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2021年9月25日 (土)

慈愛の言葉は光りのバトン (2021,10)

 私たちが信仰の道を歩むようになった最初の切っ掛けは、普及誌や聖典に書かれた言葉だったかもしれないし、先輩や友人のアドバイスや、父母の導きだったかもしれない。いずれにしてもそのカギとなるのは「言葉」である。そしてその言葉は、間違いなく慈悲や愛から発したものであったことは、その後それぞれの人生にもたらされた無量無数の恩恵のことを思えば得心がいくことだろう。

 田舎に住む友人が、畑に簡単な作業スペースを作り、誌友や地元の人々が気軽に集まる〝場〟を設ける計画を伝えてくれた。そこでは、共に野菜を育てたり、廃材や雑草を利用してクラフトや雑貨を作ったり、野草でお茶を煎(せん)じたり、PBS活動を展開しながら聖典の輪読や、メンタルサイエンスの話などをして、『凡庸の唄』のリアルな世界を実践してみるそうである。

 各地区にこのような開かれたコミュニケーションの〝場〟が実現したらどんなに楽しいことだろう。時々その場所に誌友が集まり、畑の世話をしたり、ネットで講話ビデオを見たり、愛行の打合せや真理の話や雑談に花が咲く。いわゆる青空誌友会場である。ときには畑で穫れたサツマイモなどをたき火して頬張り、畑の季節の巡りと連動しながら仲間と共に齢(よわい)を重ねていく。そんな〝場〟が各地にできたら〝新しい文明〟を形成する光りの拠点となり、生長の家の活動は着実に伸びていくことだろう。

 これらがウィズコロナ(コロナとの共存・共生)時代の運動の一つの姿となるだろう。自宅の土地があればそこを活用し、なければ畑を借りてそこを〝光りの拠点〟とするのだ。「畑」という光明化運動のフィールドは、自然と人間との〝対話の場〟であると同時に〝ムスビの場〟でもある。無農薬で行う野菜作りを通して一人ひとりの工夫が施され、アイディアが花開き、畑には、昆虫や微生物や様々な「種」が集まるだけでなく、人や情報や智慧がムスビ合う生命(いのち)の十字路として、豊穣なる世界が展開する。自然と人間が交わる畑は、神性を開発する新時代の道場となり、種を蒔き、育て、収穫して祝う〝祭りの場〟であると同時に〝新価値創造の場〟となるだろう。

 この秋、埼玉・群馬の自転車部の皆さんがイエローフラッグリレーの復路(浦和から高崎へ)を予定していたが、コロナ禍でリアルな実現が困難になった。そこで新たな試みとして、おムスビネットを舞台に〝居住地の自然と文化を顕彰するリレー〟を実施するらしい。それは自転車だけでなく、徒歩や公共の交通機関も利用して、それぞれの居住地の文化的史跡や自然に光りを当て、過去に生きた人たちと、現代を生きる私たちと、次世代の人々とをムスビ、各地の自然や史跡を紹介しながら〝想い〟のバトンを繋ぐという生長の家ならではのイベントである。ここでもカギとなるのは「言葉」である。神の愛と仏の慈悲から発したコトバは、ご縁のあるものすべてに〝感謝の光り〟を当てずにはおかないだろう。

 

 (生長の家埼玉教区・群馬教区の機関紙から転載)

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