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2022年4月 1日 (金)

静的工夫と動的工夫 (2022,4)

 東日本大震災から十一年目を迎えた朝、「呂律(ろれつ)が廻っていない」と家内に指摘された。病院でMRIを撮ると、医師から、「脳梗塞ですね。右側の、この白い部分がそれです」と診断された。

 懸念されたのは、教区での活動に支障をきたすことだった。

“これで私も店じまいかな”と思った瞬間、十代の頃に観た記録映画の一コマが脳裏に浮かんできた。

 それは、登山家の長谷川恒男氏(1947-1991)が、スイス・アルプスの「冬季アイガー北壁初登頂」に挑んだ時の記録で、かつて世界の数多(あまた)の登山家がこれに挑戦して失敗し、これまで数十本もの指が凍傷で失われていたのだ。

 同氏が登頂後のインタビューでこの凍傷を回避できた質問に答えて、
「手足の指先にまで意識を通わせていたおかげ」
という意味の言葉を語っていた。

 長谷川氏の言葉をヒントに、数日間、神想観での深い祈りと真理のコトバの研鑽に徹することにした。

 招神歌を唱え神想観の姿勢に入る度に、何処からともなく生命の生かす力がいつにも増して湧出してくるのを感じた。

 生長の家ではこれを「天地を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」とも「癒力(ゆりよく)」とも呼んでいるが、それは「自我」の活動が希薄になるに従って聴こえてくる“声なき声”でもある。

 この内なる働きに心を澄ませ身を委ねることで、その癒力(ゆりよく)は全身心を充たしていった。

 医師からは入院を勧められ、クスリも処方されたが、それを受け入れれば、この霊妙な感覚である「癒力」(癒やす霊妙な働き)の邪魔をしてしまうことは明かだった。

 熟慮の末、医師に率直に私の意向を伝え、以来“内なる声”に従って自然治癒に専念することにした。

 そんな日々を過ごした三日目、招神歌や聖経読誦の言葉が、次第に像を結びはじめ、そして発症して五日後、埼玉教区での月次祭ではなんとか祝詞を唱えることができた。

 まだ途上であるが、これも皆さんの深い祈りのおかげと思う。

 さて、『誰でもできる「石上げの行」』(宗教法人「生長の家」)という本が刊行された。

 歴史を振り返ると、かつて日本の各地で石に願いをこめて山に奉納していた記録がある。

 私が育った静岡でも、かつて疫病(えきびよう)や飢饉(ききん)で多くの民衆が苦しんでいたとき、明山鯨海(みょうざんげいかい)和尚という僧侶が駿河湾で石を拾い、それにお経を書いて藤枝の菩提山に収めたという伝承があり、実際に現地に足を運んでみると、今でも十数センチ程の平たい石が山頂に無数に散在している。

 また、お隣の山梨県の鳳凰(ほうおう)三山(南アルプス)には地蔵岳(2764m)があり、その山頂にはたくさんの石地蔵が奉納されている。

 これは子どもに恵まれなかった夫婦が子宝を祈願して登拝し、子どもが誕生するとお礼に石に地蔵を刻み、それを担いで運び上げたのだという。

 生長の家が説く“神癒”には、自力の働く余地は微塵もなく、ただただ神の絶対他力によるもので、それは神想観の静的工夫によって顕著に発現する。

 その癒力は、古来「石上げの行」などの動的工夫を通しても祈られ、“ムスビの働き”として各時代に顕現していたのだ。

 その衆生救済の働きは、肉体を超え、時代を超え、国境を越えた仏の四無量心の働きである。

 今はウクライナの平和と、次世代の安寧(あんねい)を祈り、私たちに授けられた聖使命の火を高く掲げて活動するときである。

 (二〇二二・四)


 
 

 

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