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2015年1月26日 (月)

季節が変わるように

 八ヶ岳の“森の中のオフィス”では、毎月「自然を伸ばす活動」という作業が行われている。

 この作業はどのようなものか、というと、オフィスで働く生長の家の職員が、この地での“自然との共生”を実践するもので、森林整備、キノコ狩り、畑作り、雪かきなど、人が自然と係わる活動全般のことである。

 1月の中旬、雪の降る屋外でこの作業が実施され、当日は鹿たちが食い荒らした畑の整備と、農事倉庫前の“氷割り”が行われた。

 私は後者に加わったが、これは溶けた雪が地面に何層にも凍り付いて固まったものを、大きなアイスピックや鉄バールで砕いて除去するという、標高1350メートルの八ヶ岳山麓ならではの作業なのだ。

 小さなスケートリンクのような氷の盤面が広がり、シンプルに氷結した箇所は、かんたんに氷を割って剥(は)がすことができるものの、複雑に入り組んで氷結した箇所はどんなに力を込めて叩いても盤踞して剥がれない。アイスピックを両腕で持ち、腕と腰に力を入れて、リズミカルに繰り返し砕き続けるほかないのである。


 この作業を2時間ほど黙々と続けているとき、東京にいた十数年間に、生長の家講師として相談を受けたさまざまな「個人指導」のことを思い出していた。

  その人の抱えている心の問題が、単純な氷結の仕方をしていれば解決もまた容易である。しかし、溶けては凍結し、その上に積雪したものがまた溶けて、さらに車輪に踏まれて凍結してを繰り返したような心の問題は、複雑に入り組んで凍った氷の盤面と同じで一筋縄では剥がれないし時間もかかる。

 
 しかし、春が来ればすべてが氷解するのだ。

 単純な凍結はもちろん、どんなに複雑に入り組んだ凍結であろうとも、春が来れば跡形もなく消え去るのである。

 心に春を招き入れるためには、まず彼自身が、過去のすべてを打ち捨てることである。

 何もかもを放下することである。

 そして完全円満なる神にすべてを委(ゆだ)ねるのである。これが春の“誘い水”となり、やがて彼の魂の底から、永遠に消えない光が差してくる。

 その光は、どんなに拗(こじ)れた心の凍結をも、春の陽のように溶かさずにはおかないのである。

 イエス・キリストは、燈(ともしび)を升(ます)の下に置いてはいけない、燭台の上に掲げよ、と説いた。

 燈を升の下に隠すことによって心の凍結が生ずるのである。

 それがたとえ、どんなに小さな燈のように見えたとしても、それを燭台に掲げるとき、あなたの内なる光は春の陽のように輝き出して辺りの風景を“薫風の季節”へと一変させる。

 それが宗教的な救いである。

 これは外からもたらされる“救い”ではない。季節が変わるように、内から春の陽が輝き出すのである。


2015年1月26日

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