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2021年12月 6日 (月)

聖使命のこと (2021,12)

 11月、埼玉・群馬のペア教区で「聖使命研修ネットフォーラム」を開催させていただいた。生長の家では、人間は神の子であり、その実相は円満なる宇宙大生命であり、智慧と愛と生命に満ちていると教えていただいている。聖使命とは〝聖なる使命〟すなわち、神の無限の愛、仏の四無量心を全力で生きて、この世界を光明化する働きのことである。


『生命の實相』第一巻の「實相篇」には、「自性円満を自覚すれば大生命の癒力(ゆりょく)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒(しんゆ))となります」と説かれており、「自性円満」という言葉には「そのままで円満完全なこと」との注釈が添えられている。そのままとは、はじめから、ということである。それは、「神の子」に成るために長い時間をかけて精進努力した後にそこに達するのではなく、そのままで自性(実相)は完全円満であり、ハイッとそれを受けて歓喜し生活していれば、本来の実相が顕れる、ということである。


 かれこれ四十年ほど前のこと、宇治練成会で「聖使命」の講話を担当していた講師が、「皆さん、そのまま円満完全な神の子であり光りである! という実相を悦びたくない人は、聖使命会に入ってはいけませんよッ!」と冗談めかしく説かれていたが、講話の後、初めて練成に参加したと思われる何人もの方が入会されていたことを思い出すのである。


 今回の聖使命研修では、冒頭で埼玉教区相愛会の冨田敏夫会長が挨拶され、『到彼岸の神示』(谷口雅春著)の一節を引用して、「神さまの教えをひろめるためには〝純粋な献身〟が要求される」ことを紹介されていた。続いて三名の方が体験発表をされたが、彼らに共通していたことは、幼な児の信仰と純粋な献身である。生長の家の運動は数知れぬ先達の〝純粋な献身〟のおかげで、私たちの元に人間・神の子の〝真理の火〟が届けられ、その光りに照らされて人生の桎梏(しっこく)と見えていた人間苦、経済苦、病苦から解放されたのである。そこに点ぜられた「火」とは、「自性円満」の真理であり、そこから生じた喜びが人類光明化運動・国際平和信仰運動となって溢れてきたのである。


『新版 真理』悟入篇には、聖使命菩薩について「すべての人を救いとろうと、いとも広大なる救いの手を拡げられた(中略)、観世音菩薩の千本の手の一本一本が衆生済度の聖使命を感得された皆さんであります」と説かれている。聖使命に入会するとは、先達の言葉を借りれば、「そのまま円満完全な神の子であり光りである!」その実相を悦び生きることに他ならない。それは同時に神の無限供給の扉を開くことでもあるのだ。


 その鍵は、はじめから私たちの内にあって、この世に持参して生まれてきた〝如意宝珠(神の命)〟の働きに秘められているのである。「聖使命」とは、使命を生きる悦びの灯火を随所で点じて光明化することであり、それが潮干(しおひる)の珠(たま)(現象無し)と潮満(しおみつ)の珠(たま)(唯神実相)の働きである。聖使命菩薩の生きて歩むところ、至る所に浄土が湧出するのである。

 

(生長の家埼玉教区・群馬教区の機関紙から転載)

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