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2020年10月30日 (金)

久遠に輝く光 (2020,11)

 修業時代、真理をより深く理解するために、聖典の言葉を毎晩ノートに書き写していた時期がある。黙々と文字を書き続けていたある夜のこと、真理のコトバが、魂にリアルに響いてきて、その文字の背後にある光輝く世界が湧出してきた。古来から「写経」は大切な宗教行として尊ばれてきたが、一見めんどくさいことだが〝正確にコトバを読み味わう〟ことを通して、「教え」が自家薬籠中のものとなり、住む世界が変わってくるのである。

 生長の家では、仏典や聖書の言葉を引用する場合が多いが、歴史の中に埋もれていた言葉が、み教えの光を当てることで〝不滅の輝き〟をもって生きていることが観えてくるのである。「正法眼蔵」然(しか)り、「聖書」然りである。たとえば、谷口清超先生が度々引用されていた「ヨハネ伝」の言葉、「然(しか)れども見ゆという汝らの罪は残れり」もその一つである。「見ゆ」とは、現象を認識することである。現象を見ることは決して罪でもなければ悪しきことでもないが、見えたもの(カゲにすぎないもの)に捉われ、それ(消えていくもの)を握り執着するところに苦しみが生じるのは、いつの世にも現れる私たちの無明である。これについて『甘露の法雨』には「外にこれを追い求むる者は夢を追いて走る者にして永遠に神の国を得ること能わず」と説かれている。

  潜在意識を浄めることや、霊界を浄めることを、生長の家では大切な宗教行として実施しているが、意識の浄化も、霊界浄化も、そのカギとなるのは「四無量心」の実践であり、執着を解き放つことである。執着は、非実在(ないもの)を実在(ある)と思い違えたところに生ずる無明のことだが、これに捉われた魂が、求めても得られず、執着しても永遠に対象から遠ざかる苦悩から、過剰な物欲・色欲・食欲を生じて悩み苦しむ。このような病苦、経済苦、はたまた怨憎会苦(おんぞうえく)などから救われる道は、物質の非実在を悟り、人間・神の子の真理に目覚めることである。そのための慈・悲・喜・捨の働きが先祖供養であり、神想観であり、身近な人への和顔・愛語・讃嘆の愛行である。

 神示にある「完成(ななつ)の灯台の点灯者」とは、生長の家のわたしたちのことである。その〝真理の火〟を灯すのが神想観などの「行」であり、誌友会であり、プロジェクト型組織(PBS)の愛行である。コロナ禍でこれまで通りの生活が難しくなり、世の中が混沌としている今こそ、あなたの内にある無尽蔵の〝愛の光〟を掲げるときである。真理の火は、あなたから遠く離れたところに点(とも)っているのではない。あなたの内に、あなたでしか灯(とも)すことのできない火があり、それを待ち望んでいる人がいるのだ。その最たるものが家族であり、あなたが近づいてくれるのを待っている人たちである。実相世界は、遠くにあるのではない。神に祈り、愛の光を灯した一隅(いちぐう)に、久遠に輝く光が湧出して九族を照らすのである。

(生長の家埼玉教区・群馬教区の機関紙より)

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