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2021年2月 1日 (月)

食がひらく“新しい文明” (2021,2)

 伝統的な「食べもの」には温かな家族の〝想い〟が宿っている。それは家族の歴史であり、父母や嫁ぎ先から受け継いだ遺産でもある。夫婦でも出身地が異なれば、同じ呼び名の料理も素材や味付けが異なり、決して一筋縄ではいかないところは、かの〝遺伝子〟と同じで、そこには〝ムスビ〟という深い意味が秘められているのだ。

 現代は、国や地域を越えて人や食が行き交う時代である。食は〝生きる糧〟であることから「おふくろの味」などとも呼ばれ、人それぞれの強いコダワリもあり、食べ慣れないものがマレに食膳に上るなら珍重もされるが、所帯をもった夫婦の食習慣が異なれば、深刻な問題にも発展しかねないのである。振り返ればわが家でも、わずかな食の違い(静岡と鹿児島)がいつしか針小棒大問題となったことに呆然としたが、事の次第を悟り、互いの食文化の背景をしみじみ味わい直すことで、大事に至らずに今日に至っている。

 さて、生長の家では菜食中心の食生活を推奨している。肉食忌避(きひ)は、生命を敬う者のささやかな抵抗であるが、殺される動物たちの悲しみや、地球環境の問題がそれだけで消えるわけではない。生長の家のPBSオーガニック菜園部の活動は、ノーミートから、犠牲のない新たな食文化を創造する取り組みでもある。そのためのヒントは、かつて伝統料理の主流を占めていた自然と人間が調和した食生活の中にあるのだ。それは、今日の料理から肉を差し引くだけという消極的なものではなく、肉を食べないがゆえに可能となる、繊細で豊かな菜食の世界を蘇らせ、さらに〝新価値〟を加えて現代の魅力的な食文明を開くことである。

 過日、埼玉・群馬おムスビネットフォーラム(zoomとFacebook)で開催された、各家庭で作られたおせち料理や、寒い季節の伝統料理がオーガニック菜園部の皆さんによって紹介された。実家で食べていたもの、嫁ぎ先や移り住んだ地域で習い覚えたものなど、その一つひとつに、受け継いだ〝想い〟や土地の伝統が宿り、料理は、私たちの人生を深いところで支えていることを伝えていた。その味は、子や孫へと受け継がれて、また新たな家族を温めることだろう。

 わが家でも秋から冬にかけての伝統料理がある。それは静岡名物のとろろ汁で、私が子どものころは山に入って自然薯(じねんじょ)を掘ることが、田舎少年の通過儀礼となっていた。収穫のため自身の躰(からだ)が入るほど深く穴を掘るのだが、それは苦役などではなく、内に眠る原初的な底知れぬ力が、森の中で密かに覚醒するイニシエーションでもあった。森では、地元で語り継がれてきた神さまの話や神秘的なシキタリや植物の名前などが伝えられ、自然の中での〝教養〟を身につける機会でもあった。置き忘れてきた文化の中に、自然と共生するための智慧があふれている。環境破壊が深刻さを増すこの時代に、先人たちの声なき声が、いにしえの物語が全国各地で蘇ろうとしている。そこから〝新しい文明〟を築くための豊穣(ほうじょう)な智慧が、生長の家のPBS活動を通して蘇るのである。 

 (生長の家埼玉教区・群馬教区の機関紙から)

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