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2022年8月 1日 (月)

丸貰いの丸儲け (2022,8)

 不思議な時代が到来したものだ。スマホが普及したおかげで、今生では再び会うことは無かったであろう遠方に住む旧友とも、再会できる窓が開いていた。つい最近のことだが、共に四十年ほど前に宇治で修行して、その後み教えから離れていた友人から、メッセンジャーで次のような質問が寄せられた。

「久都間さんにお聞きしたいことがあります。生長の家で一番大切なことは何でしょうか? 私は最近纏めた本で、自分が〝光であること〟と記しました。ところが先日、古参の生長の家誌友の方から〝それは感謝だ〟といわれました。が、私は〝光り〟のなかには〝既に感謝できている自分〟がいるから、それで正しいと思っていましたが、いかがでしょうか。それでも感謝することが第一なのでしょうか? 教えてください」。

 生長の家で一番大切なこと、という質問は、彼なりに人生を賭けた問いと思われた。私はスマホを手に、次のように答えていた。

「人間はみな神の子です。外界はすべて現象であり、非実在です。しかし現象は、宇宙大生命の働きである観世音菩薩(観自在の原理)によって現れた世界ですから、その人の心境に応じて、救いの機縁となるものが百人百様に現れるのです。だからあなたの云う〝光〟も一番大切であり、誌友の語る〝感謝〟も一番大切なのです。

 生長の家で『天地一切のものと和解せよ』と説くのは、仏の四無量心を行ずる私たちの慈悲喜捨こそが、一切の無明を照らす智慧の光であり、衆生の苦悩を癒やす愛の光だからです。日々の神想観を通して、随所で慈悲と愛を行じさせていただくのが生長の家の信仰生活です」。

 梅雨が明けて八月が近づくと、宇治本山で総務を務めておられた藤原敏之講師の語っていた「救いの根本行は、ただ〝有り難う〟と感謝すること。善くても有難く、悪くても有難いのです」「自分の力によるものは一つもない、ことごとく頂きもの、丸貰いの丸儲けと分かれば感謝以外にはない」という言葉が蘇って来る。

 〝丸貰いの丸儲け〟とは、すべては神からの授かりものということである。〝自分のもの〟と思っていた家族も、自身の能力も、身体も、信仰する力も、実は自分のものなど一つもなくて、すべては神の愛、仏の大慈悲が家族となり、師や友人となり、同僚となり、土地や財産や私たちを取り巻く山河となって現れていたのである。

 唯神実相の信仰は、運動の根底に脈々と流れ、その慈悲の光に触れた人々を救いへと導く。役員改選で新たな使命が天降った方、一念発起して信仰に本腰を入れはじめた方、ともに私たちの住む世界は〝丸貰いの丸儲け〟宇宙まるごと神さまからの恵みであり、授かりものである。そして何よりも神の子であるあなたの存在こそが、神がこの世にもたらした最高の贈りもの、世の人々を照らす慈悲の光に他ならないのである。

 

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