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2022年3月 1日 (火)

彩り豊かな人生を (2022,3)

 これは東京第二教区で教化部長をしていたときの話だが、教化部会館の二階に、ちょっとした講話や会議ができる多目的室があった。

 その部屋には一枚の油彩画が架かっていたが、一見すると凡庸な作品で、作者のサインを見ても素人目には誰なのか判然とせず、誰も気にとめることもなく、ずっと壁紙のようにして部屋に溶けていたのだ。

 ある日の夕方、この部屋で教区生教会(生長の家教育者連盟)の会議を終えて雑談していたとき、生芸連(生長の家芸術家連盟)委員長をされていた布井剛さんが、「この絵は洋画界の重鎮だったK画伯の作品だな。教区には生長の家に触れていた芸術家が何人もいたから、たぶん教化部に寄贈されたのだろう」と教えてくれた。

「ロンドンの霧は、詩人がこれを歌ったとき存在に入った」とは、聖典に紹介されたオスカー・ワイルドの言葉だが、それ以来この作品が、皆の心に入ってきたのだ。

 すると、各組織の会議で部屋を使用する度に、絵のことが注目され少しずつ語られるようになった。しげしげと作品を眺める人、美点を見て褒める人、次第に作者が作品を通して表現した美の世界が皆の意識に入り、波紋のように、静かに広がっていった。

「言葉」で由来を讃えただけで、皆の記憶から忘れ去られていた作品が、豊かな味わいを増して人々の心に蘇ってきたのだ。

 神は真・善・美となって現れると教えていただいているが、それを引き出すのは「言葉」である。言葉とは“意味”や“物語”を宿す「言霊(ことだま)」である。

 たとえば、既製品や大量生産された工業製品などのモノたちは、彼らを支える“物語”が希薄なことから、流行が去ると忘れられ、使い捨てられてしまう。

 しかし皆さんが手がけたクラフトや手料理のように、そこに誰かの“手”や“想い”が加わるだけで、その“物”は言霊を宿して、そこから様々な物語が生まれ、もはや物は、単なるモノではなくなる。

 小さな「物語」にこそ注目してみよう。たとえば、地元にある身近な史跡に一歩踏み込み“意味”や由来を学ぶことで、私たちが物語の伝える言霊に満ちた風土の真っただ中に生かされていることが観えてくるのだ。

 そこに光を当てることで、人生がどれほど彩り豊かなものへと変貌することだろう。

 いわんや一人ひとりの人間をやである。私たちは人間・神の子についても、その言霊を事あるごとに蘇らせ、ご先祖や父母や家族、そして恩師や先達について語ることを、遠慮してはいけないのである。

『正法眼蔵』に「一切衆生、悉有(しつう)仏性」という釈迦の言葉がある。

 一切衆生とは生きとし生けるもの、悉有とは、ありとしあらゆるもののことだが、それらことごとくが円満完全な仏の命の鳴り響きであると、釈迦は宇宙の本当の姿(実相)を観て拝んだのである。

 それは決して余所事(よそごと)ではなく、私たちのいのちが仏の命の鳴り響きであり、その“自性円満の実相を悦びましょう!”と古仏たちの説いた真理を現代に蘇らせたのが生長の家である。

 そんな私たちの使命は、人や物や事のいのち鳴り響く世界を拝み、その本当の姿を「言葉」で語り伝えることにほかならないのだ。

  (二〇二二・三)

 

 



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