神に漁(すなど)られた者 (2019.10)
十月上旬のこと、教化部で講師会の正・副会長と各ブロック指導担当講師の皆さんにお集まりいただき、懇談会を開催させていただいた。話題の一つとして挙がったのは、生長の家のみ教えを〝新しい人〟や後生に伝えるためには、「皆が憧れるような、魅力ある講師を育成する必要がある。どうすればそのような講師が養成できるか」ということだった。そのことを考えているとき、私が青年会をしていたときに見た、ある光景が脳裏に蘇ってきた。
私は中学生のときみ教えにふれ、青年会に入ったのは数年後の昭和五十五年、焼津青年会(静岡)だった。そこでは小長谷茂さんという脳性小児麻痺の委員長が、身体(からだ)や言葉の不自由さをものともせず活動を展開していた。小長谷家は、当時お母さんが焼津の白鳩会総連会長、お父さんも同地区の相愛会長で、皆さん地方講師の生長の家一家だった。ご近所には、家族でみ教えを伝えた誌友宅が何軒もあり、そこのご子弟が青年誌友会に参加し、当時二十代だった私は、活動が盛んなこの青年会に、毎晩のように通って真理研鑽と地域の伝道に明け暮れる日々を送っていた。
そんなある日の夕暮れ、寡黙で、挨拶しか交わしたことのない小長谷さんのお父さんが、毎晩のようにカブに乗って、どこかへ出かけて行くことに気がついた。ご家族に尋ねると、「み教えに救われた恩返しに、出講や伝道に出かけています」とのこと。それまで一度も講話を聞いたこともなく、地味で静かな彼の姿の中に〝菩薩行〟を生きることの意味が初めて像を結び、私の胸に迫ってきた。地方講師を拝命して人類光明化運動に身を捧げるその背中に、私は自分の進むべき道を示されたような想いがした。
あれから四十年の歳月が経ったが、自分が今、生長の家に身を捧げて本部講師を拝命していることを顧みるとき、その原点に、彼の後ろ姿があることに気づかされる。私が「憧れた」もの、それは講話の面白さでも、弁舌の巧みさでも、皆に尊敬されることでもなく、ただ菩薩行に身を捧げる、その純朴な姿の中に神をまざまざと見たのだ。それは神意を生きることの美しさ、中心帰一の純粋さ、その背後にあるものの荘厳さを垣間見たのだ。
〝新しい人〟を導くためには、もちろん講話の面白さや巧みさも大切である。ただし、それだけでは、仏教で説く小乗の救いであって、当面の悩みが解決すれば、彼は去っていくのである。生長の家は大乗の教え。それは「己れ未(いま)だ度(わた)らざる前(さき)に、一切衆生を度さんと発願修行する」道だ。人類救済に身を捧げる光明化運動とは、この神に漁(すなど)られた者(菩薩)の歩む道であり、イエスはこれを〝狭き門〟に喩(たと)えている。大衆受けするご利益信仰(小乗)の視点からでは、真の救いへ導くことや、菩薩行としてのPBS活動の〝真の意味〟を見いだすことはできない。それは、少しの見返りも求めずに行う〝対話〟による菩薩行にほかならない。その無償の行為の中に、大慈大悲の観世音菩薩が顕れるのである。
(二〇一九・十)
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