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2022年6月25日 (土)

紫陽花の咲くとき (2022,7)

 十年ほど前の梅雨のこと。紫陽花(あじさい)をスケッチしたとき、その構造が、まるで宇宙に浮かぶきら星のように、無数の細かな花や蕾みの集合だったことに初めて気がついた。以来、紫陽花が咲く度に、かの天体は色や形そして星雲の形態まで種によって微妙に異なることが見えてきた。そんな世界の不思議に触れる悦びは、神想観での宗教的な発見にも似ている。

 コロナ禍で、誌友会などの対面行事が開催できない期間が二年以上続いたが、梅雨入りとともに群馬と埼玉の各地を巡る「教化部長講演会」と「先祖供養祭」をスタートした。先ず群馬では桐生市、埼玉では上尾市と吉川市と越谷市を回らせていただいた。各会場ではzoom(ズーム)で〝顔見知り〟の方もいらっしゃれば、まったくの初対面の方も半数以上もいることに深い感慨を覚える。
 すでに両教区に赴任して二年以上の時を経ていることを思えば、本来なら教区の各地を二巡ほど回り、三巡目に入っていたことだろう。

 それでもコロナ禍の間、教区で出来る精一杯の活動として、インターネットを活用しての日々の神想観と講話、そして地方講師の皆さんによる体験談をたゆみなく教化部から配信させていただいた。感染症蔓延という初めての状況下で、どれだけの教化活動が出来るのか実践と試行錯誤の連続だったが、ともあれ対面行事が可能となった今は、従来型の誌友会などアナログの運動も復活させ、コロナ渦中で展開したデジタルの利点をも生かしながら、柔軟に活動を進めていく予定だ。

 講演会と先祖供養祭では、講話の後で必ず質疑応答の時間を設けて皆さんとの対話を楽しみにしているが、ある会場で「世界平和の祈り」ニューバージョンについてのご質問を頂いた。それは、「ロシアの人々のために祈るのは、生長の家でない人から見て誤解を招くのでは?」というもので、その趣旨をさらに聴いてみると、ロシアを〝排除すべき敵〟と見る世間の目に合わせるべきではないか、という配慮であることが判った。

 ご存じのように、生長の家の本源は大慈大悲の観世音菩薩である。その大慈悲の展開である生長の家では、天下無敵を説き、敵と見える者の中に神や仏の実相の姿を拝むのである。仏教に「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」という言葉があるが、道心とはすべてを生かす仏心を生きること。一方、衣食とは、世に蔓延した経済優先の生き方のこと。前者は感謝と和解の道であり、後者は競争と奪い合いと紛争へと通じる隘路(あいろ)である。

 神さまから観れば、神の子に人種や民族の違いも無ければ、国の違いもない。世間がどのように見ようとも、慈悲喜捨の四無量心は、微塵もゆらぐことなく天地を貫いて万物を生かすのである。その大慈悲を生きることの中に、私たちの菩薩行があり、そこから衣食が、世界平和が、次世代への愛行が満ちてくるのだ。それは紫陽花のような多様性に富んだ〝新しい文明〟を花咲かせる道である。

 

 

 

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2022年6月 1日 (水)

“愛の行者”楠本加美野先生のこと(2022,6)

 この三月、楠本加美野先生が彼岸へと旅立った。振り返れば、楠本先生を通して神さまから幸(さきは)えられた恩恵は計り知れない。私もその恵みを戴いた一人である。

 先生との出会いは四十数年前、富士河口湖道場での一般練成会だった。当時の先生は〝愛の行者〟そのものといった印象で、たとえば道場の廊下で合掌してすれ違うとき、演壇で穏やかに講話されているとき、湯船に浸かって瞑目合掌されているとき、先生の雰囲気から、日々唱えている聖句の言葉が光を放ち、一挙手一投足に中心帰一の誠意が滲み出ているようだった。

 その年の暮れ、青年会の仲間たちと車二台に乗り合わせ新春練成会に参加した。練成中の早朝、楠本先生の先導で地元の浅間神社に参拝して神想観を実修した。辺りは雪が積もり、火の気の全くない極寒の境内は深閑としていた。先生は毎朝ここで祈っているとのことだった。

 数年後、先生は本部練成道場(飛田給)に異動され、一九八七年からは宇治別格本山の総務を拝命された。そこで再び楠本先生と出会い、二〇〇〇年に私が本部に転勤するまで仕えさせていただいた。
 ある日、楠本先生に、「本部講師補の試験を受けたいのですが」とお伝えすると、思いがけないことに進学することを勧められた。まだ若く視野が狭かった私は、気が遠くなるほど長い遠回りをするような印象を受けた。が、仕事の傍ら勉強を重ね、立命館大学の哲学科に合格して学び、神や西洋思想についてより深く研鑽させていただいたおかげで、後に真理の書を正確に読み解く〝読解力〟や、思想を鍛錬し、それを言葉で表現する力を培うための掛け替えのない時間となった。

 先生が一人ひとりの魂を的確に見抜き、目先の判断を越えた適切な指導ができたのは、偏りのない、峻厳な「実相直視」の愛あればこそだったと思う。

 一九九八年の冬、私が肺炎を発症して入院したことがあった。お見舞いに来られた楠本先生は、ベッドの傍らで静かに聖経読誦を始められたのである。狭い大部屋だったので他の入院患者の注目を浴びることになったが、先生は人目など気にすることなく、ただ黙々とご自身の使命と信ずることを素直に行じておられた。退院して先生のところに行き、未熟な信仰と、休んだことのお詫びに伺うと、「いよいよ次は本部講師だな」と、再び思いがけない言葉で励ましてくださった。

 これは、当時同僚だった女性職員から直接聴いた話だが、早起きが苦手だった彼女は、その日は早朝行事の開始時間を過ぎても起床できず、布団に包まり眠っていたそうだ。すると、夢枕に楠本先生が現れ、足元に立って、じっと合掌して自分のことを拝んでくださっていたという。「いっぺんに目が覚めて、大拝殿に飛んでいきました」と、驚きとも悦びともつかぬ興奮した声を響かせて明るく語っていたのを思い出すのである。

 楠本先生にまつわる温かなエピソードは、ご縁のあった人の数だけあり、それぞれが人生を光明生活へと好転させた物語を持ち合わせておられることだろう。先生は、それだけ皆のために祈り、ご縁あったひとり一人を愛して菩薩の道へと導き、神さまの使徒として人類光明化運動に身を捧げられたのだ。
 享年百歳。愛の行者としての荘厳なご生涯を、今さらながらに想うのである。

 

 

 

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