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2021年1月 1日 (金)

随所に主となる (2021,1)

 生長の家では「人間・神の子」を生きる秘訣として「随所に主となる」ことを説いている。これは臨済禅師の「随処に主となれば立処(りっしょ)皆真(みなしん)なり」に由来した言葉で、随所とは「いたる所で」といった意味である。が、その言葉をちょっと履き違えると、ときに無理を重ね、ときに自我を突っ張らせて要らぬ対立を招く場合がある。しかし、神のいのちは、はじめから宇宙に充ち満ちているのであり、周りを支配した後に主となるのではなく、父母未生(みしょう)以前から神の子は〝主人公〟なのである。その深い自覚に立ち、一切者としてのすべての責任を負い、一切のもののために尽くして生きること、それが「随所に主となる」ことの真意である。

 令和も三年目を迎えたが、昭和も平成の御代も〝久遠を流るるいのち〟が展開した相であり、久遠実成の天地が現象の背後にあることを生長の家では拝むのである。私たちが先達から受け継いで一隅を照らし続けてきた人類光明化運動・国際平和信仰運動の歩みも、すべては仏の四無量心の展開としての深い営みであり、慈悲喜捨の生涯を全うした菩薩たちがバトンを引き継がれ、そのお一人おひとりの〝想い〟や〝祈り〟や〝愛行〟が今、あなたとなって花開いているのだ。

 総裁先生は、代表者ネットフォーラムでのお言葉「居住地の自然と文化を顕彰(けんしょう)する」の中で、「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝することが、私たちの『自然と調和する』ライフスタイルの拡大と、地球社会への貢献になる」とお説きくださっている。その居住地の自然や文化を顕彰する行事が、インタープリテーションであり、PBS活動である。それは、かつて私たちの身近に在った「自然の営みと調和した文化的伝統」を深く味わい、そして感謝することから始まるのである。そこから、忘れ去られていた暮らしや、今ここに生きていることの意味が、一つひとつ紐解かれていくことだろう。この活動は、自然と調和して生きていた人々の〝智慧〟に学び、新価値を加えて後世にバトンをつなぐことでもある。

 これから二月にかけて、一年で最も寒い季節を迎える。この時期、華やかな季節には気付かなかった風土に深く刻まれた隠れた世界を、私たちの身近なものとして蘇らせ、不可視のものに想いを馳せるときである。はるかな過去と向き合うことは、より豊かな未来を創るための扉を叩くことでもある。わたしたちに何が托され、何をつなぐ使命があるのか。欲すると欲せざるとにかかわらず、今ここに生きる者はそれを担い、過去と未来とを繋ぐ架け橋でもあるのだ。

「随所で主となる」とは、過去・現在・未来の人々をムスビ、自然や文化的伝統の中にある豊かな恵みや智恵を、今ここに復活させることである。そのとき、数多(あまた)の先人によって生きられた無量の〝想い〟と〝祈り〟と〝愛行〟が、新たなユニバーサルな新価値を加えて〝新しい文明〟としてよみがえるのである。

(生長の家埼玉教区・群馬教区の機関紙より)

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