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2020年9月 3日 (木)

生かし合いの世界 (2018.9)

 一雨ごとに、季節の扉が開いていく。光や風は、神の慈悲の顕れであり、雨や雪は、仏の喜捨の働きである。それが縦糸となり、横糸となって織りなす季節の美しさは、地球の生きものたちに捧げられた神からの無心の奉仕の相(すがた)のようにも見える。

 生長の家では、「人間は神の子、無限力」と教えていただいている。わたしたちの能力は、自身に備わっているように見えることから〝我がもの〟と思うのであるが、実はそれは〝授けられた〟ものであり、内に宿る神のチカラである。だからその能力は、周りのものを生かすためにこそあるのであって〝授けられた者〟はそれを有効に使う使命があるのだ。それを利己的なことばかりに使用して、本来の目的に行使することを忘れていたのでは、やがてそのチカラは隠れてしまうことだろう。

 能力に限らず、いのちも、資産も、健康も同じである。『大調和の神示』の中に、「顧(かえり)みて和解せよ」とあるのは、振り返って天地一切のものの声を聴け、ということである。和解とは、声なき声に心の耳を傾けて、真剣に向き合うことである。私たちは、祈りを通して声なき声に心の耳を澄ませ、その声に、まごころをもって応えることから、今為すべきこと、即ち〝使命〟が明らかとなるのである。

 あなたがその声を聴いたなら、素直に実行するがよい。それは〝小さき者〟の姿を借りた神からのメッセージである。もしあなたが、自身の都合を最優先してその声を無視したなら、次からその声は聞こえなくなるのである。現象に心を奪われていたのでは、神と波長が合わなくなり、授けられていた大切なものを失ってはじめて、そのことに気付くのである。しかし、どんな状況からでも、足下を「顧みて」声なき声に耳を傾け、今為すべきことを全力で為していれば、そこから再び道は開けてくるのである。

 人間は神の子であるから、能力は無尽蔵である。しかしそれは、神から托された使命を生きる限りにおいて無尽蔵なのであって、他に与えることなくして扉は開かないのだ。あなたに授けられた能力は、神があなたに托した「人類の宝」であり、あなたの個性が他と異なるのは、人類を代表してその宝を授けられているからである。なればこそ、この世に産まれてきたのであり、〝代替え〟はきかないのだ。もし、あなたが現象の損得ばかりに目を向けていたとしたら、いのちに授けられた〝使命〟を成就する機会は永遠に訪れないのである。

 あなたの今持てる能力を、一切のわだかまりを捨てて、周りのために、一切の見返りを求めず、黙々と与え続けることから実相の扉が開き、あなたを通して〝新価値〟が湧出するのだ。「智慧の言葉」に「奉仕とは新価値の創造である」と説かれているのは、「救われる」とは今生での使命(奉仕)を全うすることにほかならないからである。
 (二〇一八・九)

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