慈愛の言葉は光りのバトン (2021,10)
私たちが信仰の道を歩むようになった切っ掛けは、普及誌や聖典に書かれた言葉だったかもしれないし、先輩や友人や父母の導きだったかもしれない。
いずれにしてもそのカギとなるのは「言葉」である。そしてその言葉は、仏の慈悲や神の愛から発したものであったことは、その後それぞれの人生にもたらされた無量無数の出逢い、悦び、恩恵のことを思えば得心がいくことだろう。
田舎に住む友人が、畑に簡単な作業スペースを作り、地元の人々が気軽に集まる“場”を設ける計画を伝えてくれた。
そこでは共に野菜を育て、廃材や雑草を利用してクラフトや雑貨を作ったり、野草でお茶を煎(せん)じたり、そんなPBS活動をしながら、ご近所の方たちに声をかけて、普及誌の輪読やメンタルサイエンスの話などをして、『凡庸の唄』のリアルな世界を実践してみるそうである。
教区の各地区にこのような開かれたコミュニケーションの“場”が屋外に実現したらどんなに楽しいことだろう。
時々その場所に誌友が集まり、ミニイベントで畑の世話をしたり、スマホで講話ビデオを見たり、愛行や真理の話や雑談に花が咲く。
いわゆる青空誌友会場である。ときには畑で穫れたサツマイモなどをたき火して頬張り、季節の巡りと連動しながら仲間と共に齢(よわい)を重ねていく。
そんな“場”が各地にできたら“新しい文明”を形成する光りの拠点として生長の家は着実に伸びていくだろう。
こんなライフスタイルが、ウィズコロナ(コロナとの共存・共生)時代の運動の一つの姿になるのかもしれない。
皆さんも自宅の土地があればそこを活用し、なければ畑を借りてそこを“光りの拠点”とすることもできるのだ。
「畑」という新たな光明化運動のフィールドは、自然と人間との“対話の場”であると同時に“ムスビの場”でもある。無農薬で行う野菜作りを通して一人ひとりの工夫が施され、アイディアが花開く。
そんな畑には、昆虫や微生物が集まり、様々な野菜の「種」が交換されるだけでなく、智慧と愛と生命がムスビ合う生命の十字路として豊穣な世界が展開するだろう。
自然と人間が交わる畑は、神性を開発する新時代の道場となり、種を蒔き育て収穫して祝う“祭りの場”となり、同時に“新価値の創造の場”となるのだ。
この秋、埼玉・群馬のSNI自転車部の皆さんがイエローフラッグリレーの復路(浦和の教化部から高崎の教化部へ)を予定していたが、コロナ禍が蔓延してリアルな実現が困難になった。
そこで新たな試みとして、おムスビネットを舞台に「居住地の自然と文化を顕彰するリレー」をそれぞれの地元で実施することになった。
それは自転車だけでなく、徒歩や公共の交通機関も利用して、それぞれの居住地の文化的史跡や自然に光りを当て、過去の人々と現代を生きる私たちと、次世代の人々とをムスビ、各地の自然や史跡を「おムスビネット」と「PBS各部のサイト」で紹介する。そんな生長の家ならではのイベントである。
ここでもカギとなるのは「言葉」である。神の愛と仏の慈悲から発したコトバは、ご縁あるすべてのものに“光りのバトン”を手渡すだろう。
(二〇二一・十)
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