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2020年9月 4日 (金)

コロナ後の“時代の扉” (2020.5)

 新型コロナウイルスが蔓延する状況下で運動を進めている。今できることをやり、打つべき手は打ったものの、本当の勝負はこれからだ。

「“為すべきことを為す”ことの中から次の神意が天降る」というのが信仰生活の基本である。

 具体的に私たちが努めていることは、Facebook「さいたま・ぐんま愛のおムスビ大作戦」を活用して、日々の神想観と、その日のミニ講話と質疑応答をライブ配信させていただくことである。

 これは皆さんのスマホで、タブレットで、パソコンで毎日受信できるから、ぜひご覧になってほしい。必ずや信仰生活のヒントや糧や、時に息抜きになることと思う。

 さて、三月下旬に川越に転居して、駅までの道のりを自転車で通い始めた。私はPBSのSNI自転車部にも入っているが、なにを隠そう自転車に乗るのは二十年ぶりである。

 線路沿いの遙かな道を駅に向かって快調に飛ばしていると、忘れていた様々な感覚が甦る。風を切って全身でペダルを漕いでいるとき、あらためて、肉体という動力は自然の恵みそのものだったことを思うのである。

 千年後の人々にまで影響を及ぼすという化石燃料に頼らずに、快適に、しかも爽やかに移動できることに今更ながらに驚き“自転車通勤”の楽しさに目覚めた還暦の春である。

 

 転居した吾が家では、谷口雅春先生の勢いのある運筆で「掌握春天地」と墨書された扁額を掲げてみた。「春天地」とは、雪が溶け、花が咲き、鳥が歌い、草木が芽吹いて春風香る季節のことで、実相の天地を象徴する言葉である。

 それを掌握するとは、観の眼で“いのちの世界”を把握して、それと“ひとつ”になることをこの言葉は示していると思われる。

 つまり、花咲き鳥歌う大調和の実相の天地は“今ここ”にあり、それは機が熟してからやってくるというような悠長なものではなく、生長の家では常に「今、ここ」が浄土であり、春天地であり「今すべての病人は起つことが出来るのである」と説くのだ。

 即ち、今あなたの居るその足元こそが、無限豊穣の実相が湧出する生命の舞台であり、その実相直視の“今”を生きるのが、生長の家の日時計主義である。

 新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)して誌友会が開催できないのではない。誌友会は工夫次第でLINEでもFacebookでもzoomでも開けるのである。

 勇気を出して、一歩踏み出したその足元から新価値が生まれる。

 生長の家の人間・神の子無限力の教えは、この困難な時期にこそ真価を発揮するのだ。漠然(ばくぜん)と良いことの来訪を待っていたのではウイルスの格好の餌食(えじき)にもなりかねないが、新型コロナは決して敵などではなく、私たちを「真理の道」へと導き給う観世音菩薩にほかならないのだ。

 今こそ「四無量心を行ずる神想観」を実修し、世界平和を祈るときである。

 そしてインターネットを活用したオンライン行事の開催が、久遠の「春天地」を足元に現成(げんじよう)させ、あなたのその進一歩が、コロナ後の時代の扉を開くのである。

 (二〇二〇・五)

 

 

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