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2020年9月 3日 (木)

霊界の浄化について (2017.8)

  四半世紀近くを経ても、阪神淡路大震災のことが時おり脳裏に蘇る。あの朝、私がいた宇治別格本山では神想観の最中だった。その後、時間の経過とともに次第に阪神地区の犠牲者が明らかになり、最終的な死者は六四〇〇人に達した。十六年後の東日本大震災では二万人弱の方が犠牲となり、福島第一原発事故に到っては、未だ収束の目処が立っていない。二〇一四年、宇治に「自然災害物故者慰霊塔」が建立されたが、現象の背後にある、問題の核心部分の解決は、まだまだこれからである。

 龍宮住吉霊宮(総本山)や宝蔵神社(宇治本山)を谷口雅春先生が建立された主要な目的は〝霊界浄化〟にある。現在蔓(まん)延(えん)する、物質的繁栄に偏重した唯物思想は、その背後に霊界浄化という大きなテーマがあることを示している。霊界は物質を越えた世界であるが、なぜ唯物思想と霊界とが深く関係しているのかといえば、霊界に住む多くの御霊たちが、未だ「人間神の子、自性円満」の真理を知らざるが故に、現象に執着し、それに現世の人々が付和雷同しているのである。現象は心のカゲに過ぎないのであるが、それを実在と思い違え、恵みのすべては神のみから来るにもかかわらず、それを忘却したところに生ずるのが唯物思想であり、人やモノへの執着であり、利己主義である。この無明(まよい)を吹き払い、人間・神の子の自由な境涯へと導くことが霊界浄化であり、その使命を担っているのが生長の家である。

 身近なところでは、家族や隣人との対立や葛藤(かっとう)なども、顕幽両界の執着が深く関係している場合がある。肥大化した欲望を制御することもできず、身近な者や人間同士が憎悪し、奪い合うことほど悲しいことはない。その最大の犠牲者が〝自然界〟である。この桎梏(しっこく)とも見える苦界に、愛の光を灯し、信仰の慈雨を注ぎ、大調和の世界を開くのが生長の家の運動であり、菩薩としての私たちの使命である。

「祝福の祈り」とは、生きている者と霊界の諸霊ともに成仏させることである。成仏とは、これから成るのではなく、すでに仏のいのちは実相世界に鳴り成り響いているのである。その実相を観じ歓喜の光明を灯すのが神想観である。潜在意識は、心理学から見た不可視の世界の消息であり、霊界は、宗教やスピリチュアリズムから見た同じものの消息である。潜在意識も霊界も、ともに一つの世界である。その中心にいるのがあなたである。あなた一人が唯神実相の真実の教えを信仰するその歓喜の灯(ひ)が、九族を救う大光明となるのである。

 対立している人が現れているように見える場合がある。これらは過去の迷いが消えていく姿である。だから腹立てたり、憎んだり、ねじ伏せようと力んではならない。それでは無明が無明と相撲(すもう)をとるようなもので、いつまでも問題は追いかけてくる。こんな時こそ、「祝福の祈り」の出番である。その祈りの一つが「四無量心を行ずる神想観」であり、霊前での先祖供養であり聖典・聖経の読誦である。あなたの祈りが、霊界と現界とを浄め、人類から鉱物に到るまで、天地の万物を救う。それが、「人間は神の子である」というコトバの真意である。  
(二〇一七・八)

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