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2020年9月 3日 (木)

元津霊(もとつみたま)について(2016.11)

 神想観の折に称(とな)える招神歌の一首目に次の言葉がある。「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)、元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)へ給へ」。この元津霊とは、私たちの本源の命のことである。また「生きとし生けるもの」とは、私たち人間の命のみならず、動物の命も、植物の命も、さらに無機物とされる鉱物すらも、その元津霊のあらわれであり、天地の万物は、そこから発生したことが歌われているのだ。その元津霊とは円満完全なる宇宙大生命であり、これを神とも仏ともいうのである。
 谷口雅春先生は、人間の遺伝は「神性の遺伝」であるとして、次のように説かれている。「遺伝が良くないといって絶望するな。胎教を過(あやま)ったといって失望するな。人間はその最も深いところに実に根強く、神の子としての神性の遺伝をもっているのである。神性の根強い遺伝に比ぶれば、数代前十数代前くらいからの遺伝の力は太陽の前の星でしかないのだ」(『生命の教育』一六六頁)。

「神性の遺伝」とは、大生命なる元津霊(もとつみたま)から発した円満完全な神性が、〝いのち〟から〝いのち〟へと継承されてきたということである。地球誕生して四十六億年、この〝神性〟なるものが単細胞生物から多細胞生物へと分岐進化し、さらに親から子へと代々受け継がれてきたのである。つまり「神性の遺伝」とは、私たちの生命の実相は円満完全な元津霊である、ということであり、この〝神性〟こそが人間の実体である。神性の遺伝は、認めれば発現するが認めなければ眠ったままである。分子生物学者の村上和雄教授によれば遺伝子がオフになった状態である。このスイッチをオンにするのが神想観である。

「祈る」とは元津霊なる実相に深く想いを致すことである。〝想う〟ことで内なる神性(実相)が目覚める。この自覚が深まれば、元津霊から発生したすべてのものの〝神性〟が拝めてくるのである。つまり天地一切のものが、ご先祖のお一人おひとりが〝円満完全な神のいのち〟であったという大光明が拝めてくるのである。それが招神歌の「元津霊ゆ幸へ給へ」であり、実相を直視する生長の家の先祖供養であり、天地一切のものと和解することである。

 観るとは、本質を見抜くことであり、本質とは元津霊から発したところの神のいのちである。私たちが、欲望の満足や、物質的な豊かさばかりを追い求めていたのでは、神性を「観る」心の眼が曇らされ、そこに現前するのは、太陽の前の星屑に喩(たと)えられたニセモノの遺伝、つまり限定された能力であり心の病や虚弱な体質などの歪んだ現象ばかりとなるであろう。

 このような無明を大生命の光で射照らすのが神想観である。光が闇を消すように、般若(はんにや)の智慧が五蘊皆空(ごうんかいくう)と照見するように、罪と病と死との一切の現象を払拭(ふっしよく)するのだ。只管打坐(ただただすわり)、元津霊に想いを致すことによって、自身の神の子の実相に光明の灯(ひ)が点ぜられるだけでなく、ご先祖のすべての御霊が円満完全な神のいのちを「神性遺伝していた実相が観えてくるのである。観たものが現れる。一人が真に実相に目覚めれば、九族天に生まれるのである。
  (二〇一六・十一)

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