども掲載されているので、興味のある方はお求めください。
私の寄稿文を転載します。

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 3年前の冬、豪雪の八甲田山をスキーで滑降したことがある。

 それは山小屋所属のガイドの案内で、ゲレンデ外の自然の森や谷を麓まで滑り抜けるというもので、相部屋で親しくなった方に、目元の涼しい、Tさんという雪焼けした60代の好漢がいた。

 彼は平成11年まで東京・小金井でパン屋を営む傍ら、家族で登山に親しみ、子供が独立したのを機に福島の安達太良山麓に移転。

 地元の食材を使った無添加のパン屋を奥様と開業し、東京にいる孫たちを毎年家に招いて夏は登山、冬はスキーをするのが何よりの楽しみだった。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。続く東京電力の福島第一原発の事故で、終の棲家として選んだ彼のフィールドにも被害が及ぶ。

 以来、心待ちにしていた孫たちとの冒険も、娘の嫁ぎ先の両親から「森が放射能で汚染されているから」という理由で反対され、途絶えていることを残念そうに話してくれた。


汚染された場所に行かなければ安全か?


 環境省の「汚染情報サイト」で「森林の放射性物質の除染」について確認すると、住居、農用地等に隣接する森林の除染は林縁から20メートルの範囲で進められている。

 が、「落ち葉等の堆積有機物の除去を中心に」行う程度である。広大な森林については「調査・研究」を進めるとしているが、実際は放射能の減衰を待つほか打つ手がない状況のようだ。

 京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は、昨年五月にYouTubeに公開した小沢一郎氏との対談「福島第一原発を抑え込むために」の中で、マスコミに公開されることのない次のような事実を語っている。

 今回の事故で大気中に放出した放射性物質セシウム137の量について、当時の民主党政権がIAEAに提出した報告書には広島原爆の一六八発分と記載され、同原発4号機の使用済み燃料プールには未だ一万発分が眠っており、さらに海洋流出で問題になった汚染水には、すでに大気中に放出された十倍もの放射性物質が含まれていると解説する。

 これに加え、昨年9月の東京オリンピック決定後も、毎日300トンの汚染水(経済産業省の試算)が太平洋に流れ、自然界の動植物が広範囲にわたって被曝している。

 食物連鎖による生命界全体の遺伝子への影響を考えれば、もはや「汚染された場所に行かなければ安全」という段階ではない。

 

あなたは、何をもって応えますか

 

 日本政府は2月25日に発表した国の中長期的な「エネルギー基本計画」に、「原発は重要なベースロード電源」と明記した。

 残念なことだが現政権は、原発再稼働を前提に政策を進めている。

目先の経済的利益によって生じる放射性廃棄物という膨大なツケは、やがて未来世代が途轍もない時間と犠牲とお金を費やして支払うことになるだろう。

 なによりも危惧すべきは、現世代がそのことを「知らない」ように、情報が制御されていることだ。

 釈迦は「知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪の方が重い」と説いているが、原発再稼働が後世に与える影響を、そして放射線が遺伝子にもたらす潰滅的な意味を「知らない」こと、そのことが即ち未来世代への「重い罪」を犯す、つまり自分の子や孫の健康すらちゃんと守れないというやっかいな時代に、私たちは生きているのだ。

 それが原発に依存した社会に暮らすことの現実である。

 私たちがそれに気づいたのなら、もう「見て見ぬふり」をしてはならない。

「知らない」ことが重い罪となるならば、気付いただけで何も学ばず、何も為さないことは、絶望的な負の遺産を次世代に押しつけて遁走するようなものだ。

 しかし、因果律という明鏡は、すべての闇を明るみに引き出さずにはおかないだろう。

 最後の審判は遠い未来のことではない。それは、私たちの日々の生き方を掛け値なしに見通す、後世の人々の澄んだ眼差しの中にあるのだ。

 その無垢な光に、あなたは何をもって応えてあげるだろうか。

 

  (2014年4月)

〈普及誌『いのちの環』(日本教文社刊) リレー・エッセイ「脱原発について」掲載〉

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