聖使命のこと (2021,12)
十一月、埼玉・群馬のペア教区で「聖使命研修ネットフォーラム」を開催した。
生長の家では、人間は神の子であり、その実相(ほんとうのすがた)は円満完全な宇宙大生命で、智慧と愛と生命とに満ちていると教えていただいている。
聖使命とは“聖なる”使命のことである。それは無限ともいえる神の智慧と愛と生命を生きて、この世界を光明化する使命のことである。
『生命の實相』第一巻の「實相篇」には、「自性円満を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります」と説かれている。
「自性円満」という言葉には「そのままで円満なこと」との注釈が添えられている。そのままとは「はじめから」ということで、それは、「神の子」に成るために長い時間をかけて精進努力した後にそこに達するのではなく、そのままで自性(実相)は完全円満であり、ハイッとそれを受けて三正行に励んでいれば、本来の実相が顕れてくるのである。
かれこれ四十年ほど前のこと、宇治練成会で「聖使命」の講話を担当していた講師が、
「皆さん、そのまま円満完全な神の子であり光りですよ! その実相を悦びたくない人は、ぜったいに聖使命会に入ってはいけませんよッ!」
と、一見冗談か、と思われるような真実を突いた話をされていたが、講話の後、初めて練成に参加したと思われる人たちが続々と聖使命に入会されていたことを思い出すのである。
今回の聖使命研修では、冒頭で埼玉教区相愛会の冨田敏夫会長が挨拶され、『到彼岸の神示』(谷口雅春著)の一節を引用して、「神さまの教えをひろめるためには“純粋な献身”が要求される」ことを紹介されていた。
続いて三名の方が体験発表をされたが、彼らに共通していたことは、幼な児の信仰と純粋な献身だった。
生長の家の運動は数知れぬ先達の“純粋な献身”のおかげで、私たちの元に人間・神の子の“真理の火”が届けられたのである。その光りに照らされて、人生の桎梏(しっこく)と見えていた人間苦、経済苦、病苦から解放されたのだ。
そこに点ぜられた「火」とは、「自性円満」の真理の自覚であり、そこから生じた喜びが、人類光明化運動・国際平和信仰運動となって地上に溢れているのである。
『新版 真理』悟入篇には、聖使命菩薩について「すべての人を救いとろうと、いとも広大なる救いの手を拡げられた(中略)、観世音菩薩の千本の手の一本一本が衆生済度の聖使命を感得された皆さんであります」と説かれている。
聖使命に入会するとは、先達の言葉を借りれば、「そのまま円満完全な神の子であり光りですよ!」と、その実相を悦び生きることに他ならないのである。それは同時に、神の無限供給の扉を開くことでもあるのだ。
それを開く鍵は、はじめから私たちの内にあり、この世に持参して生まれた“如意宝珠”という「いのち」の中に秘められているのである。
「聖使命」とは、神の子の使命である“菩薩行”を随所で行じて、人生を光明化することであり、そのカギが潮干の珠(現象無し)と、潮満の珠(唯神実相)のコトバの力である。
聖使命菩薩(皆さん)の生きて歩むところ、そこに必ず浄土が湧出するのである。
(二〇二一・十二)
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